共和国よりも小さく、速やかに
賭ける側の人びとは、それを祈りの強さや気合の問題として捉えているのかもしれない。十分な強さで祈れば自分が賭けた大鳥が最後の直線でぐんとのびて大逆転するだとか、あるいは、賭けた大鳥が負けてすってんてんになったのはあの大鳥の乗り手の気合が足りなかったせいだとか、そのように考えているのだろう。
しかし、賭けられる側──つまり、競鳥における大鳥の乗り手である空騎士は、そのようには考えない。発走から入着までの全ては、物体と力学の問題なのだ。(実際、空騎士たちの調練の課程において、高度物理学を修めることは重要視されている)
大鳥を操るということは、乗騎の体格、筋量、体調と、空騎士の技能、体重からなる高次方程式にすぎず、持てる力に見合った結果しか得ることはできない。そこに、祈りや気合などという、形がないものが介在する余地はない。
その年の年賀競鳥において、空騎士アロイスは優勝を強く願った。それさえ叶えば、他には何もいらないと思った。
打ち破らなくてはいけない相手は、空騎士カミル。カミルはアロイスにとっては同僚でもあり、幼なじみでもあり、友人でもあった。そして友人であればこそ、アロイスはカミルに勝たなければならなかった。二人の実力はほぼ互角だが、わずかにカミルが優れており──逆にいえば、わずかであったとしてもカミルのほうが優れている以上、カミルの優勝に帰着するのは必然と思われた。
アロイスには身を捨てる覚悟があった──もっとも、覚悟というものそれ自体は物理的には無意味なものであるが──同時に、彼には作戦があった。
当初、新年恒例の年賀競鳥の開催は危ぶまれていた。
なにせ、帝都を掌握した共和主義者たちの首班である『護民卿』が、大の空騎士ぎらいとして知られていたからだ。
かつての共和主義者たちは反乱分子であり、そして空騎士たちは帝都における治安維持の先兵だった。当然、革命前は数多くの共和主義者が空騎士によって捕らえられており、両者はまさに恨み骨髄の天敵だったといえる。
実際、帝国政府の支配機構を乗っ取った共和政府のもとで、帝都の空騎士部隊は規模の縮小を余儀なくされた。かつて空騎士たちは皇帝権力に近い精鋭部隊とされていたが、いまでは共和政府に疎まれ、単なる邏卒として扱われるようになっていた。
けれど、紆余曲折を経て、年賀競鳥は開催される運びとなった。
一説によれば、さっそく財政難に見舞われている共和政府が、競鳥賭博による収益を欲したからだという。
また別の一説では、それまで年賀競鳥の優勝者に対して皇帝が直々に表彰していたところを、今年からは共和政府の首班である『護民卿』がとってかわることで、共和政府による帝都の支配を内外に顕示する狙いがあったともいわれている。
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考えようによってはそこまで悪いことにはなっていない──と空騎士アロイスは思った。
共和政府による空騎士に対する粛清の嵐は、煩わしい上層部を取り払ってくれたともいえる。出自の卑しさによって栄達の道からは外されていた身であるが、むしろそれがこの革命後の世界においてはいい方向へと働いた。
大鳥を操る技能と経験はあるが、軽薄で政治的信念を持たない男──これが共和政府の思想調査においての、アロイスに対する結論だった。
アロイス自身は、それが特段悪いことだとも、恥ずべき事だとも思わなかった。
実際、忠誠心が強かった一部の空騎士たちは内戦を最後までオルゴニア帝国皇帝の側で戦ったが、彼らは討ち死にしたか、逃亡したか、あるいは反革命罪で牢屋の中である。
それと比べれば、自由の身で友人と楽しく過ごす方が、よっぽどよかろう……と、アロイスは当然のように考えた。
査問から解放されたアロイスは、ひとつ背伸びをした。そしてやれやれと宮廷の中を歩きだす。
いまや、この宮廷は共和主義者によって占拠されている。内裏は共和政府中枢の会議室となり、宝物庫からは歴代の皇帝の蒐集品が運び出され、近衛兵の代わりに革命軍の兵士が巡邏をしている。
歩いているうちに、そこかしこにいる兵士たちから、冷ややかで軽蔑的な視線が向けられるが、アロイスは気にもとめなかった。
宮廷の長い廊下を抜けると、一人の男がアロイスを待ち構えていた。鋭い目と堅く結んだ口の、小柄ながらに精悍な男。(小柄であるということは、大鳥を駆る空騎士にとっては、きわめて有用な体格的資質である)
その男の姿をみて、アロイスは内心、胸をなでおろした。そして声をかける。
「よう、カミル。おまえの方はどうだった?」
「特に問題はない」と、男はにべもなく答える。
「そうか? おれは、おまえのことが心配だったけどな。だっておまえは昔から口下手だから。なにか口ごもったりして、連中に余計な不信感を持たれたりするんじゃないかって気が気じゃなかったよ」
「そうか」
「まあ、とりあえずおれたちは無罪放免のようだから、それを喜ぼうぜ。それに、これから忙しくなるぞ。今じゃあ、まともに大鳥に乗れるやつなんて少なくなったからな」
「……」
二人は並んで、宮廷を後にした。
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帝都の灰色の空の中、大鳥に騎乗したアロイスはいた。遮る物もなく吹きすさぶ冷たい風が、彼の身体から体熱を奪っていく──重量の最小化が重要視されている空騎士の軽装では、この厳しい冷気を完全に防ぐことはできない。
しかし一方で、アロイスにとってその冷たさは心地よくもあった。完全に澄んだ空気が肺を満たす。地上の帝都に堆積して淀んだ息苦しい空気は、ここにはない。
乗騎たる大鳥は、人の身丈を優に超える翼を優雅に広げ、アロイスの意のままに動いた。ほんの少しの手綱の動きと乗り手の重心移動に応じて、この空で最も貴い猛禽は右へ左へと旋回する。
この空にいる間は、空騎士と大鳥だけの世界であり、そしてこの世界においては全てが思うがままに操作できる。空騎士の根本原理。すべては物理法則であり、物理法則以外のものは存在しない。明瞭で、間違いがなく、不規則のない世界──
ふと、大鳥が警戒するような鳴き声を発した。
眼下に広がる帝都の街並みは、ちっぽけで精巧な模型のようにも見えた。その一角に、蟻の群れのような人だかりができているのを、大鳥は見つけ、教え込まれている通りにそれを空騎士へと伝達したのだった。
アロイスは大鳥へと、急降下の合図を出した。
何事かと地上に降り立ってみれば、意外なことに、それはアロイス自身とかかわりのあることだった。
人だかりができていたのは、読売屋であった。年賀競鳥開催と出場者についての報せが、飛ぶように売れていたのだ。今日がちょうど公表日だったらしい。
「なあ空騎士さん」と、群衆の中の一人が厚かましくも声をかけてきて、その出場者情報を見せてくる。「この競鳥は、だれが勝つと思う? 空騎士さんから見て、この中で一番の乗り手は、誰だい?」
アロイスは呆れた。
「あのなあ。おれたち空騎士は予想行為に関わるのは禁止されてんの」
「でもよお。この面子じゃあ、去年までと全く違うじゃないか。これじゃあ予想もなにもできないよ」
これまでであれば──オルゴニア帝国皇帝の治世であれば──年賀競鳥の出場者は、主に空騎士の家門や身分によって決定されていた。
しかし、前回までの出場者は、今となっては戦死したか、投獄されているか、帝都を追放されている。そのため今回の競鳥の顔ぶれは、去年までとはがらりとかわっている。そして、その中にはアロイスとカミルの名前もあった。
「──とにかく、余計な騒ぎを起こすんじゃない! 散れ、散れ!」
アロイスはとりあえず、その場にいた群衆を解散させた。
おれだったらカミルの単勝に全部をつぎ込む、とアロイスは思った。もっとも、空騎士が競鳥に賭けることは禁止されているため、これは単なる空想に過ぎないが。
実力でいえば、アロイスとカミルの二人は他の空騎士よりも抜きんでており、そしてカミルの技能がわずかにアロイスを上回っている。この前提条件がある以上、十中八九、カミルが優勝するという結果に帰着する。それが方程式の解なのだ。
年賀競鳥の出場は空騎士の中でも限られた者にのみ与えられる栄誉であったが、鍛錬の一環としての模擬競争についてはアロイスとカミルにも経験があった。
高所から横並びで発走し、定められた距離にある柱を回って、戻ってくる。最初に入着した者が優勝。乗騎が入着するより前に騎手が地面に足を着けた場合は失格──たったそれだけの単純な競争であるが、単純であるがゆえに、大鳥を操る乗り手の技能の差が如実にあらわれてくるのだ。どこまで力を温存してどこで勝負を仕掛けるのか、進路の位置取りはどうするか、柱を回る際にどの空中機動を用いるか──ひとつひとつの細やかな技巧と判断が、結果的には、覆しがたい着順の差となる。
間違いなくカミルが優勝だ、とアロイスは思った。おれはおそらく僅差の二番手だが、最後までその差を埋めることはできない。『護民卿』がカミルに賞杯を授与するのを、おれは拍手しながら見守ることになるのだ──
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「おれが『護民卿』を殺す」とカミルがいった。
「は?」
アロイスは、友人が口にした言葉の意味を図りかねて、ただその顔を見つめるしかできなかった──カミルのその顔は、普段となにも変わりがないように見えた。
年賀競鳥の前夜、二人は私室で酒を酌み交わしていた。薬草を漬けた蒸留酒はアロイスのお気に入りで、カミルもそれを嫌ってはいない。アロイスがカミルを部屋に呼び込んで、二人でちびちびやるのはいつものことだった。この部屋の中で、これまで二人は数えきれないほどの話をしてきた。大鳥のこと、いけ好かない先輩のこと、空から見下ろした帝都の様子のこと、幼かった時のこと、そして将来のこと──
官舎の一室に、しばらくの沈黙があった。
「おいおい、カミル」アロイスは自分の声が震えていることに気がついた。「……そういう冗談はよせ。誰かに聞かれたらどうするんだ。笑えないよ」
「冗談じゃない。本気だ」
「じゃあ、酒の飲みすぎだ。酔っ払って頭がおかしくなってんだよ。いまのおまえはわけがわからなくなって、混乱しているんだ」
「それは違う。自分なりに、ずっと考えていたんだ。『護民卿』、あいつは殺されなくてはならない──そしてそれを実行できるのは、おれだけだ」
「おまえ、自分がなにを言っているのかわかっているのか」
「競鳥で優勝したら、『護民卿』が直々に賞杯を授与するというだろう。だからそこで、おれはあいつを殺す」
「──」
アロイスの中に恐怖と困惑が湧き上がってくる。胸のあたりが苦しくなり、息をすることが困難になった。
カミルは、淡々とした調子でつづけた。
「おれだけなんだ、それを実行できるのは。──『護民卿』は普段、裏切り者の軍と恩知らずの呪い師どもに守られている。手を出そうにも隙が無い。だから明日の表彰だけが、唯一の機会なんだ。わかるだろ?」
「馬鹿いうなよ」アロイスはなんとか声を絞り出す。「そんなこと、うまくいくとおもうのか」
「そうだな。うまくいかないかもしれない。けれど、うまくいくかもしれない。そのあたりは確率の問題だ。試してみる価値はある」
価値なんてない、とアロイスは思った。カミルの命を賭してまでやらなければいけないものなんて、この世にあるわけがない。
「……どうして、いまになって、そんなことを」
「おれがやろうとしていることは、全部自分自身の意思によってすることだ。誰かに脅されたり、操られているわけじゃない。それを、アロイスにはわかっていてほしかったんだ。その結果どうなろうが──」
「──やめろ!」
友人の言葉を遮るように、アロイスは思わず声を上げた。
アロイスの脳裏に浮かんだのは、オルゴニア皇帝の最期だった。共和主義者の手によって、酸鼻を極める肉体破壊と恥ずかしめを与えられ、晒し柱に繋がれたあの姿──共和主義者たちは、容赦をしない。かつて政敵から受けた弾圧と凄惨な拷問を、そっくりそのまま返すことに、まったくの躊躇がないのだ。
暗殺計画に対して、いったいどのような恐ろしい報復を受けることになるのか──考えたくもないことだった。
アロイスは、海の中に落ちていくような気持になった。
カミルに向かい、縋りつくようにいう。
「いまのままでも、いいじゃないか。……革命後も、おれたちはおとがめなしだった。空騎士としてやることは変わらないんだ。いまさら、おまえがなにかをする必要はないだろ、カミル」
「誰かがやらなくてはならないことだ」と、カミルはにべもない。「そして、明日の競鳥の優勝者がそれを実行するのが、最も可能性が高い。だからおれがやる。──最適化の問題だ。アロイス、おまえも空騎士ならわかるだろ?」
目の前にいるのに、まるで手が届かないところにいるようだ。アロイスは絶望的な気分になった。二人の間は、越えることのできない壁で隔てられている──
カミルは酒杯を空にすると、おもむろに立ち上がった。
「じゃあな、アロイス」
このままこいつを帰してはならない、とアロイスは思った。何かを言わなければいけない。でもなにを? 必死になって、思考を巡らせる。このままでは、こいつは──
「明日の、競鳥!」アロイスの口から、この言葉が飛び出した。そして勢いに任せて続ける。
「おれが優勝したら、馬鹿なことはやめろ」
「……そうだな。もしもきみが優勝したら、どのみち機会はなくなる。計画を実行することはできないだろう」
「約束してくれ」
「いいだろう。約束する。──ただし」
カミルはじっとアロイスの目を見た。
「おれが優勝したら、おれがやろうとしていることを邪魔してくれるなよ、アロイス」
カミルの目は冷たかった。──きみはこんな簡単な問題も分からないのか、という軽蔑の目にも思えた。
ひとり取り残された部屋の中で、アロイスは愕然としていた。立ち上がることもできずに、ただ座ったまま、視線を酒杯に落とす。
このままでは、カミルの暗殺計画を実行させてしまうことになる。
この際、暗殺の成否などというのは、どうでもいいことだった。問題は、その後にカミルが受けるであろう仕打ちのことだ。良くて、その場での殺害。悪ければ、捕らえられて──
だめだ。そんなことはあってはならない。カミルを勝たせてはいけない。でも、どうやって?
共和政府に暗殺の計画を密告するのはどうだ? ──それでは結局カミルが逮捕されてしまう。カミルが企んでいる計画を、わずかでも共和政府に悟られてはいけないのだ。
なにか、小細工は? ──不可能だ。普段ならともかく、賭博の対象となる年賀競鳥においては、不正対策で乗騎や装具は厳重に管理されている。
カミルを止めるためには、競鳥という競技でカミルを負かさないといけない。アロイスはそう結論付け、そして途方もない気分になった。
時間が過ぎていく。
夜が深ける、朝が近づいている。
無力感がアロイスにのしかかっていた。思考は同じ筋道を何度も辿り、そしてその都度、悲しい結論を導き出した。
物理学というものは、なんて残酷なものなのだろう。物体は、与えられた力以上に運動することはない。大鳥の飛行が、物理運動である以上、その差は覆しがたい着順として現れる。すべてはカミルが優越している。技能、筋力、身の軽さ──
思考の堂々巡りの末、アロイスは、はたと気づいた。
──カミルに勝つ方法が、ひとつだけある!
****
短い睡眠の中で、アロイスは幼いころの夢を見た。
年賀競鳥の人混みの中、はぐれてしまった時の記憶──大鳥の飼育を生業とする職能集団にとっても、年賀競鳥は晴れがましい行事であった。一族揃って年賀競鳥を観覧にいき、そしてそこで幼いアロイスは迷子になった。
見上げるばかりの背丈の見知らぬ大人たちがひしめき合って、アロイスの視界の全てを塞いでいる。人垣の向こうにはさらに人垣があり、それはこの世界の果てまで続いているかのように思えた。
誰も足元なんかに目をくれない。押されたり、蹴られたりしながら、アロイスは逃げまどっていた。
いままさに行われている祝祭と同じ空間にいながらも、アロイスは孤独と恐怖の中にいた。
だれも助けてくれない、だれも自分のことを見つけてくれない──
しかし、その永遠にも思える息苦しさは、突如として終わる。
「アロイス!」と、その呼び声は群衆のざわめきを貫いてやってきた。
人垣をかき分けて現れたのは、幼いころのカミルの姿だった。利発な少年のその瞳は、まっすぐにアロイスを見つめている。
アロイスの胸の中にあった寒々しい気持ちが、途端に溶けて消えた。代わりにこみ上げてきたのは、暖かい安堵感だった。
カミルさえいれば何も問題がない、と幼いアロイスは思った……
アロイスは目を覚ました。勝負の日の朝だった。
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天気は申し分なく快晴であり、風も穏やかだった。
競技場には人びとが押し寄せて、黒山の人だかりとなっている。賭博の投票所や出店は賑わい、活気にあふれていた。空まで届く喧噪。
宮廷楽団、改め、人民楽団による式典曲が華やかに鳴り響いた。出走準備の合図である。
青空の中、空騎士を乗せて一頭ずつ飛来する大鳥は、歓声を受けながら上空を優雅に旋回し、それぞれの発走位置である櫓の横木へと、ものの見事に収まっていく。
アロイスは、櫓の上から眼下を見下ろした。
重力方向のはるか向こう側にある地面、粒子のごとき無数の人びと。
──あの中の誰もがカミルの暗殺計画を夢にも思うまい、とアロイスは思った。それを知っているのは、おれとあいつの二人だけ。これだけの人がいながらも、二人だけだ。
そしてもう一つ、カミルでさえ知らないことがある。この競争で、おれがやろうとしていること。それを知っているのは、この世界の中で、ただひとり──
すべての大鳥が発走位置についた。
競争開始の鐘が鳴る。大鳥たちは飛び出した。
競争において大鳥は、高さを速さに変えて飛ぶ。つまりは半ば落下しているようなものだ。大鳥は大気を切り裂き、風を巻き起こしながら突進していく。
瞬く間に、折り返し地点の柱が近づいてくる。
これを回るに際して、カミルとアロイスは同じ空中機動を用いた。大鳥は激しく身をひねる。空騎士は逆さづりのようになる──一見して曲芸のようでもあるが、それこそが航空物理学的な最適解であり、カミルとアロイスは技巧でもってその数理を体現せしめたのだ。速度の損失は最小限──
ひときわ大きな歓声が上がる。
柱を越えた時点で、すでにカミルとアロイスは、後続の集団と大きな差をつけていた。
アロイスの意識は冴えていく。視界には眩しいばかりの光がなだれ込む。思考は加速し、周囲の時間を緩慢にする──
前方には大鳥に乗るカミルの後ろ姿がある。無駄がない前傾姿勢は、美しくも見える。
距離の差は僅かである。ただし互いの大鳥の能力は互角であり、競争の前半に消耗せず温存した体力も同等である。つまり必然的に、その差は埋まるべくもない──このままでは。
「行けえ、差せえ!」
観客席から飛び込んでくる声援が、一瞬で後方へと流れ去る。
おれの単勝に投票した連中もいるのだろう──とアロイスは思った。連中はいま、おれの勝利を祈っている、願っている、叫んでいる。
なんて意味がないんだ。心の中で思うだけなら、誰にでもできる。言葉を口にするだけなら、誰にだってできる。そんなことは物理的には無意味だ。
たとえどれだけの熱望を抱えていようと、それだけでは意味がない。意味があること、それは行動にほからならない。すなわち肉体の動作だけが、ただ現実に作用しうる──
大詰めが近い。
アロイスは手綱を離した。
身体を起こし、大鳥を蹴りだし、後方へと飛びのいた──
身軽になった大鳥が猛然と加速するのを、落下の最中のアロイスは見た。それはカミルの大鳥と並び、そして一瞬で追い抜いた。
カミルが驚愕の表情で振り返る。そして二人は目を合わす。
約束は守れよ、とアロイスは思った。
そして、自分の乗騎が何よりも先に入着するのを見届けると──アロイスは地面に激突した。
この年の年賀競鳥の結末は、帝都に住む者なら誰もが知っている。単なる市民や、共和政府の人間、それに地下に潜伏した皇帝派残党でさえも知っている。
しかし、空騎士アロイスの本心を知っている人間は、本人と空騎士カミルの二人を除き、他に誰もいなかった。
ある者は空騎士アロイスの慢心から生じた単なる事故だといい、またある者は勝利への強烈な執着がもたらしたおぞましい虚栄心の現れだといった。諸外国の陰謀だとする説、あるいは生き延びた宮廷魔術師による精神操作だとする説、等々、様々な憶測が飛び交った。
ただ一つ、確かに言えることがある。それは、この年の年賀競鳥の優勝者は空騎士アロイスである、ということだ。
翌年以降、競鳥の規則は改められ、入着時に乗り手が騎乗状態であることの条件が明文化された。だから、こんなことがあったのは、後にも先にも、この年だけだった。