4話 お前はどうしたいんだよ
グラウンドで部活に勤しむ生徒の姿を見ながら、廊下を歩いていた。
「おっとと」
足元に置いてあった段ボールに気づかずに転びそうになる。
絹ヶ丘高校の西館は娯楽研の他にも、様々な研究会の拠点となる教室が並んでいるため、廊下はいつも荷物やなんやらで散らかっている。絹ヶ丘高校に通ってもう1年。そのことを知らないわけでもないのに。
なんだか今日はずっとボーっとしてる。授業もロクに頭に入ってこなかった。
――負けて悔しいんだよ!!バカぁ!!!
昨日、あんなことがあったせいだ。
僕は自分の両頬を叩いた。
切り替えよう。そう思って、娯楽研究会の教室の扉に手をかけたときだった。
「だから無理だって言ってんだろ!」
「それ決めるのお前じゃないし!あいつだし!」
部屋の外まで2人分の怒鳴り声が聞えた。1人は久保寺だ。もう1人は多分――。
「どうしたんだい?」
扉を開けると、娯楽研究会の狭い部屋に久保寺と乃木と――さも当然のように白幡さんがいた。
「いや、こいつが若竹のことを」
久保寺が言い終わる前に、白幡さんが僕の手を握って、引っ張った。
「来い!」
娯楽研究会の教室を飛び出して、階段を上って、どこかの空き教室にまで連れていかれた。
「はぁ、はぁ、はぁ。おえっ。ぼえっ」
白幡さんは女子高生がしちゃいけないようなえづきかたしてる。僕が何事か聞こうとすると、手で制された。
「お前、わたしと一緒にプロゲーマーになれ」
「え?」
「お前、わからないって言ってたよな」
白幡さんはまっすぐ僕の目を見た。
「なんで泣いてたのかわからないって。それでいいの?わからないままでいいの?」
「……いいんだよ。なにがあってもきっと、君の気持は僕にはわからない。だから、意味なんてないんだ」
僕が言うと、白幡さんは僕の胸ぐらを掴んだ。
「意味なんて聞いてない!」
白幡さんはほとんど叫ぶように言った。
「大事なのはどうなるかより、どうしたいかだろ!若竹緑!お前はどうしたいんだよ!?」
窓は閉まっているのに、春の風が吹き抜けた気がした。
「私に付いてこい!そしたら、私が教えてやる!」
僕が答えようとしたとき、扉の開く音が聞こえた。
「いた」
乃木の声だ。
「見つけたぞ!イカレ女!」
後輩の怒鳴り声が近づいてくる。
「誰がイカレ女だ!」
額を寄せてバチバチと睨み合う久保寺と白幡さん。乃木は何もを言わず僕を見上げていた。
「どうかした?」
「ううん。はじめて見た顔してたから」
どんな顔してたのかな。僕は自分の顔を触るけどわかるはずもなかった。
口論をしている2人に声をかける。
「あの、どういう状況なのか説明してほしいんだけど」
2人は一旦口論を辞めた。久保寺は眉根を寄せながら説明した。
「こいつがお前の退部届を持ってきたんだ。『若竹は自分とプロゲーマーを目指すから』ってな」
僕は白幡さんを見た。ほんとに何をしてくれているんだろうこの子は。
彼女は悪びれる様子もなく唇を尖らせた。
「前後がズレただけだし。若竹はNOなんて一言も言ってないし」
3人の目が僕に向いた。
「若竹、お前本当にこの女と?」
事実を言うべきだ。「そんな話はない」って。でも、そんな簡単な言葉がのどに詰まった。
だからって「うん。彼女とプロを目指す」って言葉も出てこない。
隣にいる乃木を見る。いつもと変わらない無表情だった。僕は彼女に誘われて娯楽研究会に入った。
目の前の久保寺を見る。怒っているような不安がっているような顔だ。彼を置いて僕の理解者を名乗れる友人はいない。
娯楽研究会での日々はこのうえなく居心地がよかった。あの部屋は間違いなく僕の居場所だった。
「若竹!こっちに来い!」
白幡さん。彼女についていったらどうなるんだろう。なにも分からないかもしれない。また誰かを傷つけてしまうかもしれない。
それなら、僕は――。
「ごめん」
僕は謝った。白幡さんは泣きそうな顔をしていた。
「久保寺、乃木。しばらく娯楽研究会を休ませてほしい」
僕は2人の顔を見れなかった。白幡さんは大きく目を見開いていた。
白幡さんについて行っても、なにも分からないかもしれない。心通わず、人を傷つけてしまうかもしれない。
それなら、僕は――
――お前はどうしたいんだよ!?
それでも、僕は
「わかりたいんだ。彼女の気持ちを」
素直な気持ちを言える友人はそうそう出会えるものじゃない。そんな2人の友人を失ってしまうかもしれないけど、それでも仕方ないって思える選択を僕はした。
「謝るなよ、若竹」
顔を上げる。久保寺は彼らしい笑みを浮かべていた。
「乃木もごめん。娯楽研究会は君から誘ってくれたのに」
乃木は首を振った。
「いい顔してる」
彼女は優しく笑った。
「お前が決めたってんなら文句はない。応援してるぞ、若竹」
「若竹はきっと凄くなる。グッドラック」
まったく僕は本当に良い友人に恵まれた。
「うっ…ぐすっ…お前ら、良い奴すぎっ…!」
なぜか白幡さんが号泣していた。僕らは誰一人として泣いていないっていうのに。
「うぅ…わたし、絶対、若竹を幸せにするからぁ…!」
結婚するんだっけ?さすがにちょっとそれは遠慮したいなぁ。
僕らは自分達より1つ年下の少女を微笑ましく見守った。
「ま、こいつが嫌になったらいつでも帰って来いよ」
「白幡ちゃんも入会待ってる」
それを聞いて白幡さんは嗚咽を漏らしはじめた。
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娯楽研究会と別れたあと、僕と白幡さんは彼女が生活ネカフェへと場所を移した。
「ね゛ぇ、ほんどに、ぐすっ、わたしと来て、うっ、よかったの?」
白幡さんはまだ泣いていた。
「君は泣き虫だなぁ」
「うっさい!ネトゲで荒んだ心にはああいうのが利くの」
それは怖い。どんな世界なんだネトゲ。ちょっと付いてきたのを後悔したかも。
白幡さんはドリンクバーでリアルゴールドを注いだ。僕はお金も払っていないことに気を咎めて、水を注いだ。
部屋に入ると、白幡さんは慣れた手つきでパソコンのスイッチを入れた。パソコンが立ち上がるまでの間に僕は気になっていたことを聞いた。昨日は3つまでだったけど、いまはもう幾つも質問してもいいだろう。
「ここってお金大丈夫なの?」
「叔母が経営してんの。たまにここで働く代わりに、超格安でいさせてもらってる」
ああ、だからか。昨日、僕をみて微笑んだ店員さんはもしかしたら、白幡さんの叔母かもしれないな。
「はい、準備できた。こっち来て」
パソコンの前から白幡さんが身体をどけた。僕はパソコンの前に座った。狭くはない部屋だけど、2人が横並びで座ると肩が当たる。
白幡さんは靴下を脱いだ。胡坐をかいた。完全にリラックスモードだ。
「スカート」
「は?」
「恥じらい」
「単語で喋んな!お前が見なきゃいいでしょ」
それはそうだけどさ。僕だって健全な男子高校生なんだ。
「ゲーム始まったら気にならなくなるから。ほら、画面見る」
ディスプレイには既にゲームのホーム画面が写っている。綺麗なグラフィックだ。アメコミっぽい絵のタッチが別世界を覗いているみたいでワクワクする。
「わたしがプロ目指してるゲームがそれ。『エンバーランド』略してエンラン。いま世界でもっともプレイヤーの多いFPSと言っても過言じゃない。日本でも先月で総プレイヤーが4000万人を超えた。異世界のギャングの抗争をモチーフにしたゲームなんだけどね、FPSの競技性に大きく重点を向けたゲームで、ルール自体はシンプルなんだけどシンプルだからこそ、戦略の自由性が高いの――(中略)――というわけで、そのプロはいまもっとも熱いってわけ」
「白幡さん」
「なに?」
「僕、このゲームやったことあるんだよね」
「先に言え!」
肩を殴られる。熱弁していたところ申し訳ない。でも、口を挟む隙がなかったんだ。
「ランクは?」
「ああ。えっと、ランクもつかないというか、1回だけなんだ。やったの。だから、エンランがどんなゲームだとかルールとかはなんとなく知ってるって感じかな」
「・・・じゃあ、ほぼ初心者と変わらないじゃん」
「基本的なプレイは覚えてるから、手のかからない初心者だ」
「手がかからないかどうかはわたしが決めるから。マッチ潜って。当然、オープンね。ランクマ行ったら殺すから」
物騒だなぁ。けれども、こういうレートのあるゲームを齧ったことのある人間なら彼女の気持もわかるだろう。
オープン――オープンマッチっていうのは、いわば練習試合みたいなもの。負けてもなにが起こるわけでもない。ランクマ――ランクマッチは公式戦。バスケでいうとリーグ戦が近いのかな。4000万人が対象のリーグ戦。勝てばランクが上がるし、負ければランクが下がる。こういう明確な実力を測るものに人は熱くなるらしい。べつにランクがいくら高かろうと現実世界でなにか貰えるわけじゃないんだけど。なんて、言ったら白幡さんどころか世のゲーマーに袋叩きにされそうだ。
僕はゆめゆめ慎重にオープンの文字をクリックした。
『マッチを開始します』
数秒後、画面にそう表示された。
思えばこのゲームをやるのは久しぶりだ。ちょっと緊張してきた。身体を内側からくすぐられるこのワクワクはゲームの醍醐味の一つだ。
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マッチが終わった。ボコボコだった。4vs4のゲームで完全に僕が足を引っ張っていたな。味方には申し訳ない。
「終わったよ――し」
白幡さんの方を見たら、彼女の顔が思ったよりずっと近くにあった。彼女の言う通りゲームをはじめたらそっちに釘付けになって、この距離感に気づかなかった。
白幡さんは無反応にマッチの終わったリザルト画面を凝視していた。
「白幡さん?」
ほとんど動かない白幡さんに言う。彼女はようやく画面から目を離した。
「お前、このゲームやったの今日で2回目ってことだよね」
「うん」
「他にFPSやってた?TPSでもいいけど」
「ない、かな。あぁ、でも、バイオハザードは娯楽研究会で1度だけ」
あれはよくない。ホラーは少し苦手なんだ。乃木がノリノリでやってたなぁ。
「ふーん」
意味深だな。
「下手くそなら下手くそって言ってくれよ」
「ほぼ初心者を罵倒するほど、性格悪くないし」
そう言って白幡さんはあたりに散らかったマンガ本を拾いはじめた。
「明日の放課後、4時。そうだな、現地直は混みそうだから、図書館の前で集合。遅刻したら殺す」
「今日はこれで終わり?」
「そ。お前にエンラン教えるつもりだったけど、その手間省けたし。家にパソコンあるでしょ。今日からは寝るまで一生ランクマしろ」
幸いなことに自分用のパソコンはあるけども。エンランを入れる容量があるかなぁ。
「明日はなにをするの?」
「明日のお楽しみ。はい、これ」
はぐらかされた。白幡さんは積み重なったマンガ本を僕に渡してきた。
「これは?」
「返しといて」
……少なくとも君の性格は良くはないよ。