1話 セットアップ
75対85。
僕のチームは負けていた。
選手権の県予選準決勝。相手は私立の強豪。中学最後の試合だった。
「若竹!」
残り時間2秒のところで僕にパスが回ってきた。僕はフリーだった。この角度からの3Pは何度も練習してきた。打てばきっと決まるはずだ。
ブザーが鳴る。試合は終わった。僕はシュートを打たなかった。
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「そんじゃ、新学期一発目の娯楽研究会の活動をはじめるぞ」
久保寺はその大きな手を叩いた。部活未満の研究会に与えられた狭い教室にまばらな拍手が起きる。
「なにするの?」
娯楽研究会の会長である乃木が聞いた。とはいっても娯楽研究の名の下、放課後集まって遊んでいるだけの集まりだ。名義上、乃木が会長を務めているだけで、会員全員が同学年というのもあって、娯楽研の間にパワーバランスはない。新しいゲームソフトやボードゲームを持ち込んだ人がその日の活動を取り仕切る感じだ。
「前々から言ってたんだけどな。とうとう買ったんだ」
今日は久保寺の日だった。
「じゃーん。ロードファイター6だ!」
久保寺は最近流行っている格闘ゲーム「ロド6」のパッケージを掲げた。「おお」と乃木が表情を変えずに拍手をした。
うんうん、と満足そうにしていた久保寺が口をへの字に曲げた。
「おい」
彼の目がこっちを向く。
「無反応か。若竹」
「え?」
言われて、そういえば自分がまったく喋っていないことに気づいた。
「乃木はこんなに嬉しそうだってのに」
乃木のほうを見る。一見まったくの無表情だ。けれど、1年も一緒にいれば彼女の全身から「早くゲームやりたい」オーラが出ているのがわかる。
久保寺はせっかく持ってきたゲームなのに僕の反応が薄くて不満なんだろう。
「ごめんごめん。ちょっとボーっとしててさ」
僕は苦笑した。久保寺は「五月病には早いぞ」と、PS5の電源を入れた。会費で買ったやつだ。間違いなくこの教室で一番高価なものだ。
「若竹はそこでぼーっとしてな。まずは俺と乃木だ。今日こそはお前らに勝ち越してやるからな」
「久保寺には無理」
4畳半もない教室を圧迫する27インチのディスプレイのまえに2人が並んで座る。
チュートリアルもなしに対戦を開始する2人の後姿を僕はぼーっと見てた。
始業式は昨日終って、今日から授業がはじまった。2週間ぶりの6限までの授業は少し疲れた。わずかに開いた窓からそよいでくる春の匂いがウトウトさせた。
「―――ほ、おら、そこだ!」
「―――・・・久保寺、なんか」
これが娯楽研究会の活動だった。一応、ゲームも娯楽の一部だから、ちゃんと研究はしているというのは先代部長の弁。僕らもそれに習って日々、3人でわいわいとゲームをしていた。
「久保寺のくせに強い。こそ練した?」
「負け惜しみか?つぎ、若竹だ」
決着がついたみたいだ。珍しく久保寺が乃木に勝ったらしい。
「はい」
乃木からコントローラーを渡される。我が娯楽研究会では1対1の対戦ゲームは勝ち抜き方式だ。
「お手柔らかに頼むよ」
「ぬかせ。今日こそはボコボコにしてやる」
僕はコントローラーを握った。
僕の高校生活は充実していた。小学校から続けていたバスケは高校進学を機に辞めた。運動不足を気にしながらも、たった3人の娯楽研究会での放課後を楽しみに日々の高校生活を送っていた。
「だぁぁぁ!負けたぁ!昨日、5時間くらいこそ練したっつうのによ。若竹、お前もやってんだろ。そう言ってくれ」
久保寺は中学生時代からの友人で、部活も同じだった。ちょっといかついけど、友達想いないい奴だ。
「やっぱり、こそ練してたんだ」
乃木は高校でできてはじめてできた友人だった。口数は少ないけど、だからこそ落ち着くというか。なにかしら波長のようなものが合うと若竹は感じていた。娯楽研究会も彼女が誘ってくれた。
「ははは。やってないよ。久保寺が下手過ぎるんだ」
帆に風を受けることもないけれど、荒波だってない。のどかな湖に浮かぶボートのような3人だった。若竹にとってそれは心地のよい関係で、1年前に望んだ穏やかな青春の日々だった。
「久保寺、リベンジ」
「望むところだ。若竹はともかく乃木には負けんからな」
再び対戦をはじめた2人の友人を見て、若竹は静かに微笑む。
窓から吹き込む風が冷えてきた。邪魔をしないように蟹歩きで二人の後ろを通って、窓をしめた。
これでよかったんだ。僕がいるべきなのはこっちだったんだ。
窓の向こうに体育館が見えた。若竹がカーテンを閉めようとしたときだった。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁ!道場破りの時間だこらぁ!!!」
のどかな青春にドロップキックをかます少女が現われた。
すごい音がした。反射的に3人は扉の方を見る。
「うっ、ぐっ、うぉぉぉミスったぁ。着地まじミスったぁ~。」
そこにあったはずの扉はなく、廊下の景色が見える。少し視線を落とすと、そこには倒れた扉の上で腰を抑えて苦悶する少女がいた。ぶかぶかのパーカーを羽織ったウルフカットの少女だ。
僕ら3人は顔を見合わせた。
「扉どうしようか」
「治りそう?」
「あ~いけるだろ。外れただけっぽい」
それはよかった。もともと建付けがあんまりよくなかったから、外れやすいんだよね。
「おい!扉よりもまずはわたしの心配しろ!」
やっぱツッコまなきゃいけないかコレ。みたいな顔を久保寺がした。
腰をさすりながらも、少女は僕らを睨み上げた。まだあどけなさの抜けない顔で睨まれてもまったく怖くなかった。見れば、彼女の制服のリボンは1年生の赤色だった。
「大丈夫?」
乃木が手を差し伸べると、少女は不満気に立ち上がった。
「大丈夫?そのセリフそっくりそのまま、お前らに返す!」
「お前な。せっかくの優しさを返してくるな」
久保寺が言うも、少女は無視だ。
「わたしは天才ゲーマー・白幡黒音!ここに部屋を持て余してる奴らがいると聞いて来た!」
ビシッと僕ら3人を指差す少女――白幡さん。
「わたしとゲームで勝負しろ!負けたら、この部屋は譲ってもらう!」
ゲームで勝負。負けたらこの教室を譲る・・・・・・ふむ。
「いや、普通に無理です。お帰りください」
「ドア直して帰れ」
「入会なら歓迎」
我らが娯楽研究会の気持は同じだった。急に現れて部屋を譲れって言われてもなぁ。テンション感についていけないよ。
「はぁ!?つまんな!はぁ!?」
つまらないと言われてもそれが現実だ。研究会という立場の僕らもこの教室を手に入れるのにそれなりに苦労したんだ。
白幡さんは咳ばらいをした。
「わかった。じゃあこうしよう。わたしが負けたら、このわたしがこの部活に入ってやろう」
・・・・・・・・・ふむ。
「いや、結構です。お帰りください」
「ドア直せよ」
「部活じゃなくて、研究会」
さも名案みたいに言ってたけど、見ず知らずの女の子と1年間の思い出がつまった教室だ。リスクとリターンが釣り合ってない。
「うっざぁぁぁぁ!いいから勝負しろ!まずそこのドア野郎!私が負けたら治すから」
白幡さんは有無を言わさずに、ついさっきまで僕らがゲームをしていた椅子に座った。ご指名はドア野郎こと久保寺だった。
「どうする?」と久保寺が目で聞いてくる。僕は肩をすくめた。
いいんじゃないかな、相手しても。勝とうが負けようが部室を譲る気はないし。ゲームで対戦してあげないとしつこそうだし。
流石は中学から今まで4年の付き合いだ。久保寺に意図が伝わったようで、面倒くさそうに白幡さんの隣に腰掛けた。
「普通に直せよ」
「死ね」
直球の悪口だ。僕も久保寺も上背がある方だっていうのに。怖くないのかな。
僕はもはや感心していた。
ゲームで勝負とは言ってたけど、なんのタイトルなんだろうって思ったら、ロド6でいいみたいだ。「アケコンないの?はっ。トーシロ」とか白幡さんは言ってるけど、アケコンってなんだろう。
キャラのピックが終わり、いよいよ娯楽研究会の根城を賭けた(賭けてない)戦いがはじまる。
僕は乃木と二人で試合を見守った。天才ゲーマーを自称してるんだ。白幡黒音は一体どんな実力者・・・と思ったら普通に久保寺に負けた。無言でドアを直しはじめた。あまりに不器用だったので、僕らも手伝った。
白幡さんは何事もなかったかのように椅子に座り直した。
「次」
「いま負けたよな、君」
「2先でしょ。お前ら3人なんだし。まぁ、今のはウォーミングアップみたいなもんだし」
乃木と顔を見合わせる。乃木が席についた。
「お前は、なんだっけ?入会?」
「ううん。コンビニのパン奢って」
「・・・・・・ま、いいよ。わたし、負けないから」
いまさっき負けた気がするけど。
しかし、久保寺には負けたが、彼は昨日5時間のこそ練をしていたらしい。対して乃木は今日はじめてロド6をやった。流石に分が悪い・・・なんてこともなく。画面では白幡さんの操るキャラクターが横たわっていた。
乃木と白幡は無言で教室の外へと消えていった。10分くらいしてパンを頬張る乃木と、げっそりした白幡さんが帰って来た。
「次」
「2先したぞ、白幡さん。君の負けだ」
「最後は1万点だから」
いつから点数制になったんだ。僕は仕方なく席に着いた。
白幡さんは僕の顔をじっと見てきた。
「僕の顔になにかついてるかな?」
「・・・・・・お前が若竹緑?」
うん、そうだけど。と答えそうになって気づく。
「名前教えたっけ?」
「さぁね」
はぐらかして、白幡さんはキャラピックにうつってしまった。
変な子だ。まぁ、おおかた乃木とか久保寺が呼んでいたのを聞いていたんだろう。僕はさっき一度使ったキャラクターを選んだ。
「お前は?」
一瞬、なにを聞かれてるのかわからなかったけど、すぐに合点がいった。
久保寺はドアの修理。乃木はパン。お前は勝ったらなにをしてほしいのか、と彼女は聞いているんだ。意外と律儀な子だ。
「そうだな。君のことを教えてほしいかな。なんでこんなことをしているのか」
「セクハラ」
「生きづらい世の中になったもんだよ」
対戦してみて改めてわかった。この子、あんまり上手くない。天才ゲーマーの名が泣いてる。
白幡さんの操るキャラクターのHPは僅かだった。勝てる。コマンドを入力する。勝ちは目の前――
「おいしょぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
――のところで白幡さんがコンセントをぶち抜いた。
「・・・なにやってるのかな」
「はい、これでノーカン」
「ううん。負け」
乃木がコンセントをつなぐ。画面が復活するとKOの文字が出ていた。
「はぁ。なんかパッドの調子悪かったわ。慣れない場所だし。アウェイだし。ちょっと寝不足だったし。てか、お前、ザッパコスタ使ってたよね。そんな厨キャラ使って勝って楽しい?」
ゲーマーの悪い所だけ集めたような言い訳だなぁ。
「言っとくけど、わたしの本領はFPSだから!」
「でも、負けは負けだよ」
言うと「うぐっ」と白幡さんは言葉を詰まらせた。
「しねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
かと思えば、教室を飛び出してしまった。絵に描いたような涙目敗走だ。
「なんだったんだ、アイツ」
嵐がさったあとのような静かな教室で、久保寺がみんなの気持ちを代弁した。
白幡黒音さん、か。
対戦中に盗み見た彼女の真剣な横顔が脳裏に浮かぶ。
「君のことを教えて欲しい」という約束が果たされなかったことが少しだけ残念だった。