表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

聖女は今日も、畑を耕す

作者: 紬夏乃






(ホラ、キタキタキタ……!)


 エルナは自身に降り注ぐ祝福の光に天を仰ぐ。


(来た!! キマシタワーー!!)


 礼拝所の祭壇に跪き手を組む少女。その日、小さな村で聖女が誕生した。




 §




 エルナは何もないド田舎に生まれた。


 人とその辺にいる動物の数を比べたら、圧倒的に動物が多い何もない村だ。行商人がたまに訪れるとお祭り騒ぎになるような、何もない村。


 エルナはそんな村で、日々教会に通い神父に説話を乞うて育った。


 テルヴァイア聖王国。エルナが生まれたのは、聖教王の治める宗教国家だ。王家は神の末裔であると伝えられている。この国には時折、神から神器を授けられる聖人――女性の場合は特に聖女と呼ばれる――が生まれていた。


 宗教国家であるから、どんなに小さく寂れた村にも教会がある。国民は皆、小さな頃から神の教えを聞いて育ち、十五になると礼拝所の祭壇で神に祈りを捧げる。その際天から祝福の光がさして神器が授けられると、それが聖人の誕生だった。


 幼いエルナが夢中になったのは、子ども向けに分かりやすく改編された説話で、エルナは聖人ではなく説話に登場するお姫様に憧れた。――憧れるあまり、説話の台詞を半端に真似してみょうちくりんな口調になるくらいに。




「神父さま! お話を聞かせてくださいませ〜!」


「おやおやエルナ、今日も元気だね」


「ええ神父さま、エルナはとっても元気ですわよ!」


 どんなに教会が尊ばれていても、どんなに神の教えが浸透していても、エルナの暮らす村はなにせド田舎。教会は予算も人手も足りていなかったし、村の大人たちも日々の生活で手一杯だ。そこでエルナは、教会に通って掃除や雑用を手伝い、そのお礼にと神父からお話を聞かせてもらうようになった。


 普通子どもは家のことや親の仕事を手伝うのが当たり前だが、エルナは家の雑用をしなかった。しかし、教会の清掃などは立派な奉仕活動だ。エルナの親は皆から『なんて信心深く立派な子だ』と褒められ、鼻を高くしてエルナを教会に送り出した。


 神の像を磨き、講壇や長椅子を拭き上げ、床を掃き清める。初老の神父はにこにこと微笑んでエルナを見守り、休日礼拝の準備や日々の務めをこなした。


 すべて終わると並んで長椅子に腰掛けて、神父は聖典を開き、エルナに説話を聞かせてくれる。挿絵も近くでじっくりと見られる、エルナにとって何よりも特別な時間だ。お姫様のドレスや、綺麗に巻かれた髪。聖人との茶会で振る舞われるお菓子やお茶。まるで夢の世界を覗くようで、エルナはうっとりと挿絵を眺めた。


 髪を巻きたいと思って、適当な長さで切りそろえた麦わらを束にして髪を巻き付けて寝るようになった。行商人が村を訪れると、ついて回ってお姫様の話をねだるようになった。


 村を回っている行商人が本物の『お姫様』と実際に会う機会なんてない。はじめはうっとうしく思っていた行商人だったが、幼いエルナがあまりに目を輝かせるものだから、そのうちにほだされて『高貴なお嬢様の話』を集めてくるようになった。


 行商人が聞いてくる話は伝聞を繰り返していて、うさんくさい話も多かった。でもエルナは心から行商人の話を喜んで、無邪気に信じる。


 水を入れたたらいを頭に乗せて姿勢よく歩く練習をするのだと聞けばすぐに実践し、ずぶ濡れになって親に叱られた。花の砂糖漬けを食べるらしいと聞けば野花を摘んで口にいれてみた。あまり美味しいものではなかったが、エルナはたのしかった。花を食べるだなんていかにもお姫様っぽくて。


 どうしてもお茶会の真似事がしたくて、母親のとっておきのストールを引っ張り出し、テーブルにかけておやつのふかし芋をひとり食べたこともある。あとでしこたま怒られたが。エルナはそうやって、ひたすらお姫様に憧れて育っていった。


 同年代の子どもたちからは、特に口調のことでからかわれることもあった。それでもエルナは構うことなく憧れに向かって邁進したし、そのうちにからかわれることもなくなった。「まああいつ、変わってるけどすごいやつだから」と、全力で己の道を突き進むエルナが認められたのだ。




 そしてついに、エルナが十五の祈りを捧げる日がやってきた。


 エルナはこの日を心待ちにしていた。自分が聖女になれると、心から信じているのだ。


 盲信といってもいい。エルナは神を信じている。きっと聖女となって、王宮を訪れ、本物のお姫様に会ってお茶会をするのだ。エルナは神に祈りを捧げる。――エルナの祈りにこたえ、天から光がさした。


(来ましたわ! 祝福の光ですわー!!)


 エルナは頬を赤らめて天を仰ぎ、両手を掲げる。エルナの手の上に光が集まり、神器が形作られてゆく。長い柄に、確かな重み。エルナの手に神器が授けられた。


「エッ」


 エルナは思わず声をあげる。


 長い柄の先には見覚えのある長四角の刃。振り下ろして土を耕すのに丁度よさそうな形をした神器。


「エッ」


 エルナは手にした神器を見つめぽかんと口を開ける。重みがしっくりと手に馴染む。土にやすやすと刺さりそうな――エルナに授けられた神器は、どこからどう見てもクワだった。






「みんな〜! 行ってまいりますわ〜!!」


 エルナに神器が授けられてしばらく後、王宮から迎えが来た。エルナは意気揚々と馬車に乗り込み、見送る村の皆に手を振った。


 なぜクワなのか。考えても仕方ないとエルナは満面の笑みを浮かべて馬車に揺られる。考えるのはお偉い人に任せればいいのだ。なにせ聖人が誕生した瞬間、聖都では聖教王に神託が下されているのだから。どこで聖人が誕生したかとか、何を成すべきなのか、とか。


 聖人が成すことは、授けられた神器による。短ければ数ヶ月、長くても数年。下された神託に従って、聖人は神の代行者となる。


 エルナにはまだ期間も成すべきこともわからない。だってクワだし。でもエルナは夢を叶える機会を与えて下さった神のために、全力を尽くそうと馬車の中で祈りを捧げる。


 聖人は神器を持つ間、聖教王と同格の存在として扱われる。王宮に住むことができるのだ。


 王家には本物のお姫様がいる。会って、話して、そして王宮で暮らしているうちにきっと茶会をする機会がもてる。


 アデュー、アディオス! 大好きな何もない村! エルナはそんな気持ちで馬車に揺られ頬を緩める。家族や神父と離れることは少し寂しかったが、期間のあるお役目だ。お役目が終われば、きっとエルナはこの何もなくて平和な村に帰ってくるのだろう。


 だから今は、全力で前を向こう、とエルナは目を輝かせる。聖人の希望は王家によって聞き届けられるのだ。ドレスにお菓子、それから化粧品。最初に願うことはもう決めている。何年もかけて熟考したのだ。エルナは期待に胸を膨らませ、聖都に向かっていった。




 ――そう、聖教王には神託が下されている。『神器をもって全ての教会に一辺六尺の畑を耕し、そこに芽生える苗を育てて麦を採り、聖餅(パン)を作って祭壇に供えよ。さすればその土地はやがて来る災厄から守られるであろう』と。


 全ての教会を巡り。つまり旅だ。聖都を出て国を巡り、聖都に戻ればお役目が終わる。そして教会は大きな街にもあるが、田舎のこじんまりとした教会の方が圧倒的に数が多いわけで。


 もうすでに、各地の教会へは通達が始まっている。エルナの村の神父は、エルナと入れ違うように話を聞かされて、エルナを憐れみ今教会で神に祈っている。だって神父はエルナの夢を知っているので。


 何も知らないエルナを乗せて、馬車は聖都へと進んでいくのだった。




§




「なんでぇ……なんでぇ……」


 エルナは厳かに送り出された馬車の中で贈られたドレスを抱きしめ、べそべそと嘆き声をもらしていた。


 ド田舎の村から長い行程を経て聖都まで。身を清めて、到着の翌日、聖教王に謁見した。そこでエルナは己の使命を聞かされたのだ。


 今日は謁見の翌日だ。エルナは早々に聖都から送り出されていた。全ての教会を巡るには数年がかかる。『やがて来る災厄』がいつかまではわからないので、出発が急がれたのだ。


 華やかな歓迎パーティのようなものもない。なにせ、すべては厳粛な神事なのだ。エルナは『国を巡る』と聞かされて愕然としている間に、気付けば再び馬車に揺られていた。




 ところで、聖女をひとりで送り出すわけもなく、エルナの正面にはひとりの男性が腰掛けている。


 リクハルド・イスト・テルヴァハルユ。聖王国の王太子だ。リクハルドはめそめそと泣き言を言うエルナを眺め、そっとため息をつく。


 半端に巻かれた髪に、べったりと塗りたくられた厚化粧。旅にも畑を耕すのにも不便がないようにと、ゆったり仕立てられた特別な修道服を身にまとい、急きょ用意されたドレスをまるで命綱かなにかのように抱きしめて嘆く聖女。


(神は、なぜこの女性をお選びになったのか……)


 王宮に着いてすぐ、『何かご入用のものは』と尋ねた使用人に開口一番『ドレスと花の砂糖漬け(おかし)と化粧品を』とこたえた前代未聞の聖女だ。まさか聖女がいの一番に私欲にまみれた物品を求めるなど想定もしておらず、王宮は混乱した。菓子や化粧品はまだいいが、ドレスなどぽんと出てくるものではない。急ぎ採寸を行い、まだ誰も袖を通していない王族用に仕立てていたドレスを調整したが、なにせ聖女は聖教王と同格なのだ。格が、とか、一から仕立てないなど不敬ではないか、とか、現場はまあ大変だった。


 気位が高そうでいて、どこか妙な口調で話す女性。神は災厄から身を守る術として神器を授けてくださったのだ。つまり、この国の未来は目の前の聖女に託されている、とリクハルドは眉間を揉んだ。リクハルドとエルナが乗った馬車の後ろには、もう一台荷馬車がついている。旅に必要な品物と、それからリクハルドの従者、エルナにと選ばれた侍女が乗っている荷馬車だ。


 特別忍耐強く、物腰が柔らかく、優秀な女性が選ばれた。それでももし聖女に『あれが無い、これが欲しい』と我が儘に振る舞われたら、侍女には荷が重い。――どうにかするのが自分の役目だ、とリクハルドは意を決し口を開いた。


「そのドレスを気に入っていただけたのでしたら、次の休憩で一度お召しになりますか?」


 気遣うように、柔らかく問いかけたリクハルドの言葉にエルナは顔を上げ、キッとリクハルドに鋭い視線を送る。


「ドレスで畑が耕せると思ってらっしゃる!?」


 一言叫んだ後、エルナは再びしおしおと下を向いてまたべそをかきはじめた。それはまあ、そうなのだが。リクハルドはこめかみに手を当てる。


 白塗りに塗りたくられた白粉、滑稽なほど赤く円を描いた頬紅。目の周りなんてまるで殴られてできた青痣のように隈取られている。そしてそのすべてが涙で溶けて、まだらに滲んでいた。


(どうにか……出来るだろうか……)


 頭が痛む気がして、リクハルドはこめかみを揉んだ。


 王太子のリクハルドが聖女に同行する理由は幾つかある。表向きの主な理由は護衛だ。といっても、野盗なんかを心配したものではない。野盗のほとんどは食い詰めた農民で、近年は収穫が安定しているためほとんど見ることがない。その上この聖王国において神職者の乗る馬車が襲われることはなく、更に聖人は神の御加護に守られている。


 では主に何から守るためにいるかと言えば、善意の要求から聖女を守るために同行するのだ。『ぜひもう一日、歓待を』『どうか病気の者に慰めを』『もうすぐ子が産まれるので祝福を』『名付けを』『ご挨拶を』『握手を』……例をあげれば枚挙にいとまがない。


 神器を持つまで市井に暮らしていた聖人が上手くさばけるわけがない。対策としての権力だ。次代聖教王という権力は、分かりやすくとてもすごくつよい。上位の者としての振る舞いにも慣れている。


 それから、裏の思惑としてリクハルドは聖女と恋仲になることを期待されていた。聖人の意向が何よりも尊重されるため強制は出来ないが、聖人との婚姻は王家にとって望ましいものだから。


 聖人は長年誕生していなかった。更にエルナは数代ぶりに誕生した聖女なのだ。王妃として、彼女は誰よりも歓迎される。


 リクハルドは現在十九歳で、年回りもいい。ずっと聖教王となるべく、神職に就き修行に励んでいたため婚約者もまだ決められていなかった。これぞ神の思し召しに違いないと、リクハルドに期待が寄せられるのは当然のことだった。だが。


(――それこそ、荷が重い……)


 目の前で嘆く、一筋縄ではいきそうにない聖女。リクハルドは再び口から漏れそうになったため息を噛み殺すのだった。




§




 最初の目的地に到着した。出迎えた神父はエルナの顔を見て一瞬ぎょっとしたが、流石は神に仕える身。驚きを瞬時に隠し、恭しく礼をとった。


「お待ち申し上げておりました」


「出迎え感謝する。さっそくだが、予定地に案内してもらいたい」


「はい。こちらでございます」


 神父の案内で、畑にするために用意された場所に向かう。エルナも涙をこらえ、赤い目でキッと前を見据えて案内について行った。


 庭の一角に、一辺六尺きっちりと測って区切られた土地。草もひかれ、平らに均されている。エルナは皆が見守る中、天を仰ぎ両手を高く掲げた。


 エルナの両手の上で光が煌めく。神器が姿を現した。その光景に、彼女は正しく聖女であると皆が息を詰め、膝をついて敬意を表す。


「言っておきますけれど! わたくしクワを振るったことがありませんわよ!」


 近寄らないでくださいまし〜! とやけくそに声を張り上げて、エルナはクワを振りかぶった。リクハルドは膝をついたまま、その言葉を意外に思う。エルナは農村出身の平民だったと聞いていたから。


(……まさか、暮らしていた村でも気ままに振る舞って働かなかった? いやしかし、何の文句も言わず、今勤めを果たしてくれている)


 リクハルドにはエルナの人となりがまだ理解できない。王宮では聖教王との謁見の後、エルナは誰の言葉にもろくに返事を返さなくなったし、馬車の中でも泣き濡れていて会話を交わすことが出来なかったからだ。だが、少なくとも彼女は今、渋ることも、まずは茶や菓子でもてなせといった要求もしなかった、とリクハルドは畑を耕すエルナを見つめる。最初の要求、化粧や口調と、行動の印象が一致しない。


(認識を、改めなければ)


 先入観は捨てろ、とリクハルドは己に言い聞かす。これから行動を共にして、彼女自身を正しく知っていく必要がある、と。リクハルドの目の前にいるエルナは、「(うね)ってどうやって作るんですの〜!?」と叫びながらへっぴり腰でクワを振り続けていた。




 その日は、それ以上移動することなく教会に泊まる予定になっていた。悠長にしてはいられないが、過度に急いで聖女が倒れることがあっては本末転倒だ。次の目的地は農村で、今いる場所から馬車で半日近くかかるのだから。


 エルナは教会が用意した食事にも、自身にあてがわれた部屋にも何一つ文句を言うことなく、侍女を伴って早々に休んでいた。馬車での移動と、慣れない農作業に疲れたのだろう。


 もっと良いものを用意しろ、歓待しろと言い出さなかったことに安堵しながら、リクハルドは首を傾げていた。やはり、印象が一致しない。旅を続けるうちに彼女が理解できるだろうか、と悩みながら、リクハルドも用意された部屋に入り休息をとった。




 翌朝、昨日聖女が耕した畑を見物するリクハルドの元に、見覚えのない女性が駆けてきた。


「見て! 見てくださいまし〜!!」


 美しく巻かれた髪に、素の愛らしさを引き立てるよう施された適切な化粧。後ろからは、聖女付きの侍女カティが慌てて追いかけてくる。


 状況と声から判断するに、女性はエルナに違いないはずだった。エルナとおぼしき人物は、リクハルドの前で飛び跳ねんばかりに喜びをあらわにする。


「すっごいんですのよ! もう! すっごい!! カティがやってくれたんですの!! これ!!」


「……じ、侍女がお気に召したようで、何よりです」


「天ッ才! もう天ッ才ですわ!! カティが! もう!!」


 追いついてきたカティは、エルナの後ろに控えて息を整えた。使用人らしく淡い微笑みを浮かべているが、紅潮した頬は走ったせいか、それとも喜びか。


「…………聖女様」


「はい! アッ、エルナでいいですわよ!」


 ためらいがちにかけたリクハルドの声に、エルナは元気よくこたえる。リクハルドは半ば混乱しながら、話を続けた。


「で、ではエルナ様とお呼びします。……その、昨日のお支度は…………?」


 女性の化粧に対してぶしつけに口を出すわけにもいくまいと黙っていたが、エルナの美意識は一般的であるらしい。では昨日はなぜ、とリクハルドは問いかける。もし王宮で不手際があったのならば大問題だ、と血の気が引く思いがした。


「昨日は自分でやってみたんですの! でもほら、初めてでしょう? あら右が大きいですわ〜と思って左を塗ったら今度は左が大きくなるじゃありませんの! あらあら、大きさが合いませんわ〜あら〜? って塗ってるうちに、ねえ、もう!」


 エルナははしゃぎながら笑い声をあげた。リクハルドは頭を抱えてしゃがみ込みたい気持ちをぐっとこらえる。どうして使用人に任せなかったのか。なぜ一旦化粧を落としてやり直さなかったのか。エルナが何を考えているのか理解できない。まあ、単にエルナは一回自分でやってみたかっただけだし、化粧品がもったいなくて落とすという考えも浮かばなかっただけなのだが。エルナはリクハルドの気も知らないで、「呼び捨てでかまいませんのに〜! カティも何度言っても『エルナ様』と呼びますのよ〜!」と笑っている。


「リクハルド様は何をしてましたの?」


「あ、ああ、これを見ていたのです」


 リクハルドは昨日エルナが耕した畑を指す。そこにはちょろりと小さな植物の芽が並んでいた。


「……草生えてますわ」


「こ……ッ、これが神より与えられた麦の芽ではないかと」


「不思議ですわねぇ、種なんて撒いてませんわよねぇ」


 エルナは首を傾げて畑の前にしゃがみ込み、新芽をつついた。リクハルドはハラハラしながらエルナの指先を見つめ、とりあえず機嫌のいいうちに進んでしまおうと考える。……昨日の馬車内は、それはもう空気が重かったのだ。


「神の御力によるものなのでしょう。さあエルナ様、お支度が整ったのでしたら、朝食をとり次の村へ向かいましょう。先は長いのですから」


「わかりましたわ〜!」


 エルナはリクハルドの声にぴょんと立ち上がって、リクハルドの先導で歩き始める。リクハルドは胸を撫で下ろしながら、神と、それからカティに感謝の祈りを捧げた。




§




 旅路は、順調に進んだ。


 最初の印象はなんだったのかというくらい、エルナは楽しげにリクハルドとの会話に応じ、旅が進むうちに誤解もとけてゆく。


「そうなんですの! もう、わたくしずっとお姫様に憧れてましてね、だからほら、きっと会えると思ってたのに!!」


「ふふ、こうして国を巡るのは想定外でいらっしゃったと」


「それはそうじゃありません? リクハルド様も急な旅にびっくりですわよね!」


「確かに急な話ではありましたが、驚き以上に、聖女様と同じ時代に生きられることが光栄で」


「珍しいですものね、聖女」


 うんうん、と頷くエルナに、リクハルドは笑いをこらえる。『聖女』を一般名詞ととらえ、自分のことであると思わずに頷くエルナがどうにもおかしかった。


「――ああ、次の村に着いたようですよ」


「今度はどんな村かしら〜! 回ってみたら意外とどこも違って、面白いですわよね」


「聖都からでは見えなかったものが多く、得るものばかりです」


「わたくしはその聖都も見たかったですわ」


「旅の終着点は、聖都の大神殿ですよ」


 和やかに会話を交わしながら、馬車から外を眺める。馬車はゆっくりと止まり、リクハルドが先に馬車を降りてエルナに手を差し出す。エルナはリクハルドのエスコートで馬車を降り、教会の者が恭しくふたりを出迎えた。


 ――そんな流れが、ごく自然に行えるように、ふたりの息はいつの間にか揃っていた。


「さあ! どこを耕せばよろしいんですの!?」


 エルナは馬車から降りるなりやる気満々で、神父に案内されて予定地に向かっていく。一番最初に、ただリクハルドがエルナを不安視して始めた到着後の流れは、すっかり定着してしまった。だが悪いことでもない。真っ先にお役目を果たし、それからカティや教会の協力の元で、ゆっくりとお茶の時間をとるのだ。エルナが畑を耕している間に準備が整えられる。大きな町に寄った際には菓子を買い求め、常備してある。それはエルナのやる気に大いに貢献した。


 膝をつく皆の前で、エルナは神器を手にし畑を耕す。「やっていれば慣れるもんですわね〜!」と声を張り上げるエルナは、クワを振る姿がすっかり堂に入っていた。




「ハア〜おいし」


 お役目を終えて、エルナは用意された焼き芋を頬張っていた。この村の特産品らしい。小高い場所に建てられた教会の、見晴らしのよい場所に敷布を敷いて、今日はまるでピクニックの様相だ。


「……あ、あの花」


 エルナはよくその辺に咲いているような、真っ赤な野花を指差す。


「花がどうかされましたか?」


「わたくしの村にも咲いてましたのよ。潰して爪を染めたり、まぶたや唇に塗りましたの」


 ド田舎の村に化粧品なんてありませんもの……とエルナはつぶやく。本当に、本当にただ『化粧』に憧れていたのだな、と、リクハルドはまたひとつエルナへの理解を深くして微笑んだ。


「種を割ったらね! 白い粉が詰まっていますのよ! 顔に塗って白粉の代わりにしましたの!」


「それはお止めになった方がいいですね。微弱ですが、毒性があります」


「エッ」


 エルナは目を剥いてリクハルドを凝視する。「そんな……村に帰った後どうすれば……」とつぶやくエルナに、リクハルドは思わず笑いをもらす。


 欲深いどころか、とても純粋な女性だった。少し行き違いがあっただけで、とても素直で、天真爛漫な。今も、王家に対し物品を届けさせるだとか、金銭や聖都の邸宅を求めるだとか、そういった要求を思いつきもしない。……要求をしたって、当然構わないのに。


 悪印象が好感に塗り替えられる度に、心がエルナに囚われていく。――もう、周囲の思惑など関係なく、リクハルドはエルナと過ごす時間が楽しくてたまらなくなっていた。手放すことなど考えられないくらいに。


「……聖都に戻ったら、妹を紹介させてください。個人的な茶会の席をご用意します」


「…………お義兄様ッ!!」


「お待ちください、どのような立場になられるおつもりですか」


 リクハルドを『義兄』と呼べる立場は、聖教王の養女か、もしくは今年十歳になる第二王子の妻か。どちらも勘弁願いたい、とリクハルドは忍び笑う。


 かけた言葉に思いがけない反応を返してくる、やはり一筋縄ではいかない聖女。まるで何が飛び出すかわからないびっくり箱のような。


 頬を赤く染めて、手を組んでリクハルドを拝むように見つめるエルナに、リクハルドはいたずらそうな顔つきで言葉をかける。


「実は、私は王族の振る舞いや教養、行儀作法に詳しいのです。当然、姫も習うような」


「まさか、教えてくださるの!?」


「ええ、エルナ様が必要とされるのであれば」


「師匠…………ッ!!」


 喜んで目を輝かせるエルナに、リクハルドはくつくつと喉を鳴らす。エルナがおかしくて、かわいらしくてたまらなかった。


(――このまま)


 そう、このまま、王妃として必要な知識を身に着けていただこう。幸い本人の希望とも一致しているのだから。旅は長く、国中を巡るのだ。訪れた土地で、その地にまつわる話をしていけばいい。特産品、主産業、大まかな歴史……実経験と紐付くのだから、理解しやすいだろう。


 そして同時に、関わる時間を増やし、エルナを口説き落とす。


(私が彼女を口説き落とすのが先か、旅が終わるのが先か)


 もし口説き落とせずに旅が終わってしまっても、エルナの弱点は把握してしまった。『お姫様』を餌にすれば、彼女は喜んで王宮に滞在してくれるだろう。妹も王族だ。成すべきことを心得ている。


 妹を利用して女性を口説く時間を稼ぐなんて不甲斐なく思うが、保険は多い方がいい。それに、旅を終えるまでに口説き落としてしまえばいいのだ。


 エルナはリクハルドの思惑に気付いたとき、いつの間にか王妃となるために必要な知識をあらかた身に着けていたと気付いたとき、『なんでですの〜!?』と叫ぶだろうか。それとも、また、思わぬ反応を返してくれるだろうか。


「それから」


 リクハルドは自身の想像が愉快になって、笑いを含みながらエルナに話しかける。


「実は、聖都で貴女のような話し方をする女性と会ったことがありません」


「分かってますわよ! ずっと、なんか違うかな〜とは思ってたけど、だって、もう染み付いてるんですもの!!」


「ッ、ははっ! 気付いていらしたのか!」


 リクハルドは思わず笑い声をあげた。口調も少しくだけ、愉快げに笑うリクハルドを見て、エルナは目を瞬き嬉しそうに破顔する。


「そっちの方がいいですわよ! 旅は長いんですもの、もっと気楽にしてくれた方がいいですわ!」


「ああ、ではそうさせてもらうよ。エルナ」


 嫣然と微笑む、狙いを定めたリクハルドの視線に、エルナは頬を赤らめて絶句する。口をぱくぱくと開閉させて、急にあふれ出したリクハルドの色気に目を泳がせた。


「私のことも、どうかリクと」


 リクハルドは攻撃の手を緩めず、顔を真っ赤に染め上げるエルナに追い打ちをかける。




『お姫様』に憧れ続けたエルナが『王子様』に囚われるのは、きっと、もうすぐのこと――






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
うひょ〜百点満点の物語。短編で素晴らしく完成されている。けど、皆様仰るように続きがみたい気持ちもある。
お姫様の真似事をして一人楽しむエルナの愛くるしいこと、この上無いです。 真っ直ぐで自分のあこがれに一途なこの子を好きにならない人はいないと思います。 本当に続きが読みたい…。 素晴らしいお話をありがと…
続きはないのでしょうか? ちゃんと口説けたのか知りたくて。 あと聖女ちゃんが可愛い。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ