昔の普通
会社の外では太陽がギラギラと輝き熱射を通行人や車に満遍なく浴びせかけていた。
それに対し会社の3階にあるオフィスの中ではエアコンがフル稼働していて涼しい風を部屋中に送り、壁を挟んで天国と地獄のようになっている。
フル稼働しているエアコンの風を背中にうけながら、私はお得意様に頼まれた見積書を作成していた。
そこに後輩の渡辺がお茶のペットボトルを持って隣の席に座り私に声を掛けてくる。
「先輩、休憩取らないのですか?」
渡辺の問い掛けに腕時計を見て、時間を確認してから返事を返した。
「あぁ、もうこんな時間か、お前ね、自分の分だけでなく気を利かせて俺の分もついでに買って来いよ」
「すいません」
渡辺は大学生の頃まで行っていた格闘技で鍛えた巨体を竦ませるようにしながら、詫びの言葉を口にする。
腕を上に伸ばし背伸びをしたあと椅子から立ち上がり、エレベーターホールに設置されている清涼飲料水の自動販売機に向けて歩む。
ポケットからスマホを取り出しお茶のペットボトルを購入しようとした時、突然廊下の照明が消え自動販売機のライトも消える。
『停電か?』
「熱!」
ポケットから取り出し手に持っていたスマホが突然凄まじく熱くなった。
熱くなったスマホを持っていられず思わず放り出す。
放りだしたスマホを慌ててハンカチで包むようにして拾う。
『あ! ヤバい見積もり』
先ほどまで作成していた見積書を思いだし、オフィスに駆け戻りパソコンの画面に目を向けた。
作成途中だった見積書は消え失せパソコンの画面は真っ黒になっている。
保存せずに席を立った自分の間抜けさを呪いながら周りを見渡す、と……オフィスの中は混乱の極みにあった。
うるさい程鳴り響いていた電話は全て沈黙していて、電話の受話器に向けて大声を発してる部長、買い替えたばかりのスマホの電源を泣きながら入れようとしている事務の女の子、データが消え煙を上げているパソコンを回復させようとキーボードを必死に操作している同僚、などなどだ。
エアコンが止まった事によりその巨体から滝のような汗を噴き出し、汗をハンカチで焼け石に水だか拭っている渡辺に声を掛ける。
「停電か?」
「停電では無いみたいです」
渡辺はそう答えながらオフィスの窓から見える高速道路を、ハンカチを握った手で指さす。
そこでは先ほどまで間断なく続く渋滞でノロノロ運転を余儀なくされていた車列のトラックや乗用車が、全て停車していた。
停車している全ての車のエンジンやバッテリーなどがおかしくなっているのか窓を開ける事が出来ないようで、車のドアが開け放たれ運転手がボンネットの中を覗き込んだり、スマホで電話を掛けようとしているのか? 私のスマホと同じく熱を発しているらしいスマホを指でつまみ上げ、操作しようとしているような動作をしている。
高速道路のさらに向こう側を走る私鉄の高架線の上では電車が停車し、電車の窓から少しでも風に当たり涼しもうとする乗客が身を乗り出していた。
さらにその向こうに見える東京湾の海には、真っ逆さまに落ちて行く旅客機の姿まで見える。
事態を把握する事が出来ず、オフィスにいる全員がオロオロしながら口々に自分の見解を述べ騒ぎ立てていた。
そこに先先代の創業者でもある社長の時から会社に在籍し、定年の後も身体が動く限り働きたいとパートとして会社に残っている、戦前生まれで我が社一の最年長者の井上の親父さんが現れる。
親父さんは地下にある緊急時の食料や毛布が備蓄されている倉庫のそのまた奥、半世紀近く前に建造されたこの自社ビルの最深部に備わっている先先代の社長が核戦争に備えて造った核シェルターから、真空管を使用するラジオと発電機を持って来ていた。
親父さんは二ツの骨董品を繋げスイッチを入れる。
今起きている混乱の原因を知るためにラジオのツマミを回していると、自衛隊や在日米軍が互いに通信しあっている電波に行き当たった。
親父さんの周りにオフィスにいた者たち全員が群がり、ラジオから流れて来る自衛隊や在日米軍の通信を聞き逃すまいと耳を傾ける。
自衛隊や在日米軍の情報を纏めるとこういう事であった。
観測至上最大の太陽面爆発が連続して起こっていて、その太陽面爆発により発生した強力な電磁波が地球に降り注いでいるとの事である。
その影響で世界中のコンピューターを含む電子機器が焼き付いた為に通常の連絡手段が無くなり、核兵器の爆発に伴い発生するEMP攻撃に備えて隔離していた通信機や真空管を使用する無線機などで、各国の政府や軍隊は辛うじて連絡を取り合っているとの事であった。
そこに郵便物を投函しに出かけていた事務の女性社員が帰って来て、オフィスの者たちに外の様子を語る。
「駅に凄く人が集まっていたわよ、でも電車が動くのが何時になるか分からないって駅員さんが怒鳴っていたわ、それに自動販売機が動かなくて窓口で切符が1枚1枚売られているのよ。
あとね、コンビニではカードもスマホも使えなくて現金のみ、それもお釣りが不足しているのか小銭のみの販売しか受け付け無くなっていたわ、これからどうなるのかしら?」
それを聞いてオフィスにいた者たち全員が息をのみ静まり返る。
格闘技で鍛えた巨体を震わせながら渡辺が話し掛けて来た。
「先輩これからどうなちゃうのですかね?」
渡辺の問いかけに事態の深刻さに震えあがりながらも返事を返す。
「どうなるか分からんが混乱は当分続くぞ、今現在世界の殆ど全ての物に電子機器が使用されているからな。
その上、鉄道やコンビニのカードやスマホでのキャシュレスが使えなくては、日常の生活さえ困難になるだろうからな」
「銀行に行って金を下ろさなくちゃ」
「行っても無駄だと思うよ」
「どうしてですか?」
「銀行だってコンピューターが使用されているのだぜ、金を下ろしたくても下ろせないと思うな」
オフィスの者たちがこれから自分たちの身に降りかかる事態に恐れおののいている所に、何時の間にかいなくなっていた井上の親父さんがコンビニの袋を手にして戻って来た。
親父さんは水で濡らしたタオルを首に巻き、ペットボトルのお茶を飲みながら扇子で自分をパタパタと扇ぎ一言つぶやく。
「昔はこれが普通だったのだけどね」