前編
「なぁ、刑事さんよ。
何でオレ、こんなトコで取り調べ受けてんだ?」
ろくに暖房が効かない狭い一室。
ブラインドで締め切られた窓からは、殆ど光が入らない。
部屋の中央に設えた小さな机。それを間にして、俺とその若い男は向かい合い座る。
仄暗い電気スタンドに顔を照らし出されたその男は、ふてぶてしくも俺をじろりと睨んだ。
「オレぁ、やるべき『ざまぁ』をやっただけなんだが?
わざわざジムに通って、身体鍛えてよぉ」
あつかましい台詞と態度に反し、痩せぎすの身体。
美容院どころかろくに洗ってもいなさそうな黒髪。
やたら太いフレームの黒ブチ眼鏡。ぎょろりと飛び出した眼球は白目が充血している。
ろくに日にあたっていなさそうな肌は青白く、顎は無精ひげが目立つ。
しかしジムで鍛えているというのは嘘ではないらしく、それなりに筋肉はついていた。
――こんな男に。
俺は震える拳をぐっとこらえながら、静かに言い放った。
「当然だろう。
別れた恋人の家に君は強引に侵入し、妊娠中の彼女に見境なく暴行を加えた。
つわりでろくに動けない彼女に対し、顔の形が変わるまで一方的に殴る蹴るの暴行。
しかも、妊婦の腹まで容赦なく何度も蹴とばした……
間違いないか」
「けっ。
オレはNTR行為に対して、当然のざまぁをしただけなんで」
「その上、相手の男性を執拗に探し出して襲いかかり、アキレス腱をぶった斬った上でやはり一方的に暴行。
さらに眼をくりぬき、指を数本切断。とどめに陰茎切断ときた。
NTRだかざまぁだか知らんが、君がやったことは立派な犯罪だ。それも非常に重大な」
俺の眼前でふんぞり返るこの男――
阿野妻オレノは猛然と反論する。
「だってあの女ぁ、彼氏たるオレを裏切ったんですよ!
オレを裏切って、別の男とデートして、あまつさえ子供まで作りやがった!
オレから全てを奪っておいて、とんでもねぇアマだ」
なるほどな。
それでこの男は、相手にフラれたのを根に持ち、NTR――いわゆる寝取られたと思っているわけか。
そして相手とその男に、見事復讐を果たした。
「へへ、刑事さんよぉ。知ってるか?
最近のweb小説界隈じゃ、こんなの当然なんだぜ?
これ以下になると手ぬるすぎて、ざまぁが足りないとか言われるレベルだ」
ぺろりと舌を出して嗤い続ける阿野妻。
どうやらこの男、今web小説サイト界隈で流行りの「ざまぁ」「NTR」と言われる小説を参考に、犯行を企てたらしい。
それも、かなり猟奇的なものを――
「オレの読んでたあの小説、かな~り読者人気高いんだぜ?
アンタも読んでみっか、刑事さん? 一度ハマるとやめられないぜぇ、ざまぁとNTRは」
「それで君は模倣してみたというわけか、その小説を。
だとしても――
妊婦の腹を何度も蹴りとばすのは、やりすぎだとは思わなかったのか」
それでも阿野妻の表情に、反省の色は一切ない。
「当然じゃねぇか。クズどものガキなんて、クズにしかなんねぇんだから。
むしろクズに生まれる前にブチ殺して当たり前じゃね? 逆に刑事さんたちには感謝してほしいくらいだね、この国のクズが減ったんだから。
流行りの異世界恋愛モノでも、裏切りクズ王子の一族郎党皆殺しとかよくあるんだろ?
そりゃ全部、クズの種を断つためよ。オレは滅多に読まねぇから知らんけど♪」
「君のいる場所は異世界でも中世でもない」
「はいはい、現代日本は法治国家ッスもんねぇ~♪
あ~あ、つまんねぇ。あの小説は司法なんて存在しないも同然だったから、好きなだけざまぁが出来たんだがなぁ~。
現実はこうやって、サツにしょっぴかれて終わりかぁ。
でも問題ないッスよね、刑事さん? だってオレ、こう見えてまだギリ17だし♪
まだ少年法適用範囲内っしょ?」
やはりこの男は、何も分かっていない。
へらりと嗤って舌なめずりしながら、俺を値踏みするが如く上目遣いに眺めている。
完全に、人を舐め切っている。
「ねぇ刑事さん。オレには今、新しい彼女いるんスよ。
確かにやったことは犯罪かも知れないけど、オレはきちんとざまぁすべき奴にざまぁしただけッス。
正当防衛ってことで、帰してもらえませんかねぇ? きっと彼女、待ってるんで。
超絶カワイくて絶対オレを裏切らない、優しい素直なコなんスよ~。
オレを裏切ったあんなクズのゲスのブスの中古女とは、比べるのもおこがましいっつーか?」
恐らくそれも、件のweb小説の模倣。
NTR野郎と元恋人に制裁を加えた後、主人公は新しい恋人とくっついてハッピーエンド。
よくあるパターンだ。
自分はざまぁ小説の栄えある主人公。裏切ったクズどもに復讐を完遂した勇者。自分だけを愛してくれるカワイイ聖女と、ハッピーになれるはず。
なのにそんな自分が何故か警察につかまり、冴えないスーツのモブおっさん刑事――
つまり俺に詰められている。
ヤツにしてみれば、チョーゼツ理不尽な状況だろう。
――だが。
俺は一発、机を平手でバァンと叩いた。
それだけで阿野妻は、ビクンと椅子から跳ね上がる。
まさか一介の刑事でしかない俺にこんな真似をされるとは、予想外だとでもいうように。
――しかし貴様にとって予想外なのは、ここからだ。
「……そうか。
その、クズのゲスのブスの中古女とやらが……
俺 の 妹 だったとしたら?」
「ふぇっ?」
何を言われたか全く理解できていないのか、大きな眼をさらに見開いて音が出るほど瞬きする阿野妻。
俺はそんな奴の胸倉を掴み、右腕だけで力まかせに引っ張り上げる。
――目一杯の恨みをこめて。
「それから、何を勘違いしているか知らんが。
俺は刑事じゃないし、ここも警察じゃない」
「ふ、ふへぇっ!?」
「俺には方々に顔のきく友人が結構いてな。
ひと芝居うつのに協力してもらったんだよ――
俺の妹と姪っ子と義弟を散々な目に遭わせてくれたお前に、いわゆる『ざまぁ』する為になぁ?」
「ひぎっ……!!」
ようやく事態を理解したのか。
阿野妻の顔面が、哀れなほどに歪んだ。
そんなヤツの耳元に、俺は語りかける。静かに、歌うように。
「もしかしてこの建物が警察署に見えたか? ここが取調室に見えたか?
残念でした。全てまがい物だよ。
その理由は、貴様なら一番よく分かっているはずだろう?」
俺の右手で首根っこを絞め上げられながら、ワナワナ震える阿野妻。
そして俺はもう一方の手でデスクの下から、ある物を取り出した――
ガタン……ガツン。
重く響きわたる鈍い金属音をたてながら、俺が引き出したのは
「ふぉえっ!?」
それを見た瞬間、阿野妻の眼球が飛びださんばかりにひん剥かれた。
――それは、刃部分に大量の血塊がこびりついた、斧。
「な、なななんで、ソレがここに……?」
「あ~、覚えてたんだ。お前が使った斧だよ。
俺の義弟の、アキレス腱と指とアレの切断に使ったヤツ。
良かったぁ~、まだ使えそうで」
斧をブンと空中で振ってみると、付着していた黒い血塊が思い切りヤツの頬に飛んだ。
試しに二度、斧で床を叩いてみる――
ガコン
ガツン
「ひ、ひぐぅっ……!!」
この音だけで大層ビビったのか、阿野妻の全身はガタガタ痙攣するように震え出していた。
それでもヤツは必死でポケットを探る。多分スマホでも取り出そうとしてるんだろうが、そんなものは既に俺が取り上げている。
いや、あったとしても役には立つまい。
「て、てめぇ、こんなことしてタダで済むと思ってんのか!
け、警察を……!」
「お前は何を言っているんだ?
来るわけがないだろう、警察なんて」
「へ?」
もしかしてコイツ、まだ分かっていないのか。
俺は阿野妻の首を軽々と絞め上げながら、その喉元に斧をつきつける。
「お前が参考にした小説には、警察などの司法組織なんて存在しないも同然だった。
そしてお前がその小説を元に、『ざまぁ』とやらを実行した瞬間から――
この現実でも、司法なんて存在しなくなったんだよ」