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元カレの虚像

 それは残酷な事実かもしれないし、優しい結末かもしれない。


 人によって受け取り方の違ってくる結果を見届けて、学食を後にする。


 外に出ると、再びうだるような熱気を浴びてうんざりしてしまうが、僕たちの間には猛暑への不満の言葉すらなかった。屋根のある連絡通路を歩きながら、かつて円佳さんが過ごした大学の風景を眺める――ふりをして、円佳さんの横顔を見つめていた。


 生前の彼女があまりすることのなかった、物憂げな表情だ。


 円佳さんの好きなところは? と問われて真っ先に思い浮かぶのは、周りを巻き込むような明るさだったけれど、今は世界に溶け込むような静けさに引き込まれそうになる。


 その静謐さは彼女本来の特性ではなく、いろいろなものを失った代わりに身につけてしまったものだ。それに目を奪われている僕は、きっと、どうしようもなく不謹慎なのだろう。


 ――ジリリリリ、と。


 不届きな感情をたしなめるかのようなタイミングで、黒電話の鳴り響く音が聞こえてきた。布越しのようにくぐもった着信音。


 美門がハンドバッグをまさぐってスマートフォンを取り出した。


「はい、……はい、わかりました。ありがとうございます。構内にいるので、今から向かいますね」


 短いやり取りのあと、スマートフォンを仕舞った。


「誰から?」

「お姉ちゃんの元カレ」

「(えっ)」


 僕と円佳さんの声が重なり、反射的に顔を見合わせる。

 が、円佳さんはそっと目を逸らしてしまう。

 不倫を認めた妻のような反応に立ち尽くす僕。


「ちょっと」


 先を歩いていた美門がこちらを振り返る。


「離れたらダメよ。お姉ちゃんが消える。確認ができなくなるわ」

「こんなの、確かめない方がいい」

「わたしのことは逃がしてくれなかったじゃない」

「それは、そうだけど……」


 それはそうだけど、少し泣きそうだった。


(ちょっとミカちゃん、ホントに会う気なの?)

「元々、お姉ちゃんもそのつもりだったんでしょ。いざとなったら怖気づいちゃったの?」


 美門は先ほどの自分を棚に上げて、挑発するように言う。


(で、でも……、どうして連絡先を知ってるの)

「……葬儀のときに、渡されたのよ。何かあったら相談に乗るからって」


『俺もつらいがきっと君のつらさは想像を絶するんだろうな、何かあったら、……いや、何もなくても気軽に連絡してくれ。悲しみは共有して、和らげることができるはずだから――』


「って言ってたかしら」

(……そう)


「大丈夫よお姉ちゃん、連絡したのは昨日が初めてだし、今日、会うのはわたしだけだから。二人は視界になるべく入らないように、でも出現範囲から離れないようについてきて」


 美門には何か考えがあるようだったが、僕はそれどころではなかった。頭がくらくらしているのは暑さのせいじゃないだろう。


〝本気の付き合いってわけじゃなかったし〟


 円佳さんの口から聞かされた、あの言葉が、ますます真実味を帯びてくる。

 では、僕とは違う〝本気の付き合い〟とやらの相手が、その元カレだったのか。


 もちろん円佳さんみたいなかわいい人に、以前にも彼氏がいたとしてもおかしくはない。


 でも前があるということは比較対象がいるということで、何かにつけて比べられるのはとてもつらい。相手が自分より年上の大学生となればなおのことだ。


 いったいどんなやつなのか。

 僕はビクビクしながら、つかず離れずの距離を保って美門についていく。


 一方の円佳さんはというと、しゅんとしていた。

 美門が元カレと連絡を取っていたのは予想外だったにしても、大学を見学するなら元カレとばったりという可能性もあったはず。先日のやり取りを思い返すに、円佳さんはそれを狙っていた節がある。なのに、


「……どうして落ち込んでるんですか」

(ん、いろいろ)

「いろいろって?」

(誤魔化したいのに、そうさせてくれないんだ)


 円佳さんは唇を尖らせる。わざとらしいご立腹のしぐさ。


「だって、今のこの状態って、奇跡じゃないですか。無駄にはしたくないです。円佳さんの考えてることを知りたいんですよ」


(超ずるい言い方。……まず、キミへの申し訳なさとか、気まずさとか。あと、彼がミカちゃんに粉をかけてたこととか)


「彼への未練とかは」


 悪魔の住む洞窟に踏み入れるような心持ちで問いかける。

 円佳さんはあっけらかんとした笑顔で、手のひらを左右に振った。


(あ、ないない、それはぜんっぜん、まったくないの。だから、正直、彼があたしを視えなくても、ショックはないと思うな。だって、生死の関係なく、あたしが最期に好きになったのはキミで、彼とはその前にとっくに切れてるんだから)


「僕とのことは本気の付き合いじゃなかったのに?」


 そう訊くと、あ、しまった、みたいな顔をする。メイクを落としたすっぴんの顔を見られたような、自らの失態に気づいた瞬間の表情。だけどそれは大した失態じゃないし、メイクしてなくても円佳さんは十分きれいだし、だから、


「……やっぱりあれ、ウソだったんですね。あんな風に言ったら、僕が円佳さんに幻滅して、未練が薄れるんじゃないか、とか、そういうことを考えたんでしょ」

(さあどうかなあ。女は服を着替えるみたいに嘘を身にまとうんだから)


 円佳さんは嬉しそうに笑いながら、両手を伸ばして軽やかにステップを踏み、くるりと一回転する。


「なんですかそのセリフ。シェイクスピア?」




 やがて、数メートル先を歩いていた美門が、木陰のベンチへと歩み寄る。

 そこには清潔感のあるさわやかな男性が座っていた。


「やあ美門ちゃん」


 いきなり下の名前で呼びかけているその男性こそが円佳さんの元カレだった。


 立ち上がるとすらりとした長身が明らかになる。服装や身につけている小物のセンスもよく、そこはかとないオシャレなさわやかさ。彼の周囲だけがアルプスの高原になったかのような清涼感がある。


 彼への未練はない、と断言した円佳さんの言葉はうれしかったが、元カレが大人びたさわやかイケメンであるという事実はゆるぎなく、逆に僕の自尊心をがくがくと揺るがせていた。


 美門と元カレは二・三言葉を交わすと、連れ立って歩いていく。


 元カレがどこかの建物を指さしながら話しかけているので、どうやら学内を案内する流れになっているようだ。「それもうさっきやりました」という態度はおくびも見せずに、美門は薄く笑顔すら浮かべて元カレに付き従う。従順で清楚な、年上の男が喜びそうな態度だった。


(面白くなさそうな顔してるね)

「暑さにうんざりしてるだけです」


 僕と円佳さんは、美門と元カレのペアに3メートルほどの距離まで接近していた。はた目には僕が一人で歩いているだけなので、特に怪しまれることはない。


 聞こえてくる会話は、すべて円佳さんの思い出話だ。円佳さんの好きな場所、好きな講義、好きな本、好きな食べ物、エトセトラ。


 元カレは切なげに目を細めながら語っていたが、その内容は先ほど円佳さんから聞いた話とは、まるで食い違っていた。


「知らないことばかりです。姉は家と大学では全然違うんですね。それとも恋人の前だから違ってたんでしょうか」


 美門もまた元カレに合わせて、平然とそんな話をする。


「もしそうだったらうれしいな」


 元カレはさわやかさとさびしさの同居する笑顔を浮かべ、


「炎天下で歩かせてごめんよ、円佳の話をしていると時間を忘れそうになる」


 なんて歯の浮くようなセリフを口にして、


「行きつけの店があるんだ、そこで少し涼もうか」


 と大学の正門の外を指さした。


(あ、落としにかかってる)


 円佳さんがつぶやく。

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