表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/21

今まで、どこに

 円佳さんの言葉がじわじわと心に染み込んでくる。


 あの楽しかった毎日を。

 会うたびに彼女を好きになっていく日々を。

 これ以上のしあわせはないと確信していた時間を。


 円佳さんの方は、僕と同じようには感じていなかったのだろうか。ショックが大きすぎて何も考えられなくなりそうだったが、困ったことに、僕はこの手の衝撃には慣れてしまっている。だから対処もばっちりだ。


「……それはそれとして」

 と僕は話を変えた。

(あ、逃げた)

「話題にも優先順位があるので」


 円佳さんが茶化すが、取り合わない。


「――円佳さんは、今まで、どこにいたんですか」


〝亡くなってから〟という具体的な言葉を外して問いかける。


 円佳さんはベッドの端に座って、子供みたいに足をぶらぶらさせながら言う。


(どこにいたとか、何をしてたとか、そういう感覚はないかなぁ。ホントに、気がついたらあそこにいたのよ。強いて言うなら、ずっと眠ってたみたいな感じかな)


「そう、ですか。……よかった」

(良いわけないと思うんですけど?)


 円佳さんは語尾を上げて口をとがらせる。

 死んだ人間に使う言葉ではなかった。僕は慌てて頭を下げる。


「あ……、いや、すいません。そういう意味じゃなくて……」

(うんうん、聞いてあげる、キミの言い訳)


 円佳さんはあっという間にお姉さんぶった笑顔に戻る。


「言い訳とはちょっと違うんですけど……、その、死後の世界に天国と地獄という区分けがあるとしたら、もちろん円佳さんは天国へ行ってますよね。それを無理に引き戻してしまったのだとしたら、申し訳がないじゃないですか」


 きょとんとしている円佳さんに、言葉を探しながら言い訳を続ける。


「あと、死後の世界なんて存在しないのだとしたら、幽霊になってから、ずっと現世をさまよい続けていたことになりますよね。それは、想像するだけで居たたまれないので……、円佳さんの境遇がそのどちらでもないことを、良かったと思ったんです」


(んーーーッ……)


 円佳さんは梅干しを口に含んだような顔になった。


「え、どうしたんですか」

(キミって本当に、ナチュラルに恥ずかしいセリフをぶっ放すよねぇ)

「今の話って、そんなにハズい内容でしたっけ?」

(あたしを照れさせるプロフェッショナルだよもう……)


 両手で頬を挟んでうつむいてしまう円佳さん。その仕草がかわいくて、今が有り得ない時間だということを忘れてしまいそうになる。あるいは、それを僕に意識させないために、ことさら明るく振る舞っているのかもしれない。


(っていうか、あたしが目覚めたきっかけは、やっぱりあのキッスよねぇ)


 そんな風に昨日のことを茶化す円佳さん。口元を手のひらで隠してにしし(・・・)と笑っている。

「眠り姫じゃないんですから。第一、僕は王子様じゃないし、相手も違うし。キスがスイッチだとしても、回路が混線してますよ」

(ほらやっぱりロマンチックなこと言っちゃってる)

「そういう茶々は後にしてください」

(でもさ、回路が混線してるなら、キミとあたしがキスすれば、ミカちゃんが目を覚ますってことにならない?)

「さあ……」


 その思いつきを本気でいいアイデアだと思っているのか、円佳さんは自信ありげな顔をする。突拍子もないことを言ってこちらを困惑させる彼女を、とてもらしい(・・・)と感じた。本当に、生前と変わらない。


(あ、そっか、幽霊には触れられないから、そもそもキスなんてできないね)


 幽霊と人間とのラブストーリーで出てくるようなセリフだった。


 僕は黙って立ち上がると、美門が寝ているベッドの二つ隣の、カーテンで囲まれたスペースへと移動する。円佳さんはカーテンをするりと素通りしてついてきた。


(どうしたの? 急に)

「触れてみていいですか」


 円佳さんは目を丸くして、それからさみしげに笑った。


(イチャついてるところ、ミカちゃんに見られたくない?)

「騒々しくして起こしたら悪いですから」


 向かい合って、お互いの距離は50センチほど。


(背、少し伸びたね)

「気がつきませんでした」


 そっけなく答える。

 そんな、時間の流れを意識させるようなことを言わないでほしい。


 僕は一歩踏み込んで、円佳さんの唇――があるように見える位置――へ顔を寄せていく。確かに以前より少し、円佳さんの顔の位置が低くなっていた。肩に手を置けないので距離感がわかりにくい。付き合い始めのころ自分の部屋で、枕を円佳さんに見立ててキスのシミュレートを重ねていた、イタい記憶がよみがえった。


 唇の感触はない。


「どうですか」

(正直に言うけど、なんの感触もなかったよ)

「僕もです」

(幽霊は記憶で形作られたものだから、人と重なると相手の感情とか記憶が見える、みたいなオカルト話は、ちょっとだけ期待してたんだけど)

「そうならなくてよかったです」


 苦笑いを返しつつ、カーテンをかきわけてベッドの方へ戻ってくると、本当にキスがスイッチになったわけではないだろうが、上半身を起こした美門が冷めた瞳でこちらを見ていた。


 円佳さんがすばやく美門のそばへ歩み寄る。


(ミカちゃん、よかった……、目が覚めたのね)

「心配するふりなんてしないで」


 と美門は冷淡に吐き捨てる。

 あまりに雑な口ぶりに、最初は僕に言っているのかと思った。


 しかし美門は確かに円佳さんの方を向いていた。姉の幽霊の存在は認めた上で、明らかな拒絶の言葉をぶつけたのだ。


(ミカちゃん……?)


 お気楽に振る舞っている円佳さんも、さすがに表情がこわばっていた。

 ショックを受ける姉に対して、美門は一切の気遣いをせずに淡々と問いかける。


「お姉ちゃんは今までどこにいたの?」


 それは先ほど僕がしたのと同じ質問だった。

 だから、その意図も同じだと思っていた。


「眠っているような状態だったらしいよ」

「それはもう聞いたわ」


 まず返事の素っ気なさに驚き、次いでその言葉の意味するところに気づいてまた驚く。


「……起きてたのか。じゃあ、なんで同じ質問を」

「同じじゃないわ」


 美門は僕の言葉を乱暴にさえぎった。

 苛立っているのがはっきりわかる、攻撃的な態度。


「言葉が足りなかったわね。――お姉ちゃんは昨日、部屋で化けて出てから、今日、学校の廊下に現れるまでの間、いったいどこにいたの?」


 盲点を突かれたような質問だった。


 亡くなってから昨日まで、ではなく、昨日から今まで、円佳さんはどうしていたのか。それがすっかり抜け落ちていた。今朝の美門の反応を見るかぎりでは、姉妹で夜通し、思い出話に花を咲かせていたわけではなさそうだ。


「あなたのところにいたわけじゃないみたいね」


 僕の態度から察したのか、美門はそう結論づける。

 美門の方は、円佳さんが僕のところにいると考えていたのだろう。しかし、実際はどちらのところにも姿を見せていなかった。


(どこにも行ってないよ。気がついたら学校だったから……)

「眠っているような状態だった、ってことですか?」

(うーん、それもちょっと違うかな。昨日はミカちゃんが部屋を出ていったあたりで一時停止して、今日は学校の廊下のシーンで再生、みたいな感じ)


 円佳さんは浮かない顔で首をひねる。

 彼女自身、自分の状況がよくわかっていないのだろう。


「その間って、だいたい半日くらい時間が経ってるんですけど」

(あたしの方はタイムラグなかったよ)

「……やっぱり、そうだったのね」


 美門は苦い顔でゆっくり左右に首を振った。何か僕たちの知らないことを知っている、あるいは気づいている、思わせぶりな態度だ。


「何かわかったのなら、教えてほしい」


 駆け引きをする余裕のない僕は、ただ率直に頼むしかない。

 美門は円佳さんを一瞥して、僕を見て、短くため息をついてから、ゆっくりと話を始めた。


「お姉ちゃんは、フィクションでよくある幽霊みたいに、ふわふわ浮遊して自由に動けるわけじゃない。地縛霊っていうのとも違っていて、どこか一カ所に縛られて、どこにも行けないわけでもない。……〝憑りついている〟というのが近いんでしょうね」


 美門は一拍おいて、苦い表情で話を続ける。


「たぶん、お姉ちゃん――東雲円佳の幽霊は、わたしとあなたが一緒にいるところにだけ、現れるのよ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ