最後の言葉
取り留めのない話を続けているうちに、やがて列車はブレーキをかけ、スピードを落としていく。
停車したのは山あいの無人駅だった。
秘境というほどではないが閑散としている。
美門と円佳さんが立ち上がったので、僕もそれに倣う。
駅に降り立つと日傘の白い花が開いて、黒い影が美門を覆った。
「入る?」
傘の柄をくるりと回しながら美門がこちらを振り返る。
(ミカちゃん積極的ぃ)
と円佳さんが茶化すと、美門はふいっと顔を背ける。
「暑さで倒れられたら面倒だから」
「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔するよ。あ、傘持つから」
あまり近づき過ぎないように間をあけて、並んで歩いていく。傘からはみ出た右肩だけが直射日光でやたらと暑かった。
歩くこと数分、駄菓子屋めいた個人商店に立ち寄ると、美門は花やお菓子などを手際よく購入していく。その様子を見ていると、目的地はなんとなく察せられた。
平坦な道路からそれて上り坂を上がっていくと、やがて思っていたとおり霊園が見えてくる。黒や灰色の墓石が立ち並んでいて、遠目には針山のようだった。
降り注ぐ蝉時雨がだんだんと大きくなり、それとは反対に僕たちは口数が少なくなっていく。お墓とお墓の間の、碁盤の目のような歩道を美門の先導で進んでいく。僕は彼女が日傘の影から外れないように気を遣う。円佳さんは穏やかな表情で、無言のままついてくる。
『東雲家之墓』と刻まれた墓石の前で美門は立ち止まった。
「父の実家のお墓なの。お姉ちゃんはここに入っている――ことになってるわ」
円佳さんはここに納骨されたらしい。
しかし、当の本人は相変わらずのんきなことを言っている。
(あの歌のとおりね。そこにあたしはいません~、だっけ)
「風になってもいないですけどね」
僕たちのやり取りをよそに、美門はテキパキと墓参りを進めていく。打ち水をして、花を差し、お菓子を供えて、線香に火をつける。煙が鼻先をかすめると、墓参りをしている実感がわいてきた。田舎のにおいだなと感じる。
3人そろって手を合わせる。ここが自分の家の墓ならば、祈ることや念じることもあるだろうが、よそ様の家の墓前で、何を伝えればいいのかわからなかった。
瞑目を終えてまぶたを開けると、炎天下の世界の白さに目がくらんだ。
少し前に立つ美門は、僕よりも長いこと手を合わせていたが、十数秒ほど遅れて顔を上げると、手のひらを胸元に添え、ふう、とため息をついた。ささやかな決意の仕草。
美門は首の後ろに手を回して、襟首をむき出しにすると、指先で器用にネックレスを外した。金色のネックレスチェーンが、手のひらの上で小さくなっている。
僕は肩越しにそれを見つめていた。
美門は自分の手のひらを見つめている。
二人とも、最後の別れを切り出すことを躊躇していた。
こういうとき、結局、踏み出すのは円佳さんだ。
僕たちの前へ回り込むと、お墓の基部にある、納骨用の扉を指さした。
(ほら、さっさと済ませましょ)
美門は円佳さんと目を合わせるのを避けて、僕を振り返った。その弱々しい表情に息が詰まりそうになる。
「別に、わざわざ終わらせなくてもいいんじゃないかしら」
(ミカちゃん)
「だって、そのまま放置してても、いつ消えちゃうかわからないんだから、わざわざ自分たちで区切りをつけなくても――」
「だからだよ」
僕は美門の弱音を押し止める。
「いつ消えてしまうかわからないからこそ、ちゃんと区切りをつけないと、いつまでも、気持ちの整理がつかない」
美門は僕から目を逸らすと、今度は円佳さんの方を見た。
(あたしからも、お願い。こうするのがいちばんいいのよ)
「わたしたちはそうかもしれないけど」
円佳さんは小さくゆっくりと左右に首を振った。
(あたしにとっても、正しいことなの。そう思えるようになったのはね、やっぱり、こうして幽霊になって戻ってきて、それで、ミカちゃんたちに迷惑をかけちゃったなって、思い知ったとき)
「……そんなの、生きてるときからお姉ちゃんはけっこう迷惑かけてたでしょ」
不愛想な美門の声。
「わたしが貸した本を読まずになくしちゃったときもヘラヘラしてたくせに」
(う、あれは……、悪いことしちゃったなって思ってたんだよ? 反省してるように見えなかったのかもしれないけど)
バツが悪そうに苦笑していた円佳さんだが、でもね? と顔をかたむける。
(でも、借りは返すことができるでしょ? 迷惑をかけたらその分がんばって取り返そうと思って、あたしは生きてきたの)
迷惑をかけてしまったなら、そのぶん相手に返せばいい。
円佳さんらしい、前向きなポリシーに口元が緩んだ。しかし、そんな僕の感情とは反対に、円佳さんは切なげに目を細める。
(だけど……、この姿で迷惑をかけたら、かけっぱなしで、挽回ができないことに気づいちゃったから。死ぬっていうのは、そういうことなんだって、思い知っちゃったから)
僕たちはもはや口を挟めない。
百十数日ごしの遺言を黙って聞いていた。
(声は届いても、手は届かないから。
だから、わたしたちは一緒に居ちゃいけないの。
さよならしなきゃ、いけないんだよ)
思わず目を見開いてしまう。
僕たちは別れなければならない――円佳さんの口から聞かされたその結論は、自分で決意したそれとはまた違った重みがあった。
重みというよりは、鋭さだろうか。
軽やかに未練を断ち切る、薄い刃のような別離の宣言。
(あ、それとね、最期に言っておくけど! こういうのって自意識過剰かもしれないけど、もし2人がそんなこと考えてたら困っちゃうから)
こほんと咳払いをして、ふわりと微笑む。
(……あたしの分まで生きないといけない、なんて考えないでください。ときどき思い返してくれたら、それで十分だから)
円佳さんが話を終えるのを待っていたかのように、周囲の木立がざわめいた。波音のような葉鳴りの音が響き渡り、少し遅れて、風が吹き抜けていく。
その風はこの世なるものを等しく揺らめかせた。花受けに差した花束や、線香から立ち上る煙や、美門の黒髪を、同じ方向へ押し流そうとする。
その中で、円佳さんだけが不変だった。
僕の視界の中で、彼女の姿は風に揺らぐことがない。
それは生きる者と死んでしまった者の、目に見える確かな違いだった。




