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夏祭り

 待ち合わせ場所にきたのは僕の方が先だった。


 ここからしばらく歩いたところに、夏祭りの会場の神社がある。二人を待っているあいだ、そちらへ向かう人の流れを眺めていた。正しくは浴衣姿の女性ばかりを見ていた。

 円佳さんによく似た背格好の女性を目で追いかけたり、円佳さんが好みそうな浴衣の女性を目で追いかけたりしていたら、背後から声を掛けられた。


「お待たせ」


 少し不機嫌そうな声に振り返ると、浴衣姿の美門が立っていた。


 声から感じた印象どおりムスッとした表情だが、衣装はとても華やかだ。薄紅色の生地に真っ赤な金魚をあしらったデザインは、藍色の帯とのコントラストが鮮明で、肩まで伸びた黒髪ともマッチしている。


「似合ってるよ」

「……わかってるんでしょ」

「何が」

「この浴衣。いかにもお姉ちゃんが好きそうな色だと思わない?」


 美門はやっこ凧のように両腕を広げてみせる。


 衣替えのできない円佳さんの代わりに、あの人が着ていた――あるいは着る予定だった浴衣を着てきたのだろう。


 それは円佳さんのためなのか。

 それとも、円佳さんの浴衣姿を見たい僕のためなのか。


「それでも、似合ってるよ」


 本心だった。美門は寒色系の服を好んでいて、それが彼女のイメージに合っているとも思っていた。だけど、こういう明るい色合いの服も、なかなかどうして、悪くない。


「ありがと」


 美門はむすっとした表情のままそう言って、視線を辺りにさまよわせる。僕もつられて周囲を見回した。そろそろ円佳さんが茶々を入れてくるだろうと思っていたのだが、いくら探しても姿を見せない。


「もしかして、またダメな日なのかな」


 以前にも一度、円佳さんが出てこない日があった。二度目なのであのときほどの驚きはないが、今日の祭りをいっしょに回れないのは、少し残念ではある。


「夏祭りはほかにもやってるし、また今度……」

「今度は、ないかもしれないわ」


 美門は翳りのある表情で、淡々と続ける。

「あたしとあなたがいる場所にお姉ちゃんは現れるって言ったけど。もうひとつ、出現条件があるの」

「もうひとつの条件?」


 と僕は聞き返す。

 美門は浴衣の胸元に手を差し入れ、そこから金色の細いチェーンを引きずり出した。最後にぽろりと、ネックレスのヘッドが現れる。

 あまりに見覚えのあるその形は。


「お姉ちゃんの形見のネックレスよ」

「よく似たもの、じゃなくて?」

「事故現場で見つけたって、警察の人が渡してくれたの。ほらここ、ちょっと傷になってるでしょ」


 美門が指さしたところには、ひっかいたような傷があるのが見えた。事故の痕跡。円佳さんを殺したのと同じ力でつけられた傷痕に、目が釘付けになる。そんなものにさえ円佳さんの名残を探してしまう。


「一緒に納骨する予定だったのを、わたしが盗ったの」


 美門は薄く笑みを浮かべていた。


 円佳さんの恋人として、ここは怒りを表す場面なのかもしれないが、僕はそういう美門のいびつさをなぜか嫌いにはなれなかった。


「あの喫茶店ではネックレスを外してたのか」


「ええ。出現条件を確かめたかったから。あのあと、何度かあなたに気づかれないように、学校でも試したのよ。ネックレスを外したまま近づいて、お姉ちゃんが現れないのを確認して、そのすぐ後でネックレスをつけて、もう一度近づいたりして」


 美門はネックレスを浴衣の中に戻す。


「だから今は、わたしとあなたとネックレスという、出現条件がそろっているのよ」

「それなのに円佳さんは出てこない」


 美門はうなずき、断言する。


「本当に、いなくなってしまったのよ」


 騒がしい人混みのなかでも、その言葉ははっきりと聞き取れた。

 僕はガードレールに腰をあずけた。指を組んで重なった手のひらを見つめる。

 円佳さんの幽霊はいなくなった。

 二度目の別れは、思ったよりもショックが少ない。まだ実感が追いついていないだけなのだろうけれど。それでも残念だとは思う。


 幽霊になって戻ってくるなんていう奇跡が起こったのに、それをぜんぜん有効活用できなかった。美門の部屋でのあれが、最後のやり取りだったというのはやり切れない。


 僕もそうだが、美門にとって――東雲姉妹にとって、ひどく悔いの残る終わり方だと思った。


「泣きわめかないの?」

「前にも言っただろ、僕は鈍いやつなんだよ」

「我慢しなくていいのに」

「だから別に……」

「どこか、静かな場所へ行く? みっともなくうろたえても、誰にも奇異の目を向けられないところへ。わたしも付き合ってあげるけど」


 気遣いの皮をかぶった挑発に、違和感を覚える。

 そんなに急かして、僕を情けないやつに仕立て上げたいのだろうか。


 誰にも見られない場所といっても、美門に見られてしまうじゃないか。円佳さんにだって顔向けできない――


 ふと顔を上げて、美門を見つめた。


「……何よ」


 僕は黙って美門の手首をつかむと、


「え? ちょっと、どうしたの?」


 困惑する彼女を無視してそのまま歩きだす。

 人の流れとは反対方向へ向かって。


 僕が〝泣きわめ〟いたり、〝みっともなくうろたえ〟たりするのを見たがっているかのような物言いをするのはどうしてだろう。


 美門には確かにそういうところがある。

 僕の失敗や動揺を鼻で笑うような態度を取るのだ。本当はその裏できちんと心配をしてくれるやつだとわかっているが。 

 だけど、今回のこれは、どこかおかしい。

 彼女の言葉からは焦りを感じる。

 円佳さんが消えたことへの焦りではなく、もっと、別の、何か――

 ――物事が思いどおりに進んでいない、とでもいうような。


 美門は何を考えている?


 僕と同じかそれ以上に、美門はあの日のことを悔やんでいるだろう。自分の部屋でケンカ別れのようになってしまったのだから。


 そんな彼女なら、罪滅ぼしをしたいと考えるはずだ。


 恋人を失った男がみっともなくうろたえて泣きわめくのは、赤の他人には情けない姿に写るかもしれない。だけど、当の恋人には、男にとって自分がそれだけ大切だったことの証明になるのではないか。


 恋人が天国などという遠いところではなく、今ここにいるのだとすれば、男のそんな姿を見せつける意味はあるのだろう。


 人混みを抜けても止まらず、さらに進もうとすると、


(――あっ)


 後ろから声が聞こえて振り返る。

 薄紅色のダッフルコートの人影が、引っ張られるように人混みから姿を現した。

 彼女の言葉を借りるなら、リードでつながれた犬のように。


「やっぱり」


 一週間ぶりの円佳さんと、数秒ほど見つめ合う。


「バレちゃったね、ミカちゃん」


 円佳さんはいつかの仕返しのように笑った。その笑顔に嫌味はなく、ただただ楽しそうだ。あのときは美門にさんざんいじめられて泣きそうな顔をしていたのに、今は穏やかに微笑んでいる。円佳さんにふさわしい顔をしているだけでうれしくて、感情がこぼれたみたいに自然とため息が出た。


 思ったとおりだった。

 円佳さんは僕たちのやり取りが聞こえる位置で、しかし僕からは見えないように隠れていたのだろう。


「……どうしてわかったの」


 美門は僕の手を振りほどくと、その場で背を向けて、ふてくされたように言う。


「まあ、美門ならやりかねないなと」


 円佳さんが消えていないと仮定すれば、美門の出方は手に取るようにわかる。

 だって美門はお姉さんのことが大好きなのだから。


「そう。あなたがわたしをどういう風に見ているのか、よくわかったわ」


 背中越しに身の危険を感じるような冷たいセリフが飛んでくる。

 円佳さんが美門の前に回り込み、その表情を盗み見た。


(大丈夫だよ、ミカちゃんすごく嬉しそうな顔してるから)

「あなたのせいでずいぶん離れちゃったわ。早く戻りましょ」


 美門はきびすを返すと、逃げるように足早に、下駄を鳴らして歩いていく。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 お祭り料金の屋台フードで腹ごしらえをし、いくつか遊戯系の出店を冷かしてから、河川敷へと移動した。この辺りは高い建物が少なく、花火がきれいに見えるのだ。

 短く刈られた雑草の上にシートを敷いて、僕と美門は腰を下ろす。その間はもうひとり座れるくらいのすき間を空けてある。


(ミカちゃんのだまし討ち、キミは最初から気づいてたの?)


 円佳さんは川を背にして立ち、僕たちを見下ろしたまま言った。声や表情に妹を責めるような色はないが、美門は気まずそうに顔を背けている。


「いえ、途中からです。しばらくは本気で凹んでました」


 だけどそれは最初の別れのときのような、身動きが取れなくなるほどの失意とは違っていた。落ち込みながらも立ち上がって、だから美門の違和感にも気づけたのだ。


(それってつまり、そういうことだよね)

「……はい、そういうことです」


 僕たちはうなずき合った。

 まだ七月末だというのに、僕と円佳さんの間にだけ、夏の終わりのような雰囲気がただよう。円佳さんの瞳は波のない水面のように穏やかだった。恋人というよりも弟を見守る姉のように優しく揺れていた。


「待って」


 美門はそこに水を差す。


「自分で言ってたじゃない、僕は鈍いやつだって」


 説得するように僕の言葉を持ち出して、擁護するように円佳さんを見上げた。


「どうせ、まだよくわかってないだけよ、だから早まって結論を出さなくても――」


(――ダメだよ、ミカちゃん。自分の未練を人のせいにしちゃ)


 円佳さんは妹の言葉をさえぎり、その心の奥に鋭く切り込んだ。

 美門は肩を震わせて「そんなことない」とつぶやく。


(そんなことなくないよ。話を聞いてたら、わかっちゃったもの。ミカちゃんはこの状態を続けたがっている。だけどそれを、自分じゃなくて彼に言わせたがってるんだって。彼が泣いて頼むから仕方なく協力してあげる、っていう体にしたかったんでしょ)


 美門はぐっと押し黙り、助けを求めるようにこちらを向いた。

 その弱々しい視線にほだされそうになるが、どうにかこらえて首を左右に振った。


「……後悔しても知らないから」

「最後の後悔にするよ」

「一瞬だけ格好よさげに聞こえたけど、どうしようもなく女々しいセリフね。あなたって本当、肝心なところで思いどおりにならないんだから」


 美門が口をとがらせて僕をにらみつける。

 円佳さんはふわりとした笑顔でこちらを見つめている。

 二人の前で僕は、上手に笑えているだろうか。


 僕たちの頭上で光がまたたいて、身体の芯に響くような大きな音が鳴った。


(あっ、始まったね!)


 花火の閃光が周囲を照らして、はっきりとした陰影を刻んでいく。

 美門の横顔に、僕のジーンズのしわに、雑草の一本一本にさえも。


 何千発もの色とりどりの花火は、そのどれもが見る者の心を弾ませたけれど。どれひとつとして、円佳さんに影をつけてはくれなかった。


 僕の恋人を――その幽霊を無視して、光は影を作っていく。

 僕のささやかな感傷を、光と音が塗りつぶしていく。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


 最後の花火が燃え尽きたあと、円佳さんが僕たちを振り返った。

(明日は朝から、三人でお出かけしましょ。あたしの、最後のお願い)

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