表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

美門の嘘

(……あれ? なんでミカちゃんの部屋にいるの?)


 円佳さんが現れた第一声がそれだった。

 今までとは違う――そしてある意味では原点ともいえる場所に戸惑っていたようだが、ベッドで眠っている美門に気がつくと、顔を近づけて、そういうことね、とうなずいた。


(お見舞いに来てくれたんだ)

「はい」

(一瞬、寝込みを襲ってるのかと思っちゃった)

「またそういうことを言って」


 僕は美門を見ないように顔を背ける。薄手のパジャマと、その上からタオルケットを一枚かけただけの無防備な寝姿は、どうにもこうにも。


(いいのよ、まじまじと見ちゃっても)

「またそういうことを言って」

(ミカちゃんの具合はどうなの?)

「寝不足で体調を崩したみたいだって、おばさんは言ってました」

(それってあたしと関係あるのかな)

「勉強のしすぎでしょう。テスト期間だし」

(大丈夫かな……)

「苦しそうには見えませんけど。起きてるときと違って穏やかな顔つきですよ」

(だよねぇ、ミカちゃん素材は抜群なんだから、表情を意識するだけでぜんぜん違うのに)

「そのアドバイス、突っぱねられたでしょ」

(そうなの。男子がウザいだけよ、だって)

「ああ……、すごく言いそうですね」


 小声とはいえベッドサイドでしゃべっていたせいか、やがて美門は小さくうなって身をよじった。こちら側を向いた顔の、まぶたがうっすらと開く。


「ん……、あ、……はぁ?」


 目が見開かれると、そこからの動きは素早かった。上半身を起こしつつタオルケットを引き寄せて身体を隠し、背中が壁に当たるまで後ずさる。


「なん、で」

「見舞いに来たんだ」

(おはよ、ミカちゃん)


 美門は口を半開きにして僕たちを見上げていたが、やがて、深々とため息をついて膝を抱え、丸まるように顔をうつむかせた。


「……なんで、勝手に上がってるのよ。誤魔化せないじゃない」

「部屋のこと?」


 僕は短く聞いた。

 気づかないふりをしてもよかったが、美門の方から白状してしまった以上、それは望まれていないらしい。


 美門の部屋はシンプルな内装だった。配色は白と黒のモノトーンで、調度品も必要最低限のものしか置かれていない。そんな、あるじの性質がよく現れているこの部屋は。


 法要の日に(・・・・・)円佳さんの部屋と(・・・・・・・・)称して案内された(・・・・・・・・)場所だった(・・・・・)


 美門の誘いは嘘だった。

 姉の部屋だと偽って、自分の部屋へ僕を招き入れたのだ。


 もっとも、その企みは、全く予想しない形で覆されてしまったわけだが。


「気持ち悪いって、思ってるでしょ。姉の法要のあとで、その彼氏を騙して、自分の部屋へ連れ込むとか」

「ミカ」

「アダルトビデオかって話よね、そりゃお姉ちゃんも化けて出てくる――」

「美門!」


 大声でさえぎる。

 自分を貶める美門の言葉を、これ以上聞きたくなかった。


 美門はびくりと肩を震わせ、怯えたような顔でうつむいてしまう。いつもと違って弱々しい彼女に、僕は静かに声をかける。


「具合が悪かったら気分も落ち込んで、ネガティブなことばかり考えてしまうものだよ」


 感情が沈んでいるのは体調のせいだと思い込んでほしかった。


「あとこれ、学校のプリント、机の上に置いてるから」

「……古井河先生?」

「そうだよ。心配してた」

「成績が落ちてるって?」

「そんなことは――」


 ない、あの先生は本当に美門のことを心配しているのだ、と伝えるより先に、円佳さんが虚ろな声を出した。


(そう、なの?)


 その声があまりにもがらんどう(・・・・・)だったから、円佳さんが発したものだと信じられなかった。


(でも、この前は大学だってA判定だったって言ってたのに……)


 その瞳は美門の方を向いているが、どこにも焦点が合っていない。


(……あ、そっか。成績が落ちたのは、あたしが見えるようになってから、なんだよね)


 しまった、という表情をすぐに苦笑で塗りつぶして、美門は首を振った。


「確かに今は少し調子が悪いけど、お姉ちゃんのせいじゃ――」

(寝不足で体調を崩すなんてこと、今までなかったよね。ミカちゃん、あたしと違って早寝早起きだったから……。そういうリズムが崩れたのも、あたしが負担だったからじゃないの?)


 否定の言葉は出なかった。


 円佳さんが亡くなってから、少なくとも表面上は、美門の生活態度は変わらなかった。帰りが遅くなることもなく、成績が悪化することもない。


 本当は、変化がないことこそが異常なのだが、僕も含めて周囲の人間は自分の動揺を抑えるのに必死で、美門の変わらなさを気にかけることができなかった。


 むしろ美門は、そういう風に振る舞うことで、自分は大丈夫だからと、周囲に心配をかけないようにしていたのだろう。


 そのバランスは皮肉にも、円佳さんの出現によって崩れてしまった。


 もっと早くに気づくべきだったのに、僕は奇跡のように現れた恋人に目を奪われて、美門の変調が見えなくなっていた。


 美門よりも円佳さんを優先していたのだ。

 生きている人間よりも、触れられもしない幽霊の方を。

 立ち尽くしたまま、言葉が出ない。

 何かしゃべらないといけないのに、そのために来たはずなのに。


 どうしてこんな――、片方を認めたら、もう片方を否定してしまうような、二者択一めいた状況になっているのか。

 今の僕は、どちらか一方に転がらないようバランスを取るふりをして、決定的な言葉を避けている、責任逃れの玉乗りのピエロだった。


(ごめんね)


 とうとう円佳さんに、その言葉を口にさせてしまう。


(幽霊になって戻ってくるなんて、こんなこと、いつまでも続かないだろうと思ってた。だからあまり気にしてなかったんだけど……、ミカちゃんを苦しめるくらいなら、すぐにでも消えたいよ)


「嘘」


 美門は短く鋭く、円佳さんの謝罪を否定した。


「消えたいなんて嘘」


(嘘じゃない)


 円佳さんはかすれるような声で首を振る。


 妹を苦しめていることを責められることはあっても、消えたいという言葉を否定されるとは思っていなかったのだろう。


「それじゃあ言い換えてあげる。消えたい気持ちより消えたくない気持ちの方が強いのよ」


 僕の知らない何かを知っているような断言だった。


「お姉ちゃんには、未練があるから」


 重荷を下ろしたような晴れやかさを、その表情に確かに見た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ