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12/21

心の整理

 その後も僕たちは円佳さんの希望にしたがって放課後デートを重ねた。


 一昨日は、得体の知れない近代アート展が開かれている美術館。


 昨日は、インスタ映えするキラキラしたスイーツで話題の喫茶店。


 どちらも正直ピンとこないスポットだった。


「わたし、芸術ってよくわからないわ」


 美術館で美門はずっと眠そうにしていた。


(そういえばあたし、食べれないんだった)


 喫茶店で円佳さんは、僕たちの頼んだメニューをうらやましそうに見ていた。



 そして今日は――


(降り出しちゃったねぇ)

 円佳さんがのんきに言う。


 ついさっきまで青空だったのに、気づけば鈍色の雲が立ち込め、そして一気に降り出してしまったのだ。


 雨水の跳ね返りであたりが白くかすむ。

 太陽の熱で暑くなっていた地面が冷まされて、むせ返るような土っぽい匂いが立ち込めた。

 雨の匂い、あるいは夏の匂い。

 西の空はもう雲が切れているので、ただの通り雨だろう。


 円佳さんは絶対に濡れないから、雨の中でも両手を広げて笑っていられるが、僕や美門はそうはいかない。雨から逃れるべく、大急ぎで走った。


 鞄を頭に乗せてみたが、ほとんど効果はない。ワイシャツが水を吸って肌にまとわりつく。スニーカーの中で靴下が濡れていくのを感じた。


 辿り着いたコンビニのせまい軒先は、雨宿りをする人でにぎわっていた。うんざりした顔で雨空を見上げているサラリーマン、不満を口にしつつも笑い合っている女子高生たち、あえて雨の中に出ることで友達に優位を主張している小学生男子。


 彼らの末席に僕と美門もすべり込んだ。


「大丈夫?」

「こんなに濡れたのは久しぶりだわ」

(ミカちゃんはあたしと違って、ちゃんと折り畳み傘を持ってるタイプなのにね)


 隣に立つ美門を見やる。濡れた髪の毛の先から雨水がぽたぽたと滴っている。水滴は肩に落ちて制服に染み込んでいく。濡れた夏服は透ける。下着の紐のラインが浮かび上がる。それはもうくっきりと。僕は目を逸らした。


「何か上に羽織るもの、持ってないのか」

「ジャージならあるけど」


 どうしてそんなことを聞くのか、と言いたげに目を細めていた美門だが、すぐにこちらの意図に気づいたらしい。


「……あっ」


 消え入りそうな声を上げると、キッとこちらをにらみつけ、足早にコンビニの中へ入っていった。


(あれ、ミカちゃんどうしたの?)

「身体が冷えたから、いろいろあるんじゃないですか」

(キミってときどきデリカシーないよね)

「すいません」

(中、入らないの)

「いや、僕は――」

(あたしは大丈夫だよ。だから、お願い)


 仮に肉体があったとすればほとんど密着するくらいの距離で、円佳さんはささやいた。雨音にかき消されそうな、小さな声。だけど確かに聞こえる円佳さんの声。


「わかりました」


 うなずいて店内へ入る。

 ここは以前、僕と円佳さんがアルバイトをしていたコンビニだった。


(雑誌の棚が乱れてるなぁ、あたしがいつも整頓してたのに)


 円佳さんは窓際の雑誌コーナーをチェックしている。確かに円佳さんは仕事中、よく本を整理していた。お客さんの立ち読みであっという間に配置が乱れてしまうから、というのが表向きの理由だが、実際はもっと利己的な動機がある。


「片づけするふりしてこっそり読んでたじゃないですか」

(仕事中もあたしを目で追ってたんだ……)

「まあそうなんですけど」


 照れくさいので視線を外して、店内を見回した。

 狭い店だが、そこかしこに円佳さんにつながる記憶がある。


(トイレが汚れてるのに気づいて、仕事が終わったあとなのに、掃除してくれたりしたよね)

「まあ、放置して帰るのも後味悪かったので……」


 そんな風に言い訳したが、残っていたのが円佳さんでなければわざわざそんなことはしなかっただろう。要はポイント稼ぎだ。


 他にも、円佳さんの気を引きたくて、いろんなことをやった。


 重い荷物を自ら進んで片づけるのは当たり前。


 やっかいな客が来たときには、円佳さんに絡まないようさり気なくガードしたり、ドリンクの補充など裏でできる仕事に回ってもらったりした。


 先に仕事を上がるときは、特にほしいものがなくても円佳さんのレジで買い物をした。彼女と二言三言、言葉を交わすためだけの出費だ。それも、あまり何回もやると怪しまれると思って、二日に一回くらいの頻度にするという気の使いようだった。


 こうして振り返ってみて、夢中だったんだなと思う。


 だけど、失っても、生きている。


 それを円佳さんへの裏切りのように感じてしまうのだ。


「何してるの。外で待っててくれてよかったのに」


 ネガティブな思考に沈む前に、上だけ学校指定のジャージに着替えた美門が戻ってきた。


(思い出の場所を懐かしんでただけ)

「そう」

(ミカちゃん着替えたんだ)

「雨で濡れたから」

(大丈夫? 身体、冷えてない?)

「ちょっと制服が透けて、いやらしい視線が気になっただけ」


 そんな会話を続ける東雲姉妹から、僕は静かに遠ざかる。

 そこに通りがかった店員は、見知った相手だった。


「いらっしゃいませー……っと、ああ、お前か、久しぶりだな」


 大学生アルバイトの赤木さんだ。シフトが重なったときは、よく話をする間柄だった。


「はい。すいません、急にやめてしまって」

「いや……、あんなことがあったんだから無理もねえよ」


 赤木さんは気にすんなと苦笑いを浮かべていたが、ふと僕の肩越しに後ろへと目を向ける。


「そっちの子は?」

「ああ、学校の友達です」

「東雲美門です」


 言葉をにごした僕とは違い、美門はごまかすことなく自らの身分を明らかにする。


「しののめ……、っつーと」

「はい、東雲円佳の妹です」

「そうか」


 赤木さんはどう反応すればいいのか戸惑っている様子だった。

 それはそうだ。亡くなったバイト仲間の家族というのは、親身になって声をかけるには微妙な距離感である。そこまで踏み込んでいいものかと迷ってしまう。


「この度はご愁傷さまで……」

「いえ、お気遣いありがとうございます」


 他人同士なのだから仕方ないが他人行儀なやり取りだった。


「ねえ、この人が例のお姉ちゃんをストーキングしてた同僚?」


 美門が小声でたずねてくる。


「いや違うよ、赤木さんは良い方の同僚。ストーカーの方はもう辞めてる」

「そう」


 興味なさげにうなずくと、店の中をフラフラしている円佳さんの方へ行ってしまった。(棚にホコリがたまってるわね……)だとか、(お気に入りのコーヒーがなくなってる)などと嘆く円佳さんに相槌を打っていた。


 その美門に聞こえないよう赤木さんは声のトーンを落として、


「……あの子と付き合ってるわけじゃないんだよな」

「そういうんじゃないです」


 でも向こうは僕のことが好きらしいんですよ。


「お前のことだからたぶん、東雲のことを、自分にはもったいない相手だった、とか考えてるんだろうが……、でも、あいつはもういないんだからな。忘れろとは言わないが、縛られるのは違う。次のことを考えたって、バチは当たらんだろう」


「……そういうことを考えられる気分には、まだとてもなれないです」


 僕はうつむいて左右に首を振った。


 赤木さんが心配してくれているのはわかっている。だけど、死んだ相手に縛られてはいけない、というのはしょせん定型文の慰めだ。


 死別した相手をずっと思い続けて生きろ、他の女には目もくれるな、なんて周りの人が言うわけがない。そんなわがままを言えるのは死んだ本人だけだ。


 その円佳さんはといえば、僕と美門の距離を縮めようと画策している。


 赤の他人よりは妹の方が、それぞれのことをよく知っているぶん、不安なく推せるということだろうか。美門もどうやら僕のことは嫌いではないらしいし、おあつらえ向きだとでも考えているのだろう。


 僕と美門が一緒にいると、否応なく円佳さんのことを思い出してしまう。

 それは、幽霊が見えることとは無関係にだ。


 僕は美門の存在をとおして、円佳さんを意識してしまう。何気ない仕草や、横顔の鼻先の形が、円佳さんの記憶を呼び起こす。美門だって同じはずだ。美門は僕をとおして円佳さんを思い出すのだ。


 僕と美門が一緒にいると、今は円佳さんの幽霊が浮かび上がる。


 しかし、いつか円佳さんの幽霊が見えなくなったとしても、お互いをとおして円佳さんを思い出してしまうという、心の作用は変わらないのだろう。



 ちなみに、赤木さんにはやはり円佳さんは見えていなかった。

 共通の知り合いにも円佳さんが〝見えない〟とわかったことで、僕だけが過去に取り残されているのだと、より強く思い知らされる。

 円佳さんの狙いは、もしかしたらそこにあるのかもしれない。

 はやく心の整理をつけなさいな、と耳元でささやかれた気がした。


 店を出ると、雨は上がっていた。

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