始まりの追憶②
短い。
「……死ぬ。これは死ぬ。本当に死ぬ。冗談でもなんでもなく死ぬ」
ここ最近、午後からの時間は憂鬱である。
過労で倒れた父から仕事を引き継ぎ、慣れぬ仕事に四苦八苦しながらなんとかこなす日々。
水不足。村同士の衝突。魔物発生。山賊が湧いた等々。
ことある事に仲介に出向いて村の仲を取り持ち、魔物や山賊が出ては騎士団を派遣する。
ミリュームネルは国内第三位の権力を持つ家だ。相応の領地を任され、国の運営も一部ではあるが託されている。金銭の問題は今のところないが、バカみたいに物事を片端から解決していたら幾らあっても足りはしない。
「節約、調整、管理、仲裁、運営……」
ごとん、と執務机に額を落とす。
フィオレではないが、無性に体を動かしたい気分だった。
「要領だぁー。要領が悪いんだぁー」
虚ろな瞳で空虚に呟く。
愚直に一つ一つ丁寧にこなしている分、時間も労力も掛かる。
そろそろ、手を抜くべき箇所では楽をする事も覚えなければならない。
「もうやだぁ。仕事したくない。三日ぐらいベッドから動きたくない。ごろごろして居たいぃ」
執務室にはグリム以外誰も居ないので、人見を憚る必要はない。
貴族として、弱音は宜しくないが、一人の時ぐらいは自由でありたい。
そうして一人うだうだしていると、ノックも無しに扉が僅かに開かれた。グリムは背筋をぴんと伸ばし、表情を引き締める。
僅かに開けられた隙間から、薄青の髪が覗いていた。恐る恐るといった様子で、薄く青みのある瞳で室内を見渡すのは義妹である。
「スン、どうした」
彼女の名前はスンリーニャだが、頻繁に「スンリーミャ」と誤爆していたので短く「スン」と呼んでいる。
今では愛称として定着し、本人も満更でもなさそうなのでグリムは遠慮なく短く呼んでいた。
声をかけられたスンは華やいで小動物の様にぴょこぴょこと駆け寄ってくる。跳ねるに合わせて、ツーサイドアップに結われた薄青の髪が元気に揺れていた。
「兄様兄様! 聞きましたか? フィオレさんが剣の聖女になったそうですよ」
「……そうか」
どうやら、逃走しながら聖紋を見せびらかしては吹聴しているようだ。
楽しそうに語るスンは喜びを現す様に小さく跳び跳ねている。
「聞けば、聖紋には特別な力が備わっていて、素人でも達人の様な技量になるらしいですよ!」
「……あまり好ましい力ではないな」
「でしてでして! 剣の聖女には他の聖女を選ぶ決定権があるそうなんです。歴史上の聖女達が身内で固められていたのはそういう理由があったんですよ!」
「…………。……そうか」
「そして! スンはフィオレさんに頼み込んで術の聖女にしてもらいました!」
「じゃーん!」と見せ付けられる右手の甲には、確かに術の聖紋が顕れている。杖を模した紋様をぼんやりと眺め、フィオレ母の気持ちを完全に理解した。
確かに、大事な家族に何かあれば、世界の一つや二つ、滅ぼしたくなる。
「……喜ぶのは構わないが、歓迎はしない」
「……え? どうして、ですか?」
喜びを分かち合ってくれると信じていたのか、スンは何を言われたのか分からないとばかりにきょとんと小首を傾げる。
「当然の事だ」
だから多くは語らずに、
「仕事の邪魔だ。用がないなら、もう戻れ」
伝わるとばかり思っていた。
人の本心など、言葉を尽くしても正しく伝わらないというのに。
「……っ」
スンは涙を湛えていた。
「どうして、意地悪ばかり言うんですか……」
それだけを言うと、彼女は扉を乱暴に開け放ち、そのままにして廊下を駆けていった。
「……意地悪?」
首を傾げる。
おかしな事を言ったかと自分の言葉を一字一句余さず思い返し、再び首を傾げる。
言葉が足りていないと、当時のグリムは思い当たらない。
常に表情が固く、淡々とした口調が相手にどんな影響を与えるかなど、分かる筈もなかった。
答えは、後悔の先に見出だすのだから。
彼の事を思い出すのは今でも辛い。
貴族が表立って戦う事はない。貴族のやる事ではないからだ。だから、護衛を雇う。彼は雇われた護衛の一人だった。
時に軽口を叩き合う友人であり、時に肩を並べて剣を取る戦友であり、時に、真剣に相談に乗ってくれた親友であった。
彼の名前はシュピタル・ジュピター。
武芸大会で準優勝を果たした平民の彼に声をかけたのは、幾つの時だっただろうか。
「あんたの剣はいい。俺のところへ来い」
そう宣った少年の言葉に、彼は目を見開いて、こちらの頭を優しく撫でた。
「悪いな坊主。これから隣国に行ってやる事があるんだ。その後でいいなら、坊主のところへ厄介になろう」
「……隣国。戦争をしに行くのか。その剣を、血で汚すのか」
「……嬉しいねぇ。そんなに俺の剣に惚れてくれたのかい。なら、約束だ」
「約束?」
「殺さずの誓いだ。折角惚れてくれたんだ。ファンは大事にしなきゃな」
そうして、彼は戦争に出掛けた。
戻ってきた時、彼はもう、剣を振るう事が出来なかった。
利き手を千切られていたからだ。
「わりぃな、坊主。折角惚れてくれたのに」
「お前は悪くない。悪いのは、俺だ。お前の剣は、美しかったんだ。楽し気で、綺麗で、だから汚して欲しくなかった。……俺のせいだ」
「……坊主」
「俺に剣を教えろ! お前の剣は、こんなところで絶やしていいものじゃない! お前がもう剣を取れないと言うのなら、俺が代わりに剣を振るう。お前の剣を、この世に知らしめてやる! 約束だっ!」
それは、幼き頃の誓いだった。
貴族らしくないと笑われようが、当時のグリムはどうでもよかった。
それから間も無く、彼は――――。
作者
「一応言っておくが生きてるからな?」
友人
「え? この流れで?」
作者
「読解力……。書いたじゃん。肩を並べて剣を取る戦友って、書いてあるじゃん」
友人
「時系列っ!」