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始まりの追憶。

 始まりはきっと、フィオレに聖紋が顕れてからだろう。


 右手の甲に顕れた、剣を模した聖紋は剣の聖女の証しとして知られている。


 大して興味のないグリムの認識はその程度だった。


「グリムグリムーっ! わたしせーいじょ!」


「フィオレ、足捌きが違う。こうだ、こう」


「興味なしっ!?」


 ダンスレッスンの真最中であるグリムとフィオレ。ミリュームネル家子息専属の侍女がダンスもロクに出来ないのでは、貴族の名に泥を塗ることになるとはフィオレの母の言だ。


 定期的にフィオレはダンスを強制され、時折グリムが面倒を見る。


 何時もの、見慣れた光景である。


「うぅー。社交ダンスって、なんか形式ばってて苦手なんだよぅー」


「きちんと出来たら撫でてやる。もう少し頑張れ」


「わーい! わたし、頑張る!」


 グリムの忠犬と陰で呼ばれているフィオレは、尻尾と耳が付いていればパタパタと振っていそうな勢いでご褒美に食い付いた。幼い頃から何かと物事を投げ出す彼女にやる気を出させる為の儀式なのだが、変に習慣付いてしまっている。


 フィオレへの罰は撫で撫で禁止が一番であるとは、周知の事実だ。


 勉強や稽古よりも体を動かす事が好きなフィオレ。力一杯暴れる癖が付いているせいか、動作の流れに気を使う社交ダンスは大の苦手であった。キレがある事はいいが、如何せん乱暴に過ぎる。


「もう一度、よく見ていろ」


 と言って、グリムは架空の相棒を相手に踊り始める。


 淀みなく流麗な動作。見る者を飽きさせない優雅な踊りは、一つの到達点である。


「むー。何故不器用人間であるグリムがそんな繊細な事を出来るのか、摩訶不思議だー」


「練習と積み重ね」


「不公平だー! この才能マンめっ!」


 なんのこっちゃと首を傾げる。


 毎日欠かさず、寝る前に一通り復習する。そんな当たり前な事をひたすらに繰り返していただけで、グリムとしては特別な事など何一つとしてしていないのだ。


 貴族は完璧足れ。ミリュームネル家の教えである。


 何度説明してもフィオレは納得しないので、グリムは溜め息を吐きたい思いで紅茶を淹れる。本来は彼女の仕事だが、自分で淹れた方が美味いので、グリムはフィオレに仕事をさせない。


 魔法で冷めきった水をお湯にするグリムを見ながら、フィオレはなんとも言えない顔をしている。


「……物凄く、勿体無い使い方じゃない? それ」


「そうか?」


 お湯を温め直すにしても、燃料か魔道具に使う魔石を消費する。ならば、休んでいれば勝手に増える魔力などは使ってなんぼだという考え。そんなグリムの考えに共感してくれるのはコックの人達か同じ貴族ぐらいだ。


 コックでも貴族でもないフィオレは簡単な魔法しか使えない。魔法に対する憧れは強く、ある種の神聖なものとして捉えている節がある。


 前に立って戦う事のない貴族であるグリムが、魔法を使う機会は少ない。有って、日常生活を僅かに良くする程度だ。


 お湯を温めたり、風呂を沸かしたり、高いところにある物を取ったり、着替えたり、体を拭いたり、遠くの物を引き寄せたり。


「……そうだな」


 思い返してみると、横着してばかりだった。


「まっ。それよりもだよ!」


 勢い込んで、フィオレは頭を差し出してきた。


「撫でて撫でてー、グリム撫でてー」


「……きちんと出来たら、と言った筈だが」


「いいじゃんそれぐらい」


 言っても聞きそうになかった。


 面倒だが仕方ない。やらずに臍を曲げられるよりは、やった方が面倒が少なく済む。午後から予定が詰まっているグリムとしては、厄介事は出来るだけ少なくしておきたい。


 レッスンの為に壁に寄せておいたソファーに座り、膝を叩くと、フィオレは華やいで駆け寄ってくる。そしてグリムの膝に頭を置いた。


 目の覚めるような赤い髪を弄りながら、とかす様にして愛撫する。心地好いのか、顔を蕩けさせるフィオレに彼は微笑みを浮かべた。なんだかんだで、グリムに取っても安らぎの時間なのだ。


「ふにゃー。熟練の手捌き。この手は女の子を泣かせている手だなー」


「…………」


 何か言っているフィオレを、彼は半眼で見下ろした。


 そして、


「せい」


「ほぎゃっ!?」


 親指をつむじに突き立てた。


 フィオレはがばっ、と上体を起こす。涙目だった。


「ひっどい! 何すんの!?」


「……悪いが、この手で泣かせた女は皆無だ」


「現在進行形で泣いてる女の子が目の前に居るんですけど!? ついさっきその手に泣かされた子がここに居るんですけどー!?」


「フィオレはカウントしない」


「さーべーつーだーっ!」


 目に堪った涙が流れるのを見て、グリムは手を伸ばした。


 指先で流れる涙を拭う。すると、ぷにりとした感触が返ってきた。


 傷や染み一つない綺麗な肌を、グリムは慈しむようにして両手で包み込む。


「ぐ、グリム……?」


 緊張しているのか、フィオレの表情が強張る。見れば、胸が早鐘を打っているのか、服が小刻みに揺れていた。


 頬は紅潮し、期待するように小さく開かれる口。グリムは顔を寄せ、眉間に皺を作った。


「……フィオレ」


「はぃ」


「……虫歯がある」


「え゛っ!?」


 雰囲気なぞなんのその、フィオレは慌てて手鏡を取り出した。


「奥の方だ。まだなりかけだから削る必要はない」


「あっ! ホントだ。怪しいのがある、なんでぇ!?」


「大方、夜な夜な起きてミルクでも飲んだんだろ」


「……あ」


 思い当たる節があるらしい。グリムの推測に、フィオレは愕然とした。


「し、しまったぁー!」


 頭を抱えるフィオレ。グリムは慰めるように手を置いて、


「しばらく間食は控えろ」


「っ!?」


 その通告は死刑宣告にも等しかった。


 フィオレはおやつを食う。ちょっとではなく、かなり、それもばくばくと食べる。三度の飯よりスイーツが好き。


「と、というかだね」


 ぷるぷると震えながら、フィオレは羞恥に顔を赤くする。


「乙女の口を覗くとは何事かぁーっ!?」


 ぎゃーすか騒ぎ立てるフィオレに、グリムは首を傾げる。心の底から理解出来ない時の癖だ。


 その時、部屋の扉が力強く開け放たれる。


 入ってきたのは怒り心頭の、フィオレに良く似た妙齢のメイド長である。


「フィオレ! レッスンの最中に何を騒いでいるのですか!? 坊っちゃんの上に乗っているとは何事です、それでも貴女は侍女ですか!」


「げぇっ!? お母さん!」


「こっちへ来なさい。これからお説教をします。えぇ、それはもう、たっぷりと」


「待って待ってお母さん! 見てこれ見て見て、わたしせーいじょ!」


 フィオレの母は何かあると決まってお説教三時間コース。それは勘弁とフィオレは必死に右手の甲を見せて猛アピールをする。


 聖女となった事が分かれば、興味のないグリムと違って喜んでくれる、祝ってくれるという淡い期待は儚く散る。


 アッケーニ家は代々ミリュームネル家に使える侍女の家系。伝説や英雄などよりも奉公第一。勇者? 魔王? そんなもの、連綿と続く歴史に比べればカスにも等しい。


「だからなんだと言うのですか? 坊っちゃんの専属侍女をやるよりも光栄な事などこの世に有りはしません! そんなもの、元の場所に返して来なさい」


 聖紋と犬猫は等しいらしい。


 その言葉にフィオレは衝撃を受ける。


 幼い頃より勉強よりも運動を優先しているフィオレ。読み聞かされた英雄伝説に憧憬の念を抱き、何時かは大活躍したいと密かに英雄願望を抱える乙女。


 興味ゼロなグリムはまだしも、まさか母親にまでドライな対応をされるとは思ってもおらず、その衝撃は計り知れない。


「お、お母さんのばかぁーっ!!」


 フィオレは号泣したがら窓から逃げ出した。


「あ、こら! フィオレ! ……全く、あの子はもう。仕方のない子ね」


 と、深く息を吐くフィオレ母。


 娘が常日頃から英雄願望を抱えている事など、とうの昔から見破っている。


 冒険心溢れる娘の事を誰よりも理解している母親。だからこそ、大事な娘を魔物と戦わせる訳には行かなかった。


 愛娘に魔王と戦う宿命を背負わされる。危険な戦いを強制される。


 歓迎など、出来る筈がない。


「……難儀しているな」


「坊っちゃん。申し訳ありません、お見苦しいところを」


「フィオレの気持ちは考えているんだろ」


「はい。然るべき時になれば、送りだそうと」


「……なら、いいのではないか。時が早まった。ただそれだけに過ぎない」


「……坊っちゃん。お言葉ですが、冒険に不測の事態は付き物なのです。もしも、あの子が命を落とすような事になれば、私は――取り敢えず魔王と勇者と各国の要人を暗殺してこの屋敷を焼き払います」


「……そうか」


「はい。では、失礼します」


 フィオレ母は慇懃に礼を尽くしながら部屋を辞した。


「…………」


 一人ポツンと部屋に取り残されたグリムは、取り敢えず魔王と勇者関係の情報を洗い出そうと決める。必要であれば、自身の手で魔王を討つ事も視野に入れながら。


















 ――始まりは、きっと、


 平原の丘の上で、緩やかな風にマントを遊ばせる。嘗て羽織っていたきらびやかな物ではない、特殊な繊維で編まれた実用性重視の防刃マントだ。


 勇者をやっていた頃なら、刺されようが斬られようが傷一つ付く事は無かったが、今はそうじゃない。


 ただの凡人でしかない彼は、用心を重ねても足りない程に脆弱。吹けば飛ぶような存在でしかない。


「…………あの二人は、元気してるかな」


 勇者の油断が、二人の少女の人生と心に傷を付けた。


 傷を付けた?


 彼は自嘲するように笑う。


「バカだな、俺」


 身勝手に歪めておきながら、傷付けたとは、笑えない。


 自分を呼ぶ声が聞こえる。


 振り返れば、かけがえのない存在が居た。


 元気に手を振って、自分を呼んでいる。


 彼はそこへ向かって歩き始める。


 行くべきところがある。会わねばならない人がいる。


 一年前、投げられた問に答える為に。

 作者

「友人よ。責任とはなんだと思う?」

 友人

「どした突然?」

 作者

「特に深い理由はない」

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