表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女先輩を仲介します  作者: NES
Encore きみはそこにいた
5/7

きみはそこにいた(5)

 なけなしの勇気を振り絞ってナキリ探偵事務所を訪れたというのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。イクミは憤慨していた。露天商の怪しげな女と話して、薄汚い雑居ビルに飛び込んで。ロクに知りもしない男と二人で車に乗って。これらは全て、たった一人の魔法使いに会うための苦労だ。いい加減嫌になってきた。

 これは別に、義務でもなんでもなかった。もう駄目だと感じたのならば、その時点でギブアップすれば良い。誰もイクミを責めないし、ペナルティだって何もなかった。レイジの言葉を信じるのならば、記憶の方まで綺麗さっぱりと処理してくれることになっていた。

 イクミはちらり、と後ろを振り返った。レイジがバツが悪そうな顔でついてきている。これだけ散々な経験をさせられておいて、それがなかったことにされるとか。いちいち細かいところまで全部覚えておいて、後々(のちのち)追及してやらないことには気が済まない。記憶を奪うというのは、そういった苦情の回避の目的もあるではないか。


「そこを左だ」


 レイジに言われるままに、イクミは建物の角を曲がった。結局こうやってレイジの指示を聞く羽目になっていることが、更に腹立たしかった。大学というのはなんでこう、無駄に広いのだろうか。おまけに人も多い。制服姿のイクミとレイジの組み合わせは珍しいのか、そこかしこから好奇の視線が向けられる。恥ずかしさが込み上げてきて、イクミは知らずに早足になっていた。

 やがて他のものとは一線を画する、コンクリート剥き出しの三階建てが見えてきた。ポスターやら手書きの垂れ幕やらが、壁や窓に大量にこびりついている。その建物は一見して、学生たちの管理によるクラブハウスだと知れた。


「あそこですか?」

「いや、あそこじゃなくて、もっと先、裏山に近いところにある」


 ・・・またか。

 イクミは足を止めると、じぃ、っとレイジを藪睨みにした。今度は何だ。あれで最後だと言ったじゃないか。この仲介人は、本当に信頼に値するのだろうか。レイジはあたふたと大学の構内案内図を取り出した。


「本当だって。えーっと、ここだ。クラブハウス棟の奥に、プレハブ棟ってのがある。魔法研究会の部室はそっちに入ってるんだ。尖央大学の公式サイトにも書いてある。俺たちは今、ちゃんと待ち合わせ場所に直行しているんだ」


 早口にまくしたててくるところが、余計に怪しい。相手が魔法使いだからって、イクミは自分が色々と無条件に受け入れすぎているという気がしていた。疑うべきところは疑い、きちんと警戒してことにあたらなければ。魔法使いだって人間。それは悪い意味においてもそうだろう。


「苦情なら、後で宮屋敷の方に言ってくれ。その機会は設ける」

「記憶処理された後なら、それだってできないかもしれないじゃないですか」

「その前に訴え出れるように配慮はするさ。そこまで疑われたら、もうお手上げだ」


 確かに紆余曲折こそあれ、レイジはここまでの案内はしてくれた。この先にくだんの魔法使いがいるのなら、それで契約はきちんと果たされることになる。ある程度のトラブルは覚悟の上ではなかったのか。

 とかいって、実は人気ひとけのない大学の裏山に連れ込まれて、イタズラされた挙句に記憶を消されて放り出される・・・なんてオチでなければ良いが。


 ――ふふっ。


 突然小さな女の子の含み笑いが聞こえて、イクミはそちらの方に顔を向けた。音楽や話し声でガヤガヤとしているクラブハウス棟の横、細い脇道の上に――白いワンピースがたなびいた。

 まだ幼い、小学校低学年くらいの女の子だった。長い黒髪の下から、大きな瞳が見つめてきている。吸い込まれそうに深い闇の色に、イクミはしばらくの間見惚(みと)れていた。


「視えるのか?」


 レイジに問われて、はっと我に返った。その女の子は、大学のクラブハウスなんて場所にはどうにも不釣り合いな年頃だった。服装も、この季節にしては薄着すぎる。しかもその後ろに続く道は、魔法研究会へと繋がっていた。

 そういった周囲の状況と、これまでの経験から導き出される結論としては――


 その女の子は恐らく、まともな存在ではあり得ない。


「あの子は?」

「未来の娘、だそうだ。どうやら待ち人には無事会えそうだな」


 無事、というのは一体どういう意味なのか。イクミとしてはもう充分に、その領域からははずれ出ている気分だった。

 ふと視線を彷徨さまよわせているうちに、女の子の姿は視えなくなってしまっていた。この先に進めば、運命に巡り合える。イクミの中に生まれたそれは、予感というよりも確信に近い想いだった。




 プレハブ棟というのは、文字通りプレハブだった。工事現場に建てられて仮の事務所として使われるような、あれだ。それが何年前から利用されているのか、錆び付いたり塗料が剥がれたりで散々な見栄えになっている。どこかで見たと思ったら、レイジの探偵事務所だ。こういう環境的な劣化というのは、魔法使いには必須なものなのか。いや、それは違うだろう。

 でこぼこになったアスファルトの上を歩いて、イクミはスチール製のドアの前に立った。画用紙に手書き可愛らしいポスターが貼られていて、ポップ調の明るい書体で「魔法研究会」と記されている。なるほど、確かにここみたいだ。

 この先に、魔法使いたちがいる。ごくり、と唾を飲み込むと、イクミはドアをノックしようと一歩前に踏み出した。


「だから! そうじゃ! ないだろ!」


 男の怒鳴り声が、プレハブ棟全体をびりびりと震わせた。手を振り上げたまま、イクミは身体中を硬直させてしまった。ドアの向こうから、何やら言い争うような会話が漏れてくる。イクミは眉毛を八の字にして、隣にいるレイジを見上げた。一体もう、なんなんだ。レイジはぼりぼりと頭を掻くと、イクミの前に割り込んで遠慮なく魔法研究会のドアを開け放った。


 狭い部屋の中には、あれこれとガラクタの乗ったテーブルが一つ置かれていた。それを囲む丸椅子の上に、男女が向かい合って座っている。男の方は大学生くらいの年齢に思えたが、ベージュのぱりっとしたスーツ姿だった。髪も整髪料を使ってぴしっと固めてある。若いセールスマン、というイメージが一番しっくりときた。

 女の方はパーカーにデニムのパンツと、どうにも地味で冴えない感じのする格好だった。大学生らしいといえば、そうかもしれない。染めているわけでもなく、ただ切り揃えただけという髪型もまた、没個性に拍車をかけている。イクミの学校にも、クラスに一人はいるタイプだ。申し訳ないが、入学から卒業まで存在していたことすら忘れてしまうレベルの手合いだった。


「このくらいの魔術式! そらで描けないでどうするんだ! 全ての基本! 魔法使いの常識だ!」


 男ががなり立てて、テーブルの盤面を強く叩いた。紙やらペンやらが宙を舞う。真ん中に鎮座している大きな南京錠が、ごとんと揺れて転がった。


「だったらやって見せてくださいよ。基本なんでしょ?」


 女の方も負けてはいない。男を真っすぐに見返して、今にも噛みつきそうな形相だ。男は大げさな動作で足を組むと、頬を膨らませてふいっと顔をそむけた。


「今は! 魔力が足りないんだ! 自分ができない言い訳にするな!」

「言い訳にしてるのはそっちでしょ? ホントにいつも口だけなんだから」

「何を!」

「何よ!」


「まあまあ、二人とも。お客さんが来ちゃったみたいだから、一旦そこでストップして」


 険悪な二人をなだめる声がかけられて、イクミはようやく部室の中にもう一人女性がいることに気が付いた。ドアを入ったすぐ脇に立っていたので、判らなかった。春らしい明るい色合いの落ち着いた服装の、綺麗な人だった。明らかに他の二人よりも年上で、ある種の貫禄すら感じさせる。イクミはぺこり、とお辞儀をした。


「仲介士の百鬼なきりレイジだ。今日こちらに来てほしいとのことで、依頼人をお連れした」

うかがっています。ようこそ尖央大学魔法研究会へ。教育三年、部長のたちばなユイです」


 ほがらかにそう応えると、ユイは片手でしっしっ、と合図した。テーブルに向かっている二人が、あからさまに嫌そうな顔でお互いを見やって、がたがたと席を立つ。部室の奥には大きくて立派なソファが置かれていて、二人は南京錠を持ってそちらの方に移動した。

 場所を変えても、小声でかすかに悪態をついているのが聞こえてきた。イクミはユイに勧められるままに、空いた丸椅子に腰かけた。レイジもその隣に座る。「お茶を入れますね」とユイは電気ケトルを棚から取り出した。


「ごめんなさい、宮屋敷先輩はついさっき、佐次本さじもと先生に呼ばれて研究室に行ってしまわれたので、少しの間待っていてくださいね」


 魔法研究会の部長ということは、ユイも魔法使いのだろう。他の二人はともかく、イクミはここまできてようやく、まともそうな魔法使いの姿を見れたことに感動していた。




 男の方の名前は、御宮知おんぐうちシュウジ。珍しい苗字だ。古くから続く魔法使いの家系の一つだと、レイジが耳打ちして教えてくれた。この魔法研究会に入るために、わざわざ尖央大学に進学してきた一年生なのだそうだ。

 女の方は田野倉たのくらカナエ。こちらも今年になって入ってきた新入生で、魔法使いの世界についてはここにくるまでは何も知らなかったのだという。だとすれば、イクミとは似たような境遇だ。こんな変人でいっぱいの環境に放り込まれて、さぞかし苦労していることだろう。イクミは深くカナエに同情した。


「二人は魔法の訓練中なんです。御宮知君はお家の関係である程度魔術の心得があるので、カナエちゃんの指導をしてもらおうと思っているのですが・・・」


 それが、とんでもない見込み違いだった。


 シュウジは確かに御宮知家の子息であり、魔術に関する知識は外の部員と比べても全く引けを取らなかった。部長のユイよりも遥かに詳しいくらいだ。魔法使いの即戦力として、かなりの期待を寄せられていた。

 ところがどっこい、やらせてみると実践の方は驚く程にからっけつだった。魔力の制御が、どうやっても思うようにいかない。どんなに複雑な魔術式を構築することができても、そこを流す魔力を工面できなければ絵に描いた餅そのまんまだ。シュウジは御宮知の一族の中でも、『机上の天才』と陰口を叩かれるくらいの体たらくだった。


 カナエの方は完全な初心者で、まだまだ「魔法とは?」という段階にいた。しかし、潜在的には強力な何かを秘めていることが判っている。通過儀礼イニシエーションの際に得られたビジョンは、かなりの確度でその可能性を指し示していた。

 今は『鍵を開ける』という、かなり単純な魔術の訓練の最中だ。ところがカナエは、強すぎる魔力で錠前を粉々に砕くばかりだった。どうにも正しく魔術式を描いて、コントロールすることが難しい。実に両極端な特性を持つ二人は、性格の方でもかなりの不一致さを発露させていた。


「こういう時、榊田先輩ならもっと優しく教えてくれます」

「榊田様の手をわずらわせるな! 次期宮屋敷家ご頭首の婿殿だぞ! 恐れ多い! お前なんか足元にも及ばない大魔法使いなんだからな!」

「榊田先輩は魔法研究会の副部長でもあるんです。カードマジックの一つも覚えられない御宮知君は、さっさとそっちを覚えてください」

「何を!」

「何よ!」


 ばぎゃん、と派手な音を立ててカナエのてのひらの中で南京錠が砕け散った。あちゃあ、とユイが顔を手で覆う。金属製の、相当に頑丈な作りのものだったはずだ。その光景を実際に目の前で見せられて、イクミは真っ青になった。

 この力は、暴走したりとかはしないのだろうか。怒りに任せて物が壊れまくるとか。そんなことが現実に起きたら、まるで漫画の世界だ。


「一応、集中している対象じゃないと発動しないから心配しないでね」


 イクミの態度が余程(おび)えている風に見えたのか、ユイがすかさずフォローを入れてきた。シュウジとカナエは南京錠の残骸を片付けながら、まだきぃきぃと言い合っている。レイジは黙ってお茶をすすっていた。


 狭い部室の中で繰り広げられるドタバタとした喧騒は、まるでコントだった。シュウジとカナエがぶつかって、たまにユイが間に入って。その様子をぼうっと眺めているうちに、イクミはそこに不思議な温かみに似たものを感じ始めていた。


 魔法使いとか、魔術とか。やっていることはひどく現実離れしていて、正直実感が伴ってこないものばかりだった。それなのに目の前にいるシュウジもカナエも、見えている行為自体はごく普通の若い学生にしか過ぎなかった。

 話している内容も、くだらないいがみ合いも。何もかもは当たり前で、ありふれた日常の一部だった。それらは決して遠く離れた場所での出来事ではなく、イクミの立っている場所とも陸続きに連なっている。


 ――これが、魔法使いの世界なのか。


 いつの間にか、イクミの横にさっきの女の子が現れていた。イクミと目が合うと、にっこりと微笑んでくる。この子は確か、幸せな未来からの使者、ということだったか。なるほど、幸せそうな笑顔だった。妖怪だとかそういうのはお断りだが、こういうのならあっても良い。賑やかだし、毎日が楽しそうでもある。イクミがそう考えたところで――



「君たち、外まで騒ぎが漏れているぞ。特に御宮知君は声が大きすぎだ。少しはつつしみたまえ」



 ばぁん、とドアが一息に開け放たれて何者かが部屋の中に入り込んできた。白衣がひるがって、奔流となる。その向こう側には、弾けんばかりの起伏をたたえたスタイル抜群な肉体が覗いていた。

 挑戦的な吊り目がイクミとレイジの姿を捉えて、赤い下縁アンダーリムの眼鏡がきらりと光を反射する。その表情がまるでスローモーションみたいに、徐々に上機嫌なそれへと変化を遂げる。イクミもまた、自分の口が段々とぽっかりと開いていくのを自覚していた。


「やあ、君が高間木イクミさんか。初めまして。私が君の尋ね人、宮屋敷コトハだ」

「初めまして、コトハさん。ようやくお会いできました」


 差し出された手を、イクミはいそいそと立ち上がって強く握った。ここに至るまでには、あれこれと余計な遠回りがありすぎた。長い長い旅路は、ようやく終わりを告げたのだ。

 シュウジとカナエが、何が起きているのかとおしゃべりな口を閉ざして顔を見合わせた。ユイは女の子の幽体に目配せして、軽く微笑んだ。

 そしてレイジはこれで一段落だとばかりに、まぶたを閉じてあごを引き、深く息を吐いた。


 尖央大学大学院、心理学専攻生、宮屋敷コトハ。

 魔法研究会名誉部員。そしてこの国で最も強い勢力を誇る魔法使いの一族、宮屋敷本家の一人娘。


 彼女こそがイクミの探している魔法使い、その人だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ