きみはそこにいた(3)
桜の季節は一段落してしまった。残った八重桜が、枝をしならせるほどに満開の花を咲かせている。先週の花見酒の臭いが残る並木道を、レイジは一人歩いていた。
平日の午後であるのに、通りは多くの人で賑わっていた。道端には大小の露店が軒を連ねている。たこ焼きや焼きそばといった定番の食べ物に加えて、手作りの工芸品を売っている店が目立つ。ちょっとしたフリーマーケットだ。
似顔絵に、フェルト細工。針金で小さなマスコットを製作しているテーブルの横で、レイジは足を止めた。テーブルの上に紫色のクロスを敷いて、そこに色取り取りの石が陳列されている。トルマリン、ターコイズ、アレキサンドライト。いやいや、最後のはいくらなんでも偽物だろう。光り方からして、どう見てもせいぜいクリスタルガラスだった。
「おい、こいつはちょっと冗談がきついんじゃないのか?」
レイジが声をかけると、うずくまって何やらごそごそといじっていた店の人間が身体を起こした。奇妙な柄の麻のフードを被って、雰囲気だけはばっちりな女だ。むわん、と強烈なお香の匂いが漂ってくる。こいつは、加減というものを知らないのか。あまりの臭気に、レイジはむせそうになった。
「とんでもない、全部ホンモノだよー。ウチのパワーストーンはどれも最強。今日は特別大セールだ。これを逃したら次の機会なんかないよ。是非是非、ひとつと言わず山盛りで買っていってほしいよー」
底抜けに明るい声でそうまくしたてると、石屋の女は派手なマニキュアが塗ったくられた長い爪で、とんとんと値札を指し示した。ブレスレットがじゃらじゃらと音を立てる。ゼロが何個並んでいるんだ。本物だとすればありえないくらいに安いし、偽物だとすれば微妙に高い。絶対に判ってやっているだろう。売る気があるのかないのか。レイジは呆れ顔で女の顔を覗き込んだ。
「客の顔くらいちゃんと見ろ。俺だ」
「なんだぁ、レイジくんかぁ」
客がレイジであることに気が付くと、石の魔法使い――麻柄ナツネはつまらなそうに唇を尖らせた。
「なんだじゃない。相変わらずデタラメな商売をしてるみたいだな」
「客寄せだよ。こんなところで売れるのはまあ、ラピスラズリとかタイガーアイとかアメジストくらいだからね」
ナツネは石に魔力を注入する魔法を得意としていた。露天商はナツネの特技を生かした大事な収入源だった。
フードを後ろにのけると、綺麗に染められたピンク色の髪が姿を現した。そこを彩る無駄に煌びやかな髪飾りやらイヤリングには、びっちりと宝石があしらわれている。他にもネックレスに指輪と、とにかく装飾品の数が多い。更にはそれに限らず両手の指の先、ネイルの方にまできらりと光る小さな輝きが埋め込まれていた。
年は確か、これでもレイジとほとんど変わらない二十代半ばくらいのはずだった。普通にしている分にはそこそこ可愛いお嬢さんで通りそうなものだが、いかんせん常に無数の石でゴテゴテと『盛られて』しまっている。この辺りの美的センスが一致する相手でなければ、並んで一緒にいるという状態に五分と耐えることはできないだろう。
「で、何よ? お金ならないわよ。レイジくんといい勝負か、それより少し多いくらい」
「多いのかよ」
猫探しが常態化しているレイジより儲けているなら、石屋というのもなかなかのものだ。パワーストーンブームの時は、ナツネも濡れ手に粟でウハウハだったという話だった。宝石、特に希少なものはその絶対数が変動しないために、値崩れを起こしにくいのだそうだ。大きな取引を一つ成功させれば、どかんとまとまった収入が得られることもある。ただナツネの現状がどんなものなのかは、こんなところで露店を開いているという状況からして推して知るべしだった。
「用事ってのは他でもない。お前、俺のことを誰かに教えただろう?」
「あ、バレた? 流石は名探偵。クロマルくん、いい仕事するわぁ」
ぺろり、とナツネは舌を出しておどけてみせた。なんでそこでクロマルが褒められる流れになるのか。実際その通りだが。レイジは不愉快そうに眉根を寄せた。
聞き込み調査で実際に外をぶらつくよりも、クロマルの猫情報網を活用した方が圧倒的に効率が良かった。先日探偵事務所を訪ねてきた高間木イクミの周辺を、レイジはすぐにクロマルに調べさせた。交友関係や家庭環境に、何か怪しげなところはないか。これは魔法使いとの対話をセッティングする仲介士としては、非常に基本的かつ重要なことだった。
魔法の存在を認めている者が、魔法使いの所在を特定してしまえばどういうことになるか。この世の中というものは、残念ながら善意よりも悪意に基づいて行動する者が多すぎる。レイジには常に、最悪の事態を想定して行動をする必要性があった。
「この辺りで、『魔法使いを紹介してくれる』って噂が一部の女子高生の間で持ち上がっている。そういえばここ最近、花見祭りで露店が出てるはずだよな、ってことを思い出したんだ」
ほとんどの人間にとって、『魔法使い』なんて言葉は無意味な妄想の産物にしか聞こえない。それを敏感に嗅ぎ分けた者だけが噂の出所を探し求め、最終的にこの石屋の露店に辿り着くという寸法だ。
「やー、だってさぁ、この前の新年会でレイジくん、『仕事がなくて死にそうですよぅ』ってアマネさんに泣きついてたじゃん?」
ナツネは本当に余計なことばかりを覚えている。大きなお世話だった。
今年の頭、レイジはこの国の魔法使いの最大勢力であるところの宮屋敷家の新年会に参加していた。本家の一人娘の婚約が決まったとかで、新年会はいつになく盛大な催しだった。当時の宮屋敷の実務的な部分は、分家の有力者でまとめ役である宮屋敷アマネが取り仕切っていた。レイジはアマネと直接言葉を交わせるその場を利用して、挨拶がてらに自らの窮状を訴え出た。アマネの返事は「一考する」と、味も素っ気もないものだった。
「そのアマネさんがトラブルであんなことになっちゃったわけだし、ここはあたしが一肌脱いであげようかなぁ、って」
実際に上着を肩のところまでずり下げて、ナツネはうっふんとウィンクをしてきた。ここは派手なリアクションと共に喜んでやるべきなのかもしれないが、レイジには溜め息以外に出てくるものは何もなかった。
レイジにとって、ナツネはどう転んでも守備範囲外だった。なんと言えばいいのか、ナツネからは『女性』が感じられない。ナツネはどこまでいってもナツネだ。それは多分ナツネがナツネである以上変わることのない、もうある種の理に近しいものであった。
年度末に、宮屋敷家では分家と本家の間で大きな衝突が生じた。強大な力を持つ魔法使い同士の抗争にしては、被害は拍子抜けするほどに少なくて済んだ。影響が大きかったのは、宮屋敷家からの指示や依頼で動いている末端の魔法使いたちだった。レイジもその内の一人で、当分の間は宙ぶらりんの半放置状態になるとの通告を受けていた。
その代わりと言う訳ではないが、今後は分家に替わって本家が直々に対応をおこなってくれることになった。こちらは堅物なアマネよりも、ずっと融通が利かせやすい。まだ不確定ではあるが、恐らくは新年会で見た本家の一人娘がレイジに指示を出す立場になるのだと見込まれていた。
「それとも、本家の巨乳ちゃんの方が良かった?」
「いや、それはない」
正直、レイジは宮屋敷が少々苦手だった。宮屋敷は、どうにも奥底が知れない。やり方や考え方には賛同はするが、狎れ合いは御免だ。特に本家に婿に入る男の方は、なよっとしていてどこか頼りなかった。娘の魂だ未来のビジョンだ二つ名だと、そっちの側に振り回されすぎるきらいがあるのも宮屋敷の悪い癖だ。
しかしだからと言って、この国で魔法使いをしている以上、宮屋敷を避けて通ることは不可能だった。長いものには巻かれるしかない。とりあえずレイジは仲介士として、筋を通しておくことだけを心掛けるようにしていた。
「で、依頼は受けることにしたの?」
ナツネが目を輝かせながら、上半身を乗り出してきた。自分が始めたことなのだから、興味があるのだろう。レイジは懐から煙草の箱を取り出すと、一本を口に咥えた。
「仲介士のことをどこで聞いたのかが懸案だった。それがお前さんだと判った時点で、とりあえずはシロだ。一応これで、断らなきゃいけない理由はない」
それと同時に、受けなければならない理由もなかった。魔法使いなんてのは気まぐれだ。依頼者が思うほどには、昔のことなど鮮明には覚えていない。そういうことはざらにある。また今回は、特別な事情を持つケースであるともいえた。レイジにとっては厄介加減が三割増しだ。この先に待ち受けている面倒臭さに、今から気が滅入ってきそうだった。
「いいじゃない、会わせてあげれば」
簡単に言ってくれる。それだけじゃないことは、ナツネも充分に理解しているだろうに。仲介士はただ、お目当ての魔法使いに取り次いでハイ終わり、ではないのだ。
むしろそうであってくれれば、悩むことなんて何もない。恩人の顔を見て、伝えたい言葉を投げかけて。記憶ごとすっきりと解放してやる。そのぐらい機械的なやり取りでも十分なのではなかろうか。
煙草に火を点けようとすると、強い風が吹いた。ライターの炎が揺れて、消える。ここではやめておいた方がいいか。そう考え直して顔を上げたところで、彼女の姿が視界に入った。
「あの・・・」
事務所では、あまりに薄暗いのでよく判っていなかった。鳶色の瞳だけは、よく印象に残っている。紺色の学校の制服。短いスカートが、ふわりと舞って柔らかな弧を描いた。
前回話をした時の堂々とした態度からは想像がつかないくらい、線の細い少女だった。制服の着こなしも、崩れることなくきちんとしている。どこにでもいるような、真面目な女子高校生。魔法使いなんてせいぜい、読んでいる文庫本の中で想像する程度だろう。
瞳と同じ、色素の薄い髪はさらさらと風に流されていた。重そうな大きなカバンを脇に抱えて、じっと立ち尽くしている。レイジがここにいることが、余程意外だったのか。しばらく、イクミは完全に言葉を失っていた。
「やぁ、お嬢ちゃん。無事に仲介士には会えたみたいで何よりだ。お姉さんもほっと一安心だよ。あ、紹介料とかはいらないからさ、代わりに今日は何か買っていっておくれよ」
沈黙を破ったのは、場違いなナツネのがなり声だった。こいつはとんでもない大阿呆だ。レイジは煙草をつまむと、内ポケットに戻した。ここから飛び火してナツネの店が全焼しようがどうなろうが、レイジには知ったことではない。ただ、顧客の前では礼を尽くしているべきである。イクミが、おずおずとレイジの方に歩み寄ってきた。
「あの、百鬼さんにお会いできたことを報告しようと思って、ここに来ました」
「ああ。その辺りはたった今この馬鹿に聞いたところだ」
「馬鹿とはなんだい」と、ナツネはぐいぐいと二人の間に割り込もうとしてくる。レイジはそれを無遠慮に押し返した。まともにナツネの相手をしていたら、進むものも進まなくなる。ボールをレイジにパスしたのならば、後は任せておいてもらいたい。
ひとしきり自己主張を終えると、ナツネはぶぅっとむくれて店のテーブルに肘をついてそっぽを向いた。これは放っておいて良い。ナツネ無視して軽く手を払うと、レイジはイクミの発言を促した。
「ええっと、それで――依頼は受けてくださるのでしょうか?」
イクミには、保留とだけ伝えてあった。イクミの語った内容の検証や、イクミ自身に邪念がないこと。それらを総合して、仲介士が動くかどうかを判断する。却下ということになれば、イクミの記憶からは魔法使いとレイジに関するありとあらゆる情報が消去されて終わりだった。残酷かもしれないが、人の世界で穏やかに生きていくためにはそれが最も望ましい解決策だ。
「魔法使いと巡り合うことが、必ずしも幸せであるとは限らない」
そんな相手だとは思わなかった。こんなはずじゃなかった。
今までレイジが仲介してきた依頼者たちから、稀にこぼれ出た言葉だった。どんなに入念に下調べをして、お互いのために良かれと思ってしたことでも。意に添わぬ結果をもたらすことは、どうしてもあり得る話だった。
夢とか、願望。理想の姿を押し付けられた魔法使いの方も、さぞかし迷惑なことだろう。ほんのひと時の善意や出来心が、取り返しのつかないほころびを生み出してしまうこともある。
だから、仲介士という役割が必要とされるのだ。その出会いが不幸しかもたらさないのなら、いっそなかったことにしてしまうために。
「でも伝えたい。そうだな?」
レイジに問われて、イクミはじっと見つめ返してきた。その質問には、もう答えた。イクミの決意は固い。止めるべき理由がないのならば、これはもう受け入れるしかないだろう。レイジは心を決めた。大丈夫だ。この子なら――
「では僭越ながら、私が仲介いたしましょう」
レイジはイクミに向かって、恭しく頭を下げて一礼してみせた。これで契約完了、だった。イクミの中に仕掛けた魔法が変化する。レイジはイクミの全権を預かり、魔法使いの世界へと導く役割を負った。大事な道しるべであり、守護者でもある。今回の件では特に気負う必要はないのだろうが。
何しろ、レイジにとってはこの上なく面倒な相手だった。
「今から向こうの都合を聞いてみる。折り返し日時と場所については連絡するが、なるべく早い方が良いんだな?」
「えっ、もう相手の方が誰なのかは判っているんですか?」
イクミの表情が、ぱぁっと明るくなった。判っているも何も、魔法使いの間では超有名人だ。イクミの話を聞いて、宮屋敷に問い合わせたら瞬殺だった。後はそっちで勝手にやってもらいたいくらいの案件だったが、仲介士としてのケジメもある。それに、あちらさんはあれこれと厄介なゴタゴタがあった直後の話だ。念には念を入れて、おかしな手合いが絡んでいないことだけはしっかりと確認しておく必要があった。
「いやぁ、幸先が良いねぇ。ことがトントン拍子に運んでさ。お嬢ちゃんは探し人に会える。レイジくんは仲介士のお仕事が果たせる。後はほら、何か忘れちゃいませんかね?」
ほくほく顔で、ナツネは両掌をぱんと高らかに鳴らしてから大きく左右に広げた。それは一体どこの寿司屋の物真似なのか。一応は、この件をレイジのところまで持ってきたのはナツネの功績だった。しかしそれはそれで、なんだか無性に腹立たしい。レイジはアレキサンドライトと書かれた札の付いた、明らかな偽物をむんずと掴み取った。
「ああちょっと、それウチの看板商品!」
「詐欺で摘発される前に回収してやるんだ。ありがたく思え」
千札一枚を投げて寄越すと、「けっちぃ、レイジくん超けっちぃ」と言いながらもナツネはあっさりとそれで引き下がった。やっぱり偽物なんじゃないか。どうせ良くて人造スピネル辺りだ。これを経費として宮屋敷に請求するのは、アリなのかナシなのか。渋い顔をして考え込んだレイジに向かって。
「ありがとうございます!」
イクミが、満面の笑顔で礼を述べた。