⑤ 領主とリンド
あれだけ騒いでいたエメラは今、執務室の椅子でドッシリと構えている。
その様子は何処か威厳を感じさせる姿へと変わっていた。
「で? エル、その男は私に何の用だってのよ……」
「ま、まぁまぁエメラ様……」
まだ先ほどの事が燻っている様子のエメラは俺を睨んでくるが、
そこをエルが火消し役に就いてくれた。
暫くして話を聞く気になってくれた所でエルが用件を話す。
「志人さんは住む場所を探してるようでして。何処か空いている空家があれば紹介してあげて欲しいんです」
「この街に住む……ねぇ、アンタ浮浪者にしか見えないけど、家を借りるだけのお金はあるの?」
「まだ来たばかりで分からないんだけど、こっちの貨幣ってなんだ?」
「こっちのって言うか。大陸全土、リンドが共通よ」
「ちゃんと持ってるぞ」
エメラが挙げたリンドとはゲーム世界グリモアでは、
全ての国や地域、プレイヤー間でも一般的に流通する貨幣だ。
俺がこちらの世界に来た際に引き継がれた物の中にはもちろんリンドもあった。
「まだこっちに来て日も浅いんだけど、家を借りるなら幾らで買うなら幾らって相場とか教えてくれると助かる」
「借りるだけなら平均6000リンドよ、勿論毎月。でも、買うってなると話は別」
エメラは小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら俺を一瞥し、話を続ける。
そろそろ多少は柔軟な対応をして欲しい、と思う。
「見ても何処かの貴族や豪商には全く見えないし、アンタのそれは物乞いにしか見えない格好よ? まだ土に汚れた農民の方が小奇麗に見えるわ」
最早罵っているとしか思えない物言いである、流石にカチンと来ない事もない、黙っていたが、
そんな彼女を見て、俺の後ろに立つエルがボソリと呟いた。
「私の知ってるエメラ様じゃない……」
そりゃ多分普段の化けの皮が剥がれただけだろうと志人は頭の中で呟いた。
「エルの知り合いだそうだし? 一応は話してはあげるわ。
でもそうね。一人暮らしだけってなら安くて良い所があるわ。それでも500,000リンドよ」
「志人さん、借家で十分じゃないですか? 私も借家ですし……」
500,000リンドという言葉を聞いたエルが此方の袖を引っ張る。
だがその数字を聞き、何かを考えた後、俺はエメラに問いかける。
「ちなみにお前が言う貴族とやらが住むような屋敷とかは、幾らだ?」
「ちょっと志人さん、無理ですよ……」
エルが再度、俺の右袖を引っ張ってくる。
が、俺はエルに袖が伸びるよと笑みを返すと、
「1000万リンドよ」
「はぁ?」
「お屋敷なんてやっぱり無理なんですよ……志人さぁん……」
俺の袖を引っ張るのを止めないエルを余所にエメラは続ける。
「別に意地悪の悪い事を言ってるつもりはないわよ? 立地条件としても商業区も近いし、何より温泉付きよ? ただ……」
「ただ? なんかあるのか」
「いいえ、なんでもないわ」
これだけ言ってもこの男は退かない、とでも思ったのだろうか、
溜息をついたエメラは皮のコートを背凭れから取ると
「そうね。もう私も仕事は終わったし、両方見るだけ見る? 買い物と帰るついでで良ければね」
「それは嬉しいが……、なんだ、案外面倒見が良いんだな」
「何よ案外って、ついでよ、ついで。ほらっ! 外で待ってなさい!」
と言った後、彼女は俺の肩を照れ隠しとばかりに叩いて行った。
「なんなんだ……、と言うかエメラってエルに対しても結構偉そうだけど、
どっちの方が歳が上なんだ? 聞くのは悪い気がしないでもないけど」
「あ、別に構いませんよ。私なんかよりお歳で言えば、
エメラさんのほうが一周り以上年上なんですよ?」
「ふーん、そう言やエルってどのくらいなんだ?」
自分自身、本来なら女性に年齢を尋ねるのは失礼云々と普段は思う所もあったが、
エルはなんて事の無いように答えてくれる。
「私は先々月に107歳になりましたね」
「となるとエメラはそれ以上か……種族の違いって凄いんだな。
エルも綺麗だが、エメラもあれさえ無けりゃかなり美人だもんな、ザ・仕事が出来る女って感じ」
俺が出した言葉に何故か顔を赤くしたエルは、
「そうですね!」
と返して来る、どうしたのか聞いても何でも無いと言う彼女と離していると、
鍵を施錠する音が聞こえる、
玄関の方を振り返ると戸締りを終えたエメラが此方に歩いて来る所だった。
「さ、行くわよ……エルはなんで顔が赤いのかしら」
「さぁ……エルー行くぞー」
領主の館へ来た道を少し下り、脇道に入るとエメラが立ち止まり、指を指した。
「さぁ、ここが500,000の物件よ」
「物件って……おいこれは……。物件なのかも知れないが、もう家っていうより……」
「これはお家なんですか?」
エメラが指した先にあったのは辛うじて建物としての体裁を見せてはいるが、
この空間だけ時代逆行をしてしまったかのようなソレは聳え立って居た。
「お前これって……」
「いいでしょこれ、金も無さそうなアンタには勿体無いくらいの物件よ!」
性格のキツイお嬢様を彷彿とさせる高笑いをするエメラ。
「下の方の他の家はちゃんと石造りじゃねぇか! 何で此処だけ……」
「いいでしょ? ほら、ちゃんと支柱には、ほら。鼠返しも付いてるわよ?」
「まんま弥生時代じゃねぇか! って言うかもう家ですらないだろう、倉庫だろこれは!」
「文句が多いわねぇ……でも土地を含めて500,000なら安いし、破格よ??」
本気で言っているのだろうかこのウ○コ妖精は、と口から出そうになった言葉を止め、
俺は次の場所への案内を頼む。
「次だ次! その貴族がどうたらの屋敷が見たいんだよ」
「はぁ……。まぁいいわ、でも見たらすぐ宿に帰るのよ? そう言えばアンタ宿はもう取ってるのよね? 今からじゃもう多分何処も一杯よ」
「んー、多分大丈夫だ」
街に来るなり彼とそのまま一緒に領主の館まで行ったエルは志人の言葉を聞くと、
彼が宿を取る時間など無かったはずなのに、と不思議そうな表情を浮かべていた。
そして、道を戻った三人はしっかりと舗装が成された道へと入っていった。
「おい、ここは俺でも分かるぞ。居住区だろ? さっきのはなんだったんだ?」
「ああ、あそこ? 使われなくなった田畑と倉庫よ」
家を紹介しろよ、と俺は目で返していると左肩を叩かれる。
申し訳無さそうな顔で立つエルだった。
「あの志人さん。私の家が此処から近いので、先に荷物を置いてきても宜しいですか?」
エルが言ってる荷物とは多分肩から提げたままの鞄の事だろう、中身は余剰分のマイの為の鉱石だ。
重さもそれなりにあるだろうそれを、
ずっと提げたまま此処までこさせてしまったのかと申し訳なく思った。
「あー重かっただろ、ごめんなこんなに付き合せちゃって。先に見て回ってるから気にしないで置いて来てくれ」
「はい! ではエメラ様、ちょっと行ってきますね」
「ええ、分かったわ」
律儀に俺とエメラへとお辞儀をするとそのまま彼女は先を歩いていった。
「まぁ道は同じなんだけどね……」
「ん? どう言う事だ?」
「アンタ目が悪いの? 此処から見える屋敷は何個ある?」
言われて俺は、エルが歩いていった道の先を見る。
屋敷らしい物はすぐに見つかった。
「ん?なんだ、てっきり貴族だ、どうのって言うから高級住宅街が有るのかと思ったら。
それらしいのは一軒だけじゃないか」
「そうよ。と言うよりも、元々高級住宅街なんて無いわ。王都じゃあるまいし」
「ふーん」
「それにね、他は知らないけどこの街はいろんな種族が集まるの。
今の時代もう種族の差別も無いけど、住む所の良し悪しで居住区を分けたらそこで要らぬ軋轢が生まれるわ。貴族とか身分の差とかは流石にあるけど、この街に住む貴族の方々はそこをひけらかすような事はしないし、私の街よ? させないわ」
「なるほどね。やっぱりいい所だ。それとあんたもな」
「当然よ、私が領主だもの。ほら、早く行くわよ」
「はいはい」
照れているのか彼女は志人に急くよう返し、先を歩き始めた。
家に帰る住人たちの中に混じり、歩く二人が最終目的地である屋敷の門の前に着いた頃。
「志人さん」
声の主の方へ顔を向けるとエルがそこに居た。
「おお! もう荷物は置いて来たのか?」
「ええ、お蔭様で。エメラ様も有難う御座います」
「良いのよ。さぁ、ここよ。一応此処まで来た事だし、中も見る?」
コートから鍵の束を取り出すとエメラは鍵を開け、門を開いてくれる。
「屋敷って言うからもっとこう、噴水とか、花畑とかを想像してたんだが……」
門を抜け、まず目に入ったのは屋敷の玄関まで続く芝生と木造デッキのテラス。
噴水や花畑は無いものの、そこから見る景色はきっと素晴らしい物だろう。
というか、
「なんかちゃんと手入れされてるな」
「そう? ここの担当にお褒めの言葉を頂いたと言っておいてあげるわ」
「ふふ、ここの管理をしてる方がとても親切な方なんですよ?」
俺の言葉にエメラが答え、
その人物を知っているエルは嘯くエメラを見て笑っていた。
エルのその仕草が少し気になったが、
一番気になっていた事をエメラに聞いてみた。
「そういえば温泉は?」
「浴室よ。そこも見るの?」
「いや見るだろ……」
「見るだけよ? 一応売り物なんだから汚したらダメよ」
「わかってるって」
溜息をつきながらエメラが玄関の鍵をあけると、入ってすぐ右の部屋に入るとそこは脱衣所になっていた。
「脱衣所があって……、こっちが風呂場……。おお!」
作りは高級旅館を思わせる木造作り、人が幾人かは横になれるのではと言うほどの面積。
素晴らしい、これぞ和だ、と俺は興奮しきりだった。
「いいな……いいなここは、外から屋敷を見た感じ採光とかちゃんと考えられてる感じだし」
「一応掛け流しよ」
「温かいですねー」
浴衣でも着ていれば絵になるだろう、エルが温泉に手を突っ込み温度を楽しんでいるのを見る。
確かにこの歳で家を持つ事が出来る事に喜びもあるだろう、だが一番心を揺らしたのは温泉だった。
「素晴らしいじゃないか! 温泉だぞ温泉、しかも掛け流しだと!?」
「え、えぇ」
思わず興奮したままに詰め寄ってしまう俺に、エメラは若干引いていた。
もう心の中で決心がついた俺は、UIを操作しインベントリを呼び出し、
表示されたウィンドウに腕を突っ込むと大きく膨らんだ重い革袋を取り出し、彼女に差し出す。
「ピッタリ1000万だ」
何の事か分からないまま、差し出された袋を受け取り、中身を見て驚き、そして叫んだ。
「アンタ何処から出して……なんでこんな大金持ってるのよ!」
中に入っているリンドを見てエルも驚いてはいるが、志人の事情を知る彼女はすぐに納得をした。
ゲームとこの世界の違いが此処に来て現れたのだ。
と言うのも、元のゲームであるグリモアとこちらの世界の商人が売っている物の物価はそれほど変わらない。
しかし、唯一の違いがあった。
――ゲームであるグリモアはMMORPGだった。
つまりこの世界の住人とは別の住人の存在が鍵となる。
NPC商人が売っている商品と此方の世界の商人が売る物の値段はそう変わらない。
だがプレイヤー同士の取引においてはその限りではなかった。
月日が経つに連れ増えていく人口に対し、
レアな装備やアイテムはドロップ倍率系のイベントでも来なければ需要に対し供給率はそうは変わらない。
志人がプレイしていたグリモアでは需要過多により、殆どのアイテムが高騰。
高レベルのレジェンダリー級アイテムを購入しようものなら、
所持限度設定額を大きく上回る額か相当する物を用意せねばいけない程にまで膨れ上がっていた。
人気ゲーム故の痛い所の一つでもあったのだ。
「いや、別に後ろに手が回るような事はしてないぞ、ちゃんと稼いだ金だ」
「どうしたらこんな、私の収入の数十倍も……、なんか納得行かないわ!」
「如何しろと……」
エメラは怪訝そうに志人を見ており、それを受け、志人は頬を掻く。
まぁある意味ズルではある引継ぎの恩恵の存在、だが彼が稼いで来た物という意味では間違いが無かった。
「私の収入が低いのかしら……」
なにやらブツブツと呟き口元を手で覆うエメラを余所に、志人は顔を引き締めると
「とりあえず此処からゲームスタートだ!」
胸の前で握り拳を作り、言ったのだった。
事の発端である、あの二週目への転生パッチ。
この世界に来た時に居たあの出口の無いあの洞窟に来た俺、
ログアウトも出来ないし、洞窟からは出る事が出来ず詰んで落ち込んでいた俺、
安易に考え後先を考えずにYをタップした自分が何度悔やんだ事か。
だが今は違う、ドワーフのマイにエルフのエルとセイレーンのエメラと知り合い、
そして今、住む場所も手に入れた。
これまでと打って変わって順風満帆。
洞窟から出た時にはまだ午前中だっただろう空はすっかり暗くなり、夜虫が鳴く星空の下で、
項垂れるエメラを前で、俺は明日は何をしよう、とこれから先の事を考えていた。