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03『まずは、スタートラインの一歩前から』

 結局のところ、夢は見なかった。

 それもそうだ。

 夢は見ようと思って見られるものじゃないし、見たくないと思って目を背けることも出来ない。気まぐれなものなんだと思う。


(自分を許してくれる夢、なんて都合の良いものはないか……)


 それに、今の僕が目にしているのは現実だ。優しくて甘い夢でも泣ければ、或いは過剰なほどに苦い夢でもない。

 新しい一日という現実を、受け止めなくちゃならないんだ。


「よっ、と」


 僕はベッドから起き上がると、床に脱ぎ捨てていた靴を履く。青と白を基調とした愛用のスニーカーだ。異世界に転移させられる際に巻き込まれたらしい。

 靴紐を締め、窓から外を眺めると深い森が見えた。朝陽によって適度に明るい緑が、どこまでも拡がっているようだ。


(森の中に一件の家……か)


 昔、家族旅行で山奥の宿に泊ったことがある。温泉に浸かって食事に舌鼓を打ち、布団に潜って眠り、目が覚めたら、窓から外を眺める。

 そうして目に入ってきたのは、鮮やかな翠が連なる樹木の海。

 朝霧で和らいだ太陽の光が、眩しくも優しかったのを覚えている。

 あの時に見た景色と似ているな、となんとなく思った。この場所は異世界だというのに。


(異世界でも朝は来る、ということだな)


 この世界も、あんまり変わらない。

 朝というものがあるんだと。

 そんな事実の再確認が、僕の胸の中にある不安を少しだけ溶かしてくれたような気がした。

 部屋を出て、廊下を歩いて階段を下る。一階のリビングにたどり着き、隣接している台所を覗き込むと、スフィアさんが何か料理を作っているのが目に映った。


「あ、静麻さん。おはようございます」

「……おはようございます」


 ついでに朝の挨拶を済ませる。

 にこやかな笑みを浮かべるスフィアさん。窓から差し込む朝陽に照らされて、眩しいやら綺麗やら可愛らしいやら。フードは被ったままだけど。

 服装は昨日のままだった。着替えたのか、ひょっとすると寝間着のままなのかもしれない。


「少し待っててくださいね、今ご飯用意しますから」

「なんか色々とすいませんね。寝床を借りた上に、ご飯まで……」

「良いんです、良いんです。食材買い過ぎちゃって、少し置き場がなくて困ってたんですから」


 スフィアさんはそう言いながら、冷蔵庫――この世界にもそういうアーティファクトが一般的に出回っているようだ――から鶏の卵らしきものを取り出す。

 それをコンロに置かれたフライパンに投入した。卵の下には薄切りのベーコンがある。朝食はベーコンエッグにするつもりなんだろう。

 二つあるコンロのうち、もう片方のコンロでは小さな鍋がぐつぐつと音を立てている。バターと人参を連想させるような香りを感じた。こちらはグラッセだと思う。

 ――なんだか腹が減ってきた。


「ところで、身体の調子はどうですか?」


 とか思っていると、声をかけられた。

 少し考えて答える。


「ああ、はい。今はすこぶる快適というか、ピンピンしてますよ。一晩寝たからかな。食欲もありますし」

「昨日はいっぱい食べてましたからね。あっ、そういえば、苦手なものってあります?」

「いえ、特には」

「じゃあ、今作ってるの、このままお出ししますね」

「お願いします」


 当たり障りのない会話。

 何も触れず、何も踏み込まずに、感情の表面を撫で合うような言葉の応酬。

 ぬるま湯のような心地よさが、少しだけ楽しい。

 やがて、調理が済み、二人分の朝食が出来上がった。


「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」


 場所を移し、リビングで食事が始まる。

 献立は、ベーコンエッグと人参のグラッセ。それと昨日も食べたフランスパン的な主食だ。

 ご丁寧に飲み物まで用意されている。白い液体……豆乳か牛乳だろうか。バターがあるのだから牛乳だろうと思うけど。


「それにしても、静麻さん、箸使えるんですね」

「ええ、まぁ。割と使い慣れているんで」

「ちょっと羨ましいです。最近使ってみたいなと思って、何度か試してみたりしてるんですけど、上手くいかなくて」


 不思議なことに、この世界には箸が存在していた。

 その証拠に今僕が使っている箸は、「スペアとして買っておいてた安物ですけど」と言われて渡されたものだ。珍しいものでも貴重価値があるようなものでもないらしい。

 もちろん、使えない人もそこそこいるようだが。フォークとナイフを使っているスフィアさんみたいに。

 フォークとナイフがあるというのも、よくよく考えてみれば少し不思議だとは思うけど。

 箸で卵の黄身を崩して口に運ぶ。いつもは白身から先に食べるのだが、たまにはこういうのも良いだろう。

 味の方はといえば……うん、美味しい。黄身の濃厚な味わいが口の中に拡がる。トロリとした舌触りが良い。半熟だ。

 次は白身。ベーコンから染み出た塩気が、淡泊な白身と混ざり合って、ちょうど良い具合になっている。

 そうやって食っているうちに、とろりと溶けた黄身がベーコンを黄金色にコーティングした。口に運ぶ。

 しっかりと味付けされたベーコンに、黄身の滑らかな舌触りが混ざり合って心地良い。ベーコンの赤身はしっかりと歯ごたえがあるし、脂身はほんのりと甘い。しっかりした豚肉を使っているようだ。

 次は口直しに人参のグラッセを頬張る。独特の甘みが口の中に拡がった。砂糖の甘さもあるだろうけど、人参本来の甘さが充分に引き出されていると感じた。ほんのり感じるバターの味が嬉しい。

 忘れないように合間にフランスパンを囓る。香ばしい皮とふっくらとした中身が、口の中の水分を奪いつつもクッションのような心地よさを感じさせてくれる。

 それらを交互に食べ進め、一通り皿の上が空になったところで牛乳を呷る。ほとんど一気飲み。毒が入っているかもなんて不安が脳裏を過ぎったけど、そんなものは明後日の彼方にぶん投げてしまった。

 木製のコップを呷ると、濃厚な脂肪分が口いっぱいに拡がる。冷蔵庫に保存されていたからかヒンヤリと冷たい。冷たさの後には、コッテリとしつつも滑らかな舌触りが残った。それに加えて、ほんのりと伝わってくる甘さが嬉しい。

 牛乳の最後の一滴を飲み干す頃には、スフィアさんも一通り食べ終えていた。お互いに皿の上は空っぽだ。お残しは許さない、みたいな感じで。


「ごちそうさま」

「ごちそうさまでした」


 食後の挨拶も一緒で、ちょっとだけおかしいような嬉しいような気分になる。腹も気分も満たされているみたいで。

 ――それは、穏やかな時間だった。


「さて、と」


 スフィアさんが切り出すように声を上げる。

 全てはここからが本題だ。


「静麻さんは、これからどうします?」


 シンプルな問いかけを投げかけられて、重要な選択肢を探し求める時間が始まる。

 まずは、こちらの事情をある程度説明してからだ。


「正直言うと、困惑してます」

「困惑?」

「ええ。気が付くと、ベッドの上でしたから」


 一応、そういうことにしておいて。


「昨日まで違う場所にいたはずなんですよ。街の中にいて、家に帰る途中で、誰かに襲われて……気が付けば、ここにいました。正直、わけがわかりません」


 そうだ。わけがわからない。

 私にもわからん、とクソ映画に出てくるクソみたいな博士の言葉が脳裏を過ぎったけど、本当にわけがわからないんだ。

 なぜ転移先が森の中なんだよとか、なんで死に損ない状態の身体が放置プレイになったのかとか、とにかく理由や原因が不明すぎてどうにかしようにもどうしようにもない。

 とにかく、いくつかの事実を正直に話すことにした。

 疑問を抱かせるように。


「何か知りませんか?」

「そう言われましても……そんな魔法があるなんて聞いたことありませんし」


 僕の問いかけに、スフィアさんが少し困った顔をする。

 人を転移させる技術はありますか、と暗に込めた問いかけだった。それをスフィアさんは知らないと否定している。

 少々冒険しすぎた問いかけだったかもしれない。

 この世界におけるテレポート的な魔法の立ち位置がわからないからだ。一般的なものなのか、或いは希少なものなのか。

 はたまた隠匿されるべきものなのか。

 ――脳裏にいくつかの物語を思い浮かべる。

 テレポートの描写。使用方法。変化する商業。内政。死者の増える戦場。チート。ご都合主義めいた能力。秘匿されるべき強大な力。

 なぜ、と問われる可能性があった。

 スフィアさんが態度を変えて、問い詰めたり暴力に訴えたり、或いは口封じのためにとか、とにもかくにも色々な可能性が起こり得るのではと。

 言葉に出してしまったのは何も知らないからだ。

 情報が足りなくて、足りなすぎて、スフィアさんに縋るしかない。

 そして、僕はその賭けの答えを引き延ばせたと感じている。


「とにかく、そんなわけで……これからどうするもなにも、どうやって生きていけばわからないんですよ」


 結論へと誘導する空気を生み出そうと、本音を混ぜた言葉を重ねる。頼めば助けて貰えるかもしれないと。

 弱虫で甘ったれな祈りを胸に秘めながら。


「――なので、その」


 そして、僕は決定的な言葉を口に出そうとする。

 正直な話、自分でもどうかしていると思っていた。

 正体不明の男を住まわせてくれだとか、食わせてくれだとか、生きる術を教えてくれだとか、そんなことを昨日今日に出会った人に頼もうとしている。

 命を助けて貰った上に、当面の生活も助けて貰おうとしているなんて、図々しいのはわかっている。

 なのに、断られたらどうしようとか全く考えていない。

 脳のどこかに交渉しようと考える箇所があったはずなのに、今となっては明後日の彼方だ。頭の中は真っ白だ。感情だけがグルグルと車輪みたいに回っている。霞を掴もうとしているみたいだ。

 それは泣き喚いているうちに親が迎えに来てくれると信じ込んでいる迷子みたいで。

 でも、言わずにはいられない。

 言葉を我慢できない子供のように。


「僕を――」


 なのに、何を言えば良いのかわからない。

 言いたいことがあるのに、それをどうやって言葉にすれば良いのかわからないんだ。

 わかって欲しいことがあるのに、わかってくれる努力をしようとしても空回りで。

 友達とつるんでいる時には浮かんでこなかった不安が、胸の奥から迫り上がってくる。

 言葉どころか声すらも詰まってしまいそうで――。


「――そういうことなら、良いですよ」


 その時、スフィアさんの言葉が感情を撫でた。


「えっ、あ、あの……」


 困惑する。

 事態が自分の都合の良いように動いていることへ不信感が湧き上がり、けれどもスフィアさんの言葉を信じたい自分自身が噛み合わなくて。

 深く息を吸って、吐く。

 落着きを取り戻す。

 その頃には、スフィアさんが言葉を続けていた。


「ようするに、静麻さんは迷子みたいな感じなんでしょ?」

「まぁ……そうなりますかね」

「どうやって帰ればいいかわからない?」

「ええ、ホントに。サッパリと」

「サッパリと?」

「残念なことに」


 気が付くと、僕は安堵していた。

 口が軽くなっていく。

 自分が密かに望んでいたとおりに事態が動いているからだろう。


「ひょっとして……常識も?」

「否定は、出来ませんね」

「でも、箸の使い方とかは知ってるんだ?」

「僕のいたところでの一般常識だったので。こちらでの常識は何も知らないわけです」

「遠いところから来たんだね」

「多分」


 スフィアさんは、なんだか楽しそうな顔をしながら僕の話を聞いていた。

 その表情から推測するに、好奇心だろうか。


「静麻さんって、不思議な人ですね」

「今は何も知らない子供みたいなものですけどね。どう例えれば良いかな……」

「つまり、自分の住んでいたところとは違う生活をしている村に迷い込んだ迷子……って感じかな」

「それが近いかもしれませんね」


 気が付けば、僕と彼女の距離感は曖昧になっていた。

 上手く言えないけど、心地良い会話をしているような気がしている。言葉に本音を交えて話しているからだろうか。

 だからこそ、着地点に手が届きそうで。


「うん、そうですね。静麻さんは迷子なんです」

「それはまぁ、お恥ずかしながら」

「迷子な人を放ってなんておけないですよ、私は」


 迷子。迷える子供。

 その通りだ。

 僕は、この世界に迷い込んだ子供のような存在だ。

 そして、彼女はそんな子供を放っておけない。


「ともかくですね、静麻さん」

「は、はい」

「一緒に行きませんか? 旅は道連れ世は情け、とかなんとか言いますし」


 色々と考えてしまうことはある。

 不安だとか疑念だとか、自分の身を守るために必要なことを考えすぎてしまうくらいには。

 敵から身を守る際に棘を出すハリセンボンみたいに、発作的な疑心暗鬼を頼りにしている。少なくとも今は。

 でも、僕は。


「一緒に旅しましょうよ」


 何の打算もなく、不安から目を逸らし、疑念を遠ざけて。

 彼女の手を取ることくらいは良いんじゃないか、と思った。

またまた一週間が経って(以下略)。

これで書きためてたストックはおしまいです。

次回は一~二週間後くらいになりそうです。


今回の話は、進んでないようで進んでる感じ。

一応彼らなりに進めているのです。多分。


ではまた次回。



冬野氷夜より。

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