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01『迷い人の目覚めと、彼女と』

 ――そして、僕は子供のように泣いた。

 いつかどこかのことだった。

 僕は大声を上げて感情を撒き散らすように泣き続けたことがある。

 喉が枯れて壊れてしまいそうになるほど強い泣き方だった。本当に強く。まるで不条理な暴力みたいに。

 その頃の僕は子供のようだった。

 いや、本当に子供だった。

 身体と呼ばれる肉の塊と、心と呼ばれる情報のようなものが。大人という基準に達せずに、処理しきれなかった幼さを振りかざしている。

 幼い心が、何かを呪っていた。

 手の平から砂のように大切なものがこぼれ落ちてしまったから。僕は泣きながら呪っていたんだ。僕の身体は呪いながら悲しむことが出来たから。

 そして、そういう時に限って、僕の身体は泣きたいという感情に従って泣いてくれるんだ。泣きたくなんてなかったのに。泣いたら駄目だと決めたはずなのに。

 なのに、僕は泣いている。

 物言わぬ人のために。

 もう動かない彼女を抱き締めながら、ずっとずっと泣いている。

 これは夢だ、と僕は思う。

 記憶の断片を強引に組み合わせた空想としての夢ではなくて、昔あったことを反芻する整理としての夢。

 いつかは摩耗して消えていくはずの。

 ――そんな夢を、今も忘れられないまま生きている。


「夢、だったら良かったんだけどな」


 嫌な夢を見ているような気がして、逃げるように目を覚ました。

 眩しい光が視界の中に飛び込んでくる。刺さるような夕陽――おそらくは――だ。

 夕陽、という言葉に違和感を抱きながら、僕はボンヤリとした頭を寝転がったまま左右に振って、無理矢理意識を覚醒させる。今更ながらフワフワとした枕と布団の感触が伝わってきた。僕が横たわっているのは羊毛のベッドらしい。

 視界に映っているのは知らない天井だった。木造建築らしき建物の一部屋といった風に見える。ただ室内灯がぶら下がっていないことから、どことなくファンタジーに出てきそうな部屋だなと思った。

 ――そういえば、中世ヨーロッパは基本的に灯りを使わずに生活をしていたと聞いたことがあるような、無いような。

 それはさておき。

 ここは一体どこだろうか? 誰かの家だというのはわかる。誰かが僕を助けてくれたということもわかる。んでもって、誰かが僕を異世界に転移……もしくは、転生させたというのもわかる。否定できないのがもの悲しい。

 問題は、誰がどうやって僕を助けたかだ。僕は明らかに死にかけていた。ひょっとすると一度死んだかもしれない。

 掛け布団を剥がし、身体を起こして上半身を確認する。内臓が剥き出しになっていた腹部を。

 そこには、裂かれる前とまったく同じ綺麗な腹があった。傷一つ見当たらない。皮膚と一緒に切り裂かれたはずの臍も健在だ。

 なぜか、半裸になっているけども。誰かが脱がしてくれたんだろうか。えっちぃのは嫌いです。

 ……などと脳内で口走っているうちに、腹が減ってきた。

 というか腹が減って死にそうである。死にそうなくらいに失血したのだから、身体がカロリーを求めているんだろう。血が足りない。

 飢えていると自覚すると、ますます腹が減ってきた。肉と米が食いてぇ。ほんのり甘い脂身たっぷりの豚の生姜焼きとか、おかずと相性抜群な白いご飯とか。ほんの少しだけ硬めに炊かれたものが個人的に好きだ。

 それにしても、ますます腹が減ってきた。飯を求めている時に飯のことを考えていたのが不味かったのかもしれないが、正直割とどうでも良くなってきた気がする。誰か飯を寄越せ。プリーズミー。

 とかなんとか考えていると、小さい足音のようなものが聞こえてきた。沈黙の中で何も言わずに考え込んでいたのが良かったらしい。いつもイヤホンで音楽漬けの耳でもハッキリとわかる。誰かがこの部屋に近付いてきている、と。

 やがて、足音は部屋の前までやって来て、次の瞬間にはノックも無しにドアノブが回される。扉が開く。まだ思考の整理も、心の準備も出来ていなかったのに。


「――あ、起きたんですね」


 そうして、彼女は僕に姿を見せた。

 金髪碧眼の外国人や人形を連想させるような整った顔立ちをした女の子。綺麗で、美しくて、なのに可愛らしい。

 まるで異世界ファンタジーに出てくるヒロインみたいだ、と思った。単純すぎる例えだとは思うけども。

 そんな彼女は、奇妙なことにフードを被っている。創作物にありがちというかテンプレな設定から想像するに、その下に何かを隠していると考えた方が良いかもしれない。人間じゃないとか。

 それはさておき、ジロジロと彼女との初対面を観察から始めるのはどうかと思えてきた。

 恐る恐る――けれども、ハッキリとまずは挨拶から。


「ああ、うん。おはよう」


 声に出しながら、呑気すぎる対応だなと思う。意識が飛ぶ前まではグロテスクに死にそうになっていたくせに。

 もっと物事を警戒することが必要だ。異世界に飛ばされた以上、自分の身を守れるのは自分だけになってしまったのだから。

 そして、僕の日本語は彼女の使用言語に適応しているのかと疑問が脳裏をよぎったが、既に賽は投げられてしまって、もう遅い。

 心配する必要はなかったようだけども。


「どうですか? 痛みとか、ありませんか?」


 言葉が通じている、と確信を得ながら、僕は彼女とのコミュニケーションを試みる。状況を把握し切れていないのだから。


「大丈夫……だと思い、ますよ、多分」


 まずは取って付けたような言葉で。

 とりあえず今のところ身体に痛みはない。頭から爪先まで感覚は正常といった具合だ。僕が認識できていない傷がどこかにあるかもしれないので、断言は出来ないけども。

 念のために、一番ヤバそうだった腹部を手でさすってみる。変質者一歩手前に剥き出しな、ちょいと硬めな腹筋をスリスリと。くすぐったくもなく痛くもない。少し強めにさすっても、隠れていた痛みが姿を見せることもない。どうやら完治とみても良いかもしれない。実は内臓ズタボロでしたなんてドッキリは二度とご免だしなぁ。


「そうですか……すごくビックリしたんですよ」


 安堵しつつも、好奇心を覗かせる彼女。

 まぁ、うん、そりゃそうだよなぁ。ファーストコンタクトが内臓剥き出しだったんだもの。ひょっとしたらビックリを通り越していたかもしれないな。

 何か言おうと思考を巡らす。

 次の瞬間には、ポロリと言葉が口からこぼれ出た。


「えっと、その……助けて貰ったみたいですね。あんまり覚えてないんですけど」


 ちっぽけな嘘。

 上手くは言えないけど、きっとこれは正しい嘘なんだろうと声に出してから思う。致命的な決裂が目の前に横たわっていたような気がしたから。


「覚えてない、んですか?」

「まぁ、うん、そうだよ」

「そう……なんですね」


 その証拠に、今彼女は少しだけ表情を緩ませた。胸にしまいこんでいた不安が一つだけ溶けて消えたかのように。


「倒れてたんですよ、森の中で」


 沈黙を拒むように、彼女は続けてそう言った。

 誤魔化すような言葉。

 でも、今の僕らはそれを望んでいる。

 そんな気がする。


「森の中……ね。そういえば、ここってどこ?」

「私の家ですよ。さっきまであなたが倒れていた場所に用意したんです」

「用意って……何がです?」


 とはいえ、早速話が怪しくなってきたような気がする。

 家を用意ってどういうことなんだろう?


「アーティファクトですよ。持ち運びに便利なんです」


 ファンタジーな用語が出てきた。


「あー、うん、なる……ほど?」


 頭の中で咀嚼しながら考える。

 ようするに、僕がいるこの世界は魔法技術が根付いているわけだ。大きさを自由に変えられる持ち運び可能な家とかがあっても不思議じゃない。

 それにしても、この世界でもアーティファクトって言葉は通用するらしい。本来は人工物や工芸品を指す言葉だったような。異世界って何だっけ。

 うん、ツッコんだら負けな気がする。気にしないようにしておこう。

 ――それはさておき。


「なんだか、助けて貰ったみたいですね。ありがとうございます」


 感謝の言葉を一つ。

 彼女が僕を助けてくれなければ、今頃どうなっていたやら。おそらくロクな結果にはなっていなかっただろう。


「い、いえいえ! そんな大したことはっ……してたかも、ですけど」


 してたんかい。

 それにしても、一瞬だけ彼女から自信のようなものが垣間見えた気がする。大したことをしたという自覚があるみたいだ。

 うっすらと彼女の背景が見えてきた気がする。確信はまだないけども。

 などと脳に栄養を巡らせて考えていたからだろうか、会話の空気を破るかのように腹の虫が鳴き声を上げた。

 ――ちょっと、恥ずかしい。


「あ、あははは……ご、ごめん、ちょっと腹減ってきたみたいで」

「かなり大きな音でしたものね……ふふっ。今何か持ってきますから」


 僕は照れながら、彼女はくすくすと鈴のように笑いながら、そんなやり取りをする。微睡みを思わせるような穏やかな会話だ。


「それなら、お言葉に甘えて……お願いします」

「では、少々お待ちを」


 それから、彼女は部屋を出て行った。

 腹を空かせた僕のために、何か食べるものを取りに。少しずつ足音が遠ざかっていく。

 やがて彼女の足音がちっぽけなものに変わったところで、僕の思考は冷静に動き始めた。


(もう一度、現状を整理……してみようか)


 正直なことを言えば、この現状については感覚で理解出来ていると思う。うろたえるほど混乱していない。

 ――ここが異世界だって現実を、受け入れつつある。


(そうだ。僕は異世界に転移した)


 一度死にかけたのだから、正確には転生だったのかもしれない。その時のことはあんまり覚えていないから、便宜上は転移と言うことにしておくけど。

 とにかく、僕は異世界にやってきた。内臓剥き出しのままで。そこを彼女に助けられた。

 おそらくは回復魔法か何かで。彼女が言葉を濁しているのは、その回復魔法とやらがこの世界では厄介な代物だからだろう。迫害の対象か、はたまた利用価値があるからと酷使されるか。どちらでもない可能性はあるけども。

 それに、彼女がフードで頭部を隠していたことから、人間とは違う種族なのではと考えられる。実は人間じゃなくてエルフだったとか。ひょっとすると獣耳だったりするかもしれない。どちらにせよ、ちょっとだけ触ってみたいところだ。

 ――なんにせよ、異種族が迫害される世界、と考えた方が良いかもしれない。

 もしかすると、コメディなライトノベルみたいに、そこまで酷い世界じゃないかもしれない。僕が考えすぎているだけなのかもしれない。

 でも、悪い予感が外れているとは限らない。


(しばらくは、何も知らないフリ……が良いかな)


 現状は、その方針で行こうと思う。

 何も知らないフリをしよう。彼女の種族だとか、能力を使ったらしいということも。ただいつの間にかここにいた、という事実だけを軸に、相手の許容範囲に土足で踏み込まないよう話をするんだ。

 何かを始めるにも、まずはそこからだ。

 ――今の僕は、この世界について無知に等しいのだから。


「持ってきましたよ。お口に合うかどうかはわかりませんが」

「あ、うん、ありがとう」


 やがて、彼女が戻ってきた。

 僕は彼女から食事を受け取ると、食器に盛られたメニューを一瞥する。はてさて、この世界ではどんな食生活が主流なのやら。

 ――好意に甘えて無料で飯を貰っている分際で、毒が入っているかどうか疑いそうになっている性格が、我ながら虚しい。


「どれどれ……」


 彼女が用意した食事は、拳サイズに切られたフランスパンらしきものと、クリームシチューらしき汁物だった。

 というかどう見ても、フランスパンとクリームシチューである。外側は硬くて香ばしく中はふんわりといった風なパンに、鶏肉と人参とじゃがいもに玉葱と具だくさんなシチュー。香りもそれそのものだ。

 僕がいた世界では、割と見慣れたラインナップである。


「……いただきます」


 観察するのもほどほどにして、食事を始めた。

 毒が入っているかもしれないという疑念は、腹の虫が騒ぎ始めたせいで、とっくに忘却の彼方である。飢えて死ぬよりはマシだし。

 付属の木製スプーンで、まずはシチューを一口。


「うん、うん……美味しい……」


 口の中に、濃厚でクリーミーな味が広がる。

 やはりこれはクリームシチューだった。それもしっかりとした味わいの。乏しさのようなものは感じられない。具材の旨味が溶け込んでいる。

 二口目に、人参らしきものを咀嚼する。舌先が野菜の甘みを受け止め、これが紛れもなく人参であることと、じっくりと煮込まれているのかほろほろと口の中で溶けていくのが感じられた。

 続いて玉葱。豪快にいくつも丸ごと入れて煮込んだようだ。この一皿にまん丸な玉葱が一つ浮かんでいる。

 スプーンで玉葱を削るようにし、シチューと絡めて口の中に運ぶと、シチューに覆われた玉葱の甘さが口の中に広がった。何枚も重なった薄い皮の隙間から、官能的な甘い汁がこぼれ出る。舌先で触れるたびに溶けていくのが艶めかしい。

 次はジャガイモだ。一口頬張ると、ほくほくとした素朴な食感が伝わってくる。粉っぽくも、ほんのり甘い。深く息を吐きたくなる。

 そして、続けて鶏肉を口にすると、ほろりと崩れるほど煮込まれた肉質が舌を通して伝わってきた。心地よい歯触りだ。シチューに溶けてしまうかしまわないかの瀬戸際の柔らかさ。噛み締めると滲み出てくる肉汁。脂が溶けて、ぷるぷるのゼラチン質が残った鶏皮。

 後はもう夢中だった。

 香ばしいフランスパン――フランスパンはフランスパンだった――を噛み千切り、シチューを啜り、またフランスパンを咀嚼する。その繰り返し。何かを考えるつもりだった脳みそは、いつしか飯を食うことに夢中になり、胃と舌を満たすことだけに必死になっていた。

 気が付けばパンはなくなり、シチューの皿は空っぽになっていた。綺麗さっぱりといった具合である。


「……すごい食べっぷりでしたねぇ」


 そんな僕の様子を伺っていた彼女が、自分が抱いた感想を吐き出すかのように言った。驚いているというか、呆気にとられたといった風である。

 なんだか、少し恥ずかしくなってきた。空腹感が薄れてきたからだろう。


「おかわり、いります?」

「……お願いします」


 でも、おかわりの催促をしてしまう。がめついとは思うが仕方が無いのだ。空腹には勝てなかったよ。


「では、今持ってきますから」

「重ね重ねすいません……」

「いえいえ」


 とにかく、これで少しは満たされた。

 一息ついたところで、脳みそが働き始める。やっぱり飯を食って満たされている時の方が、色々と考えるにはうってつけだ。知りたいことや考えなくちゃいけないことが増えていく。

 その間に彼女は立ち上がり、空になったシチューの器を持って部屋を出ようとした。


「そういえば――」


 ――ふと、思い出した。

 大事なことを一つ。

 そうだ。そうだった。僕は大事なことを忘れていた。

 言わなきゃ。

 聞かなきゃ。


「あの」


 声を上げて、僕は彼女の顔を見つめる。

 綺麗な人。

 優しげな瞳が、真正面から僕を捕まえて離さない。


「僕は、しずま。……楠田静麻」

「静麻、さん」


 名前を。

 最初の自己紹介を。


「君の――名前は?」


 そして、彼女は問いかけに答える。


「――スフィア」


 微笑みを添えて。


「スフィア、です。よろしくお願いしますね、静麻さん」


 それはまるで、日だまりのような笑みだった。

一週間が経って、ようやく第二話を更新です。

前回も言ったとおりに、次回以降もこんな感じのスローペースな更新になるかと。

書いたり消したりしながら書いているもので……。


さて、この話から一人目のヒロインが登場です。

一人目ということは二人目もいるわけで……まぁ、それは追々。


ではまた次回。



冬野氷夜より。

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