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遊郭物

吉原廓噺(よしわらくるわばなし)小瑠璃太夫(こるりだゆう)の章

作者: 水源

 ここはお江戸の浅草田圃、鉄漿どぶに囲われた郭の街吉原。

この世における男の極楽、女の地獄。

色とりどりの鮮やかな着物を着た遊女が路地を行き交うさまは

池の中の錦鯉か鉢の中の金魚を思わせる。

そして今日も男は己の欲望と矜持を満たすために女を買い女は銭のために男に体を売っている。


今日は如月(2月)の初午はつうまの日、初午とは二月最初の午の日に行われる

稲荷神社の祭礼で商売繁盛祈願を願うものであります。

この日は客も遊女も社に出掛けては商売繁盛を祈ったのですが……。


「千客万来!千客万来!ねがいがござんす。今日こそわっちの愛しい人が、

 なにとぞわっちに会いにきなんすように」


「馬鹿でやすな、神仏を拝んでどうにかなるなら

 わっちらはそもそも今頃ここにいやせんのに」


 そう吉原の稲荷神社に柏手を打ちながら祈ってる女を見て私はつぶやいたのです。

 

 世の中は理不尽なもので、ここ吉原で働いてる女は大概売られてきた女です。

農村の貧しい家庭の親が、不作などで生活難におちいり娘を妓楼に売る場合もあれば

貧しい下級武士の家の親が生活難のため娘を妓楼に売る場合もある。

事業の失敗などで没落した商家の親が借金のカタに娘を妓楼に売る場合もある。

たまに悪い男にダマされた若い娘が妓楼に売られる場合のような間抜けな場合もあるが。

少ない例外は遊女の子供である、罪人として非人に落とされた女であるなどですね。

あとは遊女に芸事や筆を習いに来ている武家や商人の娘、

髪結いなどで外から入ってくる娘などもいるがそういったのはごくごく少数の例外。


 私は下級武士の家に生まれたが生活難のために売られてきた口です。


 はるか昔の戦国においての流れ巫女や白拍子といった遊女は密偵としての側面も持っていて、

故に幕府が開かれた時遊女を武家屋敷に引きこむことは禁じられ吉原や祇園、新町のような

廓ができたと言います。

吉原の周りは堀と鉄の柵で覆われ出入りできるのは大門のみ

私たちは基本的にそこから外へ出ることは出来ないのです。


 女郎が郭を出る方法はほぼ3つだけ

一つは店にとってあまり価値がなくなる二十八歳の年季が明けるまで

コツコツ働き借金を返して暇を貰う方法。

もう一つは金払いの良い客に借金を代弁してもらい客に身請けして貰う方法。

最後は死ぬか梅毒の末期症状などで働けなくなり見世から捨てられること。

まともな方法はこの3つしか無いのです。


 一応客に手引してもらって逃げ出す方法もあるが、成功率は高くない上に

逃げようとしてつかまった女とそれを手引した男はその後地獄を見ることになる。

男は殺され女は折檻を受けたうえで捜索にかかった費用が借金に積み重なれ年季が伸ばされる。

そして、うまく逃げられたとしても生活力のない元遊女と一緒にいることに耐えられず

男が女を捨てることもよくある話だ。

何しろ家事や農作業などはほぼやっていないのですから。


 さらに客をとった取られただのの喧嘩や嫉妬も日常茶飯事。

付届けの食事に毒が入っていたり下剤が入っていたりもよくある話。

病気に折檻、刃傷沙汰や心中も多発するこの吉原。

平穏無事に年季を努めて暇をもらえる女がどれだけいるだろうか。


 貧乏な家の生まれの女は売られて一生郭の中から出られはしないのです。


 6歳の時に売られた私は他の同じような境遇の女と同じく

小袖一枚を与えられて”禿かむろ”として先輩である花魁の身の回りの世話や雑用をしながら、

しきたりや礼儀作法、言葉遣いやしぐさ、書道、茶道、華道、和歌、舞踊などの教養を見につけ

箏、三味線、囲碁、将棋などの芸事を仕込まれて“未来の遊女”として育てられました。

 

 そして禿の衣食住の全ては花魁が面倒を見ていましたので相性の悪い女性につけられてしまうと

食事もろくに与えられないこともしばしばでした。

幸い私はそこまでひどい方ではありませんでしたが。


 その中でも特に器量良しで将来有望と見られた子は、引っ込み禿となり、

廓主や内儀から新造になる為直接的に教育を受けます。

新造になる為の引っ込み禿の年は、大体13歳から14歳とです。

将来上位の遊女になることを約束された禿だけが、引っ込み禿になることを許されました。

ちなみに禿の意味は”毛がない”ですが、毛が生えていないのは

下の毛である陰毛のことを指し示しています。


 引っ込み禿は15歳から16歳くらいになると見習い遊女の

振袖新造ふりそでしんぞう」になります。

振袖新造はあくまでも見習いなのですぐにお客をとるわけではなく、

花魁について引き続き身の回りの世話をしながら

話術や枕ごとなどの夜のお客の接客術を学びます。

時には姉太夫の馴染み客が重なった場合、「名代」として太夫の代わりに

お客と添い寝をするのも大切な仕事です。

そして、その場合お客は新造には手を出してはいけません。

振袖新造はあくまで見習いなので。

身に付ける振袖は見世からの借金で買うことになります。


 禿から上級遊女になれない妓や、10代半ばから後半で吉原に売られ禿の時代を経なかった妓は

留袖新造とめそでしんぞうになります。

留袖新造は振袖新造とほぼ同年代でなるのですが、振袖新造は客を取らされませんが、

留袖新造は客を取らされます。

しかし、まだ独り立ちできる身分でないので花魁につき、

世話を受けてるのは一緒です。

振り袖は未成年者が、留袖は成年者が身に付けるものとされていますので

立場の違いは身に付ける着物で表されているのです。


 更に器量が悪く遊女として売り出せない者で頭の良い物は番頭新造ばんとうしんぞう

になり、花魁のマネージャー的な役割を担いスケジュール調整や金額交渉などを行いました。

ですがひそかに客を取ることもありました。


 同じように器量に問題が有り頭は良くないが、芸事を得意とするものは

太鼓新造たいこしんぞうとなり太鼓持ちとして太鼓や琴、

三味線などを用いて主に宴会での芸の披露を担当したのです。


それらも無理なものは飯炊き・風呂焚き・髪結い・縫い繕いなどの雑用をさせることになります。


 振袖新造はお客をとる前、「水揚げ(みずあげ)」つまり初体験をすませます。

この時基本的に相手をするのは、店の常連でその道に長けた40歳ぐらいの

優しい金持ちの男性が多いです。

その費用は面倒を見ている花魁などの姉遊女がだし総額2000万円から5000万円ほど。

独り立ちする振袖新造と一緒に7日間花魁道中をして、馴染み客を伴い見世に戻り、

新造に定紋入りの羽織を与えました。

振袖新造を水揚げする客は、寝具一式を新造に送り、それを用いて床入りします。

この寝具の費用は蒲団と夜着を合わせて500万円位かかりました。

当然、お金も暇もあり、最初のお客ですから振袖新造の性行為に対する恐怖心や

嫌悪感を抱かせないようにし夜の作法も教えられるくらい遊び方も心得たお客となります。


 店の状況によっては多少乱暴だったりする場合もあったようですが、

背に腹は代えられないので仕方ありません。


 そして新造になると、その後は自分の着物や髪飾り、化粧代、食事代などが自腹になります。

また寝室などは花魁は個室を持っていましたが、禿や新造といった

見習いや下級遊女は大部屋に雑魚寝です。

それだけでなく、新造はお客を接客するのも「廻し部屋まわしべや」と

呼ばれる共用の大部屋で、屏風1枚で仕切られただけの寝床で性行為を行いました。


 遊女の位階は太夫、格子太夫、局、端、切見世または鉄砲となっていて

夫・格子がいわゆる花魁の高級遊女です。

新造や禿たちが「おいらの姐さん」と呼んだのが訛って「花魁」になったといわれています。

 

 太夫は容姿・教養・話術、枕ごとのすべての技が最上位で、自分で客の男を選び、

気に入らない男はどれだけお金を積まれようと相手にしない事ができました。

基本的に客を引きに出たり格子の前に立つようなことはせず

客は細見(風俗雑誌のような吉原の見世や遊女がのっているガイドブック)を見たり

揚屋で話を聞いた人間が指名してくるのを待ちました。


 そして太夫と遊ぶには現代の価格にして一晩で100万円から400万円、

身請けには1億円以上かかります。

これは揚屋と呼ばれる宴会場で宴会を開き酒や料理を注文し

太鼓持ちなどにもチップを弾んだりしなけれあならなかったからです。

ただし太夫の身請けの価格は人気と年齢によって上がったり下がったりしました。

これは太夫が禿や新造を養っているからでもあるのですが

見世の顔として最大の利益を利益をもたらすものでもあったからです。

もちろんそれを相手にできるのは大名や豪商ぐらいです。


 格子は見世の格子の前に座り、客の品定めを受ける事ができる遊女で個人の部屋を持っています

太夫と違い格子は客を選ぶことは出来ませんでしたが、格式ばったやり取りを嫌ったり

高い花代(花魁本人に渡すサービス料)で客が少なくなるのを嫌がったものは

あえて太夫にならずに格子のままでいた場合もありましたし太夫でも稼ぎが少なくなれば

格子に落とされました。そしてここまでが上級の遊女とされました。

格子と遊ぶには現代の価格にして一晩で50万円程度必要です。


 局もお客と過ごすための自分の部屋を持っている遊女で

格子と違い客は遣り手が決めました。

局は中級の遊女で揚屋に行かずとも郭に行けば直接遊べたため10万円程度有れば遊ぶことが出来ました。


 端・切見世は待機や寝室などの個室を持たない正式な遊女で、振袖新造とほぼ変わらない扱いですね。

路上で客を引いたのはこの遊女たちで鉄砲女郎とも呼ばれました。

彼女たちは一刻つまり2時間あたりで客を取り一人1万円から2万円程度の料金でした。


 割合としては遊女の数は2000人から3000人

その中で太夫が20人から50人前後、格子が50人から100人前後、局が300人から500人前後、

残りの人数が端・切見世といった下級遊女や見習いの振袖新造や禿となっています。


 私には男を引き寄せる華と太い客がつく幸運があったようで

今では吉原でも数少ない太夫の一人となっていたのです。


・・・


 ある日私が新しい髪飾りを買うために部屋から出て道を歩いている途中のことです。


「木曽屋の小瑠璃ってのはおまぁか!」


 突然私に対して怒鳴りが声かけられ、声の方に振り向くと顔を真赤にした

遊女が手をふって私の頬を”パァン”と平手で打ったのです。

恐らく局だろうと思われるそれなりのものを身に着けた、

それでも私に比べれば見劣りする着物や髪飾りのその女がさらに怒鳴ってきました。


「良くもわっちの客を寝とりおったな!」


 誰のことかわからないが多分そうなのでしょうね、

寝とるという言葉に私自身は心当たりは特に無いのですが、

「見世」としてはカネを落としそうな客には

太夫をすすめるわけだからそんな客の一人かもしれないです。

遊女の間ではよくあることです。

これが太夫や格子であれば話はややこしくなりますが。


「後生だから、ちっとものを言わずにいておくんなんし。

 わっちが寝とったんではありんせん。

 向こうがわっちを口説いてきたんでやすえ」


 騒ぎを聞いて街の見回りをしていたらしい男衆におさえられた

女は怒りを強めて更に怒鳴ってきた。


「どの口開いていうんかこの泥棒猫!。

 てめえの父ちゃんも盗人っかぁ!」


 私はだまって拳を握りしめ、目の前の女の顔面を殴りつけた。

私のことはまだいい、だが父は関係ないだろう。

”ゴッ”という音とともに女が倒れ、その隙に私は一目散に逃げ出しました。


 腰に下げていた小さな青い石とそれを吊るしている赤い紐に下げた鈴が”チリン”と

小さく音を立てます。


「糞女、逃げるな!、手面なんぞ地獄に落ちやがれー」


 地獄にならとっくに落ちてるのですよ、ここ吉原はこの世の地獄なのですから。


 逃げるために全力で走っていく先の交差点の角でそこから出てきた

背の高い細身の人物とぶつかってよろけ倒れてしまいました。


「あいたた……」


「すみません、大丈夫ですか?」


 そう行って私に手を差し伸べたのは腰に大小二刀を下げた

育ちの良さそうな物腰をした若い武家様でした。


「ああ、心配いらさんす、ぶつかったのはわっちの方やさかいにな」


私はその手を取ると立ち上がって衣装のホコリをはたきました、すると。


”チリン”と地面に小さな青い石とそれを吊るしている赤い紐に下げた鈴が落ちてしまったのです。


「あ、それはわっちの……お守りでやす。」


 武家様がそれをつまみ上げると手にとってじっと見たあと


「紐が切れてしまったようですね。

 私のせいでしょうか、申し訳ない」


 そう行って私にそれを差し出しました。


「大事なものであったのであれば私の方で修繕するより

 あなたが直されたほうがよろしいでしょう」


 私がそれを受け取ると彼は微笑み


「その代わりとしてお詫びをさせていただきたい。

 貴女さえ良ければまたお会いできないでしょうか?。

 私は中条冬弥なかじょうとうやと申します。

 そなたの名をお聞きしたいのですが」


私は微笑み返して答えました。


「わっちは木曽屋の小瑠璃太夫といいんす 」


私がそう答えたところで羽織袴姿の男がこちらに駆け寄ってきたのです。


「若様!こんなところにおられましたか

 四方探しましたぞ、全く物見遊山も程々になさいませ」


「ふむ、悪かった。では屋敷に戻るとしよう。

 小瑠璃殿いずれまたお会い致そう」


 そう言うと彼は供の者とともにその場を去ったのです。


「かなりいいとこのボンボンのようでござんしたな」


 これ以上トラブルに巻き込まれぬように私は急ぎ足で郭へと帰ったのです。

・・・

 そして、しばらくの後の日のこと

本日は中条冬弥殿より揚屋差紙あげやさしがみが私のもとに届きました。

揚屋差紙は客の親の名や住所がかかれ身分を証明するものでもあり

遊女の指名を行うものでもある証紙です。


 いまごろ揚屋では女将や遣手婆が宴会の席を設けてさぞかしふっかけていることでしょう。

太鼓持ちや幇間ほうかん(男の芸者のこと)がやたらと張り切っていたのを見ましたからね。


 私は金棒引きを先頭に煙草盆、煙管箱、煙草入れを抱えた禿を三人私の前に従え

私の名が入った提灯を下げた提灯持ち、私が歩く際に肩を貸す肩貸し

長柄の和傘をくるりと回しつつ傘を支える傘さしといった男衆を周りに従え

数名の振袖新造を後ろに、最後に番頭新造を従えて大名行列のごとくつらつらと

三枚歯の重くて高い黒塗下駄でしゃなりしゃなり

花魁道中おいらんどうちゅうで揚屋へ向かいます。

肩貸しが必要なのは下駄のバランスが悪すぎるからですが

そういう作法になってるので仕方ありません。

周りには見物客が黒山の人だかりをなして道中を見ているのが見えますね。

花魁道中は振袖新造の顔見せの意味もあるので

全員が全員私を見ているとは限りませんがこの道中の主役は私です。


 やがて揚屋についた私は下駄を脱ぎ2階の座敷へ向かいます。


「木曽屋揚屋、木曽庄左衛門抱え、小瑠璃太夫、はいりんす」


 すっと障子を開け座敷に入ると卓の下座に座っている冬弥殿が見えました。


 芸者が三味線や琴をかき鳴らし、卓上にある品もかなり豪勢なものです。


 私は卓の上座に座って彼の様子を見ます。


 初会つまり1度目はお互いに本当に顔見せだけで私が酌をすることも私と会話することもありません。

そういった役目は太鼓持ちのすることで私がするのは彼の人となりと懐具合を見ることです。


 酒乱だったり乱暴だったり思っていたより貧乏だったりすれば彼と合うことはもう二度とありません。


 ですが彼は継がれる酒を静かにのみ私の方を見て微笑ながら

太鼓持ちの望む食べ物を取って与えたり、言葉で喜ばせているようです。

また男衆に対しても偉そうにせず対応しているのをみると

プライドばかり高い武家にしてはきめ細やかな対応ができる人のようですね。


「ふうむ、上客になってくれそうでやすな」


 初めてあった時にも思ったがこの方は見目人柄財力ともに上々なお方のようだ。

神仏など信じぬ私だが、太客が途切れずにつくというすこしばかりの運のよさだけは自信がある。

まあこの苦界の中では程度ではあるが。


宴席の喧騒が収まると私は部屋を退出し彼は一人で床につくのです、

・・・

しばらくして裏つまり2回めをつつがなくこなしました。

やること自体はほぼ前回と同じです。


違うのは軽く会話をできること、上座に二人で座って

客のついだ酒を私が飲めることでしょうか。


裏というのは遊女の札のことで指名が入った場合その札を裏返しにしてその日の夜は

もう埋まってることを示し、「裏を返さぬは江戸っ子の恥」といわれ

基本的には同じ遊女とずっと遊ぶことで筋を通すことが粋であるとされています。

とはいっても実際には鉄砲女郎に見世に引き込まれる場合もあったわけですから

絶対という訳ではありませんが。

彼女たちは強引ですからね、まあ生活がかかってますから仕方ありませんが。


 とは言え基本的に吉原の決まりでは、馴染みとなった花魁を簡単に代えることはできないですし

こそっと違う見世に行って他の女で遊ぶこともいけないことされました。

一つの見世の花魁を馴染みに決めたら、最後まで筋を通すことを求められるのです。

女郎遊びというのは擬似的な恋愛婚姻であってあっちこっちに手を出すのは不義というわけです。

ちなみに初めてのような顔をして別の見世に行き、違う遊女を頼んでそれが元の見世にばれたら

法外な罰金を取られたり、丁髷を切り落とされたり、

吉原への出入りができなくなったりするのです。

・・・

そして今夜は三度目。

ようやく「馴染み」となるのです。

今日は私が郭の入り口へ出迎え宴席は私の自室になります。

彼のために作らせた専用の箸や箸箱を部屋に置き調え彼を部屋に案内しました。


「小瑠璃殿。ようやく二人きりでお会い出来ましたね。

 私から貴女にこれを送らせて頂きたい」


そう言って彼が差し出したのは絹でできた豪華な布団と夜着、瑠璃石の飾りがついた鼈甲のかんざし、

象牙でできた髪梳き櫛、金と黒檀製の煙管、朱で彩られた手鏡など高価なものばかりでした。


私は特上の営業スマイルを浮かべて答えます。


「わっちにこれをお寄越しか。すべて有難くいただきなんすえ」


そして座布団をしいて彼を呼び寄せます。


主様ぬしさん、こちらへはようきなんせ」


彼が着席すると私は盃台に乗せられた盃を手に取り、銚子を彼に手渡しました。

彼が盃に酒を注ぐと三度それに口をつけ、彼に盃を手渡しました。

そして彼が三度口をつけ、再び私に杯を返すと私が三度の口をつけます。

三三九度の契をかわして私と彼は正式に馴染みとなったのです。


「これでわっちらは仮初の夫婦でやすな」


「ええ、そうですね。

 できることなら仮初ではなく本当の夫婦になっていただきたいものでは有りますが」


相応彼の言葉にわたしはくくっと笑いながら


「主様は口がうまあござんすな。

大かた、内にはおかみさんがござんしょうね。

 わっちのところで油を売っていてようござんすか?」


「いやいや、私には妻はいないし、今日は時間を十分とってるから心配いらないよ」


「ほんにかえ?」


「先程の杯に誓って」


「あいわかりんした。

 わっちもこのなぐさみをともにできるなぞ、これより嬉しきことは無さんすえ

 そして主様今日は何をしんしょうか?望みがあれば言っておくんなまし」


「そうだねそれでは琴を一曲お願いしようか。」


「あい、わかりんした。」


そして私は琴を爪弾き始めました。


そして何曲かのリクエストにそって曲を引き終わり夜も更けてきた頃


「そろそろ床に入りんしょうか?」


と彼を布団に連れてゆこうとしたのです、が、彼は首を横に振って

 

「華の花魁とはいえその仕事は大変と聞きます、

 ですから私といる時ぐらいゆっくり過ごしてほしい。

 そう普通の娘のように」


 そう言って彼はニコニコ笑っています

しかし、あれだけの贈り物や花代やら多額の金を使って私を休ませたいというのは

どういう了見なのでしょう?


私達の仕事が大変で寝る時間があまりないのは事実ですが。


 私達の仕事はメインが夕方から夜ですが朝も意外に早く、前の晩からともに寝ている客がいれば、

その客とともに起きなければなりません。

起きたら客の着替えを手伝い、羽織などを着せてあげて洗面や歯磨きをして別れるのですが、

ここでまた来てもらえるように客の気を惹く素振りをするのは大事です。

また夜中に客が目を覚ましたら自分も起きて例えば一緒に厠に行くなどの対応をしなければならない

という不文律がありました。

このときに客が他の部屋に間違えて入ってしまったりしたら大問題になりますからね。

なので基本的には客がいる間、私たちはゆっくり熟睡できません。

客は普通に昼に仕事をしているので、朝早くから勤めに出かける事になりますから

必然的に6時ごろには起きて馴染みの場合には客を大門迄見送りに行かなければなりません。

夏だともう少し早く冬だともう少し遅くなりますが。

そしてそのあと部屋に戻り、そのまますこし仮眠を取りますが、午前10時ごろには起きて、

かるく朝食をとった後、風呂に入ります。

吉原の風呂屋は、朝の9時に開き正午には閉まったので、それ以前に入浴をすませる必要がありました。

郭の中の内湯の浴場も基本は同じです。

その間に下男下女などが座敷や廊下を掃除して回ります。

正午から16時位までが昼見世の時間ですが、私達花魁クラスは昼見世には出ません。

下級遊女は正午までに入浴・髪結い・化粧・着付けをしないといけませんから、私達より早く起きて

それを済ましましたが、私たちは化粧と着付けにたっぷり時間をかけました。

これにゆうに2時間はかかり2時ごろにやっと化粧と着付けが終わるのです。

このあと、花魁道中までしばしの時間があるので、その時間を利用して、馴染みの客に手紙を書いたり、

他の花魁と世間話をしたり、貸本で借りた本を呼んだりしていました。

客からの手紙が届くのも、このころなので、その場合それに対しての返事を書いたりもします。

午後3時を過ぎてが夜見世始まる前に夕食を軽く食べますが私たちは一日二食が普通です。

まあ、基本運動不足の私達がたくさん食べればそうなるかはおして知れるでしょう。

そして肥え太った遊女なんて誰も指名しません。

そして夕方4時から5時ごろになると、いよいよ花魁道中がはじまるのです。

廓から揚屋までは、せいぜい100メートルから200メートルくらいですが、

10センチもある高下駄でゆっくり歩くため、普通に歩けば10分20分のところを

1時間も2時間もかけて歩いたのです。

肩貸しの男衆のいる理由もこれですね。

そして午後6時ごろから、その日の客を相手に酒宴となるのです。

客と一緒に入る床付けは、だいたい午後9時から10時ごろ。

このあと、相手によっては、午前2時ころまで床で戯れるばあいもあります。

こんな感じでしたのでたしかに私達花魁にはゆっくり眠る暇はなかったのが実情です。

濃い白化粧はそういった睡眠不足をごまかすためのものでも有りますから

もしも風呂あがりに化粧が落ちた私達を見たらたぶん百年の恋も冷めるというものでしょう。

そんなわけで非常に助かるのでは有りますが……起きられてても困ります。

いろいろな意味で。


「では、せめてわっちと一緒に布団で寝んせんか?」


「分かりました、では夜着に着替えさせてもらえないでしょうか?」


私は彼の羽織袴を脱がすと夜着に着せ替えます。

脱ぐとそこは武家だけのことは有りかなり鍛えられた身体でした。


彼を着替えさせたあと自分も夜着に着替えます。


そして手を繋いで布団にはいります。


世の中の普通の夫婦というのはこういうものなのでしょうか……。


「おやすみなさい、良い夢を」


彼は私の頭を軽くなでたあと目を閉じたのです。


「主様も良き夢をみんせ」


私たちは二人仲良く手を繋いで眠りについたのでした。


・・・

そして翌日の朝、私が起きるとすでに彼は起きていてどうやら私の寝顔を眺めていたようでした。


「瑠璃殿おはよう、よく眠れたみたいだね」


彼は微笑みながらそう言いましたが、私は羞恥で顔が赤くなっていまいました。


「ぬ、主様は……わっちの寝顔を眺めては笑うなど意地が悪いでやすな」


まさかよだれを垂らしてねていたとか大イビキをかいていたとかそんなことはないと思いたい……。


「いえいえ、とても愛らしい寝顔でしたので、つい眺めてしまいました」


やはり微笑みながらいう彼の言葉に更に顔がほてってしまいました。


「さ、さあ、もう朝やし主様、はよ着替えなんし」


布団を出て彼の夜着を脱がせ羽織袴を着せたあと、自分も夜着を脱いで晴れ着に着替えます。

そして顔を洗うための耳盥みみだらい、うがいそするための含嗽茶碗うがいちゃわん、うがい茶碗に水をいれるための湯桶ゆとう、歯を磨くための房楊子ふさようじと塩を出して、洗面や歯磨きをさせます。

顔を洗ってさっぱりした彼が残念そうに言いました。


「ああ、残念だな、もう少しここに居たかったけど、仕事もあるしそろそろいとまするよ」


「わっちもまっこと残念でやすが…せめてわっちも大門まで一緒に行きなんす」


部屋を軽く片付けると、一緒に下に降りて入り口で廓が預かっていた大小二刀を返すと

大門まで仲睦まじく一緒に歩いてゆきます。


そして大門に到着。


「主様、ここでお別れや、帰りなんし」


両手で彼の手を包むように握り寂しそうな表情で見上げるように私は言います。


「ええ、また来ますよ」


彼はそう言って私の手を握り返したあと手を話し大門の外へ出て行ったのです。


「待っていんすえ」


その姿が見えなくなるまで見守るとふうとためいきをつき

営業スマイルを崩して私は廓への帰路につきました。


「戻ってもう少し寝るとしんすか」


 なんだか久しぶりに安心してゆっくり寝られた気がします。

寝顔をじっと見られたのは不覚でしたが。

うん、女の寝顔をじっと見つめるなんて悪趣味です。

次は絶対彼が起きたら私も絶対起きるようにしましょう。

・・・

彼が来た5日後ほどの昼見世の時間、私は彼に手紙を書いていました。


”あの夜に主様のような優しきお方と逢えこれより嬉しきことは無さんした。

 そして、夜ごと主様のことを思うとわっちの胸が痛みんす。

 主様今度はいつ来てくんなます?”


 手紙を書き終わると封をして、私付きの禿に渡します。

禿は手紙を携えると男衆に渡し男衆はそれを一度読んで内容に問題がなければ

男衆が町飛脚に渡し飛脚が彼に手紙を届けるという事になります、

男衆が一度手紙を見るのは中身が心中や逃亡の相談などでないか確かめるためですね。


 遊女は手紙を常に書いているというのは皮肉ですが

客の気を引くために適切なタイミングで手紙を出すのは

手練手管として重要なことの一つです。

なにせ「素見千人、客百人、間夫が十人、地色一人」などと言われるくらいで

吉原に来る男の殆どは冷やかしだったのです。


 もちろん他の客にも同じように手紙は出していますが

”私にとってあなたは特別なの存在なの”

と勘違いさせないと客を常にひきつけておくのは難しいのです。

無論客の方もまたまたうまいこと言いやがってと思いつつも

そういう手紙を貰えばもかしたら本当に俺に惚れたのかも……という

思いもうかぶわけですね。

客が帰った4〜5日後に手紙を送るのは、私のことを忘れないでくださいね、

ということを示す調度よいタイミングだからですね。

早過ぎるとわざとらしいですし、遅すぎると効果が下がりますから。


 遊女というのは客にとっては所詮性欲処理の道具であり他人に自慢するための美術品のようなもの

楼主にとっては金を稼ぐための道具であって

遊女を人間として扱ってくれる人間などいません……

ですがあの人はそう言った普通の客とは少しちがう気がします。


そう思うと私の胸は本当にチクリと痛むのです……。


 「吉原は拍子木までが嘘を言い」という川柳があります。

遊女の言うこと・することは嘘ばかりだから信じちゃいけないよという意味ですね。


「吉原は素見ひやかし千人、客(身請けができない程度の客)百人、間夫(身請けができる程度の客)が十人、地色(花魁に取っての本命)一人」などと言われるように、吉原に来る人のうち、本当に見世に上がり、お客になるのはほんの一握りでした。

なので、遊女は誰も彼も客を取りそれをつなぎとめることに必死になるのです。


 そして遊女はいかにお客からお金を継続して取るれるかが商売です。

色々な方法でお客を「もしかして、お、俺のことを本気で好きか?」と思わせていました。

これを手練手管というのです。

具体的な方法としては


 まず一番簡単な方法として 【口説くぜつ】があります。

くどきではありませんがそれの元となったものです

これは言葉と態度で客の気を引くことです、ある時は拗ねてみせ、あるときは甘えてみせ

あるときは嫌う素振りをあるときは愛しているとささやき男の気を引こうとしました。

これは実際にあった時と手紙をかくときの両方です。


 その次が【起請文】です。

例えば「わっちにはお前さんしかいないんす。年季が明けたら一緒になっておくれやす。」と

口で言ってもそこは他にも客がいるわけで言っても、客の方ははなかなか信用しないです。

その客を信用させるために神に誓い、その証拠として起請文を作るのです。

この時は熊野神社発行の「熊の牛王」という用紙を使わいます。

これは熊野神社が発行する厄除け護符の一つなのですが、その裏面の何も書いてない部分に

起請文を書き込みます。

基本的には一枚の起請文を遊女が書いて客に渡すのが一般的なのですが

ホントの本命相手には同じものを三枚を作り、遊女と客が互いに一枚ずつ持ち

さらにもう一枚は熊野神社にちゃんと奉納するという手の込んだ方法もあったのです。

さらに、文を書くだけでは納得しないという場合は、

遊女自らが指を切り、その血で起請文に血判を押して、その信用度を高めることもありました。


 その上は【紋付小袖】です。

正月一日に楼主により送られた小袖を客に送るというものです。

これは年に一度1枚しかもらえ無いものを送るわけですし

私たちの身に着けている時の香りをつけて送りました。


 更にその上になってくると少しヤンデレじみてきますが【髪切り】です。

遊女自らの髪を客に切らせ、それを客に渡してみせます

この時代の髪の毛は魂のこもったもの、いわばその女の分身であり、

客に持たせることによって、いつでも一緒にいるという気持ちにさせました。


 更にその上は【爪剥ぎ】です。

遊女が自らの爪剥ぎを行ってその履いだ爪を、

客に与えて自分の気持ちの強さを表す方法です。

当然髪を切るよりも大変な苦痛が伴うので、気持ちの真剣さを伴ったものと見られました……が、

基本的には本当に爪を剥いだわけではなく、死んだ遊女の爪を使ったり、

妹分の振袖新造や禿のの爪を伸ばさせ、長くなったところを切って、

いかにも自分の爪を剥いだように見せかけたのではあります。


 さらにさらにその上は【指切り】です

遊女が小指の第一関節から指を切り落として、その指を客に与えるというものですが

当然髪切りや爪剥ぎ以上のインパクトはあります。

もちろん本当に切る場合は、遊女にもそれなりの覚悟がいりますし、

客の方にもそれを受け入れる心構えが必要でした。

逆に馴染みになったばかりの遊女から血のついた小指が手紙と一緒に送られてきたら

むしろ引くとは思いますが。

逆に客の方から自分の指を切って遊女に差し出す場合もあったのです。


 しかし実際に指を切った遊女はほんの少しで、誠意を示すために指をあげるという方法のみが

一人歩きし始めると、死体の指を集めたり、本物のように作られた偽物の指が出回ったという話ですね。

 

 ちなみに小指と小指をからめて「指切り、拳万、ウソついたら針千本飲ます」という奴は

ここからきていて「わっちは指を切ったんだから主様も約束をお守りなんし、守らぬ時は呪い殺しますえ」という遊女の呪いが込められていたのですね。


 そして最上級は【起請彫り】です

「○○さま命」と客の名前を腕に入れ墨で書きつけるものです。

入れ墨は一度したら基本的に一生消えないので、生涯あなた一人をお慕いします

という意味でとても強い意思表示になりました。。

 しかしこれも偽の入れ墨もあって、ニカワを混ぜた墨でそれらしく書いてもらうと、

簡単には落ちないので、それを客にみせて騙したわけですね。


 結局は「私にとっては貴女が一番大切な人なの」というふうに

相手をたぶらかすために用いた手段が手練手管なのです。


・・・

 それから彼は週に一度くらい来てはそのたびに酒を飲み交わし、私を抱くことなく一緒に寝て

そしてそのまま帰るということを二月ほど繰り返したのです。


 その間の弥生(3月)には花見があり吉原の仲の町の真ん中に

大きな桜の木を植え並べて垣根をめぐらされ、提灯が飾られ、そこに夜桜見物に客が集まったのです。

私もその桜の花が散る中を花魁道中で歩き、夜桜の下で冬弥様と酒宴を開いたりもしました。


 あくる日の昼見世の時間私は太夫や格子の女達と雑談に興じていました。

その中でのことです


「それんしても、あの主様はわっちになぜ一度も手を出さんのでありんしょうな?」


それを聞いた周りの女が顔を見合わせて訝しげな顔をしました。


「もう二月の間あんさんに手をださんとはほんにかえ?」


「いやいや、そんなんありえんすわ」


「もしやその御方あっちがたたんのでありんせんか?」


「もしやあんさんをだしにして、陰間揚屋(男娼の揚屋)の高級色子(高級男娼)に通ってるではありんせんか?」


「いんや、そんなことはありんせんわ」


 周りに言われて私はそう答えました、しかし言い返したものの根拠はありません。

しいて言うなら贈り物の金額が尋常でないしそんな素振りはないということぐらいです。


しかし、太夫の中でも一番人気の者がいうのです。


「そりゃあんさん、あんさんのことをその御方がほんとうに大事に思ってるしるしやす。

 ほんにたまにそういうお方がおるんやけ。あんさんもその御方を大事ににしなんせ。

 たぶん二度とあることじゃありんせんさかいにな」


彼女のその言葉を聞いて他の女たちは嫉妬と羨望が入り混じった視線で私を見ていました。


「ほんにうらやましおすなぁ」


「わっちもそんなお人が来て欲しいでやすなぁ」


 その言葉を聞いて私はホッとしました、それとともに思う

確かに周りから見れば羨ましいことなのだろう。

だけど抱いてくれないことが本当に幸せなのだろうかとも思うのです。


 密夫(愛人のこと)がいない私にはわからないが、

手すきの日に密夫と秘密裏に……けれど周りにはバレバレなんですが……、

逢瀬して密夫に抱かれていた私の姐さんはそのときすごく幸せそうな顔をしていたのです。


 私は客に触られることも抱かれることも愛の言葉をささやかれることにも

何も思うことはなかったのですが、何もしなくてもいいと言われると

ほっとするとともになにか残念で切ない気持ちになるなるのです……。

なのにあの人と過ごす時間を思うと胸がドキドキするし別れの時は胸がチクチクするのです。

これは一体なんなのでしょう。

・・・

とある春の日の話です。


「おや良い香りがしますね」


酒の席で床の間の方を見て彼は言いました。


そこには鉢植えの馬酔木が花をつけています。


「あれは馬酔木あせびの花でござんす。

 馬酔木の葉を刻んで燻すと虫よけになりんすよ。

 春になると虫がどことなくわいてきやんすから春になるとそうしんす。

 とは言え馬酔木は馬鹿も食わぬものとももうしんすが」


馬酔の木の葉には毒があるので馬も鹿も食べないのです。


氷蚕ひょうさんは寒さを知らず、火鼠かそは熱さを知らず、蓼虫りょうちゅうは苦さを知らず、蛆虫しょちゅうは臭さを知らずとも言いますからね。

 馬酔木を好んで食す虫もいるのではないですか」


「そうでやすな、庭師に聞けばくわしいこともわかりんしょうが

 馬酔木にもつく虫はいたはずでやす」


蓼虫(りょうちゅう)葵菜(きさい)(うつ)るを知らずとも申しますね。

 可憐で人を寄せ付けぬ貴女はまるであの花のようだ」


相変わらずキザなセリフを真顔で言う彼に私は照れながら


「わっちなぞにはおこがましいでありんしょうな。」


と答えその言葉を聞いたあと私は小首を傾げ


「主様はわっちのどこがいいのでやすか?」


彼はニコリと微笑んで


「もちろん貴女の全て……ですよ。」


といったのです。

その瞳は嘘ではないと思う、でも全てという言葉は曖昧すぎてすこし腑に落ちないのですが……。


「その言葉はずるいでやんすな。」


「嘘は申してはおりませぬよ、さ、夜も更けてきましたし

 今宵はそろそろおやすみなさい。」


 私はその言葉に頷くと今夜も仲良く二人で布団にはいって私たちは寝たのでした。

・・・

 そして時は流れ皐月(5月)隅田川の川開きが行われている夜のことでございます。


 床の間にはホトトギスの花を茶花として飾ってあります。

茶花というのはお茶にして煎じて飲む花というわけではなく

茶室に飾る花のことです。


 私は窓際に座布団をしいて彼を呼び寄せます。

窓の外に映るのは満天の星空と両国の隅田川で打ち上げられている花火。


「主様、こちらへはようきなんせ」


馴染みになった日のように彼の盃に酒を注ぎながら私は言います。


「花火を見ながらの酒盃といわすのも粋でやすな」


「ええ、そうですね。だけど天の星よりも川に映る花火よりも

 私にはあなたのほうが美しく見えますよ」


うんあいかわらずキザな物言い、わたしはやはりくくっと笑いながら


「主様はほんに口がうまあござんすな。

 ほんにおかみさんやら他にいい人はいんせんか?」


「前も言いましたがいませんよ。」


「ほんにかえ?」


「神仏に誓って」


「あいわかりんした。」


そして窓の外を再び見ると両国は隅田川のあたりに思いを馳せて


「わっちも生きている間に一度でようござんすから

 舟遊びというものをしてみとうやすなぁ。

 川の船上から見る花火は一段と美しおすやろうし」


「なるほど、すぐには難しいかもしれませんが

 なんとか手配してみましょう」


「ほんにかえ?」


「ええ、待っていて下さい。

 きっと綺麗ですよ。」


「あいわかりんした、きっとでやすよ」


「任せてください、約束を違えるようなことは致しませんよ」


 私はその言葉に大きく頷くと鏡台からかみきりばさみと袋を取り出して

彼に差し出しました。


「ならば、主様良ければわっちの髪をもらってはいただきしんすか。」


「髪は女の命と聞きますが良いのですか?」


「主様やからもらってほしいんす。」


「分かりました、小瑠璃殿の髪、いただきましょう。」


結った髪の一部を崩すと彼がそれにハサミを入れ、袋へそれを入れました。


「その髪をわっちと思って、大事にしんせ。」


「ええ、私の家宝としますよ。」


そして床に置かれた彼の手に私は手を重ね


「主様、わっちの体をほしいとはおもいんせんか?。」


とくちづけをしようとしました。


しかし彼は人差し指でそれを遮り


「いや、やめておこう」


と静かにそれを拒んだのです。


「主様はわっちに興味がありせんすか?」


「肌で触れ合わずともこうして貴女の顔を見て、話を出来るだけで

 私は十分楽しいよ、それにまだ早いみたいだしね。

 ゆっくり思い出してくれればいい。」


思い出すとはなんのことでしょう。


「?」


「さあ、今日も疲れているのでしょう。

 ても少し熱いし、ゆっくりおやすみなさい」


「あい、わかりんした。

 主様もやすみんせ」


「ええ、そうしましょう。」


そしていつもどおり寝ていつもどおり朝の見送りをして……

しかしその日を境に彼は見世に姿を見せなくなったのです。


「わっちが余計なことをしたから、主様のきにさわったでやんすか……。」


しかしその後に伝え聞くところには彼の遊郭遊びに彼の父親が激怒して

縁談を進めるも彼が断っているばかりで蟄居を命じられているとのことでした。

まあ、彼が使った金額を考えれば当然ともいえますが。


彼がいなくても客が全ていなくなったわけではありませんが、

私の心にはなにか大きな穴が空いたような感じでした。


「主様に一目会いたいでやんすなぁ……。」


私の胸の痛みは一層強くなったのです。


それでも生きていくためには体を売らなかればなりません。


今日の客は商人の旦那の太助です。

商人とは言え豪商というほどのレベルではなく身請けを出来るほどの財はありません。

彼は私の私室に入るとすぐに後ろから抱きついていいました。


「俺にゃあお前だけなんだ。

 今の俺に身請けできるカネはねえ、だが、絶対成功してお前を身請けしてみせる。

 だから待っててくれ。」


「うん、きっとでやすよ」


もう何度その言葉を聞いたでしょう、彼の言葉を聞いても私の心は冷たいままです。


いつもどおりやることをやって寝ると翌朝の見送りをして見世に戻ります。


戻った私に女将が言いました。


「ああ、もうあいつは素寒貧や、もう取るんやないで。

 わちらは空になった財布にかまっとれへん。」


「あい、わかりんした。」


どうやら溜まっていたつけが払えないようになっているようですね。

つけは彼の店の大旦那なり親なりに代理で払わせるのでしょう。

金の切れ目が縁の切れ目はここでは顕著です。


冬弥様は来られず、一人の客が手切れになり私の胸はちぎれるようにいたんだのです。


「あとどれだけこんな地獄が続きんすかね……」

・・・

時は流れて文月(7月)冬弥様より文が届きました。


”やっと父上の了解が得られました。

 貴女が望んだ舟遊びにお誘いいたします。”


「久方ぶりに冬弥様にあえんすなぁ。」


嬉しい気持ちで一廃になった私は上機嫌で花魁道中に向かいます

禿や新造、男衆、太鼓持ちなどを引き連れて船宿へ向かいました。

本来出れない大門を男衆が前後を固めてくぐり日本堤を歩いて指定された船宿へやって来ました。


そこでは久しぶりに冬弥様の姿を見られたのです。


「小瑠璃殿いろいろありまして大変遅くなりましたことをお詫びします。

 今夜は舟遊びと花火をぜひ楽しんでください」


「主様わっちの言葉を覚えていてくれたんでやすな……。

 感謝しても感謝しきれへんおおきにな」


そういって渡し板をわたって皆で屋形船に乗り込みます。

船宿から酒や食べものを持った雑仕女が船に乗り込むと船は堤防をゆっくりと離れました。


山谷堀さんやぼりを船がゆっくり下る間に花火が打ち上げられるのが見えたのです。


そして『たまやー』『かぎやー』という花火師の名を呼ぶ声があたりから聞こえてきました。


「ほんに花火というものは綺麗なもんでやすなぁ。

 職人が丹精込めて作ってそして空に打ち上げられ

 大きな花を咲かせて散っていく……」


まるで私達遊女のようだ、6歳から10年ほど見習いとして必死に研鑽し

17歳で客を取るようになって多くの者は23から24で死んでいく。

歳を重ねた遊女の末路は暗いのです。


堀の周りに飾られた提灯の炎が揺らめき、花火ともに幻想的な雰囲気を引き立てています。


「小瑠璃殿、大事な話がある。

 船尾楼の個室に先に行ってほしい。」


「話……でやすか?わかりやした、わっちはおさきにいきなんす。」


私は冬弥様の言葉に従って船の船尾楼にある個室へ向かいました。


そして個室へたどり着こうとした時に一艘の猪牙舟ちょきぶね

私たちの乗る屋形船に接舷し、その船から長ドスを携えた太助が乗り込んできました。


「やっと機会を見つけたぜ小瑠璃ぃ。

 俺から絞れるだけ絞りとって金がなくなりゃなしの礫。

 そのくせちゃっかり次の金づるを見つけやがって。

 俺は借金地獄もう破滅で地獄行きだ、だが俺だけじゃ地獄にいけねぇ。

 小瑠璃、お前も一緒に地獄に落ちてもらうぜ。」


「くっ、そんなのはここじゃ当たり前のことでありんせんか。

 わっちを恨むのは筋ちがいや。」


「うるせえ、死にやがれ!。」


彼は鯉口を切ると長どすを抜いて私に斬りかかろうとしました。

そしてその刃が私に落ちてきます。


「そこまでにしてもらおうか!」


その声がかかるとともにに白刃が一閃しながドスが弾き飛ばされ川に沈みました。


「冬弥様……」


彼の姿が視界に入った時に私の意識は薄れていったのです。


(これは夢だろうか)


私の目の映るのはまだ父とともに住んでいた頃の幼い私。

何かの使いの帰り道でみかけたうずくまっている品のいい武家の子どもと

それを取りかこむ数名の武家の子供。

品のいい武家の子供はなにか小さなものをかばっているようだ。

私は取り囲んでいる男の子たちに突進して一人をつきとばした


『こぉらぁー、てめえら寄ってたかって何やってがんだ!』


そうすると男の子たちがはやし立てた


『なんだとー、お前こいつの味方するのか?』


『生意気おんなめー』


私はにやりと笑い拳を構えた


『あたしとやるってのかい。いい度胸だね。』


そして幼い私は囲んでいた男を殴り蹴り投げ飛ばして退散させた。

このくらいの歳だと男より女のほうが強いのだ。

そしてうずくまっている男に声をかける


『あんた、大丈夫かい?』


『え、ええ、助けてくれてありがとう。』


彼がかばっていたのは巣から落ちたツバメのひなのようでした。


『僕は武家の長男なのにみっともないよね。

 皆には軟弱者と笑われてる

 でも、弱いものをほおってておくことは僕にはできないよ』


自らを蔑むように言う彼に私は言い返しました。

ツバメの巣を見つけると彼は雛を手のせ巣に返します。

まあ、私が肩車をしてるんですが。

そして彼を下ろしてちっちと指を振りながら私が言います。


『別にいいんじゃない。

 腕っ節が強いだけが人間の価値じゃないし。

 優しいってていうのもこの泰平の世の中じゃ必要だよ』


彼はその言葉に目を見開いてからはにかんだように笑って


『ありがとう、そんなことを言ってくれたのは君が初めてだ』


そう言って彼は袖から小さな青い石と鈴のついた赤い紐を取り出したのです。


『これは僕の宝物なんだけど、君に上げる。

 今日ボクを助けてくれたお礼。

 もし何かあった時は屋敷に来てこれを鳴らして

 その時は今日のお礼に僕が助けるから』


そう言って笑った少年は……幼いころの冬弥様でした。


そして私は屋形船の中で目を覚ましました。


太助は縄で縛られて転がされてるようです。

しかし大夫である私と旗本である彼に刃を向けた以上

良くて遠島流し、普通で死罪でしょう。


そして太助を組み伏せて倒したらしい冬弥さまが

私の方を心配そうに覗き込んでいました。


「小瑠璃殿怪我はありませんでしたか?」


私はこくこくうなずき答えます。


「わっちより冬弥様は大丈夫でありんしたか?」


彼はほっととしたように微笑んで言いました。


「ああ、僕は大丈夫、良かった、今度は間に合った。」


その言葉に私は紐が切れた青石と鈴のついたお守りを手に持って差し出した。


「主様が言っているのはもしやこれのことでありんせんか?」


私の言葉に彼はうなずきました


「ようやく思い出してもらえたのかな。」


「つい先程、でやすが。」


コクリとうなずいて私は答えたのです。


「あのとき私は貴女を助けるといったのにその約束を守れなかった。

 そして貴女が売られたと聞きずっと探していた。

 私達が小さい頃は尾張に住んでいたから

 京か大阪だと思っていたんだ。

 だがどこにも見つからずお勤めで江戸に来た時

 君に出会った、私のことは忘れられていたと思うけど

 それも仕方ないことだと思った。

 年も経ちすぎていたし昔の私はよわかったから

 体を鍛えることもした。」


「なんで今まで言ってくれなんせん?」


「怖かったんだ、約束をまもれなかった私のことをもしかして君が恨んでるんじゃないかって。」


「そんなことありんせん。」


「それに私のことを完全に忘れているようにも見えたし……」


「すまんかった、それは否定できひん」


「だから、時間をかけて思い出して欲しかった。

 こんなことになるとは思ってなかったけど。

 僕はあの時に君にあった時から君が好きだった。

 だから、今なら言える。

 君を身請けして妻に迎えたい。」


その言葉に私はこわばりました。


「その言葉非常に嬉しんす。

 けど、わっちは主様の優しさを利用しようとしただけの浅ましい女やす。

 ほんにわっちでええんすか?」


「君だからいいんだ、そして君じゃなきゃダメなんだ。」


そういって彼は私の体をぎゅっと抱き寄せ

私の顎をくいと引くと唇を重ねてきたのです。


「主様、わっちも主様が大好きでやす」


そして私たちは肌を重ね、今宵無事に結ばれたのでした。

・・・

翌朝私達が起きて個室から出た時


拍手とともに祝福の言葉がみなからかけられました


「おめでとう。」

「おめでとうございます。」

「姐さん、ほんにめでたくやす。」


どうやら周りに全て聞かれていたようです。

私たちは二人で顔を赤くしながらその祝福を浴びながら郭に帰ったのでした。

・・・

そのご私の身請けは無事成立いたしました。

私についていた禿や新造、男衆は新たに太夫になった遊女についたり

一番人気の姐さんが引き取ったりして新たな体制になりました。


私たちは大門を出ると冬弥様の乗る馬に二人で乗り屋敷へ向かったのです。


冬弥様が調べた所、私の祖先は武田家のそれなりの位にあった家臣であったと

私の住んでいた家の家系図を冬弥様の父上にお見せすると

私と冬弥様の婚姻は承認されました。

ただし名目もあって私は妾としてとしての扱いでした。

武家屋敷での生活は穏やかに過ぎて行きました。

私は花魁時代の経験を活かし書や琴などの芸事、教養などを

教えることで屋敷に馴染んでいったのです。


やがて私は冬弥様との子供を身ごもりました。


そして十月十日後のこと……


無事女の子が生まれました。

少々小さい体ではあるものの元気な女の子です

しかし、その二日後……

・・・

「どうにかならないのか!。」


冬弥様の声が遠く聞こえます。

私の体は長い遊女生活でボロボロでした。

そして出産時に傷がついた産道からの出血が止まらずに居たのです。


私の意識が遠くなっていくのがわかります。


「冬弥様、申し訳ありません。

 せっかくあなたに救っていただいた私の命もこれまでのようです」


「何を言ってるんだ、これからだ、これから幸せになるんじゃないか!」


「私は吉原の大門をくぐったあの日地獄の日々から、心を閉ざし諦めることに慣れすぎてしまいました。

 神仏の加護などなく吉原の色地獄に落ちたものに手を差し伸べてくれるものなど居ない。

 ならば希望など抱かず人として生きるのではなく男に抱かれるだけの肉の傀儡として

 生きればいいのだと。

 でも、今はこう思うのです、私は今まで何のために生きてきたのだろう。

 幸せってなんだろう、私には何があったのだろう。

 冬弥様、あの地獄にあってあなたと過ごした時間だけが私にとっての幸福でした。

 そうでなければ心を持たぬ私は心なく死になにもないまま、誰も私を覚えるものも居ないまま

 消えていったでしょう。

 あなたが、あなただけが私を忘れずにいてくれたこと、私に優しくしてくれたこと

 心を失って居た私があなたの優しさにつけこんであなたから財産をむしりとろううとしていた

 こんな私でも……。」


「瑠璃!もういい、しゃべるな。医者をよべ、早く!」


「冬弥様私たちの子供をお頼みします。

 私が得られなかった幸せを与えてやってください。

 あなたは本当に私にような女にはもったいない方……。」


「瑠璃?」


「だから……これは……あなたに……お返し……致し……ます……。」


私は青石のお守りを手に取り彼に渡そうとしました。


「瑠璃?!死なないでくれ?!瑠璃ぃー!」


すでに何も見えず力も入らず、でも私はあなたとの子供をなせ

あなたのそばで死ぬことができて本当に幸せでした。

ありが…とう。

・・・

こうして苦界から抜けだした花魁は最愛の人に見守られながら果てました。

彼女の部屋には馬酔木とホトトギスの花が残されていました。


「わかったよ瑠璃、君と私の子供はきっと幸せになれるように育ててみせる。」


その言葉通り彼は娘を幸せにするべく大切に育てることになります。


その後に蘭学を学んだ医師が屋敷に訪れた時彼は屋敷の片隅で咲き誇る

馬酔木とホトトギスをみてこうつぶやきました。


その花言葉は「二人で旅をしよう」と「永遠にあなたのもの」と。




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― 新着の感想 ―
[良い点] これ物凄い密度の文体かつ謳うように書かれていますなぁ! 吉原物は漫画の「難波鉦異本」以来ですが大変満足させて頂きました。 [気になる点] <太夫>の下はあの本では<天神>だったと思いますが…
[良い点] 今、吉原の話書いてたので、こても勉強になりました。 ありがとうございます!
[気になる点] >今日は如月の初午はつうしの日 ハツウマの振り仮名がハツウシになっています [一言] 遊郭の楼主に生まれ変わった~から来ました 戒斗の介入のない吉原はやっぱり大変そうですね 資料など…
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