芋虫よ、私の代わりに踊ってくれ
月明かりをスポットライト代わりにして、芋虫は踊っていた。結構必死な感じである。切り株の上でジタバタジタバタ。きっと何かを伝えようとしているのだろう。しかし、さっぱりわからない。自己紹介だろうか。
「うんうん。私は、エリスね。すぐ隣の侯爵家のお嬢様やってるんだ」
握手をするつもりで右手を差し出す。芋虫が戸惑ったように首を傾げたが、すぐに短い脚を伸ばしてくれた。届いてないけど。そっと握ってみると、芋虫は何となく嬉しそうに頷いた。すごい知的な奴だ。
芋虫はパッと脚を引いて、再び踊り出した。何かの儀式なんだろうか。しばらく見ていたが、何も起こらない。土の中に潜りたいのか?私はその辺の石ころを使って、切り株の横に穴を掘ってやった。しかし、芋虫はぴょんぴょんと器用に飛び跳ねて抗議しているようだ。ならば、布が欲しいのかと、落ちていた布を頭から被せてやる。芋虫は項垂れてから、最初見た時のように丸まった。疲れたのだろう。
「じゃ、私そろそろ帰るわ。また遊びにきてもいい?」
芋虫はちらりと私に目を遣った後、小さく頷いた。
「今度はお土産持ってくるけど、何が好き?家の庭の土?」
芋虫が溜息を吐いた。違うらしい。その後、葉っぱ、草、木の実……と続けるが反応はよろしくない。贅沢な芋虫である。
「パンとかお菓子は?」
お?何か頭を持ち上げたぞ。よしよし、持ってきてやろうじゃないか。私のオヤツを分けてあげよう。びっくりするくらい美味しいぞ。
「じゃあ、お菓子持ってくる。多分明日の夜も抜けてこれると思うけど、起きられなかったらごめん。気長に待ってて」
こくんと頷いた芋虫の背中を撫でてから、私は歩き出した。絶対明日も来よう。異世界芋虫、非常に可愛かった。できれば持って帰りたいが、まずは生態を調べてからにしないと。死なせたら目も当てられないから。
囲壁の穴をくぐって、敷地内に戻る。この穴は塞いでおいた方が良いだろうか。いつでも穴はあけられるのだし。元に戻るように魔法を使ってみれば、何とビデオの逆再生のように直ってしまった。一応目印に、側の花を毟って置いておいた。証拠隠滅完了。とても充実した夜だった。これで脱走計画をたてやすくなったんじゃないだろうか。もう少し魔法が上手く使えるようになったら、こんな風にこそこそしなくても良くなりそうだ。お父様の書斎に侵入してみようかな。貴重な本とかありそうだし。でももう疲れたから、今夜は戻って寝よ。
◇
今日は珍しく家族そろっての朝食である。超絶美少女なお父様が、憂い顔でパンを食べており、迫力系美女なお母様がにっこりと笑いながら紅茶を飲んでいる。あ。このスープ美味しい。
「ふふふ。今日も頑張ってくださいね、あなた」
「……気が進まないなぁ……」
「変なことを要求された場合は、ブッ飛ばせばいいのです。難しく考える必要はありませんわ」
お母様は脳筋系なのか?そうなのか?一体誰をブッ飛すおつもりですか。
「さすがに陛下にそんなことはできないよ」
まさかの王様……。そんなことしたら、お父様でも不敬罪でサヨウナラになりそうだ。
「陛下と、何かあるの?」
「午後から呼び出されているんだよ。最近、妙にエリスのことを聞かれているから……もしかして、もしかするのかもしれない。嫌だなあ……」
溜息を吐いてもお綺麗なお父様。もしかするって、どういう意味だろう。不思議そうな顔をしていると、お母様がそれはもうにっこりとド迫力な笑顔で言った。
「第一王子の婚約者選びのお話ですよ。家柄と年齢が釣り合いそうなご令嬢は、エリスを含めて三人しかいないと聞いています。もしかしたら、エリスが婚約者になるかもしれないですね」
「え、何それ!?婚約者ってもう決めるの?」
「他家と婚約する前に、王子様のために最高なご令嬢を押さえておきたいのでしょうね。それに、お妃教育は早いうちに始めなければいけませんからね」
いやいや、ちょっと何その急展開。既に政略結婚の危機なんだけど。ちょっと、お妃って何その重役。無理でしょ。私にそんな能力もやる気もないんだけど。しかも、第一王子ってきっと攻略対象者だよね?ドSとかツンデレとか俺様系イケメンだったらどうしよう。絶対追いかけて泣かせたくなる。
そもそも婚約者は、ライバル令嬢なのか悪役令嬢なのかわからないけど、私じゃなくて別の女の子なはずだし……。え、まさかサブで私もライバル?悪役?令嬢ってやつなのか?いやでも、ポスターのあの影の薄さから言って、もう既に死んでるとかそんな設定も有り得るぞ。病気とか、事故とか。戦死とかも……。あとは、王子の過去の想い人とか、生け贄とかさ。いやいやまさかの死亡設定!あー……考えれば考える程、ゲーム開始時には死んでる気がしてきた。だらだらと冷や汗を流していると、お父様の唸り声が聞こえてきた。
「そんなことにならないように頑張るよ。侯爵家の跡取りがいなくなるってね」
「分家から養子をとるよう言われるだけですよ」
「……エリスを選ぶなら、宮廷魔法使い辞める」
「ほほほ。簡単には辞められませんわ。あなたは貴重な祝福持ちですからね」
「お母様って、私を王子様の婚約者にしたいの?」
「あら。私は、これでも怒っているのですよ?」
そんな笑顔全開で?困惑してお父様を見ると、肯定するように頷かれた。笑いながら怒るタイプなのか、淑女が皆こうなのか……。
「ふふふ」
あ。お母様ったら目が据わってる。本当に怒ってるのね。
お父様、本当によろしく頼むよ。王子の婚約者とかマジで死ぬかもしれない。物理的にも精神的にも。胃がキリキリしてきた。こんな状態でダンスレッスンなんか受けたくない。ああ、あの芋虫、ダンス上手だったなあ……今日のオヤツ全部あげてもいいから、代わりに受けてくれないかなあ。