真夜中の散歩
二階から飛び降りた私がパッと日傘を差すと、落下が止まった。空中に浮かんでいる状態である。歩くように足を動かせば、思い通りに進むことが出来た。失敗したらどうしようかと少しドキドキしていたが、問題ないようで安心した。
それにしても、空を歩くことが出来るなんて、すごい体験だ。魔法ってすごい!大声で叫びたい。誰かにこの気持ちを伝えたいんだけど、そんなことをすれば脱走が出来なくなる。どこかに私を絶対に裏切らない味方がいないだろうか。そうしたら前世の事含め何でも相談にのってもらえるのに。ロイは良い奴だけど、イケメンだからダメだ。しかもメイドちゃんをナンパするようなチャラチャラした男だし。メイドちゃんたちは、すぐにお母様に言いそうだから論外。はぁ。真剣に友達が欲しい。
しばらく夜空の散歩をして、屋敷を取り囲む壁の手前で日傘を閉じた。するとゆっくり体が降りていき、地面に足をつけると体に重さが戻ってきた。
囲壁のどこかに出入りできるような箇所があればいいんだけど。非常に防犯上は宜しくないけれども。私は、壁に沿って歩きだした。
そういえば前世を思い出すまでの私は、魔法なんて使えなかったはずだ。そもそも使おうと思ったことさえない。魔法なんて祝福持ちしか使えないというのは、小さな子供でも知っていることだ。祝福持ちだけが、魔法を使う意志を持ってイメージすれば使えるわけで。……つまり、私は祝福持ちだと考えられる。
先日、火や水も操れてしまったので、どの竜の祝福なのかはよくわからない。お父様のように風竜なら風だし、火竜なら火、水竜なら水、地竜なら地というように、祝福は一竜からしか与えられず、その竜の系統魔法しか使えない。他に竜いたっけ?誰かに聞けば教えてくれるかもしれないが、魔法が使えることは内緒にしておこう。ま、遅くとも来年の洗礼でわかっちゃうんだろうけど。判明したら王宮に強制連行だったりして。
魔法が使えるのはいいけど、お父様みたいに国に囲われて馬車馬のごとく働かされるのは御免だ。国としても貴重な祝福持ちを逃さないために必死なんだろうけど、兵器として戦場に投入されたくはない。戦場帰りのお父様の顔色は最悪だ。幽鬼も真っ青なレベルで酷い。
せっかく転生したのだから、私はファンタジーものの定番、冒険者とかしながら自由に旅をしてみたい。そりゃ贅沢させてもらってるし貴族としての責任もあるんだろうけどさ。責任……もし弟が生まれたら、女の私は政略結婚の駒にでもなればいいのか?それは絶対嫌だ。
「……何もない。何もないんだけど」
延々と歩いているのだが、囲壁はどこもかしこも頑丈そうである。少し崩れていて出入りが出来そう、なんて場所がない。しっかりと整備がされているようだ。となると、正面から突破するか、空から行くしかない。日中に空を飛ぶなんて目立つことはしたくない。かといって、夜出て行っても健全なお店は閉まっているから、意味がない。あまり長い時間姿を隠すと大事になりそうだし、なかなか難しいな。
使用人たちが出入りする裏門までやってきたが、そこもまた閉められていた。その上、向こう側から話し声がする。騎士が立っているらしい。なら、正門にも何人か立っているのだろう。……どうしよう。どうやったら日中外に出れるんだろう。全力でお父様にお願いしよう。いや、絶対ダメって言う気がする。お母様なんて脱走対策に護衛の数増やしそう。こうなったら、こっそり穴をあけるしかない。魔法が使えるか試してみよう。幸い、しゃがめば見付からないくらい背丈のある花もあることだし。それは正門・裏門のどちらからも程よく離れた場所だし、夜なのできっとばれないだろう。
目的の場所まで戻った私は、囲壁を見上げた。バルコニーから見た時、この向こうには林が広がっていた。……異世界のカブト虫が見付かるかもしれない。街へ行くよりそっちの方が楽しい気がしてきた。
「私が通れるくらいの穴を作りたい」
ドキドキしながら言うと、鉄が溶けるようにどろりと壁が崩れ去った。おお。これはすごい。しゃがんで穴を見れば、向こう側が見えた。月明かりのおかげで、問題なく進めそうだ。多少服は汚れるだろうが、せっかくのチャンスだ。気にせず行こう。私はその穴を潜り抜けた。
「おー雑木林だ」
服についた土を払いながら周囲を見回す。色々な種類の木が生え、湿った落ち葉の土の中から瑞々しい雑草が伸びている。これだ。私の理想郷がここにあった。お庭のバラを観ながらお嬢様らしくお上品な会話をしろ?いや私まだ5歳なんだけど。せめて7歳くらいまではのびのび育ててほしい。「ですわ」って何それ自分で言ってて鳥肌たちそうだから。流行りのドレス?死ぬほどどうでもいいがな。スカート長すぎでいつもこけるんじゃないかってひやひやする。もっとシンプルにシャツとズボンでいい。
少し沈み込む様な土の感じがとても良い。あー。土と緑のにおいがする。癒される。
月が随分高くなっている。もう少ししたら戻らなければ。屋敷は静かだからロイが扉を破壊したなんてことはなさそうだし、こそっと戻って寝よう。明日は朝からダンスのレッスンだし疲れをとっておかなければ。先生がとてつもなく厳しい。
木の根元に躓かないようにゆっくりと歩く。夜も更けてきたので虫の鳴き声は幾分小さくなり、時折梟のような鳥の鳴き声がするくらいだ。ほっとする。やっぱり私には皆に傅かれるお嬢様よりも、こういった自然の中で自給自足の生活をしている方が似合っている気がする。秘密基地でも作っておこうかな。
そのまま少し進むと、木々がない開けた場所に出た。その中心には太い切り株があり、その上には白い塊が乗っていた。もぞもぞ動いている。何あれ怪しいんだけど。
「…………」
しばらく観察していたが、全く私に気付く様子もない。そもそも生物なのか?好奇心に駆られるまま、忍び足で近付く。そっと。そっとね。シーツなのかな?白い布の下には、大きなホールケーキみたいに丸まったものがいるようだ。それがもぞもぞしている。
私はピーンときた。この形。この質感。布一枚隔てていても想像できるあの姿。前世の私が愛してやまなかった芋虫ちゃんの超巨大版に違いない。なるほど、異世界の芋虫は重量級なのか。素敵なことである。
布をゆっくりめくってみると、中には予想通り芋虫がいた。真っ白な……真珠のように艶がある体に、金色の模様が入っている。足と頭の部分も金色だ。宝石のような芋虫である。是非触りたい。私は手を伸ばした。
「――――っ!?」
芋虫が跳ね起きた。しかも、何にも聞こえないけど、何かを叫んでいる。悲鳴か?悲鳴なのか?
布が地面に落ちて、芋虫の体が月明かりに照らされる。おお。つやつやのぴかぴかである。
「ごめん、起こしちゃった」
再度体を撫でながら謝ると、大あごで攻撃しようとしていた芋虫はぴたりと動きを止めた。そして再び何かしゃべっているような仕草をするが、さっぱりわからない。
「何、許してくれたの?ほんとごめんね、寝てたのに。でもついつい触ってみたくなっちゃって」
ちらりとおしりに目をやると、肛門は横一文字になっている。やはりカブト虫の幼虫なのだろう。ただ、金色のパッチリした目があるのが異世界仕様なのかな。普通ないと思うんだけど。ま、サイズも違うし異世界ならこんなもんなのかな。