扉の向こうにチャラ騎士がいる
目覚まし時計とは、何と素晴らしい発明品なのだろう。三度目の正直でようやく真夜中に目覚めることに成功した私は、前世で愛用していた目覚まし時計を恋しく想う。いくら早く寝るといっても、体はまだ幼児なため基本的に朝まで爆睡である。いつもより少し早く寝た甲斐があった。
窓の外は、月が煌々と輝いている。ちなみに前世と同じで月は一つしかないが、非常に大きい。外は暗いが、月明かりで何とか歩けそうだ。私は、ふかふかな超高級ベッドから這い出し、転がり落ちるように床に降りた。高さがあるベッドは幼児にはまだ早いと思う。畳に布団で十分なんだけど。
クローゼットの中から上着を引っ張り出し、羽織る。そして、この日のためにベッドの下に隠しておいた木の棒を手に持てば準備は万端である。さあ行こう。
部屋の扉をそっと開ける。
「あれ、お嬢?どったの?」
はい。終了しました。脱走するための抜け穴探し、全くこれっぽっちもできずに終わりました。何で扉に騎士が張り付いてるのかわからない。いや、いつもいたのかな。私が気付かなかっただけで。
「何でそんな絶望しきってんの?」
チャラ騎士がへらへら笑っている。無性に床の上をゴロゴロしたくなってきた。全然気配がしなかった。チャラ男のくせに。非常に悔しい。
「もしかしてお漏らししちゃった?」
「死ね!レディーになんつうことを言うんだお前は!」
衝動的にチャラ騎士に蹴りを入れる。いってーとか言う割に全く痛そうに見えない。5歳児の蹴りなんてそんなもんだろう。
「何でチャラ男がいるの?いつもいたっけ?」
「俺そんなにチャラいかなあ。心外だわー」
「ねえ何でいるの?答えて」
再度聞き直すと、チャラ騎士は少しだけ真面目な顔になった。真面目な顔をしていれば結構イケメンなのだ。
「毎晩護衛していますよ。大切なお嬢様に何かあったら大変ですからね」
え。何それ怖い。他所のお宅でも護衛がついているんだろうか。あー……夜中でもメイドちゃん呼ぶことあるだろうし、誰かは立っているかもしれないな。全然そこまで頭が回らなかった。てっきり私が脱走しない様に、いつも監視されているのかと思った。でも、何で騎士だけなんだろう。朝方私が起きる頃にメイドちゃんと交代するのだろうか。
「お嬢様?」
考え込んだ私に、チャラ騎士が声を掛けてくる。私はじっとその顔を見た。中途半端に伸びた茶髪があっちこっちに跳ねている。イケメンだけど、猫みたいだ。このチャラ騎士(18歳)、まさか猫枠系攻略対象者……?いやいや、例の広告にこの顔は載っていなかったはず。最近イケメンを見るととても緊張する。しかもイケメンがやたら多い。勿論女性も美人が多い。あれか?前世日本人の記憶が、私の美的感覚を惑わせているのか?だとしたらまずい。この屋敷の人と来客者くらいしか判断基準にできないけど、二人に一人はイケメンに思えてしまう。攻略対象者が周りのイケメンに紛れて気付けないかもしれない。ヒロインにも気付けずに、何かしちゃったらまずいよね。ワザとじゃなくても悪い方に取られて……。ええと。ヒロインの名前は書いてあった気がするんだけど。ま……ま……?マリリン?違うな。まるもり…………マリアだ。そう。庶民でも貴族でもマリアちゃんは鬼門だ。可愛いマリアちゃんには十分気を付けよう。よしよし。
「…………チャラ男に敬語を使われると、気持ち悪い」
「ひっでえ!俺だって敬語くらい使うっつの。大体お嬢が良いって言うからため口なんじゃん。普段敬語だぞ俺!」
「まあ、社会人ってそうだよね」
「ちぇー。何だよー。てかそのチャラ男って呼ぶのやめね?俺そんなチャラくないんだけど」
嘘だ。こいつはチャラい。私はお前がメイドちゃんを口説いていたのを知ってるぞ。
「何その胡散臭そうな目!」
チャラ男はぷんぷん怒っている。今更ぶりっ子しても可愛くない。
「そもそも俺、名前で呼ばれたこと無いんだけど、もしかして……」
「もしかする」
皆名乗ってくれないから、騎士もメイドちゃんも名前を知らないのだ。流石の私でも名前を知っていればちゃんとその名前で呼ぶのに。まあ、不自由はなかったから良かったんだけど。それに、気にしたこと無かったけど、カタカナの長ったらしい名前は呼びにくい。言われても一発で覚えられない気がする。
「マジで!あーだからその呼び方なのか。ロイだよ。簡単だから覚えやすいだろ?元孤児だから名前しかないしさ」
「何だ。いい名前じゃん」
短くて呼びやすい。これ重要。
孤児が侯爵家の騎士になれるものなのか。意外と苦労人なのだろうか。見た目と口調でチャラく見えるんだけど。髪を切ってすっきりさせれば……ただのイケメンにしかならないわ。今のやんちゃ小僧みたいな方が仲良くできそうだ。まさかそこまで考えてその髪型なのか?イケメンってエスパーなのか。
「それで、お嬢はそんな恰好でどこ行くの?」
「……目が覚めちゃったから、ちょっと飲み物を貰いに行こうかと」
「ふうん」
今度はロイが胡散臭そうな目で私を見た。何だ文句あるのかと睨み返してやった。
こう毎晩騎士が張り付いているとなると、脱走計画を立て難くなる。日中はメイドちゃんが背後霊の様についてくるから、変な動きが出来ないんだけど。
「……じゃあ、飲み物貰ってくるわ。その代り、絶対に部屋から出るなよ」
「オッケー」
「…………信じられないから一緒に行こっか。うわ、何その嫌そうな顔!」
はあ。今夜はもう駄目だ。また改めよう。私は諦めて部屋に戻ることにした。
「あれ?寝るの?飲み物いらなくなっちゃった?」
「うん。チャラ男の隣って孕みそうだから無理。じゃ、おやすみ」
「はらっ!?え、何それ。まさか俺そんな風に思われてたわけ……?ね、お嬢、ちょっと話し合お?俺たちには話し合いが必要だから!話せば誤解だってわかる、って、ちょっ、待ってよ!」
バタン。
ロイを無視して私は部屋の扉を閉めた。ついでに鍵もかけた。うるさい奴め。
はぁ。私は窓を開けてバルコニーに出た。風が気持ちいい。
夜空を見上げると、きらりと光るものが飛んでいた。ああ、竜か。夜でも飛んでいるのか。
この世界には竜が存在する。物語なんかで登場する、蜥蜴のような体に蝙蝠のような翼が生えているファンタジーなあの生物だ。創世神ヴァーダーの部下的な、天使のような認識をされている生物だけど、人間と竜が直接関わることは全くないため、別に怖くもなんともない。「あぁ竜がいるな」程度の認識だ。今は暗くて見えないが、空には謎の木――世界樹が浮かんでいて、根っこの水晶玉みたいな巨大な魔石が竜たちの力の源になっているのだとか。きっとあの竜も世界樹を出入りしていたのだろう。いいなあ。私にも翼があれば、自由に外に行けるのに。
そう思った瞬間、羽根のように体が軽くなった。両手で口を押え悲鳴を無理矢理飲み込んだ私は、自分の足元を凝視した。地に足は着いているが、何だかふわふわしている。これは一体どういうことだろう。ああ、魔法だ。発動原理がわからない。まさか、念じただけで発動するとでもいうのか。だが、今はまあ気にしないでおこう。お父様から本を借りれば解決するのだから。
軽くジャンプをしてみる。風船のように体が上がって、それからゆっくり下りた。重力を味方につけたのか?なんにせよ。
「これってチャンスだ」
このまま庭まで跳べそうだ。でも、心配だからもう一度試してからにしよう。今度は少し大きめにジャンプをする。よしよし、問題なさそうだ。ああ、クローゼットに日傘が入っていたはず。落下速度の調整に傘は役立ちそうだ。結局木の棒は役に立たなかった。木の棒をベッドの下に放り込む。これで強盗が来たら返り討ちにしてやろう。
日傘を握って、再びバルコニーへ。庭には誰もいない。鍵をかけたからロイは入ってこないだろう。イスによじ登り手摺に足をかける。日傘はいつでも開けるようにしている。深呼吸をして、庭に向かって私はぴょんとジャンプした。