私が脱走を決意するまで
「お嬢様、少し休憩されては?」
一心不乱に図書室で本を読み漁っていた私は、メイドちゃんの声にハッとする。もうオヤツの時間だ。
私が勝手に設置した隅っこのミニテーブルに紅茶とタルトが置かれる。今日のオヤツはベリータルトか。ツヤツヤとしたイチゴちゃんが私を誘っている。早く食べてと。いそいそとイスによじ登る私に、メイドちゃんはコホンと咳払いをした。
「お嬢様。もう少し……何とかなりませんか?」
「相変わらず堅苦しいね。誰もいないんだから楽にしようよ」
「誰もいなくてもお上品に振る舞ってください。特に貴女は侯爵家のご令嬢として、同年代の見本となるべき方なのですよ」
私が見本とかないわ。無理無理。内側から溢れるこの残念オーラに気付いてほしい。むしろ私ほど庶民臭がする令嬢がいては不味いのではないだろうか。
野山でキャッキャウフフ駆け回って遊びたいのに、ずっと家の中に閉じ込められているのだ。庭は学校のグラウンドかと言うほど広いから、庭で遊べという意味なのだろう。しかし、一人で遊んでいても味気ない。出掛けることもないため友達がいない。メイドちゃんたちは遊んでくれない。私は可哀想なボッチなのだ。
はぁー、と溜息を吐いたからか、メイドちゃんが訝しげな顔をした。
「ね、メイドちゃん」
「はい、お嬢様」
「お外に出たいなぁ」
「お庭でございますか?最近はずっとこちらに籠っていますからね。今朝、綺麗に薔薇が咲いたと聞きました。是非見に行きましょう」
「お庭の外なら是非行きたい」
ちらりとメイドちゃんを見ると、彼女は困ったような顔をした。いつもそうだ。両親に聞いてもそういう顔をされる。あれか?私の存在を外部に漏らせない事情が……つまり隠し子だとか養子だとかそういうことなのか?確かに両親の超絶美貌は受け継がなかったけど。それが悪いのか?そんなの変装していけば問題ないだろうに。
「洗礼の時まで、お待ちください」
またそれか。この国では、6歳の誕生日に教会へ洗礼に行く習慣があるらしい。それまでは家にいなさいってことだ。貴族だから?一般市民は流石にそんなことしないだろう。
……ちょっと脱走してみるか。この超有能メイドちゃんから逃げるための、作戦を練ってみようかな。
まずは腹ごしらえだ。私はタルトの先端にフォークを入れた。それを口の中に放り込めば、イチゴの甘酸っぱさで幸せな気持ちになる。とっても美味しい。こんな美味しいオヤツを毎日食べられるなんて、うちはなんて金持ちなんだろう。でもたまにでいいから激安コロッケとかフライドポテトとか、こうジャンキーなものが食べたくなるのは何故だろう。お小遣い貰ってないから、何もこっそり買えないんだけど。もし街に売ってたら、我慢しろってことなのか。イヤリングや髪飾りなら換金できるだろうか。いや、特注品だからすぐに足が付く。一度視察してから考えよう。
私が至福のオヤツの時間を堪能している間に、メイドちゃんが読み散らかした本を片付けてくれる。天井までぎっしりと本の並べられた侯爵家内の広い図書室は、王宮図書館に次ぐ蔵書数らしい。お父様はあの少女チックな見た目に反して本好きで、読んでいない本なら手当たり次第に買ってくる。街で流行っている恋愛小説とか、冒険記なんかも置いてあるので暇潰しに今度読んでみたいと思う。
紅茶を啜りながら、読みかけの本に目を落とす。『王国史』である。敵を倒すには知識がいる。誰が敵なのかもさっぱりわからないが、私は毎日必死に本を読んでいる。五歳児の仮面なんて被っている暇はない。もともと記憶が戻る前もそんなに変わらなかったしね。誰も何も言ってこないから、私の変化は些細な物なのだろう。
「あ、メイドちゃん。戻る前にまた本を取ってほしいんだけど」
欠片も残ってないお皿を下げたメイドちゃんに声をかける。声には出さなかったけど、またなの!?って目が言っている気がする。ごめんよ、だけど私じゃ台に乗っても高い所の本は取れないんです。今度お礼にセミの抜け殻たくさんとってくるから。異世界の昆虫事情知らないけど、きっと立派なヤツをプレゼントするから。
「上から三段目の全部持ってきて」
「……わかりました」
「あと、竜の祝福についての本が全く見当たらないんだけど、どこにあるか知らない?」
お父様は風竜の祝福を持っていることは知っているが、それ以外のことを私はよく知らない。以前の私は、「お父様って魔法使いさんだったのねー!すっごーい!」で思考が止まっていたからだ。おいおい、魔法だぜ?もっとテンション上げて、「魔法使いに私はなる!」みたいなこと言えよ。過去の自分に言ってやりたい。ただ、お父様以外で魔法を使っている人を見たことがないのが気にかかる。昨日試してみたら、指先に火を灯したり、手の平に水を集めたり出来ちゃったのだ。真面目に。制御できなくて火事になったら困るし自粛しているところだ。魔法に関する本を読みながらゆっくり練習する予定でいる。一人でこっそり、誰にも内緒で。
「……申し訳ありませんが、祝福や魔法に関する本はありません」
「え?ないの?」
「はい。一般的は出回らない大変貴重な本ですので」
あのお父様なら貴重な本でも買い漁っていそうなのに。王宮にしかないとかそういうレベルなのだろうか。
「お父様にお願いすれば、取り寄せてもらえるかな?」
「そうですね……一度お話しされてみても良いかもしれません」
ま、ダメと言われたら気になることは直接聞こう。
「そうする。それと、ついでにこの本読み終わったし、片付けて貰ってもいい?」
あ。メイドちゃんの目が死んでる。
「いやあ、ちょっと読むの早くて。何だかごめん」
前世を思い出してから、速読が可能になった。パラパラパラーっと読めて且つしっかり吸収できるハイスペックな頭である。一冊数分で読めちゃえることもあるため、メイドちゃんは本の出し入れが大変だ。
「いえ、大丈夫です。お嬢様、そろそろマナーだけでなく、勉強の方の家庭教師をつけましょうか?」
「えー家庭教師?自由な時間なくなるからいらない」
「……では、お嬢様が自由に学べるよう、学園の教科書を取り寄せておきますね」
「あー、学園って貴族の子供とかも行く王立学園のこと?」
中世ヨーロッパ風のこの国には、貴族や商家の子供、優秀な一般家庭の子供のための学校がある。基本的には10歳から16歳まで通えるけど、行かなくても問題はない。別に飛び級可能だし、ちゃちゃっと済ませることもできる。貴族の女の子は、結婚相手を見つけるために行きたがるらしい。政略結婚よりも恋愛結婚の方が上手くいきそうだからか?
「んー。入学試験受けた次の日に卒業試験って受けれる?」
「ええっと、お嬢様?」
「大学には行ってみたい」
学園は、日本の小中高校に値する。ここが乙女ゲームなら、学園で絶対何かあるんだと思う。そもそも私ってただのモブなのか話に絡んでくるモブなのかわからない。ただ、広告の端っこに私みたいな人の影が載ってた。意味深、超意味深。緩くウエーブした金髪の目を閉じた少女。私も金髪だし。茶髪は多いけど、本当の金髪って少ないような気がするから、多分……もしかしたら今世の私かなって。で、主人公はゆるふわ系なかわいこちゃんみたいだし。攻略対象は当たり前だけど男だし。高笑いポーズの女の子は、黒髪だったし。私ってモブなの?モブじゃないの?まさか高笑いちゃんの取り巻きとか?さっぱりわからない。でも、巻き込まれるのも嫌だから学園は行きたくない。だから入った瞬間即退場する。
学園のその上に、最高学府の大学があるんだから、そっちでのんびりゆったり勉強しよう。恋愛とか、無理だから。衣装ケースでのカブト虫の飼育を趣味にしていた前世を持つ私に、淑女の仮面は辛すぎる。淑女のたしなみである刺繍を頑張ったら、気持ち悪いと叫ばれる始末。超力作だったのに。蜘蛛シリーズ。次回は無難に蝶にしよう。
そんな私は政略結婚で……いや、生涯独身でいい。夫婦仲良好な両親のことだ。そのうちまた子供ができるだろう。跡を継ぐのはその子でいい。もしかしたら、弟が生まれて、その子が攻略対象者なのかもしれないし。本格的に逃げるしかない。よくある乙女ゲーム転生もの見たいに断罪されて放り出されるかもしれないし。いや、そもそも悪いことするつもりは全くないんだけど。
とりあえず、お外の世界へ遊びに行くんだ。それから今後のことを考えよう。
やれやれだぜ、と紅茶を飲み干した私は、脱走計画をたて始めるのだった。