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第八章

ロサンゼルス空港――


「ええっと……」

不安げに辺りをキョロキョロ見回すのはミイナだ。

始めての渡米。

長らく、日本の都市部は反政府のテロなどが多く危険だったこともあり、安全に渡米できる日をミイナは待っていた。

「こんにちは、日本からのお客様。何か困った事はありませんか?」

ロサンゼルスは機械の街。

旅人の手伝いをするアンドロイドがそこいらにいて声をかけてくれる。

ミイナをみて日本語で話しかけてくれる親切さだ。

「ありがとう。実は待ち合わせをしてるのだけど……、エリア5の14番出口は……」

「エリア5の14番出口ならここですが……」

彼女は足元を指差す。

「なら、ここで待ちますね。ありがとう、えっと…名前は……?」

「サクラと申します」

彼女は笑った。

「そう。ありがとう、サクラさん」


あのクーデターから五年経った。

タクミはそれから三ヶ月後、渡米して悠介達と暮らし始めた。

それで皆が落ち着いて暮らせるとミイナは思っていた。

長年幼馴染として暮らしたタクミがいないのはとても寂しかったが、日本は、特にあの家はタクミが暮らすのには辛すぎただろうから。 

そんな事を思い出していた。

そんな時後ろから走り寄る靴音。

振り返ろうとした時抱きついたのはアンだった。

「ミイナ!」

強い力で抱きしめられた。

ミイナは涙をこらえるのに精一杯だった。

本当に色々あって、全て言葉足らずのまま分かれてしまっていたから。

ビデオチャットなどで話せても本当と気持ちの深いところまでは何と無く話せなかった。

お互いの近況と明るい話に終始する。そしていつの間にかあの時のことに関する話はタブーのようになってしまった。

十ヶ月前、タクミが失踪するまでは。

「how about you? ……っと、違う。えっと、えっと……、会いたかった」

珍しく、アンは慌てていて、シドロモドロになっていた。

背はもうミイナを見下ろすほどに高く、未だにまったく化粧っ気のなさは健在で、それでもアンは綺麗だった。

「アン。昨日も話したじゃない、ビデオチャットで。だけど、実物はもっと、綺麗になってる」

ミイナはクスクス笑いながらも、間近にいるアンを感慨深げに見つめる。

「ミイナ、アタマ撫でてよ」 

アンは甘えた声を出す。

五年前の夏タクミが入院している時によくしてあげた行為だった。

寝起きが悪いアンはタクミがいないこともあり、いつまでもリビングのソファーで不機嫌に寝転がっていた。そんなアンを食卓に促すために膝枕で頭を撫でたのが始まりだった。

まるで猫のように頭を撫でてもらって気持ち良さそうにしているアンはとても可愛らしかった。

だからミイナはタクミが帰ってくるまで、毎日リビングのソファーで頭を撫でて、髪を梳かした。

「……アン、だけど…ここじゃあ……」

流石に、今年二十二歳の科学者の頭をこんなところで撫でるなんてと、ミイナは二の足を踏む。

「いいから! ミイナ! 撫でてよ」 

ミイナより背が高くなったアンは焦れるようにそう返す。

仕方なくミイナはアンの頭を優しく撫でる。

抱き合ったまま。

アンはミイナに頬を擦り付けた。

「アンはいい子……」

あの時のように。

恥ずかしさと切なさ。

そしてアンが変わっていなくてよかったという安心感も少なからずあった。


 あのクーデターでアンはタカヤに手を引かれていた。

 彼が背中に三発の弾丸を受けるまでは。

 手を離して力なく倒れたタカヤを置いて逃げるしかなかったアンを思えば、簡単に「助かってよかったね」とは笑えなかった。

 その後アンには会えないままに、合衆国の保護の元、帰国してしまって慰める事も出来なかったが。

 帰国してからもきっと辛かったに違いない。

「ミイナの相棒は?」

「彼女は仕事が休めないのよ……」

二人は歩き始めた。アンかミイナのキャリーバッグを引っ張る。

「それは彼女がアンドロイドだから?」

「違うの。彼女は先月温泉に行って三日連休を取ったから」

 ミイナはクスクスと笑う。

 『彼女』とはミイナの所有するアンドロイドで、ミイナの仕事の相棒だ。

 ミイナは介護士で、在宅の老人の訪問介護をしている。

 いま日本ではそのような介護は専用のアンドロイドとコンビで行う。

 訪問介護の虐待や窃盗の防止、またその冤罪を防ぐための目的もある。

法律が制定され、日本でも沢山のアンドロイドが暮らしている。

新しい法律は世界一アンドロイドに優しいと評判で、しかしながら偏った思想の人権家が反発したりもしている。

人間の雇用が奪われてしまったり、不法改造などが横行したりもして、まだまだ日本はアンドロイドに関しては後進国だということだろう。

空港のエントランスを抜けると、青い車が一台止まっていた。

その運転席の扉の横で、シルバーの髪色のアンドロイドが立っていた。

「デイジーよ。私の家族」

アンがそのアンドロイドを紹介してくれた。

ミイナはデイジーが差し出した手を握り会釈する。

車に乗り込むとアンはロサンゼルスでの暮らしについて話し始めた。

「家に帰るのは十日ぶりなの」

「そうなの? 近くに部屋を借りてるの?」

「違うわ。研究室にずっといるの。シャワーも浴びてないのよ……」

アンがシレッとそんなことを言うから、ミイナは思わず助手席のアンから距離を取る。

「大丈夫よ、ウエットティッシュで綺麗に拭いているから。下着もとりかえているわよ。髪の毛は洗ってないけど」

「それなのに私に撫でさせたわけ?」

流石に呆れる。それでもミイナは、悪びれないアンを許してしまう。

アンもそれを知っていた。ミイナは自分を許すという事を。

「だけど、手が離せなかったんじゃないの? 大丈夫だったの? 迎えに来てくれたりして……」

怒るどころか、離れられないような研究のさなか迎えに来てくれたのではないかと、アンを心配するミイナの人の良さにデイジーですら感服する。

「ミイナに会うために、結果を急いだの。だから大丈夫!」

アンの極上の笑顔がミイナを振り返る。それに会えただけで良かったような気がした。

アンは今も両親と郊外の一軒家で暮らしている。

その自宅までは、空港からは一時間ほどかかった。

ジーナとタクミの父親悠介が出迎えてくれて、アンドロイドのデイジーとアザレアも混ざって庭で食事をする。アザレアは家事を担当するアンドロイドのようだ。

見た目はデイジーに比べて童顔で幼い感じがする。十二、三歳の見た目だろうか。しかし、ジーナや悠介まで彼女のいう事を聞いているのを見ると少し面白くもある。

簡易テーブルを囲んで和やかに食事は進んだ。

「ミイナちゃん。先日のタクミの目撃談を聞かせてくれないか。できるだけ詳しくね」

食事の後アザレアの入れた珈琲を楽しみながら、最初に切り出したのは悠介だった。

それぞれが話をやめてミイナの言葉を待つ。

ミイナの渡航の目的の一つ。行方知れずのタクミの捜索の協力だった。

ミイナは戸惑いながらも話し始めた。

「同じ高校を卒業した人が集まるサイトがあるんですけど……、そこで情報を求めてみたんです。それで、南米の紛争地帯を取材した記事にアップされた写真に、タクミに似た人が写っていると連絡をもらったんです」

ミイナはバッグのタブレットを取り出すと、写真の男をアップにして悠介に見せる。

ジーナとアンはそれを見るために顔を寄せる。

「よく似てるわ」と、ジーナ。

「そうね。少しゴツくなった気がするけど……、だけど、そうだとしたら、この服装は……」

アンがその言葉尻に悠介を見る。

悠介は頷いた。

「タクミはLYNX(リンクス)にいるということだ。それなら渡航の履歴が全くないのも理解できる。でも――、タクミのネックレスがないよ」

「ルカのチップ」

 アンが答える。

LYNX――

世界最大で最強の傭兵集団。

金で雇われ何処へでも行って殺人や破壊工作をする。根っからの戦争好きの集まりだ。

ミイナでさえその名を知っている。

映画などでも描かれているし、命知らずの代名詞のようなモノだから。

「今後の捜索は無意味ね……。LYNXの人間には識別番号がないもの、どの国でも何の身分証もなしに出入国できるわ――」

相槌の代わりに溜息を漏らす悠介。

「どうして……そんな事に?」

ミイナは呟いた。

日本でいた頃のタクミからは想像は付かないが、数回ビデオチャットで見たタクミは体が引き締まって、何処か眼だけがぎらついていた気がする。

タクミがアメリカ国籍を得るために軍隊に入隊したのは四年前だったか。

タクミのような移民がアメリカ国籍を得るためには軍隊が手っ取り早い。

悠介のようにアメリカのために役に立つ科学者でもない限りは、入隊するしかないと考えるものも多い。

悠介はアメリカの大学に入って政府直属の組織に就職して、それから申請を行えばいいと言ったが、タクミは自ら軍隊を選んだ。

日本での辛い思いを振り切るようにタクミは入隊したように感じた悠介は、アメリカが全く戦争をしていない時だったこともあり、好きにさせたのだ。

タクミは頭がいい方だから、二、三年軍事基地を回れば内地勤務になれるだろうと。

しかし、タクミは長期休暇もほとんど帰ってこず、戦術を学んでいたという。ナイフや銃やそのほかの武器の扱い、諜報術。過酷な訓練をストイックにこなしているという話は、悠介が軍の知り合いに会う度に聞かされた。

そして、どんどん逞しくなってゆくタクミを誇らしくさえ思っていた。

 日本で起きた辛い出来事を忘れるために努力しているんだろうと。ここで生きるために忘れようとしていると思っていた。

「悠介。タクミはここには帰ってこないわ――」

 アンがぽつりと。

「ごめんね……。多分帰ってこないって、わかっていたのに、黙っていて」

 東京で何があったのかという事は、もうアンにしか聞くことはできない。それでも、悠介は今までそれを聞くことは出来なかった。

 異性が苦手なアンが初めて好きになった日本人の彼の事を思い出させることにもなるから。

 やっぱり、普通を装っていただけなのだ。悠介は痛感する。何も解決なんかしていない。

 悠介の後悔がアンにもわかったらしく、アンが言葉を続ける。

「誰も悪くないよ。タクミは自暴自棄になったんじゃないのよ。チップがないという事は、きっと――」

「アン、あの時の事を聞いてもいいかい……?」

 おずおずとそう聞く悠介。

「待って、悠介。いつかちゃんと話すから。ただ、タクミは今度こそ失わない為の準備をしていたのよ。少なくとも、十か月前までは…ね。その準備が終わったんだわ――」

 アンは少し視線を下げて、長い睫毛を重そうにゆっくりと瞬きをする。

 こんなアンを見るのは初めてだ。そんな成長を見せられると、ミイナは少し淋しささえ感じる。

「タクミは今、大切な人との時間に走り出した。だから、そっとしていてあげたいの。無鉄砲に見えるけど、タクミは最大限生きるための準備はしていったわ――」

 アンは微笑んだ。

 五年の月日は静かに時を刻んでいる。けして立ち止まることも、戻る事もない。

それぞれの時間は確実に流れていた。アンの顔を見ながら、ミイナはそれを如実に理解した。

もう戻れない――

しかし、その時感じた感情は複雑で、歩む道を別った淋しさがあるのに、先に進もうとしている二人に安心もある。

――私も前に向わなければ――

ミイナはそう思った。

タクミを忘れて、新しい恋をしなければ――と。


半年前――

東京。

 海に面したビルの最上階に彼のプライベートラボがある。

「日本は久しぶりだろう?」

 海岸線はキラキラと輝く。

 懐かしい海の香り。

「前のビルには戻らなかったんですね。こんな郊外だと不便じゃないですか?」

 テラスで話す男達。

「あそこは思い出がありすぎて、何となくね……。タクミ君は…随分男らしくなったんだね。見違えたよ」

「軍隊にいたんですよ。アメリカ国籍を取得するために……、その理由は建て前なんですけど……」

 タクミは手摺に頬杖をつく。

 その姿を見ながら神谷はコーヒーの入ったマグカップに口を付ける。

「俺、海辺の町で育ったので、この潮の香りはとても好きなんです。日本の海辺の香りがする」

 華奢で色白だった青年は随分日焼けして体は大きくなっていた。

 けれど声はあの時のまま、優しげなゆっくりとした口調も変わっていない。

「で、どうなの?」

「何がですか?」

 振り返ったその顔に迷いなんかなかった。神谷にはそれが分かる。

「答えが出たからここに来たのだろう? 君はどうするんだ? ルカを――」

 生かすのか殺すのか? そう付け加えた。

「先生、俺は、選択はそれだけだとは思っていないんです」

「どういう事? 君はルカの何を選択したいの?」

「まずは性別。そして役目」

 神谷の顔から笑顔が消えた。タクミの迷いのない目か不安を掻き立てる。

「タクミ君、よくわからないな。君は…何をしようとしているんだ?」

 神谷の訝しんだ眼に映るにこやかな男。

「ルカには俺を絶対に愛さないでもらいたい。尚且つ、俺を追いかけてもらいたいんです――」

 それでも生きてほしいのか?

 それでも死なずにいてほしいのか?

 答えはいつでもYESだった。


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