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第七章

「追跡されないようにしたところで、ゲートが締まればお仕舞だろう?」

 東京とその他の地域を繋ぐのは七つのゲートだ。東京に入るゲートとは別に、出る為のゲートが七つ存在する。

 東京に入る為のゲートは審査が厳重なのに引換、通常、出る為のゲートの審査が緩い。

つまり、入るのは難儀でも出るのは意外に簡単だというわけなのだが。

「第三ゲートは、今、どうなっている?」

「邦人の居住の多い東側、政府要人は北、西と来るから狙うなら南の第三よね。調べてみるわ、類」

 運転席にタカヤ、助手席にアン、後部座席の一列目にはルカを挟んで神谷とタクミ、そして後列には、エリカとロベリアが乗り込んだ。

 それぞれが不安げに沈黙に落ちてゆく。

 ルカはタブレットの電源を入れると脇目も振らず指を動かしている。

「タカヤ、第三ゲートに向って走って。できるだけ早くね!」

 アンの言葉に何も言わずに頷くタカヤ。

 ルカの調べるところの答えを待つ時間はない。走る最中、もし第三が絶望的でも迂回する時間はない。

 タクミは俯く。タブレットのタッチパネルの上を忙しそうに動くルカの指先を見ていた。

 タカヤの運転に左右に身体を揺らされる。

 その度にルカの重みを感じる。

 こんな時にさえそれは嬉しく愛おしく感じて、泣きそうだった。

 再び動き出した時間は、残酷なほどに急ぎ足に過ぎてゆく。

 彼女が居るのだから――

 よくよく考えてみれば奇跡のような出来事だった。

 けれど、だからこそ思ってしまうのだ。

 失うのは嫌だと。

「第三ゲートは今の所大丈夫よ。何とか間に合うかもしれない。……ああ、だけど、橋は大渋滞だわ……」

 ゲートの先は片側二車線の橋を渡らなければならない。

「とにかく、ゲートさえ越えればいいんだ。後はどうにかなるさ」

 珍しくタカヤが真面目にそんな事を呟く。

 車は大通りに出た。タカヤがスピードを上げる。

 体が背もたれに押さえつけられるようなGを感じる。

 タカヤのゲーム仕込みの運転テクニックには問題はなさそうだ。

 真夜中の道路を駆け抜けてゆく。

「タカヤ、ワゴンは横倒しにないやすいから気を付けてね」

 アンとタカヤは視線を合わす。

「アンにけがをさせるようなことは絶対にしねえから」

 タカヤはこんな時もへらへらと笑う。しかし今はその呑気なタカヤの様子に救われる気がした。

「お嬢さんがた、真夜中の旅をお楽しみください」

 そんな風にふざけるタカヤに後ろからエリカとロべリアがクスクスと笑う。

 文字通りの真っ暗闇が口を開いて全てを飲み込もうとしている。

 それでも何か小さな光を見つけられたら、笑う事は出来る。

 タクミはルカの手を握った。

 少し驚いたルカの顔。笑ったタクミに彼女の笑顔はもたらされる。

 タイヤの鳴き声が聞こえて、体を遠心力に揺さぶられながら。

普段は夜も明るいはずの何かを警戒したように暗く静まりかえった景色を横目に。

 タクミは愛おしいものにめぐり合わせてくれた街を後にする。


 十メートル程あるだろうか。

 銀色のゲートが見える。

 空が白みだした――

 このゲートは閉まる事など今までなかったのだろう。その足元にはビニールシートに包まれた建材か何かが積み上げられていて、制服を着たゲートの監視員がそれを移動させている真っ最中だ。

 おそらく、観音開きのゲートの扉の両側に積まれたその荷物の移動が終わるとともにゲートは閉められるのだろう。

 百メートル先の光景だ。

 あと少しだというのに、渋滞していた。

 ちらほらと車を乗り捨てる人も。ボストンバッグを抱えた中年の男がパジャマ姿のまま走ってゆく。

 サイレンが聞こえた。

 その音は一つではなかった。

 タクミは振り返って言葉を失った。

 数台装甲車が迫っていた。その後ろに警察の車両も並んで見える。

「軍まで……、いったい何をする気……?」

 タクミがそう呟いた。

「全員表に出ろ! ゲートまで走るんだ!」

 神谷が叫んだ。

 その後はスローモーションのように、ルカがタクミの脇腹の横のドアの開閉ボタンを押した。

 押し出されるように外に出て、アンが降りた後ろ姿を見た。

 フロントから回り込んだタカヤがアンの手を取って走り出す。

 同じようなタイミングでそこいらの車の扉が開き、蜘蛛の子を散らすように人が散り散りに走ってゆく。

 神谷がタクミを急かして、ルカがタクミの手を引っ張る。

 タクミは走り出した。

 エリカとロべリアは?――

 ルカに手を引かれながら振り返ると、彼女たちはまだ車内にいた。

 目を虚ろに開いたまま、動きをやめている。

 米神のチップの差込口が開いている。

 タクミは神谷が最後に彼女たちにした事を理解した。

 その刹那――

 鳴り響く銃声は続けざまに――

 耳の横でパスパスという音と共に車体に穴が開く。

 前方を走る若い女性が倒れた。その背中には血がジワリと滲んでいる。

 その横をタクミは走る。ルカに手を引かれて。

「ウソだろ――」

 小さく呟いた。

ゲートにたどり着いた時、神谷の薄桃色のシャツの後姿が見えた。

 アンがしゃがんで何かを叫んでいた。

 そのアンは神谷に抱え込まれて引きずられる。

 アンの手の先。走る人たちの足元。

 金髪の後姿が突っ伏していた。

 タカヤ――

 何も見ない眼が開いていた。

「タカヤ!」

 タクミは足を止めた。

 泣き叫ぶ黄色い声――

 怒鳴り散らす荼毘声――

 人々は逃げ惑う。

 それを追い詰めるように鳴りやまない銃声。

「ダメよ! タクミ!」

 ルカがタクミを呼んだ。

 アンの声にならない声が聞こえる。

銃声の中、ルカが抱え込むようにタクミの背を抱く。

「お願い……、走って――」

 揺らいだ声。強い力で引っ張られてタクミはゲートを越えた。

 タカヤを残したまま。

 橋の中央まで来た時神谷とアンをまた見つけた。

 アンが神谷の胸を殴りつけている。その顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

「アン……」

 辿りついたタクミは息を漏らすように名を呼んだ。

 アンの眼がタクミを見つけて駆け寄り、胸に飛び込んだ。

「タカヤが! タカヤが……死んじゃった!」

 アンは子供のようにわあわあと声を上げて泣いた。

 タクミはと言えば、今見た風景を飲み込めずに唖然としているだけだった。

 アンの髪を撫でる。

 何が起こったのだろう? 

 不意に、横に居たルカがしゃがみ込んだ。

 彼女のブルーのワンピースの背中には銃弾による穴がいくつも開いていた。

 ルカがタクミを見上げた。

「タクミ。お願い、チップを抜いて。そして、逃げるの――」

 おそらく、タクミがタカヤの前で足を止めた時、タクミを庇って撃たれたのだ。

「そんな……。ゴメン……、俺のせいだ。ルカ……嫌だ、そんなのは……ルカ――」

 崩れる体を抱き締めた。大好きな人。

 アンを神谷が受け止める。

「違う――。タクミ、別れではないわ……。未来で会える。必ず、必ず――」

 必ず――前もそう言って別れたんだ。

「嫌だ。神谷先生がいる……、治してもらおう」

 まだ温かい手を握れば、ルカは強く握り返す。

「無理よ。わかるの……。アタシはもう……」

 ルカの唇が震えた。

「……ルカ……、やっと会えたんだ。一緒にいてよ――」

 ルカの頬に頬ずりすると少し冷たく感じた。

 背中の傷からおびただしい体液が漏れていた。

 残された時間が少ない事をタクミは理解した。

「タクミ。アナタを……信じて…いるわ。だから、生きて……、アタシを…蘇らせて、アナタの……もとに――」

 繋いだ手を離して、ルカは米神を指差して笑った。

「アイシテル……。記憶なんてなくても、傍にいさせてくれたら、アタシは……、必ず愛するわ――」

「ルカ――」

 ルカの米神に震える手をやる。

「アタシは、アナタを…アイシタイ。この愛は……オワ…ラナ…イ……」

 声に表情が薄れて単調になってしまう。

「ルカ――」

 タクミは愛おしいその唇にキスをした。

 そしてチップの差込口を押して開く。

小さなチップをゆっくりと引き抜いた時、ルカの体の力が抜けた。

ぐったりとした体を力の限り抱き締めた。

合わせた唇は力を無くし体温を下げてゆく。

唇を離した時久しぶりの感覚――

頬を涙が伝う。

ただ熱い涙――



その後の事は――

タクミもあまりはっきりとは覚えていなかった。

余りにも色んなことが嵐のように駆け抜けた。

橋を泣きながら走り渡った事は覚えていた。

新政府の元、保護された時、タクミもアンもボロボロで口もろくにきけない程に衰弱していた。

もちろん体だけではない。

心も壊れてしまいそうだった。

神谷はもちろん新政府の取り調べが待っていた。

神谷は連行される時、持っている情報を明かせば大丈夫だと言って行ってしまった。

タカヤの亡骸は、彼の両親によって安置所の数多の遺体の中から見つけられて家に帰ったと聞いた。

ミイナがおばさんを連れて警察署に迎えに来てくれた。

アンは連絡を受けていたアメリカの領事館から来たという人に身柄を保護され、そのまま日本を出国することになった。

悠介も何度となく連絡はよこしているが、様々な理由で日本に入国は出来ずにいる。

暫定政府と関連諸国の軍隊が東京を占拠して、民間人を巻き込んでの前政府の虐殺は終わった。

ミイナが様子を見に来てくれて、心配をしてくれている。それなのに、ソファーから立ち上がる事すらできない。

殺されたのは殆どが政府に使われていた者達で、甘い汁を吸った者もあれば、家族を人質に取られて仕方なしに仕事をさせられていた者もいた。

タクミ達に神谷に会うきっかけをくれた橋本教授も自宅で家族と共に銃殺されていたそうだ。

今までだんまりを決め込んで、お決まりの政府擁護の文字の羅列をやめたマスコミが日々騒ぎ立てる前政府の非人道的行為。

利用され殺された人達――

巻き添えになって殺された人達――

男、女、老人、幼児。

死亡者の名がカタカナで流される。

行方不明者の名前も。

毎日、毎日、毎日。

流れるカタカナは増えてゆく。

タクミは一人になってしまった広い家のリビングで――

TVから無機質な文字の流れる様を見ていた。

アンがよく寝転がっていたソファーに座って。

ついこの間まで笑っていた。

ふざけて、怒って――

恋をして――

生きていた――

そんな人たちは、今はただの流れるカタカナの文字。

そしてその中にすらカウントされない三体のアンドロイド。

愛する人――

きっと、死体としてすら扱われず、埋葬などされるわけがない。

産廃か、バラされてリサイクルされるか。

タクミはぼんやりとTVを見つめる視線を自分の右手に落とす。

ゆっくりと開かれる掌に残された、愛する人の存在の証――

銀色の。彼女の欠片――

表情を無くしたタクミの眼から零れた涙は頬を伝い顎から落ちる。

その時、リビングの掃き出し窓がガタガタ鳴った。

タクミは眼だけをそちらに向ける。

ガラガラと窓が開いて立っていたのは、後ろで纏めていた髪を振り乱した神谷だった。

「だから言っただろう? 最後は自分の体を投げ出して天然の命を守るんだ。あの場に二人が確実に助かる術がなければ、アンドロイドは平気で自分の命を捨てる――」

 彼は土足で上がり込んだかと思うと、その場に座り込んで革靴を投げ捨てた。

「あ~あ。ラボも研究資料もアンドロイドのデータはすべて没収だ!」

 妙に明るい声でそんな事を声高に叫ぶとリビングの板間に大の字になって寝転んだ。

「だから――、あの二人は命を捨てる前にチップを抜いたのですか?」

「そうだよ――。ばかだろう?」自嘲するようにクスリと笑って。

――何の意味もないのに――

 彼はそんな事を呟いた。

「やっと、アナタの言った意味が分かった気がします」

「意味?」

「彼女がアンドロイドである以上、俺達に未来はない――」

「へえ。説明してよ」

 神谷はやっと体を起こした。

「人間なら二人で助かろうとする場面でも、彼女は俺を守る為に命を投げ出す。人間はゼロではない可能性を信じて超える壁を彼女は越えられない」

 それが確実に守れると判断できる行動でなければならないからだ。

 そんな事は日常ありふれている。

 我々人間が「危なかったね」と言って笑いあう所に彼女は行き着くことがない。

「そうだ。アレは楯であり防護壁なんだよ。君が好きだと言っていたモノはそうやって平気で今まで築き上げたものを全て捨てるんだよ。誰かを守る為にね。考えてみてごらん。彼女が君に会える日を何年待ったと思う? ルカの気持ちには君との未来に執着があったはずだろ? それでも、ああするしかないんだ。何故ならアンドロイドだから――」

 神谷は薄く笑う。そして話を続けた。

「人間は、ロボットに自我と役目を与えた。たとえ何があっても自分達に牙をむかないようにするため、人間の身代わりになるという役目だよ。それはセットでないといけないんだ。人間の未来のためにね。少なくともそう思ってそんなロボットを生み出してきたんだ。彼らの権利なんか認めるつもりは最初からこれっぽっちもなかった。だから、その役目が必要だったんだ」

「教えてください。どうしたら彼女と長くいる事が出来たのか?」

「長く? ……出来るさ。今の状況を小休止だと思えばいい。俺が思うに次の政府はアンドロイドについて前の政府と考え方は真逆になるだろうから。そうなれば、その右手のチップを可愛いボディーに突っ込んで、もう一度最初から最後恋愛を楽しめばいい。……そしてまた小休止が来たら、また最初から始めるんだ」

「そんなことは……できない」

「どうして?」神谷は首を傾げた。

「そんなのは、ルカじゃない……」

「じゃあ、ルカとそっくりなのを用意すればいい。似通った成長をするようにプログラムすればルカっぽいのに会える」

その言葉に一気に頭に血が上った。

今まで立ち上がることすらできなかったタクミは、神谷に馬乗りでシャツの襟を掴む。

「ふざけるな!」

「ふざけてなんかない。君が好きになったのはそういうモノなんだ」

「彼女の死ぬところを何度も見ろというのか?」

「そうだ」

「そんなのは嫌だ!」

「それなら、そのチップを壊して……終わらせるんだ」

「なに…それ……?」

掴む力が抜ける。

「それでルカは死ねる。絶対的な人間に対する献身のループが終わる」

そこに危機がある限り彼女に生き残る選択はない。

「それは……嫌だ。だって……、これは…これは、ルカだ……」

神谷のシャツから手を離したタクミの手の中には銀色のチップ。

「タクミくん。支離滅裂だね……」

二人。

ルカであったものを見つめて、沈黙。

それは無機質で、小さくて。

タクミの手の中でその熱に温められるだけのモノ。

「やっとわかった? 俺もその支離滅裂に苦しんでいるんだよ。未だにね……。やはり命の生成は、神の範疇だということなのかな……」

悲しげに笑う神谷はポケットから透明の小さなケースを取り出すと、タクミの手の中のチップをそのケースにしまう。

もう一度ポケットに手を入れて取り出したのはボールチェーンのネックレス。それをケースの穴に通す。

やけに真摯な眼はまっすぐにタクミを見ていた。

「苦悩をあげる――。コレをどうするか、答えが出せたら俺に会いに来てくれ」

タクミの頭からそれを被せながら神谷は妙に挑戦的だった。


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