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第五章

ドアが開くと意外にも笑顔が出迎える。

 高速エレベーターを出たところは既にプライベートエリアだった。

 おそらく、エレベーターのボタン自体がカギか屋人の許可がないと押せないようなシステムなのだろう。

「やあ、君はタクミ君…だろう? どうぞ」高層マンションの最上階のワンフロアが神谷の自宅兼研究室だと聞いていたが、ドアが開いて見えた景色には生活感が無い。

 白いパーテーションと銀色の本棚やテーブルはまるでラボだ。

「疲れた? 東京は初めて?」

 柔らかい声で気さくに話してくれる人は確かに神谷だった。しかし髪は腰ほどに伸び、朗らかな表情がイメージしていた神谷とは違った。

「君はアンだね。君と話すのも楽しみだったんだよ。そして……」

「中村 タカヤです。タクミの付添いです。こいつ病み上がりだから――」

「ああ、そうだったね。どうも。治療した脳に誤作動はないかい? 三人ともよく来てくれたね。ご飯は食べた? 先に同居人を紹介しないと……」

 軽快に後ろを何度も振り返り話しながら、奥に歩いて行く神谷は「おーい」と奥に向かって声をかける。白と黒の市松模様の床。広めの玄関スペースを抜けると二十畳ほどの四角いスペースがあり、右側にキッチン、左側にドアが二つ。そのドアの手前のドアが開いてこちらに歩いてくる顔を見てタクミは息をのむ。

 徐々に大きくなるその姿はまさにルカそのものだった。

ルカだと思った。黒い瞳と肩までの黒髪。思わず右手に目が行く。

 しかし彼女には右手がある。

黒い膝丈のワンピースに緑をアーガイルのカーディガンを羽織って。

「来客なの? 類」

 そう言った声すらそっくりで、タクミの胸を締め付ける。

 わざと目線を逸らす様にタクミを見ない彼女。ルカではないのだから仕方がないのだ。

「彼女は……、リリーだよ。SF-07のね……。タクミ君驚いた? どうぞ座って。ところで――アン、君のセーラー服は、何が意図があるの?」

「いいえ、ただこの服が毎日着たいほど好きなだけです」

 真面目な顔で言われたら笑ってしまう様なセーラー服を着ている意味には、さほど興味はなかったらしく、神谷は「そう」とだけ言ってにこやかに笑っている。タクミはと言えば、まだルカそっくりのリリーから眼が離せない。

彼女はタクミをチラリとみるだけで、タクミの横をすり抜けた。

「いらっしゃい。紅茶でいい?」

 ルカの声だ。同型なら同じ声なのだろうから当たり前なのだが。タクミは彼女が喋る度ドキドキしてしまう。

 三人並んでソファーに座ると、真正面の椅子に神谷が腰かけてこちらを見て微笑む。

 この人はこんなに優しく笑える人だったのかとタクミは思う。

 タクミが見た写真は全部仏頂面だった。

「あの……、もしかして写真は嫌いですか?」

「いや――。ああ、仏頂面ばっかりだからそう思ったんだね。俺はあの場所とあそこにいる奴らが嫌いなんだよ」

 神谷はタクミの質問を軽く笑ってそう返す。

「何故? 写真に写っていたのはどれもアナタと同じ科学者だと思いましたけど……?」

「だからだよ。科学者というのは自分の事しか考えない嫌な奴ばっかりでね、プライドが高くて高慢ちきで傲慢で、自分は未来を変えることが出来ると思ってる。だけど、未来が自分のせいで良くない変化を起こした時には知らん顔するんだ。俺はあの科学者のコミュニティーが大嫌いでね」

「わかるわ。生み出すことに躍起になって後の事が疎かなのよ。科学者だけが悪いとも思わないけど……。だって、科学者に生み出す事だけを要求するのですもの、世の中は――」

 アンは神谷を見る。

「紅茶をどうぞ――」

リリーというアンドロイドが華奢なティーカップを差し出す右手。

タクミはリリーを見上げる。伏せ眼がちに見下ろす角度。その口元を。

どうしてもルカと重なってしまう。面影。

「そんなに、見ないでください。見られるのは不愉快です」冷めた表情のままリリーはタクミにそう告げる。

「スミマセン……」

 思わず謝って俯く。

どうしてもルカと重ねてしまう。

ズキズキと痛む胸。

彼女はただの同型――

そう思おうとしても。

そして胸に湧く不思議な気持ち。

「やめないか、俺の客だぞ。リリー、エリカ達呼んできて」

 神谷は優しい声色でそう言った。

 リリーは神谷を見て、少しばつが悪そうに「ゴメン、類……」と呟き、先ほど出てきたドアに消える。

 その姿は実に人間らしいように思う。言葉などの使い方も、本来のアンドロイドには有り得ない。

「ごめんね、彼女は、その……少し改造を施してあってね……」

「違法では? ドクター。アンドロイドは、人間に絶対服従でないといけない――」

 アンの追求にまあまあと言葉少なに逃げて「お茶が冷めるよ」と。

 その時ドアが開いて二体のアンドロイドがこちらに向かって歩いてくる。

「類、どうしたの? よりにもよって、性格の悪いあの子に対応させるなんて……」

 クスクス笑う二人。

「二人とも、こっちへおいで。タクミ君、エリカとロべリアだよ。ショートカットの金髪がエリカだ。ルカ……やリリーと同じ07だよ。ポニーテールの泣きボクロがロべリア。彼女はSF-09だ」

 神谷が説明してくれる。その両サイドに二人は立って、「よろしくね」とリリーとは明らかに違う随分友好的な応対だ。

しかし、タクミが気になるのはルカとリリーは随分似た雰囲気なのに対し、エリカは同型なのに何となく違う。

「エリカ…さんは、随分違いますね……」

 タクミは正直に言ってみた。

「ああ、彼女も改造はしてあるし、髪の毛の色も違うだろう? 髪色が違えばイメージは随分変わるものさ」

目に被った髪を掻き上げながら、軽くそう返される。

「彼女たちの本質を揺るがすことに繋がらない?」

 タクミと神谷の会話にアンが割って入った事で話題は完全にアンドロイドの改造の方に行ってしまった。タクミとしては黙っているしかない。

「本質とは?」

「アンドロイドのマインドのコアよ。人間に対する絶対的な献身。それを組み込まれた物しか生産できない決まりになっているわ。スマイルカンパニーの製品についてはそのデータを書き換えたら停止するように作られているはずよ」

「さすが、詳しいね。俺はそんなモノには触れていないよ。少し感情の流れる道の間口を広げただけだ。リリーだって、いざとなれば捨て身で人間を守るさ。それが良い事かどうかは置いといてね」

 少し議論になりそうな気配がしたのに、アンは黙ってしまった。

 きっとこれ以上ここで話しても仕方ないと思ったのだろう。

 タクミとタカヤも居る訳だから。タカヤと言えばティーカップの中の茶色い液体を混ぜる事に終始している。話しかけられる事がない様に、存在感を薄めている様な姿に、タクミは思わず吹き出しそうになった。

「だけど、よくこんな政局の危うい時期に東京に来たね。色んな場所で警備も厳しいのに。嫌な思いはしなかったかい?」

 現在、政局は混沌としている。

 軍国主義の現政権は五年前、関係諸国の言いなりだった前政府に辟易とした国民に選ばれた政党だった。

 それがこの国の為になったという人もいれば、そうでないという人もいる。

 しかし軍の後ろ盾を得ている現在の政府は海外の印象は悪い。

 海外との関係は悪化するばかりでクーデターの噂も広がっている。

 東京は23区が特別区だ。

 東京は、市外壁で囲まれ出入りはゲートのみで行われる。

 政権を握った時とは違い民意も離れていってしまった今は、東京は裏切りを監視する街なのだ。特に政府の関係者たちが住まう地域では――

 とはいえ、それ以前から地方分権が進んでいるため、タクミのような東京以外に住む者からすれば、そんな話はどこか外国の事の様な気さえする。

 こうして東京に来ることが無ければ、僅かな差を感じるのみだ。

「橋本教授のおかげで、大丈夫でした」

 タクミはリュックから橋本教授に描いてもらった委任状を出して、神谷に渡した。

「そうか、それはよかった」

 神谷はそれに目を通す。

「で。例のものは?」神妙な口ぶりで、それでいて急かす様に神谷は言う。

 ついにこの時が来たかとタクミは身構える。目的がそれである以上、タクミも渡さない訳にはいかないのは分かっている。

 リュックに手を伸ばす。

 ゆっくりとジッパーの持ち手を引くと白い生地に包まれたルカの手が見えた。

 タクミは大切そうな手付きでそれを取り出すと、一度膝に置いて包みを解く。色白の手が顔を出す。

「随分きれいだね。もう少し汚れや傷があると思ったけど」

 そう言いながら、神谷は立ち上がり、徐にルカの右手を手に取る。

「祖母がしまっていてくれていたんです。僕と母親の眼に付かないようにするためにも、何重にも袋を被せてあって……、多分それがよかったんだと――」

「どういう事? 詳しく聞かせてよ」

神谷はルカの腕の断面から眼を離さずそう問う。

 タクミはこれまでのいきさつを話した。

「君も大変だったんだね。とにかく夕食にしよう。今日はここに泊まっていけばいい――」

 神谷はそう言うと立ち上がってアンの肩を叩く。

「君とはゆっくり話がしたいと思っていたんだ。こっちに来てくれないか。タクミ君たちも興味があるならおいで。俺の研究施設に――」

 歩いて行ってしまう神谷をアンが後ろから追いかける。

 タクミとタカヤは顔を見合わせる。

「類、料理の準備がまだだわ。彼らの分も作っていいのね?」

 ポニーテールを揺らしてロべリアの声も神谷を追いかける。

「頼むよ。君ら、好き嫌いがあるならロべリアに言っておくといい。ちなみに、俺は卵サンドと決まっている」

 神谷の言葉にアンの表情が綻ぶ。

「アタシはトマトソースのパスタがいい。チーズはチェダーいいわ」

 振り返ってアンは嬉しそうにそう言った。

 残されたタクミ達は周りを見ながら、どうしようか考えていると言ったところか。

 先に立ち上がったのはタカヤだった。

「何か俺に手伝えることある?」

 そう言いながらキッチンに立つロべリアに近付く。

 ロべリアは少し面食らったようにタカヤを振り返る。

「いいじゃない。その方が楽しいわ」エリカがニコリと笑って、タカヤを追い越してキッチンへと急ぐ。

「いいわ。さあ、急ぎましょう!」

 ロべリアは腕まくりをして冷蔵庫を開けた。

 本当に、とても人間臭いアンドロイドだ。

 彼女たちは古い介護用アンドロイドな筈なのだが。生き生きとこの景色の中にいた。

 タクミはこっそりと小さく溜息を吐いた。たったひとり、取り残されている気がした。

 遅すぎたんだ。きっと――

 気持ちは今までになく荒れ狂っていた。ざわざわと騒ぐ心。

「タクミはアンと一緒に神谷の所に行けば? あいつと話す為にここに来たんだろう?」

 確かにとタクミは頷いて立ち上がった。

 なんだか体よく追い出されたような気がしたが、思い直して歩き出した。

 扉を開けると思いのほか広い空間が広がっていた。

 窓のない空間には清潔感がありよく手入れがされている印象を受けた。

 しかし奥のデスクには、タクミの背丈ほど書類や文献が山積みで、今にも雪崩が起きそうだった。

 いくつもの透明なケースに、アンドロイドものらしい部品が置かれている。

 それはまるで宝石などを飾る様な様相で、神谷がどれだけアンドロイドを愛しているがわかる気がした。

 部屋の中心にある処置台のようなところでアンと神谷は真剣な顔で話している。

 手には小さな部品のようなモノ――

 タクミに気付いた神谷が顔を上げた。

「おや。来たのか? これどう? すごいでしょ?」

 神谷が自慢げにその笑顔の横につまんで見せるのは何か小さなチップのような物だ。

「AIのマインドよ。生物で言う所の自我ね」

「これがある限り、アンドロイドは何度でも蘇る」

 神谷は幾つかのチップを、カチャカチャと音を立てて冷たいステンレスの台にばら撒く。

「命なのかどうなのか、という議論はまたいずれ――」

「ドクター。蘇るっていうのは少し違うと思うけど……」

 アンがそう言った時、神谷は少し嬉しそうに笑った。

「ほうほう。何が違うと思ったのだろうか?」

 挑戦的な神谷の問いに、少し考えてからアンは話し始めた。

 ここで見るアンは、いつもの彼女より大人びて見える。

 何の気なしに見たアンの横顔に、タクミはそんな事を思った。

「記憶の全てを失って、抜け殻のような状態で蘇ったなんて言えないわ。マインドとは記憶や経験によって手にした感覚や考え方を基にした人格の事だと思うもの」

 彼女の表情は研究者そのもので、淋しくすらなる。

「そうだね、コアが一緒でも別の成長をすることだってあり得る。人間にとっての、クローンの場合とよく似てるよね。遺伝子的に百パーセント同じでも、経験によって全く別の人間になってしまう。しかし、人間というものは、そうやって都合のいい考えを積み重ねる。自分が作った命を模したものを楽に見捨てる事が出来るからね。だから、人間とアンドロイドの関係に未来など無い」

 神谷のその言葉にアンは深く頷いた。

「しかし、君らアメリカ人はアンドロイドに対する考えはもっとドライだと思っていたけど」

「それは人それぞれだわ。アンドロイドは優しいし、いつも一緒でいてくれる。何かで傷ついたりした人にとって、人間なんかより大切な存在に成り得るから。国や人種の考えは別にしてね」

 アンは銀色のチップを一つ、つまみ上げる。

 命だというにはあまりにも軽い小さなものは、体を持たず今は活動を停止している。

 しかしそれはかつて動いていた。何かを考えて、話し、笑い――

 もしそれが、ルカなら。

タクミはそう考える。

たとえ記憶がなくとも、あの時のルカとは違う性格を持っていたとしても――

彼女を愛おしいと思えるのだろうか?

「君はどう思う?」

意外だった。神谷がタクミの目を見てそう言った時、タクミはそう思った。

タクミは研究者ではないし、ただのアンドロイドの右手の持ち主というだけの存在なのに。

「俺はあくまで、一般的な見解が欲しいだけだ。研究者の意見はどうしても偏りがちだからね。だから、アンドロイドに詳しくない人の意見が聞きたい」

タクミの気持ちに気付いたのか、神谷はそう説明してくれた。

「俺は……、ずっとアンドロイドを機械だと思ってました。天然でない命だし、軽んじられて当然だと。人間の為の存在なのだと。だから、彼らの自我なんて……、意味が…ないって……」

なんて酷いやつだ。アンドロイドに生かされたクセに。

彼女は身体の一部を投げ出して救ってくれたというのに。

「で? だから、何? 」

口籠ったタクミにそう浴びせた神谷に、アンは戸惑った。

どう考えても思いやりに欠ける言葉だと思ったからだ。

辛い出来事と共にルカとの大切な思い出を封印してしまっていたタクミに対して、とても痛い言葉だと思った。

「ドクター、やめて。タクミは……」

「君は黙って!」

驚くほど鋭い声で言葉を止められる。

「俺は…俺の存在など、あの右手の価値もなかった……」

「タクミ? どういう意味?」

アンの真剣な顔が答えを求めて傾いた。

神谷は何故かタクミを睨み付けるように見つめている。

「あの日、ルカが助けようとしたのは」

 声がかすれた。

「死のうとしていた子供だった」

「あの崖から落ちた後、俺は俺の体をガラスの破片で傷つけた――」

 拳を握って震えに耐える。

言葉を繋がねば。ちゃんと言わなくては。

自分の言葉で。

「崖を転がって、怪我をした足を引きずって歩き回って、助かりたい命は母のものだと思ったら、急に虚しくなった。だから自由になりたかった」

 落ちていたガラスの欠片で何度も手首をなぞると血が噴き出した。

 出血が酷い手首の傷をハンカチで縛って止血をして、何も言わずに抱き締めてくれた。

 くだらない話を聞いてくれて――

「花の名前のしりとりをしたんだ。何度やっても勝てなくて。そしたら、死にたくないって思った……。なんでなんだろう……?」

 温かい塊と、優しい声。

『僕の名前はね――』

『今はやめましょう。貴方が大人になって、お酒を飲めるようになったら、食事に誘ってください。そして、そこで名前を教えてください。もし、お互いに生き延びる事が出来たら、必ず会えるはずです』

 彼女はそう言った。

おそらく、不用品として捨てられたものの末路はわかっていたのだろう。

だけど、夢を語ったんだ。

胸が苦しい。

こんな事、話したくない。悲しい話だ。

でも、言わなければいけない様な気がした。

「だから、ルカは右手を与えたんだね。ほどなくそこに誰かが来る事位わかったはずだ。そこにいて回収されることを避けたかったんだろう。右手は君の希望になればいいと、帰ってこない事も分かった上で与えたんだ。ルカというのは、本当に優しい子だね。だけど……君は、ルカを見つける事さえできない、酷い男だ――」

「ドクター!」

 アンの声に手をかざして、意味深に微笑む。

 俯いたままのタクミは少し震えていた。

「その…通りだと思います……」

 うなだれる様に更に肩を落とす。

「そして、今また罪を犯そうとしている。君はアンドロイドを理解しているよ。とてもね。その上で、ルカか好きだったんだろう? 俺は……、それが聞きたかった」

 神谷は小さな声で、こういうと悪戯っぽく笑って、タクミを指差した。

「君のような冷たい男にアンドロイドを好きになる資格など無い! 人間の間抜けで可愛いおバカな女の子にでもうつつを抜かせばいい。今まで忘れていたんだ、また、すぐ忘れられるさ。君はそういう奴だ!」

 神谷がタクミに酷い言葉を浴びせ終えた時、大きな音を立ててドアが開いた。

 そこには憮然としたリリーがいる。

 背筋をぴんと伸ばし、目線を下げた姿勢でこちらに向かってくる。

 神谷はまだタクミを指差した姿勢のままだ。

「リリー。どうした? 随分と不機嫌――」

 パーン――

 リリーはその掌を神谷の頬に打ち付ける音が部屋中に響く。

 アン、タクミは凍りつく。

 通常、ひっぱたくという行為は、攻撃的な行為の為、アンドロイドに許されるわけはないのだ。

 人間の手によって作られた、人間に尽くすためのロボットなのだから。

 リビングで言葉を濁した意味はこれか。彼女は違法な改造が施されているのだ。

「類、もうやめて……」

 そう彼女は今引っ叩いたばかりの己のマスターに言う。神谷の左頬はみるみる赤くなってゆく。

 次に、リリーはくるりとタクミの方を振り返る。思わず、タクミは彼女の動きにピクッとする。

 リリーはタクミを睨むように見たまま両手を上げた。つい今しがた起きたばかりの暴力的行為が脳裏をよぎる。

 目をギュッと瞑るタクミ。

 ふわりと、空気は揺れた。温かい体温が触れる。

リリーがタクミに抱きついた瞬間、タクミはリリーの嘘を識った。

覚悟を決めた様な強い眼――

あの時も近くにあった。

何故、気付いてやらなかったんだと後悔は先に立たず。

「……卑怯だよ……」

 タクミの声に反応して彼女の手に込められた力が増す。

 背中に回った手が、震えているくせに、タクミの背中を締め付ける。

「どうして、僕に探させてくれなかったの? 見つけ出させる為に、こんな事…したんだよね? だったら――」

「好きだったから、苦しめばいいと……思った。だけど、好きだと確信したから……どうでもよくなった。アナタに会えた事が大きすぎたの……」

 声を震わせてそう語る、偽りの命を離したくないと思った。

 アンドロイドだとか――

 人間だとか――

 そんな事はとても小さな事だ。

 変わってしまった事も――

 今までの事実が全て痛みに変化してタクミを傷つけるとしても。

 皮膚を切り裂いて肉を引き千切る様な強い痛みの中にしか、居られないとしても。ルカしか好きではない。

 そうだ――

 出会ってしまった事が、大きすぎる――

「これでいいのかい?」

 赤い頬をさすりながら、神谷は微笑んでいた。

「週に一度の代用の右手の調整も必要なくなるし、私は満足よ」

 彼女の言葉に、呆れた様に息を捨てる。

 やっと見つめ合った目線は、やがて恥ずかしそうに彼女が先に逸らした。

 そんなところはやはり変わっていない気がする。

「女ってのは、つくづく訳の分からない生き物だ。まったく理論的でない!」

 そう言う神谷は、両手を広げてお手上げといわんばかりの仕草の割にはにこやかだった。

「そろそろ、教えて貰えない?」

 腕を組んだアンも。

「まだ、リリーと呼ぶ必要はあるのか?」

 随分嫌味に聞こえたその問いに「そうね」と答えて続ける。

「最初は――彼に呼んでほしい……」

 彼女は、そう言ってタクミを見上げる。

 もう一度、この名を呼ぶことが出来るなんて。

 タクミはスーッと息を吸いこんだ。

「ルカ――。会いたかった――」

強く、彼女を抱き締める。

「花の名前にしたのは――俺に思い出を辿れという事だったの?」

「本当に、何も知らないのね」

 タクミの耳元でルカは小さく笑った。

「一般的に、アンドロイドの名は植物から取るものなのよ。ドイツで開発された最初の一体『ローゼ』に倣ってね。むしろあの時のしりとりが花だったのが、私が確実に勝てるモノでないとダメだったから……、あなたに絶対に勝たせるわけにはいかなかったから」

「どうして……?」

「悔いを残してほしかったの。この世に。まだ死ねないと、思ってほしかった――」

「だけど、それならルカは何故? 花の名前じゃないよね」

「最初のオーナーが信仰する宗教では『ルカ』は医療従事者の守護天使だからと、介護ロイドの私にその名をくれたの。でも、アンドロイドらしからぬ名だと言えるわね」

 そう言えば、アンのデイジーも、ここで会ったエリカとロべリアも花の名だった。

「そうだったのか……」

 初めて出会った時はまだ自分は子供で、触れる事も出来なかった髪を優しく撫でてみる。

 柔らかい髪も温かい肌の滑らかな感触も人のそれと変わらないように思える。

 そして強く抱きしめた。

 けれど彼女は機械なのだ。

 その体には心臓によく似せた器官があり、血肉に似たものが彼女を作っているけれど。

 それは似たものでしかない――

 その時はただ嬉しくてそんな事を考えもしなかったけれど。




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