エピローグ
コスタリカ サンホセ市――
軍用のジープがとある古いビルの前で止まる。
ビルの前では粗末な身なりの少年が数人たむろしている。
「お帰り! ベイ。お金は稼げた?」
少年達の中で一番年上なのだろう褐色の肌の少年は、ジープから降りてきた男に屈託ない笑顔を見せた。
「よう、パコ。変わった事はなかったか?」
アジア人のベイと呼ばれる男は黒いTシャツに黒いカーゴパンツを身に着けている。
けして大柄ではないその体には、びっしりと実用的な形の良い筋肉が張り付いている。
この身体を見れば誰でも戦いの中に身を置く人間だという事くらいはわかるだろう。
男はボストンバッグを肩に引っかけて、カーゴパンツのポケットを弄る。
そして数枚の紙幣を取り出すとパコと呼んだ先程の少年の頭上にチラチラとかざす。
パコはその紙幣に手を伸ばし数回目のジャンプでその紙幣を手にする。
「また仕事させてくれよな。ベイ、アンタは他の大人と違って金払いがいいから好きだぜ!」
パコがベイと呼ばれた男に向ってカギを放り投げて走り出すと、他の少年たちもその後を追う。
カギを受け取って、そのアジア人は彼らを微笑ましそうに見送る。
このビルの二階には男の最近の居城があって、長く留守をする間の事をあの少年に頼んでいたのだ。
サンホセ郊外の貧民街にあるボロビルは鍵も申し訳程度にしかなく、その部屋に良からぬ輩が入り込まないようにと、彼に依頼したのだ。しかしそれは見せかけで、親が無く住む家もない彼らに食事を与える手段だった。
小さな子供は簡単に保護されるが、中途半端に大きくなった子供たちは、大人を信用していないようで、保護するのも容易ではなく、施しを受けたがらないその気質から、路上で死んでしまう事も少なくない。そんな子供たちには仕事のような簡単な事を頼んで代価を支払う。
そうやってプライドを傷つけずに彼らを生かすのだ。
とはいえ、甘い誘いで危ない世界に誘う大人も少なくない。
彼らの警戒は間違いではないのだ。
カンカンと軽快な音を立てて錆びた鉄の階段を上がる。
カビと腐ったゴミの匂い。ようやくここに来て安堵する。
生きて帰ってくることが出来たと――
反政府ゲリラとの内戦が激化するアルメニアでの任務を終えて帰ってきたところなのだ。
男は口笛を吹きながら廊下の突き当たりのドアの前に立つ。
鍵穴にカギを突っ込もうとした時、聞き慣れた音が聞こえた気がした。ごく小さな音で『カチャ』という銃の安全装置を外す音だ。
嫌な予感がして、口笛はやめず、ドアの横の壁に背中を付ける。
そこから手だけを伸ばす感じでカギを差し入れる。
その刹那、銃声が立て続けに聞こえて、男は飛ばされる木のドアの欠片を避ける様に片手で顔を覆いながら腰のホルスターから使い慣れた銃を引き抜くと、ゆっくりとドアに向けて構える。
しばらく気配を消して様子をうかがう。いくら待っても向こうが動く気配はなかった。
銃声はおろか物音すらしない。
男はそれならば、と動き出す。穴だらけのドアを蹴り倒す。そしてまた横の壁に背中を付ける。それでも部屋の中は静まり返っている。
銃を構えて倒れたドアを踏み家の中に入る。意外に家の中は綺麗だった。
玄関の中ほどまで来るとバサッと後ろに上から飛び降りた様な気配。
振り向きざま首に絡み付いた腕とこめかみに突き付けられた銃口。
「名前くらい、名乗ったらどうなんだ?」
「へえ、命を狙われる理由より俺の名前が知りたいってことは、自分がなんで殺されるかわかってるんだ?」
男の割りには高い声、華奢な体つき。
「ああ、知ってる。お前は知ってるのか?」
首を絞められて銃口を突きつけられていても彼は何処と無くこの状況を楽しんでいるようにも思えた。
「知らないね。俺には関係ないからね。俺も、あんたと同じ、任務をこなすだけなんだ」
こめかみに銃口がさらに押し付けられる。
「待て。冥土の土産に殺したやつの名前くらいは聞いておきたい。俺は日本人だ……」
少し迷うような間が空いた。
「わかった……。俺の名は――」
捉えられた男は目を伏せた。
「ルーク」
その声が聞こえた時、男は少し笑って素早くルークという男の大腿にサバイバルナイフを突き立てる。
首を捉えた腕の力が緩んだのを見計らってスルリと頭を下に抜きながら、ルークの銃を握った腕を取る。
銃が床にぶっ放されて、その腕を持って投げられる。
ルークは受け身を取りしゃがんだまま銃を構えた。
窓に向かって走る男に数弾発射する。見事にガラスが割れた。
「ああ、くそッ……」
男は割れた窓から飛び降りた。
ルークは足を引きずりながらも窓に走り寄り、マガジンを入れ替えて銃を構えた。
ジープに乗り込んだ男が振り返った。
「会えてよかった。ルーク、また会おう!」
急発進で走り去るジープ。
「チッ……」
舌打ちをして銃をしまう。
刺さったままのナイフを引き抜くと、透明な体液が傷から吹き出す。
「だけど……、なんで……?」
ナイフを持った手を見る。
震えが止まらない。
ルークは胸のポケットから携帯電話を取り出した。
マスクを外してため息をつく。
『もしもし。会えたか?』
いきなりそう切り出した電話の向こう側。
「どういうことだ? 」
憮然とルークは問う。
『何がだ?』
「奴は俺がアンドロイドだと知っていた」
『どうしてそう思う?』
「的確に動きを封じるポイントを刺された。それに、それ以外の攻撃はせずに逃げてしまった。あのLYNXがだよ?」
『へえ……』
「それに…マスクをしていたのに、日本語で話しかけられた。日本から刺客が来るのは知っていたようだし……」
『そうか……』
「なあ、類。何故、彼を殺さなければならない?」
『……』
「どうして何も答えてくれないの?」
『深い……因縁があるからだよ。俺達にはね。まあいい、応急処置をして日本の大使館に行きなさい。手当をしてもらえるようにしておくから』
「修理だ、類。手当じゃない。それと、奴は無傷で逃がしたわけじゃない。左肩に一発くれてやった。あと少し下にズレていたら、殺れていたのに……」
ルークは電話を切って胸のポケットに入れると、腰に下げているバッグから小さなペンのような器具を取り出して赤いスイッチを押す。
それを口に咥えるとナイフで破れたカーゴパンツをさらに裂き広げる。
五センチ程の傷口があらわになる。
そこから体液が漏れている。
人間のように痛みがあるわけではないが、アンドロイドにも感覚というものは存在するから、痺れるような感じはする。
ルークはその傷口に人差し指を挿し入れると細い透明な管を探し当てた。管を少し引っ張り上げてもう一度同じように傷口に人差し指を突っ込む。
ナイフに切られた管を修復するのだ。ルークは探し当てたもう片方を引っ張り上げると口に咥えた器具を手に持ち管の先端を焼き薄っすらと溶かす。そして片側を溶接する。
煙が上がって独特の匂いがする。
「クソッ、右手が震えてうまく出来なかった」
あまり納得できた出来ではないが、繋がった間の内側を流れる体液を確認してそれを傷口に押し込む。
淡々と彼は治療ではなく修理だと自ら言った行為を続ける。
次は皮膚の切れ目を焼いて綺麗に塞ぐと樹脂が冷めたのを確認して、しゃがみこんだ。
おかしい。震えが止まらない。
循環液が足りていないから体の機能は限られる。けれど、なんとか大使館にはたどり着ける筈だ。
機能を制限されるからと言って普通に動けないわけではない。頭が回らないわけでもない。それなのに。
右手の震えが止まらない。
ルークはうつむいて髪の毛をクシャクシャと掻いた。
あいつは一体なんなんだ。
『大丈夫か?』
「そう言うってことは、連絡があったみたいですね……」
携帯電話を耳に当てて、苦しげに彼は笑った。
『まったく……。あと少しズレていたら、君は死んでいた』
「ルカがそう言った?」
『ああ。……言っておくが、あれはルカじゃない、ルークだ!』
「わかっています……」
『何がわかってる、だ! 簡単に死にかけたりして、それでもLYNXだと言えるのか? ルークの戦闘能力を調節しなければならないな』
「そんなことはしないでいい――」
さびれた公園の傍に車を止めて肩にガーゼを貼り付けて止血を済ます。
「今日はしくじった。嬉しくて気が動転してしまったんです、こんな事はもう二度とないから安心してください」
サージカルテープを口で引きちぎりながら彼は笑う。
弾丸は貫通している。銃の傷は弾さえ残っていなければ、傷口が熱で焼かれる分比較的治りやすい。
こんなのはかすり傷だ。
「あいつは大丈夫だろうか?」
『ルークなら、今大使館に向かってる。それくらいの顔は効くんだ』
そう偉そうな電話口の男に「本当?」とふざけて言ってやる。
『当たり前だ。この五年どれだけ日本政府に協力してきたと思っているんだ!……なあ、タクミ君――、本当に、これでいいのかい?』
「やめてください、その名前で呼ぶのは……。今はベイって呼ばれているんです」
男は、ふふふっと笑う。
『軍神の古い真言なんか名乗ったりして……』
「よくご存知で」
『これでも信心深い方なんだ』
真面目くさってそんなことを言うもんだから、思わず吹き出して傷に響いて蹲る。
『V、A、Iのヴェイだろう? 毘沙門天の種子だ。罰当たりだ』
「俺達の呼び名なんて自分で付けるものじゃないんですよ。誰かがつけたんです。だけど、今は相応しいと思っています」
『どうして?』
「だって、死ぬまで、戦いの中にいるしかないんだから――」
そう言って空を見上げて微笑む。走り出したいほど嬉しくて仕方ない――
また会える――
追いかけて来てくれる――
それでいい――
それだけでいい――
いつか、愛しい人に殺されたとしても、最後の時まで一緒にいられる。
そしてあの人は死なない――
それだけでいい――
恋心はいつかの生と死の狭間に。
隠しておこう――
そしていつか来る死の時には、
君への愛を叫ぼう。
アイシテル。
アイシテル――
昔、昔――
湖に美しい水鳥が降り立ちました。
水鳥は湖のほとりに足を付けると美しい天女に姿を変えました。
そして纏っていた羽衣を木の枝に掛けると水浴びを始めたのです。
それを木の陰から漁夫が見ていて、美しい天女に恋をしたのです。
羽衣が、空を飛んで帰る為に必要だと気付いた漁夫は、天女の羽衣を隠してしまいました。
そうすればずっと一緒にいられると考えたから――
天女は涙を流して、羽衣を返してくれるように頼みましたが、漁夫は返しませんでした。
ただ、一緒にいたかったから。
どうしても、失いたくなかったから――
了




