9、お説教の時間
ダニエラは、ますますエストレーヤの記憶を鮮やかなイメージで受け取れるようになっていった。疲れなど、もうとっくの昔に感じなくなっていた。
むしろ、話が進むにつれて活き活きと心が弾むような気がしていた。
エストレーヤの不安な気持ちに同調するよりも、少しずつ扉が開いて未知の世界が見えてくる期待感の方が大きいのかもしれない。
そして、ダニエラがガラス窓の前に座れば、自然とエストレーヤのイメージが浮かぶようになっていた。
「ピウラさま、大神官さまのお説教のお時間ですよ」
大神官の言いつけを守って早めにアクリャワシに戻ってきたエストレーヤの元に、見慣れないママコーナがやってきて、そう告げた。
それを聞いてエストレーヤはひどく不快になった。今度こそはちゃんと約束を守ろうとしているのに信用されていないと感じたからだ。これまでの行いを考えれば仕方のないことだが。
それにもう一つ、「ピウラさま」とはいったいどういうことなのか。
まだろくにアクリャの修行も積んでいない幼い少女に、年配のママコーナが敬意を払う必要などない。
しかし、それを今ここで問い詰める時間は無さそうだ。顔中に不信感を顕にしながらも、エストレーヤは黙ってママコーナに従った。
昨日と同じように、異様な静けさの漂う月の神殿に足を踏み入れると、昨日とは違い、神殿のあちらこちらに松明が灯されていて、その灯りがさらに磨かれた石壁に反射して、神殿の内部全体が明るく輝いていた。
昨日は薄っすらと香る程度だった香の甘い香りが、神殿中に満ちている。
エストレーヤは一瞬、何処か異なる世界に来てしまったのかと、あるいは夢の中に居るのではないかと錯覚した。
最奥に掲げられている月の神像の前には大神官がこちらを向いて立っており、昨日エストレーヤが座っていたゴザの上には、すでに二人の人影があった。
独りではないことに、エストレーヤはほっと胸を撫で下ろした。
「さあ、ピウラ。こちらにお座りなさい」
今日は確かにその口を開いて、大神官は呼び掛け、すでに座っている二人の左横を指し示した。
エストレーヤがそちらに歩み出したところで、案内してきたママコーナが神殿を退出していった。
隣にエストレーヤがやってきても、横の二人は気にすることもなく、真っ直ぐに正面を見据えていた。
逆にエストレーヤの方が彼らのことが気になって仕方なく、腰を下ろしながら二人の顔をじろじろと見た。
エストレーヤからひとり置いて向う側にいるのは少年だ。エストレーヤよりやや年上のようだが、顔つきは幼い。ただ、知的な感じもする。背筋を伸ばして正面を見据えているその姿はとても落ち着きがあった。
そしてすぐ隣は、エストレーヤの姉と同じくらいの少女だった。しかし、彼女を見た瞬間、エストレーヤは息を飲んだ。
まるで磨かれた彫像のようだ。目も鼻も口の形も整っていて、肌は艶やかに輝いている。
それほどたくさん知っているわけではないが、エストレーヤがこれまで会ったどの女性よりも美しかった。
その服装から、エストレーヤと同じアクリャであることは分かったが、これまでアクリャワシでは一度も見かけたことはない。
エストレーヤがつい彼女の顔をじっと眺めていると、少女は僅かにこちらに顔を傾け、にっこりと微笑んだ。
その余りの美しさに、エストレーヤは息が止まるかと思った。
「ピウラ、君と一緒に私の説教を受けるクワンチャイとパリャックだよ」
大神官はすぐ隣の少女と、その向こうの少年を順に紹介した。
輝くようなという名は、その少女にぴったりだと、エストレーヤは思った。あるいはその印象からアクリャワシでそう呼ばれているのかもしれない。
クワンチャイに続いて、パリャックという少年もエストレーヤを振り返り、僅かに口の端を上げた。こちらを向いた少年は、最初に感じた幼い印象とは違って、ひどく大人びた感じがした。
特に何も言葉を交わすことなく、ふたりはまた正面を向いてしまった。
「さて……」
三人が揃ったところで、大神官は改めて皆に呼び掛けた。
昨日のように心の中にではなく、しっかりと口を開いて……。昨日のあれは幻聴だったのだろうか。それともエストレーヤの思い違いだったのだろうか。
「先ずは君たちに、この国の成り立ちから話して聞かせることとしよう……」
そこから始まった大神官の説教は、神話の時代から、初代の王がどのように国を建てたかという、長い長い語りだった。
使命を果たす方法と聞いて、大変な覚悟をしてきたエストレーヤには、あまりにも意外で拍子抜けしてしまった。
しかも、実際に見たり感じたりしたことのない話を長々と聞かされているのは、とても退屈だ。
やがて、いや、かなり始めの方から大神官の言葉はエストレーヤの耳を素通りしていくようになった。
ーー これなら、おつとめの方がよっぽどマシだわ ーー
お説教が始まっていくらも経たないうちに、エストレーヤの意識は夢の中へと落ちていった。