7、罪
スマホ投稿なので、改行などにおかしいところがあるかもしれません。ご容赦ください。
「やあ、ダニエラ。今日は珍しく、随分とゆっくりのご出勤だな」
警備員の言葉に悪気はないと分かっていても、つい苛ついて棘のある言葉が出てしまう。
「悪かったわ。たまにはこんな日もあるの!」
すると警備員は弱った顔をして頭を掻いた。
「ちょっと、根を詰め過ぎじゃないか? 焦って一度にやろうとしても頭に入らないぞ。
俺なんざ、いつでも気楽だから何でも頭に入ってくる。すぐにどっかに飛んでっちまうけどな!」
そう言ってこめかみを指差して豪快に笑う警備員を見ているうちに、ダニエラはようやく笑顔になった。
「それもそうね、分かったわ! もっと気楽にやってみるわ」
エストレーヤの記憶が映像となって伝わるようになってから、ダニエラは異常な疲れを感じた。
音だけでなく、光、空気、感触、匂い、それらを一度に受け取ったことで体の負担が大きくなったのだろう。
これからは意識的に身体の力を抜いてエストレーヤに向き合おうと、ダニエラは心に決めた。
エストレーヤの話はまだ始まったばかりだ。こんなところでリタイアするわけにはいかない。
ガラス窓の前に座り、机の上に両肘を立てて指を組み、それに顎を乗せてカプセルを見つめる。
小さく長く息を吐き出して、頭で呼びかけてみた。
「今日は遅くなってごめんなさい。続きを聞かせてくれる?」
すぐに返事がないのはいつものことだが、これまでとは違う張り詰めた空気をダニエラは感じ取った。
エストレーヤが口を開こうとするのに、なかなか言葉を発することが出来ないでいる姿が思い浮かぶ。
ーー いよいよ本題に入ろうとしている ーー
ダニエラはそう悟った。
朝からの重苦しさは、重要なことを告げようとしているエストレーヤの躊躇いや葛藤なのかもしれない。
だからこそ、ダニエラはその沈黙のあいだに肩を上下させたり首を左右に振ったりしてリラックスしようと心掛けた。
すると、いつものように唐突に、エストレーヤが切り出した。
ーー その日も宮殿に遊びに行こうとしていたわ。
そしたら、誰かに肩を叩かれたの。
振り返ると、大きな大人の男の人が立っていた。
あたしは心臓が止まるかと思ったわ。
ユタが迷い込んできたときも困ったけれど、子どもだったからどこかでワクワクしていたんだと思うの。
だけど大人じゃ、悪いことにしかならないわ。
息をするのも忘れて男の人を見つめていたら、その人は屈みこんで目線をあたしに合わせると、あたしの名前を呼んだのよ。
怖い人だと思っていたのに、その声はびっくりするくらい優しかったの。あたしはそれで急に身体の力が抜けたわ。
でもニコニコと優しそうな顔なのに、よく見ると目だけが笑っていなくてとっても怖かった。
それでまたびくんとなったわ。
男の人は言ったわ。
「ピウラ、今日は太陽の神殿のおつとめには出なくていいですよ。君に大切なお話があります。替わりに月の神殿へいらっしゃい」
そう言われてようやく分かったわ。その人は神官の中でも一番偉い大神官さまだったのよ。
いつもおつとめをサボってばかりいたからよく知らなかったの。顔をよく覚えていなくても、身に付けている服や飾りで分かるはずなのにね。それさえも気付かなかった。
あたしが大神官さまを知らないことに気付かれたら、いつもおつとめをサボっているのがバレちゃうから、黙って頷くしかなかったわ。
本当は太陽の神殿にさえ行く気なんてなかったのにね ーー
その後、再びダニエラは、エストレーヤの体験の中へと引き込まれていった。
エストレーヤは、ユタが待っていることを気にしながらも、渋々、大神官の後に従った。
広い背中を覆う長いマントに施された太陽神の刺繍が、エストレーヤの方をじっと見つめている。太陽の顔の中のアーモンド型の虚ろな眼は、エストレーヤが犯してきた罪を厳しく咎めているようで、思わず視線を足元に落とした。
エストレーヤは項垂れて、ただ大神官の踵を見つめて歩いて行った。
大勢の詠うような祈りの言葉が響いている太陽神殿の前を通り過ぎ、対になって建っている月の神殿に向かう。月の神殿も太陽神殿とほぼ同じ大きさのはずだが、誰もいないその建物は、ただ、ただ限りなく広く感じた。
中は耳の奥が痛くなるほどの静けさだった。
大神官とエストレーヤのサンダルが石の床を擦る音だけが、やけに大きく響く。
以前焚かれていた香の甘い残り香が辺りに充満していた。
月を象った銀製の大きな円盤が最奥の壁に掲げられていて、その正面にゴザが敷かれていた。
大神官は無言でそれを指し示し、エストレーヤにそこへ座るように促した。
まさか、これまでアクリャワシをぬけだしていたことをまとめて罰せられるのだろうか。少なくとも、おつとめをサボっていたことは、知られているだろう。
これまで何も言わなかったのは、罪を溜めさせて一度に処罰するつもりだったのかもしれない。
エストレーヤはゴザの上に座ると、小さく小さく身を縮めて俯いた。
大神官は、正面に掲げられている月の像に丁寧に拝礼すると、エストレーヤの方へ向き直り、ゴザの前に片膝を立てて跪いた。
そして、俯いているエストレーヤの顎に指を二本当て、彼女の顔を持ち上げた。
間近に迫った大神官の、穏やかな顔の中にある鋭い目が怖くて、エストレーヤは盛んに瞬きをした。
その後しばらく、ただ見つめ合う姿勢で、大神官は口を開こうとしなかった。
大声で叱責されるより沈黙の方がどれほど耐え難いことか。
エストレーヤの額から冷たい汗が滴り落ちる。
早く何か言って欲しい。早くここから逃げ出したい。
どうしようもない恐怖が身体中を支配したその時、彼女の頭に誰かの声が響いてきた。
"ピウラ、聞こえるかね? ピウラ……"
目の前の大神官の口は固く閉ざされている。
声は天から脳天へと下りてきたような感じがした。
慌てて天井を見上げるが、頭上には薄闇が広がっているだけだ。
念のため、周囲をぐるりと見回して、再び正面の大神官へと視線を戻す。
すると、さっきの声がまた頭の中に響いた。
"聞こえるね、ピウラ。私は君の心に呼び掛けているのだよ"
その声が大神官のあの穏やかな声と同じものであることに、エストレーヤはその時初めて気付いた。
「何で? どうして?」
いつもママコーナに放ってきた言葉を、思わず叫んでいた。けれどそれは、今までとは違う必死の叫びだった。
神殿中に甲高い声がこだました。