3、伝説の証
1995年、高山の頂上に存在するというインカ文明の遺跡を調査していた学者が、ひとりの少女の木乃伊を発見する。少女は標高6000Mの氷点下の環境で凍った状態だった。
この木乃伊の発見により、『インカ帝国』という国家では国内で重大事が起こった際、高山の頂上に子どもを捧げて安泰を願う『人身供儀』を行っていたことが明らかとなった。
これまで伝説であった、あるいは語ることも躊躇われた祭事の存在が証明されたことにより、インカの人々が聖山と崇めた山々への調査が盛んに行われるようになった。
そしてアンデスにある数々の高山から、次々と儀式の遺留物が発見されたのである。同時に、その供儀の中心である『子どもたち』も……。
天候の変化が激しい高山の頂上は雷が発生することが多く、『子どもたち』は、落雷によって炭と化していることも多かった。しかし落雷を免れた者たちは、氷点下の地面の中で凍り付き、生きていたときの面影をどこかに残していたのである。
エストレーヤが発見された時、彼女と一緒に埋葬されたであろう他の二体は、落雷によってほとんど焼き尽くされてしまっていた。エストレーヤ自身も、身体の右半分が焦げた状態であったが、残る半身とその美しい顔はほぼ無傷だったのである。
一番はじめに発見された木乃伊は話題となり世界中で展示された。しかし慎重な温度管理が必要な木乃伊を様々な環境に晒すことは、当然リスクが大きかったのだ。その反省を生かして、その後に発見された木乃伊たちの管理は厳しい規制のもとに行われている。
エストレーヤも例外ではなかった。
外部の人間であるダニエラが今回、エストレーヤに対面できたというのは、研究生にとって非常に恵まれたことだといえる。
たまたまその日が、エストレーヤの研究分析が行われる予定であったことと、ダニエラの指導教授の影響力も大きかったということなのだが。
当初ダニエラにとっては『レポートを書くための貴重な題材』でしかなかったエストレーヤ。いま改めて、彼女は『題材』ではなく、遠い過去の世界に確かに『生き』て『心』を持っていた人間であったことを実感するのだった。
しかし、エストレーヤの生きていた時代とダニエラの居る現代では、話す言葉が違うはずだ。ふたりは何故『言葉』を交わせるのだろうか。ダニエラにはそれが不思議だった。
おそらく、『言語』という表面的なツールを介さないイメージのやり取りなのではないだろうか。
ダニエラにはエストレーヤの話す『イメージ』が淀みなく自分の『イメージ』となり、エストレーヤもまた、ダニエラの『イメージ』を自分のものとして受け取っているのだ。だからダニエラには、エストレーヤのメッセージが自分の扱う言語として聞こえてくる。
この不可解な現象を説明するにはそう考えたほうが良さそうだと、ダニエラは考えた。
―― これからゆっくりと…… ――
エストレーヤの勿体つけたような言葉に、ダニエラは冗談ぽく問いかけてみた。
「あなたの自己紹介って、そんなに複雑で長い物語なのかしら?」
するとエストレーヤは少し興奮したように言った。
―― だって! それこそ、あなたに伝えたいことなんですもの! あなたを待っていた理由なのよ ――
好奇心だけでは済まない、使命感のような責任のようなものが、ダニエラの身体を僅かに強張らせた。
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「おやおや、君はこの研究所一、勤勉だな。その情熱を他の連中にも分けてやってくれよ」
次の日も同じ時間に現れたダニエラに、警備員は笑いながらそう言った。半ば感心し、半ば呆れたといった感じだ。それでもダニエラを贔屓している警備員は、ろくなチェックもしないで門を通してくれる。三日目にして顔パスというのもなかなか凄いことだ。
研究室では、昨日ほぼ一日、開くこともないカプセルをガラス越しに眺めていたダニエラに、訝しげな眼差しを向ける研究員もいた。
「ねえ、ミゲル。少しくらい見せてやったらどう? 私たちが意地悪したので研究対象に会えずにレポートが仕上がりませんでした、なんて逆恨みされちゃたまらないわ!」
中年の女性研究員がダニエラにちらちらと目を遣りながら、ダニエラを案内した研究員に向かって聞えよがしに言っている。
ガラス窓の前に腰を下ろしたばかりのダニエラは、それを聞いてすっと立ち上がり、ふたりの研究員の前にゆっくり歩み寄っていった。そしてふたりを交互に見ながらにこやかな顔で静かに言った。
「どうぞご心配なく。エストレーヤには一度会わせていただいたので十分です。レポートは、こちらで書かせていただいたほうが彼女の様子を思い出しやすいので、そうしているだけです。
けれど私、お邪魔をしないと約束したはずなのに、それを破るようなことをしてしまったかしら? 息をする音が他の方より大きいのかしら? それとも身体の匂いが気になるかしら?」
ダニエラはわざとらしく自分の手の甲を嗅ぐ振りをする。女性研究員はますます不快そうな顔になったが、口を尖らせてダニエラを無視すると自分の席へと戻った。
ミゲルと呼ばれた研究員は、ダニエラの方を向いて口笛を吹く仕草をした。
これで研究員たちの目を気にせずにエストレーヤに向き合えるだろう。
改めて用意された席に戻り、エストレーヤのカプセルを眺める。
昨日エストレーヤは気になる言葉を残したまま、そのあと何も答えてくれなかった。ダニエラは話の続きが気になって一晩中まんじりともできなかったのだ。
気まぐれなエストレーヤは、今日こそ彼女の物語を語り始めてくれるのだろうか。
『エストレーヤ、おはよう。あなたの話を聞かせてくれる?』
ダニエラは頭の中で語りかける。しかし鈍い金のカプセルはガラスの向こうで沈黙したままだ。
エストレーヤの『声』を待ちながら、彼女の声をすぐに書き留められるようにとレポート用紙とペンを用意した。また研究員たちに不審に思われないように、持ってきた資料や本を開いてみる。このままただ待っていても時間の無駄なので、ついでに別の調べ物を始めたときだった。
―― あたしが生まれたのは、小さな小さな村だったわ…… ――
唐突に、エストレーヤが語りはじめた。
ダニエラはどきっとして顔を上げたが、すぐさま手許の用紙にいまの言葉を書き留める。
(死者に時間の概念は無いのね……きっと)
戸惑いながら、ダニエラはそんなことを思って苦笑した。
ややあって、エストレーヤは続きを語り出した。
―― 父さんと母さんと、兄さんふたりと姉さんひとり。弟が三人に妹がひとり、弟のひとりと妹はふたごよ。
兄さんと姉さんは、親といっしょに畑仕事をしていたけれど、あたしと下のきょうだいたちは、大した手伝いもまだできなくて、まいにち広い野原をかけまわって遊んでいたわ。
あたしはやんちゃで落ち着きがなくて、いっつも大きな声で笑ったり、歌ったりしていたから、どこにいてもすぐに分かるって、父さんは言うの。
それで父さんと母さんはあたしのことをチャスカって呼んでいたわ。チャスカってね、どこに行ってもよく見える空でいちばん明るい星の名前なの。
それだけ目立つっていう皮肉だったのかもしれないけれど、あたしはその名前を気に入っていたわ ――
目立ちたがり屋でお転婆な女の子、チャスカ。
ダニエラは、初めて見たときの意志の強そうな少女の顔を思い出して、思わず微笑んだ。
※ 現在カパコチャとして捧げられた子どもたちとして完全に近い状態で発掘されたのは4体ですが、発掘作業は続けられています。
落雷や盗掘で破損していることも多く、なかなか完全な状態では見つからないようです。
ここでは、これからさらに発見があるであろうという未来を想像して書いています。