23、 Imaginations the ice maiden had
「さあ、ようやく愛しのお姫様に会えるぞ」
ミゲルがニヤニヤとダニエラの方を見、勿体つけるように言った。
氷温室の温度に耐えられるような真っ白なスーツを身に着けた三人、ミゲルとダニエラとマルシアが、鈍い金のカプセルを囲むようにして立っていた。
ミゲルがカプセルの蓋を固定している幾つものフックを外していく。最後のひとつが外れて蓋に僅かな隙間が出来ると、中から白い空気が漏れ出した。
カプセルの内部は、氷温室よりも高山の温度により忠実に設定されている。頻繁に彼女を外気に晒してはいけないことは明らかだ。
ダニエラは貴重な瞬間を、息を呑んで待った。
ミゲルが持ち上げたカプセルの蓋の奥から、斜めに天を見上げて微笑むように眠っている少女の顔が現れた。初日に彼女と対面しているはずなのに、その表情はまるで違う。
あのとき、―サンプル―としか見ていなかったものが、かつて息をして、瞬きをして、その口を開いて、笑ったり、泣いたり、怒ったり、驚いたりしていた様子がありありと想像できる。
その瞳に、たくさんの風景や人々の姿を映していたことも。その髪を風になびかせて走っている姿も。誰かと手をつないで微笑む姿も。
―― もう、気付いていると思うけど…… ――
『声』は目の前の少女からではなく、ダニエラの脳天から降ってきた。
―― それはチャスカの身体であって、あたしはそこには居ないわよ ――
―― そうよね。あなたは空に居て、人の世界を俯瞰している ――
―― 懐かしいわね。ダニエラに話しながら、あたしも思い出したわ。チャスカだった短い日のことを。
でも、あの短い日に人として感じた想いを、もう二度と感じることは無かったから、あたしには当時の想いがずっとずっとそのままの形で残っているの ――
―― どうしてそれを、私に話したの? ――
―― そうね。あなたの境遇があの時のあたしに似ていたからかしら? ――
ダニエラはそう言われて察した。
ダニエラはまだ十六歳だ。幼いころから稀にみる天才といわれ、飛び級を繰り返して、この年で大学の過程まで修了した。勉強は楽しくて仕方なかったが、これまでのダニエラの人生でどこにも寄り道をしたことは無かった。
少女チャスカが、短い期間で、一気にすべてのことを悟るようになったのと同じく……。
―― あれは、あれで、楽しい日々だったわ。でも願わくば、もう少し人の生を楽しむ時間が欲しかったわ。もう少しユタと遊んでいたかった。たったそれだけのことだけど、悔やまれることだわ。
もう一度人の世界へ降りてみても良かったけど、あたしにはユタとの思い出がいちばん大切だったの。もう一度生まれ変わったら、その記憶は無くなってしまうから。
パリャックとクワンチャイは、再び人の世界へ戻っていったわ。だから神さまは二人の身体を消したの ――
ダニエラは、遠い日を懐かしむように宙を見上げているエストレーヤの顔をしげしげと眺めた。きっとこの身体で生きた生が彼女の最良の日々だったのだ。やり直して得られるものではない。
―― そうね、エストレーヤ。私は少し急ぎすぎたかもしれないわ。でもまだまだ時間がたくさん残されていることにも気づいたわ。あなたのお蔭よ ――
―― それとね。ダニエラがこの声を受け取れるということは、あなたも私と同じ存在だということよ。
けれどあなたの国に、あなたの力を呼び覚ます人も、それを活かそうとする人もいない。それをするには、引き換えに大きな犠牲を払わなくてはいけないから。
あたしの国ではね、あたしたちの『真実』を伝える役目は、たったひとりの語り部に委ねられた。あたしたちの力を呼び覚ます方法を知るのは、特別な修業を積んだ神官に限られた。
けれどいつの間にか、それを伝える存在も、呼び覚ますことのできる存在も、居なくなってしまったの。
『真実』を誰も知らないまま、形骸化した儀式は続けられた…… ――
―― 形骸化……ということは、カパコチャではない子供が山に還されたということ? ――
―― そう。それが無意味なことは、あの国がどうなったか考えれば、判るわよね……。
人が何かを欲するとき、真実の手段を知らなければ何が起こるのか、あたしは思い知ったわ。
ダニエラ、あなたは『力』を目覚めさせなくてもいいの。だけど、あなたの奥底にある真実を見つめていってほしいわ。そして与えられた生を楽しんでほしいわ ――
ダニエラは少女の顔を見つめたあと、宙を見上げて目を閉じ、想った。
―― ええ。あなたの言葉は忘れない。この出会いに、感謝するわ ――
「よう、今日でお別れだってな。あんたはここの一員みたいだったのに、寂しいな」
研究所の門を出るとき、警備員がダニエラにそう声を掛けてきた。
「短い間だったけど、いろいろと助けてもらったわ。ありがとう」
「こっちこそ、生真面目な研究員のツラに飽き飽きしていたから、楽しかったぜ、ダニエラ。また顔出してくれよ」
「そう言ってくれると嬉しいわ。そういえば、私の名前は覚えてもらったのに、あなたの名前を聞いていなかった」
「ああ、俺か。じゃあ、絶対に忘れるなよ! 俺の名前はな……」
親指で自分の胸元を指さしながら、ダニエラの耳に顔を近づけて、警備員は言った。
「大神官だ」
**********
「さて、どうしよう……」
二週間の研修の成果は、びっしりとメモ書きされたレポート用紙数十枚。
しかし、その内容は、とても教授に提出できるレポートに仕上げることは出来ないようなものばかりだ。ダニエラは自宅の机で頭を抱えた。
―― 与えられた生を楽しんでほしいわ ――
「そうね。私にはまだ、たっぷりと時間が在るもの!」
ダニエラは、誰に見せるわけでもない、自分用にレポートをまとめようと考えた。
少し考えてから、新しい紙に、題名を綴った。
『Imaginations the ice maiden had 』
―― 氷の少女が思い描いた世界 ――
- END -
~~~ あとがき ~~~
アルファポリス歴史大賞に、拙作『カントゥータの赤い花』を出品したくて、けれど童話のカテゴリーになっているために叶わず、急きょ書き始めたこの作品。
主軸のストーリーは出来ているので、最初は『短編』として、カントゥータの裏話としてあっさり終えるつもりでした。
途中、PCの不具合が何度か重なり、思うように投稿できずにいたのですが、それが意地っ張りの私に火を点けてしまったのか、気付くと6万字超という長編級のものになっていました!
大した構想もないうちに、書きながら考え、また書き足すというようなやっつけ仕事だったのですが、終わってみると、私がこの作品に限らず前々から書きたいと思っていたことを、だいたい網羅した作品となっていて、驚いています。
まずひとつは、童話『カントゥータの赤い花』では書くことの出来なかった『大人の事情』がちゃんと書けたことです。ピウラが大人の感覚を持ち合わせるようになるという設定が功を奏しました!
最初に考えていた構成よりもまとまったな~と自己満足しています。
二つめは、一時期、世界中から非難を浴びた『カパコチャ』という儀式を、まったく逆の発想で描いてみたかったということです。自分でも書きながら、奇想天外な発想だなと思う反面、いや、もしかしたらこんな風に考えられるかもしれないという錯覚に陥ってしまいました!
三つめは、インカを始めとするアンデス文明の、現代人の常識を覆すような世界観を書き入れたかったことです。18話の『大いなる水』に書いた、『天の川から流れ出た水が地上を巡り、また天の川へと還っていく』という伝説がインカにはありました。その貴重な天の水がある場所、湖、池、川などを『コチャ』と呼び、神聖な場所として崇めていたのも事実です。
『コチャ』はヒトや動物の体内にも巡り、流れ出る。宇宙から地上の小さな生物まで、すべてが『コチャ』によって繋がっているという発想です。
この発想を思うと、どんな命も尊く責任のあるものとみなされているように思えて、私は好きなのです。
四つめは、大元となっている二つの作品の辻褄が合ったことです。ここに出てくる『ユタ』は処女作『稲妻と星の花』の主人公カパックなのですが、この作品でカパックを追い詰めてしまう冷酷な皇帝を、次作『皇子クシ』では情に篤い人間味溢れる皇子として描いています。同じ人物がどうしてそんなに変わってしまったのかという過程が、私の中で設定し切れていなくて、今回、王が啓示を受けて覚悟を決めるという設定で繋げることが出来ました。
五つめは(まだあるんかい!!)8年前に開催された『インカ・マヤ・アステカ展』の企画で、恩田陸さんが三つの文明の遺跡を巡る旅に行き、『メガロマニア』という紀行文を綴られました。その中で、旅の途中で発想を得た『空を浮遊し、下界を見下ろすインカの少女』を描きたいとおっしゃっていて、私は新作が出るのを心待ちにしていたのですが、未だにそういう作品は出されていないようなので、私流に書いてしまったというわけです(笑)
書き始める前に、『結末は意外なものです!』と宣言していたんですが、書き終えて、作者自身も『結末は意外なもの』になっていました。
リアルタイムで書きあがったものを載せ、新鮮なうちに読んでいただく……という実況中継的な投稿は、危ういところもありましたが、とても楽しかったです。
連載を追ってくださっていた方も、まとめて読んでくださった方も、最後までお付き合いいただいて、本当にありがとうございました!
作者拝
追記:
活動報告で、この話が日本の御伽噺日本のよく似てきたとお話しましたが、おわかりでしょうか?
そう。『かぐや姫』のお話です。
月の神殿。また、クワンチャイの意味が、『輝くような』という意味など。
意図してはいなかったのですが、インカ版竹取物語のようになりました。




