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22、チャスカ ― 星になった少女 ―

―― その日は晴れ渡って、空のあおが一層濃く見えた。天に還ったらもうこの空の色は見られないもの。あ、空の上からもその上空の色が変わることはないけれどね。それがあおいとかそんな風に映るのは人の目を通して見るからなの。だからあたしは、空に還ったら見ることのできないその色をしばらく眺めていたわ。

 あたしはママコーナにすごく高価な着物を着せてもらったわ。お姫様も付けないような美しい銀の頭飾りを載せてもらった。丁寧に編まれたサンダルも履かせてもらったわ。

 クワンチャイくらい大きかったら、すごく美しいお姫様に成れたかもしれないのに、それが少し残念だった。


 たくさんのママコーナや神殿に仕える人たちにかしずかれて、あたしは自分の部屋を後にした。

 途中でクワンチャイと合流して、それから、儀式の行われる広場でパリャックに会った。


 パリャックももちろん、王子さまみたいな素敵な服を着ていたわ。本当の王子さまのユタより、ずっとずっと立派で思わず笑っちゃたわ。

 それで、クワンチャイはもう、言うまでもないわよ。本当に素敵だった。お姫様どころか、女神さまよ。裾の長いドレスと大きな肩掛けには、目の醒めるような美しい模様がいっぱい散りばめられていて、彼女の顔によく似合っていた。頭には真っ白な羽をいくつも縫い合わせた大きな冠を被っていた。

 クワンチャイを見て、あたしももうちょっと素敵な女性になってから還りたかったな、なんて思ったわ。


 でもね、三人で顔を合わせたら、思わず笑いが出てしまったの。三人ともこんな風に仰々しく送られるとは思ってなかったから、くすぐったかったのよね。ちょっとした好奇心で、人の世界へ降りてきただけなのに ――


―― ちょっとした好奇心って…… ――


 エストレーヤの口調にダニエラは思わず吹き出しそうになった。


―― くすぐったいのは、服装だけじゃなかったわ。神殿前の大きな広場に連れて行かれたら、たくさんの花を飾った舞台が設けられていて、その前にはあたしたちが乗る立派な輿が三台置かれていたの。その周りを国中の人が取り巻いているのよ。

 ひっそり天に還って行きたかったあたしたちは、もう逃げ出したいほど恥ずかしかったわ。ひと通りの儀式が済むのを心待ちにするしかなかった。


 舞台に上がって、横にパリャックが並んだとき、あたしはふと気になっていたことを思い出して、彼の心に呼びかけてみたの。


 『パリャック、オマの将来の姿をることは出来た?』って。


 そしたら彼は、哀しげな顔であたしを見た。あたしは余計なことを訊いてしまったのかと、それ以上何も言えなくなってしまった。しばらくしてパリャックが言ったわ。


 『人の心っていうのは厄介だなって、よく分かったよ。でもだからこそ、人なんだよね』って ――


―― パリャックは何を視たの? ――


―― おそらく、オマの将来は、パリャックが思っていたようなものでは無かったのよ。でもそれ以上は訊けなかった。つまり、都合のいい期待をしてしまうのが『人の心』っていうのが分かったんだと思うわ。あたしは、ユタの将来が思うような、いえ、それ以上の姿だったから救われたのだけど ――




 三人が壇上に並ぶと、反対側の玉座に座っていた王が進み出てきた。

 美しい模様の長いマントを羽織り、耳や胸に黄金の装飾を付け、王冠を頭に戴き、悠々と歩く姿は、神殿で弱々しくひざまずいていたその人と同じとは思えなかった。

 王は三人に近づいて、ひとりひとりの顔を丁寧に眺めていき、最後に笑顔でゆっくりと頷いた。先日の三人の助言をしっかりと受け止めたという意味なのだろう。

 そして、さっとマントを後ろに払い、その場に跪いて深々と頭を下げる。民衆は、王が三人の子どもに最上の敬意を払う様子を見て、一斉に静まり返った。王にならい、その場に跪いて敬意を払うものや、胸に手を当てて目を閉じ、祈りの言葉を唱える者もいた。


 王の挨拶が済むと、左右から召使いたちが寄ってきて、三人を輿の方へと誘導した。エストレーヤの手を引いたのは、粗末な貫頭衣の上にポンチョを羽織った老人だった。ふとその人の顔を見上げて、エストレーヤは思わず声を上げた。


「大神官さま!」


 すると老人はにっこりとして答えた。


神の山アプーまでお供いたします。ご安心ください」


「その格好はどうしたのですか?」


「私はもう、大神官ではございません。後任の者にすべてを譲りました」


「何故? 大神官とは命の尽きるときまで、その任を解かれることはないのではないですか?」


「はい。私の命はあなた方を送り届けるときまで、ですので……」


 エストレーヤが周囲を見回すと、召使いと思っていたのはすべて、見知った神官やママコーナたちだった。


「お供を任された私どもには、きはあってもかえりはございません。神の山アプーで運命を共にする覚悟でございます」


「そんな! 何故こんなに多くの人が、あたしたちのために犠牲にならなくてはいけないの?」


神の山アプーの天候は非常に不安定です。あなた方と共にあれば、神も道を開いてくださるでしょうが、あなた方とお別れしたあとは、おそらく道は閉ざされるでしょう。我々の使命はあなた方を送り届けることのみ。国の危機を救い、多くの民の命を守る道を示していただいたことを思えば、我々の命を捧げることなど些末なことでございます」


 それを聞いて、エストレーヤは自分の使命の重みと責任をひしひしと感じていた。



 三人を乗せて輿は動き出した。

 道の両脇に民衆が押し寄せ、大きな歓声が上がる。国中のほとんどの人が、エストレーヤたちの旅立ちを見守っていた。

 『気まぐれ』に人の世界へと降りてきたことが果たして本当に人々を救ったのか、それとも負担を与えたのか。大神官の話を聞いてから、エストレーヤには分からなくなっていた。


 列の先頭に向かって、大声で叫んでいる少年が見えた。オマだ。先導するパリャックの輿に、泣きながら身振りを交えて必死に別れの言葉を叫んでいた。先ほどパリャックが見せた哀しげな顔が思い出される。けれどパリャックの心の声が微かに伝わってきた。


―― オマ、出会えて良かったよ。ありがとう ――


 パリャックはきっと、オマがこの後どういうせいを送ろうと、その生の中で出会えたことが大切だと感じたのだろう。



 パリャックとオマの様子に気を取られていると、すぐ前を行くクワンチャイの声も混じって聞こえた。


―― ずっと、わすれないでね ――


 乗り出して前の輿のクワンチャイの姿を見る。横を向く彼女の視線の先にはユタが居た。ユタはクワンチャイに大きく手を振って、何度も頷いていた。


 いよいよエストレーヤの輿がユタに近づく。けれどエストレーヤはユタの方を振り返るまいと決心した。最後に言葉を交わしたときに見せた笑顔が、少女チャスカの最高の笑顔だ。きっと今、ユタを振り返ったら泣き顔になってしまうだろう。だから絶対にユタの方を見るまいと強く思ったのだ。

 じっと正面を見据えるエストレーヤの脇から、大勢の歓声に混じってユタの叫び声が聞こえてきた。


「ピウラー。ピウラー」


 例えその声に応えたとしても、一瞬で通り過ぎるだけなのだ。エストレーヤは両拳を固く握って、少しくらい顔を向けてあげたらどう? とそそのかす、もう一人の自分の誘惑に耐えていた。


 やがて一行は、街を囲む高い壁から外へと通じる門を通り過ぎた。壁の外に出た途端、人々の歓声がくぐもった遠雷のような音に変わった。


―― もうこれで、本当にお別れだわ ――


 エストレーヤは寂しさよりも、ユタに泣き顔を印象づけずに済んだことに安心した。


 街はずれの丘を上り始めた頃、街の方から微かに自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


「……カー。……スカー。チャスカーー!」


 その声がユタであることは間違いない。チャスカという名で自分を呼ぶのは彼しかいないのだから。ユタは随分高いところから遠くへ響くように呼びかけているようだ。おそらく街を囲む壁の上からエストレーヤを呼んでいるのだろう。しかし余りにも遠くて、その内容までは聞き取れない。

 エストレーヤはユタの想いを感じ取ろうと、意識を集中した。


―― チャスカ。ぼくは強くて賢い大人になる。困っている人を助けられるような大きな力を身に付ける。チャスカがお山の上で、たくさんの人の幸せを祈っているなら、ぼくはこの手で、たくさんの人を助けてあげるんだ。チャスカのお祈りを絶対に無駄にしないように、力を貸せるようになるために、強くて賢い大人になる。

 だからずっと、お山の上で見守っていてよ ――


 エストレーヤは知っていた。

 ユタが、王へエストレーヤの命乞いをしたとき、王はユタにこう言って諭したのだ。


『人を助けることはとても難しいことなのだ。まず、おまえに知恵と力が無くては決して出来ないことなのだ。

 おまえが決まりを破ったことを見逃すかわりに、おまえに問題を出そう。どうしたらそのアクリャが救われ、苦しんでいる人も助けることが出来るのか、考えてみるのだ』


 ユタはあの時から、幼いながらも必死で考え、答えを見つけたのだ。


―― ピウラ、ほら、ユタの心にちゃんとあなたが残ることになったでしょう ――


 前の輿からクワンチャイがこちらを向いて笑いかけていた。

 エストレーヤはクワンチャイに頷くと、右手を天高く上げた。そしてそれを左右に大きく振った。エストレーヤがユタの言葉を受け取ったことを知らせるために。

 するとまた、ユタの『声』が聴こえてきた。


―― ありがとう。ずっと、友達だよ。絶対、忘れないよ ――


 エストレーヤは左手も空に伸ばし、両手を大きく大きく振った。丘を越えて街の喧騒がすっかり聴こえなくなるまで、エストレーヤは両手を振り続けていた。




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