21、さようならユタ
王との面会も済み、エストレーヤたちは役目を終えた。あとは天に還る日を待つだけだ。
彼女たちの存在は、『国を度重なる不幸から救うため、山の神に捧げられる子どもたち』として、国中に知られることとなった。民はその尊い命を惜しみ、嘆き、しかしその恩恵にあやかろうと神殿に参るものが後を絶たなかった。
そんな世間の騒ぎとは関係なく、エストレーヤにはやらなければならないことがあった。ユタにこの間のことを謝って、きちんとお別れをしなくてはならない。
覚悟を決めて、エストレーヤは宮殿へと向かった。
いつものように友達と混じって遊びたくはなかった。大いなる力に完全に目覚めてしまったエストレーヤは無邪気に子どもたちと遊ぶ気にはなれない。それに、ユタと話をしているときに、他の子どもたちに邪魔されてうやむやにされたくはなかった。
宮殿に着いても物陰に身を潜めてユタの姿を探す。広場では相変わらず子どもたちが賑やかに走り回っていた。けれどその中にユタはいなかった。
エストレーヤは宮殿の中をあちこち探し回った。何人か召使いや番人に行き違ったが、エストレーヤのことを特に気に留めるものはいなかった。
だいぶ奥のほうにやってきて、この先は王や貴族の住まいではないかと思われる閑静な場所に出た。さすがに貴族の住まいに足を踏み入れるのはためらわれる。諦めて引き返そうと振り返ったところに、こちらに歩いてくるユタの姿を見つけた。
ユタは正面に立っているエストレーヤに気付くと、驚いた顔で歩みを止めた。しばらくそのまま動かない。エストレーヤは、ユタがけんかしたまま別れてしまったので自分が来たことをいぶかしんでいるのだろうと思った。そこでエストレーヤの方もユタに声を掛けるのをためらっていた。
すると突然、ユタが満面の笑顔になった。
「ピウラ!」
ユタはエストレーヤに駆け寄ってくると、息も切れ切れになりながら、一気にまくし立てた。
「ピウラ、ぼくはずっと謝ろうと思っていたんだ。だけど、ピウラがやってくることもなくて、ぼくも、もうアクリャワシに忍びこむ勇気がなくて、会うことができなかった。だから、こんなに遅くなってしまった。
ごめんね、ピウラ。ピウラは、ぼくがお母さまに会えるように協力してくれたのに、勝手にひがんで本当に悪かった。ぼくはあのことで、何が大事なのかよく分かったんだ。大事なのはお母さまを探すことじゃなくて、友だちや、今そばにいる人たちを大切にすることなんだよね。
だからピウラ、いつまでも大切な友だちでいてほしいんだ」
エストレーヤは何も返事を返すことができなかった。けれど心の中は哀しさでいっぱいになった。
―― 止めてよ。どうして今さら、そんなこと言うの? ――
ユタの純真さがエストレーヤの心を苦しめた。ユタが悪いわけではないのに、彼が恨めしく思えてしまう。そんな気持ちを何とか抑えて、極めて冷静になろうとする。
答えををはぐらかすようにエストレーヤは黙って横を向き、通路の隅に置かれている縁石を見つけてそこに腰を下ろした。
ユタは不安そうに付いてきて、その横に腰を下ろした。
なんとか落ち着いてから、エストレーヤは話し出した。
「もうとっくに怒ってなんていないわ。あんたはいつだって大切な友だちよ。友だちだからついけんかになったのよ。どっちが悪いなんてことないわ」
不安気だったユタの顔が一気に輝いた。本当なら、仲直りしてまた楽しく遊べるね、と、それでおしまいのはずなのに……。
「でもね、ユタ。残念だけど、もうあんたには会うことはできないの。あたしはもう、この街にいることができないのよ。
今日はね、あんたにお別れを言いに来たの。今まで仲良くしてくれて、ありがとう。会えなくても、あんたのことはずっと友だちだと思っているわ」
ユタの笑顔がまた曇る。震えるような声でユタは訊いた。
「どういうことなの? ピウラはもうアクリャのおつとめが赦されて、家に帰ることができるの?」
それだったらユタは納得してくれるかもしれない。けれど嘘はつけない。
「いいえ。あたしはね、神さまのお山に行くの。そこでこの国の人たちが幸せに暮らせるようにって、神さまにお願いするのよ」
ユタの顔が悲しげに歪んだが、それでもまだ希望を持とうとしていた。
「それじゃあ、そのお願いが済んだら、また戻って来るんでしょう?」
ユタが必死に理解しようしている姿がいじらしいが、それを振り切るように、エストレーヤは左右に首を振った。
「どうして。何で戻ってこれないの?」
「あたしは、これからずっと神さまのお山で暮らすの。そのためにアクリャになったのよ。今までその準備をしてきたのだけど、いよいよその日がやってきたの。
はじめは嫌だった。アクリャワシでは、ママコーナは厳しくても、きれいな服を着て、おいしいご馳走を食べて、辛いお仕事をすることはなくて、大事にされていたわ。けれど、つまらなかった。
でもユタに会って、宮殿でたくさんの友だちと遊ぶことが出来て、本当に楽しかったの。嫌いだったこの街がユタのおかげで好きになったのよ」
嘘は言っていない。全て本当のことだ。ただ彼女の運命が生まれる前から決まっていて、それを選んだのが自分だということを除いては。
ユタはもう、今にも泣きだしそうな顔をしていた。彼にとってあまりにも衝撃的な内容であることに罪の意識を感じて、エストレーヤは少しは慰めにならないかと、付け足した。
「心配いらないわ。ひとりぼっちじゃないのよ。クワンチャイと、オマの兄さんもいっしょだから」
「オマの兄さん?」
「そう。けんかする前に言おうとしたでしょ。オマの兄さんは耳が聞こえないの。不自由なところのある子どもは神さまに選ばれた力があるから、みんなが頼ってお祈りに来るくらいなのよ。
クワンチャイはユタも知っているとおり、とっても頼れる姉さんみたいでしょ。ふたりといっしょなら安心よ」
けれどもう、ユタはそんな慰めすら耳に入っていないようだ。立ち上がって興奮気味に叫んだ。
「でも、なんでピウラが行かなくちゃいけないんだ!」
エストレーヤはあたふたと、次の言い訳を探して言った。
「あたしじゃなかったら、ほかの誰かが行くことになるわ。あたしが行ってお願いすれば、たくさんの人が助かるの。あたしは選ばれて大切なお仕事を任されたの!」
ユタはそれを聞いている間も、いやいやをするように頭を振っていた。そんな理由など、どうでもいいと言うように。
そんなユタを見ているうちに、エストレーヤはつい本音をこぼしたくなった。
「本当はさっきまでこんな風に思ってなかったのよ。ユタに知らせないでお山に行っちゃおうかとも思ってた。
あのとき、ユタはクワンチャイから本当のことを聞かされたんだと思って悲しくて、ユタに会いたくなかったの。でもユタは何も知らないってクワンチャイから聞いて、やっと会いに来れたのよ。
さっきユタが、あたしを大切な友だちだって言ってくれたから、もうそれだけで良くなったの」
それでもまだ意味が分からずに、何かを言おうとしたユタの手を、エストレーヤはぎゅっと握った。
「ユタにだけ話すわね。あたしはピウラという名前じゃないの。ピウラは生まれた村の名前。アクリャになったときに本当の名前は取り上げられて、お山に行くまでの仮の名で呼ばれていたの。お山に行ったらその呼び名もなくなるわ。
だからユタにだけは、覚えておいてもらいたいわ。あたしの本当の名前はね……」
エストレーヤはユタの耳に手を添えて口を近づけて言った。
「明星」
チャスカという名もピウラと同じく、仮の名前に過ぎない。けれどそれは、エストレーヤの両親が彼女の魅力を象徴して呼んだ名であって、エストレーヤ自身もその名が自分を象徴するものだと思っていた。
ユタの心に、チャスカという少女の面影がいつまでも残ることを願って、エストレーヤはその名をユタに託したのだ。
―― 心残りはなくなったわ ――
エストレーヤはユタに印象付けるように、自分で一番良いと思う笑顔を作って見せた。
そしてユタの手を離し、くるりと向きを変えると全力で走り出した。二度と振り返るまいと心に決めて宮殿を後にした。
―― それからしばらく、放心状態だったわ。ユタに二度と会えないなんて、どうしても信じられなかった。あたしはもう、人とは違う存在に戻ってきているというのに、少女ピウラの心はどうしてもそれを認めようとはしなかったの。
それで、何をやってもユタのことばかり考えてしまうものだから、ついには妄想まで見るようになった。ユタがね、入ってはいけない王さまの謁見室に入って、王さまに叫び声を上げて捕まってしまう妄想。怖かったわ。あの臆病なユタが、あたしのことがショックで気が触れてしまうんだと思って、取り返しのつかないことをしてしまったと悔やんだの。
けれど実は、それは妄想じゃなくて、あたしの能力で宮殿のユタの様子を視ていたのよ。
捕まったユタは、王さまの部屋に連れて行かれて王さまの家来にお説教をされていた。
そのあと、王さまがやって来ると、ユタはこう訴えていたの。
「ピウラを助けてください。
今度、お山の神さまのところへ行くことになったアクリャのことです。ピウラにはたくさんの家族がいるのに、その家族と別れるなんてかわいそうです。
アクリャワシに忍び込んだぼくは、どんな罰でも受けます!
でも、ぼくが罰を受けるかわりに、ピウラを助けてやってほしいんです!」
ユタは必死だったわ。ユタの気持ちはうれしいけど、そこまでされて、あたしはどうしていいのか分からなかった。
その時、クワンチャイの言葉を思い出したの。
「ユタはあなたの使命を知って、いろんなことを考えるでしょう。それが彼を変えていくことになるの」
あたしは、あたしの存在が、あの立派な青年ユタに成長するきっかけを作っているんだって、信じて祈るしかなかった。それしか方法はなかったの ――




