20、示唆
いよいよ、王が断食を終え、三人と面会する日がやってきた。
お説教のときに三人が座っていたゴザは、その日は王の席になり、三人には月の神像の前に立派な石造りの椅子が用意されていた。
クワンチャイには丁度いいが、パリャックとエストレーヤには座面が高く、足が床から浮いてしまうほどだった。すっかり年齢など忘れていたが、まだ幼い子どもであることをそれで実感する二人だった。
三人が椅子に落ち着くと、左右に側近を従えた王が神殿の入り口に姿を現した。
ゆっくりと近づいてきて、ゴザに胡坐をかいて座る。王が着座したのを見届けると、側近たちは神殿を出ていった。
王は真っ直ぐに背筋を伸ばして三人を見つめていた。
さすがに七日の断食の後なので、僅かに頬がこけ、瞼は落ち窪んでいるが、いかにも王らしい威厳のある風貌だ。
エストレーヤはその顔を見て、先日クワンチャイが見せてくれた青年になったユタの姿を思い出した。王は、あのユタにとてもよく似ていた。
やがて王は、背筋を伸ばしたまま腰を折り曲げ、静かに身体を傾けていった。固く握った両拳を床に置き、床すれすれにまで顔を近づける。最敬礼をしたその姿勢のまま、挨拶を告げた。
「天から遣わされたお三方に、本日は、わたくしと我が国の辿るべき道を指し示していただきたく存じます。わたくしが、この国を統べる者として何を成せば良いのかご示唆いただきたく、お願い申し上げます」
王は身体を折り曲げたまま三人の言葉を待っていた。
「王よ……」
クワンチャイが声を掛けると、王は素早く「はっ」と返事を返した。
「これから、私たちが一人ずつ、この国で起きていることに対しての助言と、この国の将来についての助言を行います。私たちに出来るのはそこまでです。
よくその心に留め置いて、貴方の中で最善の策を考えられますよう」
「はっ。重々承知いたしました」
まるで臣下のようにへりくだってそう言うと、王はこれ以上ないというくらい、上半身を地面に近づけた。そして再びゆっくりと身体を起こし、背筋を伸ばして目を閉じた。三人の話を一切聞きもらさぬように、全神経を傾けているようだった。
「まずは……」
最初に話し出したのはクワンチャイだった。しかし隣に座る少年の肩に手をやって注釈を加える。
「私の右隣に座るパリャックより、北で起きている災害についてお話します。彼は口をきくことができません。代わりに私が彼の言葉を伝えます」
そう言って、クワンチャイも目を閉じた。
「北の地で起きている神の山の噴火は、少しずつ収まってきています。これ以上の災害を及ぼすことはないでしょう。北の地は、時を掛けて必ず元の姿に戻ります。
ただその時を、人は待てないのです。
貴方が成すべきは、時を待つ間、人の心に安定をもたらしてあげることです。
北の地から逃げ延びてきた民は、疲弊しています。その疲弊を取り去るには、彼らに、自分たちの力で生活を築き上げることのできる場所を与えてやることです。
都の中ではない、実りを望める広い土地を、彼らに与えておやりなさい。そして、実りを得るために必要な最低限の援助を行いなさい。
やがて彼ら自身で、そこを暮らしやすい土地へと変えていくことでしょう。そのために知恵と力を尽くすことが彼らの希望となるのです。
そして必ず、彼らの故郷が元に戻ることを伝えておあげなさい」
そこでクワンチャイは言葉を切り、目を開けた。そして隣のパリャックを見遣ると、パリャックは満足そうに頷いた。
「ご助言、しかと心に刻みました」
王はそう言って身体を折り曲げ、礼をした。
次にクワンチャイは、反対隣りのエストレーヤの方を向き、促すように頭を下げた。
エストレーヤが王を見ると、王は僅かにエストレーヤの方へ体の向きを変え、真っ直ぐに彼女の目を見つめた。それからまた目を閉じた。
エストレーヤはひと呼吸おいて話し始めた。
「次に、南の地で起きている戦争についてです」
実は、エストレーヤがこの話をしようとすると、どうしてもユタのことが思い出されてしまうのだ。それはエストレーヤにとって辛いことではあるが、だからこそ、心を籠めて王に伝えることが出来るのだろう。
伝えそびれる言葉の無いように、エストレーヤはひとつひとつの言葉に想いを込めようと決意してきたのだ。
「この戦いはまだ、終わりが見えません。何故かといえば、この戦いによって大地の様相が一変するからです。勝敗は善悪ではなく、その勝敗によって大地の仕組みが変わる。天の条理では、ただそれだけのことに過ぎません。
けれどいま、貴方が天の条理を理解されるのなら、貴方が大地の統率者となることで世界は最大の安定を迎えることとなるでしょう。それによって救われる人の数も違ってくるでしょう。
世界が安定を望むなら、貴方は是非とも勝たねばなりません。
この戦いにきっかけはありません。二つの流れが出会って混じり合った結果です。
貴方はもう、ひとりの人として生きるのではなく、世界の安定のために生きることを決意しなくてはならない。身内や親しい人も、時に切り捨て、民と平等に考えなくてはなりません。それが『王』というものです。
貴方の中の迷いが消え去るとき、貴方は勝利するでしょう。
しかしその勝利は貴方のものではありません。大地に生きるすべての民のものです。
だから貴方は、その勝利をもって、身を尽くして民を救うことを誓わなければなりません」
ユタと、信頼する人たちを想って戦を始めた王の心を知るエストレーヤは、その言葉を告げることが残酷なことだと分かっていた。けれどそれを誤魔化しては、ユタも王もますます苦しむことになるのだ。
話し終えて、エストレーヤはきつく目を閉じ、片手で胸元をぐっと握り締めた。そして辛さを逃すように細く長く息を吐き出した。
王は静かに身体を折り、先ほどよりも神妙な声で返事をした。
「…………ご助言、ありがたく賜りました」
「では、最後に……」
クワンチャイの声で身体を起こした王は、また正面に向きを変え、月の神像の真下に座るクワンチャイを見つめた。そしてゆっくりと目を閉じた。
「この国の将来について、私からお話します。
先ほどのピウラの話につながりますが、貴方はこの度の戦に勝利するでしょう。しかしピウラの話のとおり、そこから貴方の本当の使命が始まります。
貴方はこの大地のすべての人に恵みをもたらす存在にならねばなりません。しかし、人の数が多ければ多いほど、その喜びも、一方の悲しみや怒りも、増えていくのです。
貴方はそのすべてを静観しなくてはなりません。
片隅で喜ぶ者があれば、その一方で哀しむ者がいる。それが天の条理です。
しかし、故意に悲しみや怒りを増幅させてはなりません。常に均衡を保つこと。均衡が崩れるとき、貴方はときに身内や愛しい者に見切りを付けることも覚悟しなければならないのです。
厳しい試練です。けれどそれに耐え抜くのが王の務め。それによって、大地は安定し、繁栄していくことでしょう」
王はいつの間にか、目を見開いてクワンチャイを、いやその上の月の神像を見つめていた。
見開いた目から一筋、涙が伝って落ちるのが見えた。これまでの自分を振り返り、それを恥じ、そして身を切られるような厳しい覚悟を受け入れようとしている王の葛藤が、三人には分かった。
しばしの静寂が神殿を支配する。
その静寂の中で、王が様々なことを思い描き、それに揺り動かされ、それを鎮めようとしている心の動きが伝わってくる。
やがて王は、最初のように床すれすれに半身を近づけて最敬礼をした。
「お三方のご助言、この胸にしっかりと刻み込みました。
おそらく、わたくしは『人』でありながら、『人』であってはならない。全てを俯瞰するあなた方に近づいていかなくてはならないのだと。そう覚悟いたしました。
すべては人々の、世界の安定のため、この身を捧げることを誓います」
ふと、エストレーヤの中に少女の想いが過る。
―― 可哀そう…… ――
王という立場を、ピウラという少女の目線で見たとき、その余りの厳しさと偉大さを感じ取った。
きっとユタも、そんな厳しさを生き抜いてあの建設現場に立っていたのだ。けれどその先に得られた労働者たちの笑顔は、ユタにとって何物にも代え難いものなのだろう。
―― どうか、ユタがその試練に耐え抜くことができますように ――
少女ピウラは、そう願わずにはいられなかった。




