2、研究生ダニエラ
「ダニエラ、今日も来たのかい? 熱心だね」
肉付きの良い警備員が、重たそうな頬の肉に皺を寄せる。
ダニエラの実直そうな容姿がすっかり気に入ったのか、昨日初めて訪れたばかりの彼女の名前を憶えていて、まるで以前からいた研究員のように親し気に接してくる。
しかしダニエラにとっては幸運だった。余所者が頻繁に訪れていい場所ではないからだ。
「ええ、まだまだ学び足りないことがたくさんあって……」
ダニエラがブックバンドでまとめた分厚い資料とレポート用紙の束を掲げてみせると、警備員は心底感心したように頷いた。
そして大きなその身体を屈めてダニエラの耳元に囁いた。
「ここの奴らに見習ってほしいもんだな。出勤日なんて在って無いようなもんさ。しばらく見ないから行方不明かと思ったら長期の出張だったなんて、ザラにあることさ。この中に誰が居るかなんて、俺の知ったこっちゃない!」
警備員が親指を立てて研究棟を指すのを見て、ダニエラは噴き出した。
ついこの間大学の過程を修了し、そのまま大学の研究室で助手兼研究生となったダニエラに、室長である教授が研修のためにこの国立研究所を紹介してくれた。
彼女の専攻する文化人類学は、人類というものを社会の成り立ちや慣習などから探る学問なので、この研究所に保管されている数々の遺跡の発掘品が貴重な資料となる。
じっくり研鑽を積むようにと、教授は二週間という期間を設けてくれた。ダニエラはその間、毎日通うつもりでいたが、それはここに保管されている資料の数が膨大で、それらを見るには二週間あっても足りないくらいだったからだ。
しかし、初日で彼女の目的はすっかり変わってしまった。
近未来的な研究室の中では、宇宙船の乗組員のような、やはり近未来的なスーツに身を包んだ研究員たちが、無言でそれぞれの対象物に向き合っていた。彼らの無機質な表情と異様な静けさが、ダニエラには不気味に思えた。昨日訪問したときは案内係が付いていたので、そんな印象は無かったのだが。
入口で戸惑っているダニエラに気付いたのは、ちょうど正面でパソコンに向き合っていた研究員だった。
「おや、昨日の研究生だね。ええと……」
「こんにちは。ダニエラです」
「ああ、そうだったね。今日もエストレーヤに会いに来たのかい?」
「ええ、是非……」
「熱心な研究生には頭が下がるよ。協力してあげたいが、残念ながら彼女はそう何度も起こすわけにはいかないんだ。氷の国の眠り姫だからね。この国の暑さでお姫様の具合が悪くなったら大変だ」
「そう……ですか」
ダニエラは期待を裏切られて項垂れた。
けれど少しでもエストレーヤに近づきたかった。近くにいれば、彼女は何かを語りかけてくれるような気がしていた。
「カプセルを開けてもらわなくても結構です。しばらくこの部屋でレポートを書かせていただけませんか? 皆さんのお邪魔はしませんから」
「ああ、それなら構わないよ。どうぞ」
研究員は、エストレーヤのカプセルが置かれた部屋と研究室を隔てている分厚いガラス窓の前に置かれた長机にダニエラの席を用意してくれた。
「グラシアス」
お礼を告げてダニエラは、抱えていた資料やノートを机に置くと、ゆっくりと腰かけてガラス窓に向き合った。
ガラスの向こう、ダニエラのちょうど正面にエストレーヤのカプセルが見えた。卵型のカプセルは、上半分が開くようになっている。その蓋部分の縁にVIL00018という数字が刻印されているのが分かった。
識別番号VIL00018。発見された山の名の頭文字と発掘された順番を表す番号。それがエストレーヤの正式名称だ。その無機質な『名前』を目にして、何故かダニエラは心が痛んだ。
席に着いても資料やレポートを広げるでもなく、ただガラスの向こうをじっと見つめているダニエラに、今まで無関心だった研究員たちは異様な雰囲気を感じて顔を上げ、心配そうに見つめた。
席を用意してくれた研究員がダニエラの前にコーヒーを運んできてくれたが、それにも気付かない。研究員は小さく溜息を吐き、軽く頭を振って自分の席へと戻っていった。
ダニエラを見つめていた研究員たちが、諦めて自分たちの作業へと関心を移したその時、ダニエラの耳に微かな声が聞こえた。声……いや鈴を軽く鳴らしたような音だったが、ダニエラにはその音がメッセージを伝えていることが解ったのだ。
― こんにちは ―
はっとして後ろを振り返る。しかし背後にいる研究員たちは、今は自分たちの仕事に夢中で、誰もダニエラの方を向いていなかった。
再びガラスの方へ向き直ると、『声』がまた聞こえた。それは正面からダニエラの額を通り、脳の中に直接響いたように感じた。
― あなたを待っていたわ ―
まさか。信じ難いことだが、昨日から信じ難いことが起こってもおかしくないと思っていた。ダニエラの勘が正しければ、その声が誰から発せられたものであるか見当は付く。
そして勘が正しければ、それに返事を返すこともできるはずだ。
ダニエラは目を閉じ、自分の科白を頭の中にイメージしてみた。
「そういうあなたは、カプセルの中のエストレーヤ?」
― エストレーヤ? ああ、そう呼ばれているみたいね、あたし。カプセルの中に居るのは正解よ ―
ダニエラの勘は当たっていた。
昨日、エストレーヤに初めて会ったとき、おそらくエストレーヤの方からダニエラにシンパシーを感じたのだ。その強いオーラのようなものを、ダニエラは受け取ったのだ。ダニエラはその力に引き寄せられて、再びここへとやってきた。
恐怖のようなものは感じない。むしろ、死者と会話が出来るという超常現象に遭遇して、軽い興奮を覚えていた。
― こんな風におしゃべりできる人に会うのは久しぶりだわ ―
「私こそ、あなたのような……そう、とっくに亡くなった人と話すなんて、初めてのことだわ」
― どうぞ。はっきり言っていいわよ。木乃伊とね ―
自嘲かユーモアか、エストレーヤはそう言ってケラケラと笑い声を立てた。つい、ダニエラの頬も緩む。
はっと正気に戻って後ろを振り返ると、研究員たちは相変わらず仕事に没頭していて、こちらを気に掛ける者はいない。
改めて、ダニエラは自己紹介した。
「はじめましてエストレーヤ。私はダニエラ。あなたを研究するために、しばらく研究所に滞在するわ。よろしくね」
エストレーヤもそれに答えた。
― はじめましてダニエラ。しばらく一緒にいられるのね。それならあたしの話は、これからゆっくりと聞かせてあげるわ ―