17、災害と戦争 ⑵
「本日のお説教はありません。ピウラさまの体調が回復しましたら、続きを行うとの、大神官さまのお言伝です」
いつもの時間に部屋にやってきたママコーナがそう告げた。
昨日は失態をおかしてしまったが、もうすっかり良いのに、と思ったが、少し落ち着く時間を持たなくてはいけないことも分かっている。
それから何日か、エストレーヤは部屋に籠って考え続けた。
生まれた故郷。家族がチャスカと呼んで彼女を中心にいつも笑っていたこと。意味も分からないまま引き離されてしまったこと。
アクリャワシにやってきて、偶然ユタと出会ったこと。何故ユタにそれほど興味を持ったのか。宮殿の仲間たちと楽しく遊んだ時間が彼女に何を教えたのか。
それほど長いこと一緒に居たわけではないのに、ユタのことがこれほど自分を苦しめるのはどうしてか。
数日経って、考えることに疲れたエストレーヤは久しぶりに水桶のある中庭へと足を運んだ。ユタと出会ったあの中庭だ。
花は盛りを終え、小さな葉がかろうじて細い枝に張り付いているだけだった。隙間だらけの寂しい枝の間からは、蒼い空がよく見透せた。
空の上から眺める光景と、こうして地上の一点から見上げる広い空と、これまでその違いを知ることは無かったが、生まれる前の記憶が蘇ってきた今だからこそ、その違いの大きさを感じることができる。
「きれい……」
人というのは、愚かな過ちにも気付けない小さな存在であっても、多くの感情に振り回されて、真実を見失う存在であっても、その一方で、俯瞰していては見えないものの素晴らしさを知っている。
美しいとか愛しいとか、嬉しいとか楽しいとか、誰かに優しくしたいとかされたいとか、心が沸き起こる喜びを知っている。
反面で、苦しいとか悲しいとか、憎いとか寂しいとか、心が抉られるような思いに苦しむ。
きっと、自分はそれに憧れ続けてきたのだ。
人がどうしてそんな動きをするのか、自分の身をもって知ることを望んだのだ。
短い人としての生の中で、きっとその願いは叶えられたのだろう。ユタという友だちを知ることによって……。
そしてもう一つの願いは、人々に、恐れずに生きる術を伝えることだ。過ちに気付いて、また穏やかな日々を送ってもらうことなのだ……。
エストレーヤの中で、ほとんどのことが納得できた。覚悟を決める準備も整った。あとは、ユタの将来に想いを馳せて、 その姿をひと目見られればいい。
ただ、最後にユタを傷つけたことは謝りに行かなければならないけど……。
その翌日、エストレーヤは自ら神殿に足を運んで大神官に申し出た。
「全て受け止める準備は整いました。またお説教の続きを始めてください」
そうしてゴザの上に腰を下ろし、他の二人が呼ばれてくるのを待つことにした。
エストレーヤの覚悟を知ったとき、大神官は神妙な顔で大きく頷いた。
三人にとって、説教の続きを聞くことは、大変な決断だと分かっていたからだ。
やがて三人が揃うと、以前のように聖酒の椀を手渡して言った。
―― どうか、大いなる存在であったときの広い心を思い出されて、この話をお聞きください。
そして我々の往くべき道を、我が国を統べる王にお示しくださいますよう ――
前回と同じように、三人の様子を慎重に見極めて、大神官は語り始めた。
―― 我が王が、先の大戦の勝利によって、この国を造り上げたのは、先日お話しした通り。先の大戦では多くの犠牲を出したが、我々の同盟者も増え、彼らの働きで我が国は救われたのだ。
先の大戦で我々の危機を救い、もっとも近しい同盟者となったのは、南の『獣の部族』。
その部族は、大戦の最中に誕生され、国民の大きな希望となった王子のご母堂の故郷でもあった。
王子のご母堂は、先王の側妃ととして迎えられたが、その後、我が王が妃にと望んだこともあった。
ご母堂は自ら戦士として戦に出征され、行方知れずとなってしまわれたが、戦後、獣の部族との絆はより深いものとなった。我が王にとって彼らは、弟君となる幼い王子の血筋でもあり、身内も同然であった。
しかしここへ来て、兼ねてより深い因縁を持つ部族に奇襲を受け、『獣の部族』は一夜にして滅んでしまったのだ。
我が王はその報復にと、南へ兵を送られた。だが敵の背後には、南一帯を支配する大国が居たのだ。
こうして、かつての大戦以上の大戦が、幕を開けることとなった ――
大神官の話の続きを、エストレーヤもその肌で感じ取る。
同盟者の弔い合戦という大義名分と、強大な自分たちの軍事力は、どんな敵も叶わないと驕りたかぶる兵士たち。
しかし、実際には滅び去った部族の無残な姿を目にして恐怖を覚え、さらに背後に君臨する強大な国の存在を知って絶望を抱く。
『無敵』などという言葉が存在しないことを、戦地で初めて知る兵士たち。その恐怖の有様は他に例えようもない。
最早、きっかけが何であったのかさえ、忘れられてしまった。
戦によって人が殺められ、その報復にまた、人が殺められる。太古の昔から、因縁が繰り返され、一つの戦がまた新たな戦を生む。
繰り返されてきた単純な流れを、人は変えることが出来ないでいる。
―― 南の大国と我が国は、いつかは対峙せねばならない運命だったのやもしれぬ。
しかしこの戦では、多くの戦士の命を失っただけでなく、軍を率いておられた王の兄君まで亡くなった。我が王は、段々とご自身を責めるようになってしまわれたのだ。
親しい方を想うがゆえ始められた戦で、多くの兵の命とさらなる親しい方の命を犠牲にしてしまったという悔恨が、いま我が王の心を支配している。
我が王は、戻ることの出来ない戦を収める方法を見失われておられる。
我が王が悔恨にとらわれたままでは、やがてさらに多くの民の命が失われることになろう。
このままでは、我が国は破滅へと進むしかない ――
おもむろに、大神官は三人の前に跪き、身体を折り曲げて額を床に付けた。
―― どうか、我が王の心を救い、この国が安泰を保つ方法をご示唆くださいますよう………… ――
大神官の肩が大きく震え出した。彼はその姿勢のまま、しばらく起き上がることはなかった。