14、パリャック
ユタを見送ってから、エストレーヤは雑穀倉庫に身を潜めた。午の陽はまだまだ中空にあり、いつまでここで隠れ通せるのか不安だ。幸いまだ、倉庫の周囲に人が居る気配はなかった。
ユタに渡した風呂敷包みと似たような、埃っぽい臭いが充満していて、ユタには強引に押し付けたものの、エストレーヤ自身も気分が悪くなりそうだった。それでも外に出て誰かに見つかったら返答に困る。
いくら上手く男の子に化けたと思っていても、どこで見破られるのか分からない。ましてやユタの服は王族のものなので他の子の服とは素材も作りも違っていて、大人ならすぐにおかしいと気付くだろう。
様々な危険性を考えだしたら、エストレーヤは背筋がぞくぞくとしてきた。倉庫の隅の隅の、穀物袋の陰に小さく縮こまって時間が経つのを待った。
しばらくは静まり返っていた倉庫の周りが、午の陽がほんの僅か傾いた頃に、少しざわつき始めた。早々に王家の晩餐の準備に取り掛かるため、召使いたちが倉庫に材料を取りにやってきたのだ。
数人が賑やかに世間話をしながら、倉庫のあちこちで必要なものを物色している。エストレーヤの前の穀物袋に手を伸ばしてくる者もいて、エストレーヤはおおいに肝を冷やした。
最初の一団が去ってホッとしたのも束の間、また違う召使いがやってくる。入れ替わり立ち替わり人がやってくるので、エストレーヤは生きた心地がしなかった。
そういえば、ユタと出会ったアクリャワシでも、こんな風にヒヤヒヤとさせられたものだ。ユタが関係すると、本人に悪気が全く無いにもかかわらず、困った事態に陥らされるようだ。
汗でぐっしょりと濡れた手で襟元をきつく掴んで、その中に顔を埋めるようにして耐えながら、どれほどの時間が経ったのか知れない。
「ユタ!」
急に背後から声を掛けられて、エストレーヤは飛び上がった。観念してそろそろと後ろを振り返ると、そこにはオマが立っていた。
「あれぇ? ピウラだったの?」
ユタと思って声を掛けたオマは、素っ頓狂な声を上げた。
「いったい、何でユタの服を着ているの?」
オマは午後になってまた子どもたちとかくれんぼを始めたのだろう。彼はよくこの倉庫に潜んでいることがある。
しかし見つかったのがオマで良かったが、あまり大きな声を出されて他の人に聞かれたら大変だ。エストレーヤは口に人差し指を当てて、しーっという口真似をした。
それを見てオマは、何か楽しい遊びのひとつではないかと思ったらしく、素早くエストレーヤの傍に寄ってきた。そして顔中に期待の色をにじませて訊いた。
「どういう遊びなの?」
言われた通り小声に抑えているが、興奮気味なのが分かる。
「遊びじゃないのよ。どうしても知りたいことがあるからって、ユタがあたしの服を着て、女の子のふりをして出かけたの。でも、ぜったいぜったい、ほかの人に知られちゃいけないのよ! 知られたらユタの命があぶないわ!」
大袈裟なほどに怖い顔を作って、エストレーヤはオマに言った。それを聞いたオマは途端に泣き出しそうな顔になった。ユタの命が危ないなどと言われたら、軽々しく興味を持つことなどできない。エストレーヤやユタよりも小さなオマには少し酷だったかもしれないと、後からエストレーヤは反省した。
「大丈夫よ。見つからなければ。お願い、しばらくオマの家に隠れさせて」
「……い、いいよ。だ、だいじょうぶ。父さんも母さんもお仕事だから! 兄さんがいるけど、気にしないから!」
最初は口ごもっていたオマは、大役を任されたことが分かってくると、急に自信をもって言い切った。
まるでお姫様を守る番人になったかのように、オマはピウラの手をぎゅっと握って前を衛るように歩き出した。倉庫の入り口や曲がり角に来ると、さっと立ち止まってピウラを背後に隠し、辺りをきょろきょろと見回す。念入りにそうやってからまた歩き出す。
意外にも頼もしいオマに、ピウラは安心して付いていった。
そうして案内されたオマの家は宮殿の隅の建物だった。大きな建物が小さくいくつもに区切られてそれぞれに召使いたちの家族が住んでいるようだ。
昼間でみな召使いたちは仕事に出ているので、住まいの周りには大人の姿はあまり見かけない。軒先でうたた寝をしているお年寄りが居るくらいだ。
オマはその建物の一番端の部屋に入って行った。細長い入口と同じように、細長い空間が奥へと続いている。入口の脇には小さなかまどがあって、その奥は家族が寝泊まりする空間らしい。
エストレーヤの手を引きながら、オマは暗く狭い家の奥へと進んでいった。
突き当りの壁には窓があり、逆に奥の部屋は入口より明るかった。その窓の下に、オマよりも年上の少年が座っていた。壁に横向きに寄りかかり、居眠りをしているようだ。オマとエストレーヤが入ってきても、まったく起きる気配がない。
オマは、エストレーヤに何とか座れそうなスペースを開けてやった。エストレーヤがそこに落ち着いてから、居眠りをしている少年の肩を叩いて起こそうとした。
「オマ、あたしたちが入ってきたことに気付かないくらいだから、よほど疲れているのよ。寝かせておいてあげたら?」
「別に疲れているわけじゃないよ。兄さんは音が聞こえないから気付かないだけさ」
オマに肩を叩かれて目覚め、こちらを向いた少年に、エストレーヤは驚きの声を上げそうになった。少年は、昨夜もエストレーヤと一緒に神殿に居たパリャックだった。
パリャックの方も、エストレーヤが何故自分の家に居るのか不思議という顔だ。エストレーヤは心で呼びかけた。
―― パリャックはオマの兄さんだったのね! オマはいつも遊んでいる友だちなの。オマが家に連れてきてくれたのよ ――
パリャックの驚きの顔が、それを聞いて笑顔になった。
―― そうだったの。いつもオマと遊んでくれてありがとう。ゆっくりしていくといいよ ――
何故かにこやかに見つめ合う二人を交互に見て、オマは不思議な顔をして言った。
「あれ? 兄さん、ピウラのことを知っているような顔だね」
するとパリャックはオマの肩を叩いて、素早く手をくるくると動かした。それを見ながら頷くと、オマは言った。
「なんだ! ピウラも神殿の修業を受けているの? すごいや! ピウラも呪術師になるの?」
オマが身振りでパリャックと話ができるのも驚きだが、神殿の修業を受けて呪術師になるという話はどういうことだろうか。
「呪術師って、何のこと?」
「え? ピウラは違うの? 兄さんはもともと守り神の力があって、たくさんの人の病気やケガを診ることができるんだけど、もっともっと力を付けてそれを治せるようになるために神殿の修業に通っているんだよ」
するとパリャックが身振りでまたオマに何か話しかけた。それを見ながら何度も頷いたあと、オマは言った。
「そうか。別に呪術師になりたい人ばかりじゃないんだね」
エストレーヤは怪訝な顔をパリャックに向ける。するとパリャックはまたオマの肩を叩いて何かを告げた。
「そうだ。気付かなかったよ。ピウラ、いまおやつを持ってくるね。干しいものスープしか無いけどね」
オマが入口のかまどへと引き返して行った。パリャックがエストレーヤに事情を話すためにオマに席を外させたのだと、エストレーヤには分かった。