13、変装
久しぶりに顔を出したエストレーヤに、宮殿の子どもたちはまるで何事も無かったかのように話しかけてきた。
「ピウラ! 今日は鬼ごっこをしよう!」
「いいや、宝探しにしようよ!」
ひとしきり遊んでいると、すっかり以前のエストレーヤに戻っていた。何も知らず、ただ楽しく仲間たちと駆け回っている無邪気な少女に。
神殿での出来事こそ夢の中のことだ。大いなる力など、あるはずはない。
自分はまだ、ほんの幼い少女に過ぎない。
そう信じた。
午近くになると、遊び疲れ、お腹を空かせた子どもたちはそれぞれの家に戻っていった。
広場には、エストレーヤとユタだけが取り残された。
ちょうど良い機会に、エストレーヤはあの瞑想で見たことをユタに聞かせてあげようと口を開こうとした。
するとユタの方が先に話しかけてきた。
「ピウラ、お願いがあるんだ」
真剣なユタの様子に、エストレーヤは自分の話など出来なくなった。
「少しの間でいいんだ。ぼくがピウラの振りをしてアクリャワシに行くことはできないかな?」
あまりにも突拍子な申し出に、エストレーヤは目を丸くした。すぐには言葉も出ない。以前、あれほど怖い目に遭ったというのに、もう忘れてしまったのだろうか。
「冗談でしょ?」
エストレーヤは、ユタが自分をからかっているのだと信じようとした。
しかし、ユタはますます真剣な顔になって言った。
「冗談じゃない、本気だよ。
ピウラはいつまでもこんな話をしていると不機嫌になるかもしれないけど。
ぼくのお母さまは、アクリャワシに居るかもしれないんだ。もしかしたらアクリャワシのママコーナなのかもしれない。
お兄さまや大人たちは、ぼくのお母さまのことを知っていて、わざと隠しているんだ。だから、お母さまは生きているのに会えない所に居るということだ。
アクリャワシのママコーナは、家族に会うことが出来ないって、ピウラは言っていたでしょう? きっと、そういう特別なところに居るに違いない。
もう、一緒に暮らしたいなんてワガママは言わない。一度だけでいい。遠くからでもいい。お母さまの姿を見てみたい。お母さまがどんな人か、知らないままなのは嫌なんだ。
ひと目見ることが出来たら、それで忘れようと思うんだ!」
そう一気にまくし立てながら、ユタは後から後から大粒の涙を零した。
本当のことを教えてあげようと勇んでやってきたエストレーヤは、ユタの必死な姿を見て、真実を告げることが出来なくなってしまった。
戦乱時に生まれたユタが、多くの人々の希望となったこと。
ユタの母が国を護るために勇敢に戦い、帰らぬ人となったこと。
そんな真実を話したとしても、今のユタには、何の救いになるのだろうか。ユタの孤独な心が癒えるわけでも、母への想いが消えるわけでもない。
第一、エストレーヤがその目で見たわけでもないことを話して聞かせても、ユタには信じられないだろう。
ひとしきり泣いてから、ユタは申し訳なさそうに笑って見せた。
「こんなことを言っているぼくは、シアワセで我儘なんだよね。ごめんね、ピウラ」
淋しそうな笑顔を見て、エストレーヤの心がズキンと痛んだ。
ユタの母がどんな人で、どのように生きたのか、それは今ここで話して聞かせて分からせることではない。ユタがその目で確かめて、また考えて、いつか知っていくことなのだ。
突然、エストレーヤは着ていた服を脱ぎ始めた。
ユタは驚いてエストレーヤを見、気まずくなってすぐに目を逸らした。さっきの涙など、すっかり消えていた。
エストレーヤは肌着一枚になって震えながら、ユタに脱いだ服を押し付けた。
「さっさとあんたの服を脱いで、あたしに頂戴! 寒くて仕方がないわ!」
もたもたしているユタを、凍えそうなエストレーヤは急かした。「早く!」と怒鳴って、ユタの服を奪い取ろうとする。
急かされてユタもあたふたと自分の服を脱ぎ出した。
エストレーヤはユタから脱いだ服を取り上げると、すぐに頭から被って着た。ユタもエストレーヤに渡された裾の長い服にこそこそと足を通す。ユタより少し背が高いエストレーヤにはユタの服が少し窮屈そうだ。反対にユタはエストレーヤの服をずるっと引き摺るような恰好になった。
エストレーヤは男の子になった気分で、強気に見えるように腰に手を当てて反り返ってみたが、肩で揺れる長い髪に気付いて「ふん」と不満げに鼻を鳴らした。そして、おもむろに髪を二つに分けて手際よく三つ編みを作ると、それを左右から頭の上に上げて巻きつけた。さらにユタに目を遣り、彼の頭に巻かれていたバンドも奪い取った。巻きつけた三つ編みをそのバンドで押さえると、エストレーヤの姿はすっかり髪の短い男の子になっていた。
自分の姿が整うと、今度はユタの姿をしげしげと見つめる。自分でエストレーヤの振りをしたいと言いながら、エストレーヤの服をなんともだらしなく着ているユタに呆れた。
眉間に皺を寄せながら、ずり落ちそうな襟首を整え、袖と裾を綺麗に伸ばしてやる。ユタの跳ね上がった短い髪を見て、しばらく考え込んでいたエストレーヤは、すぐ隣で口を開けている雑穀倉庫の入口に気付いた。
さっと倉庫に姿を消したエストレーヤが、そこから出てきたときその手には、色が褪せてところどころ穴の開いた風呂敷包みがあった。
「仕方ないわ。その短い髪はこれで隠すのよ!」
エストレーヤはユタに風呂敷包みを押し付けた。言われるままに古びた汚い布を被ったユタだが、カビと埃の匂いに包まれて気分が悪くなりそうだった。エストレーヤが出てきた倉庫の入り口を見ると、たくさんの干しイモが転がっていた。
「いいこと!」
ユタの戸惑いなどものともせず、エストレーヤは矢継ぎ早にユタに指示を与える。
自分の人差指の先を地面に突き立てて見せた。正午の光を受けて、指の影が地面に短く映った。
「この影が指と同じ長さになったら帰ってくるのよ! それまであたしはこの倉庫にかくれているわ。見つかったらかくれんぼしていたふりをして逃げてみせるわ。
あんたはくれぐれも気をつけるのよ。あの水桶のある中庭の、右がわの通路を行けば織物の館に行くわ。この時間、ママコーナはみんな上級生のアクリャに織物のやり方を教えているはずよ。窓からそっとのぞいてあんたの母さんをさがしなさい。でも見つかりそうになったらすぐに逃げてくるのよ。
今度はただじゃすまないからね!」
さっきまで必死にお願いをしていたはずのユタの方が、何が起きているのか分からないといった顔だ。こうなっては、ただエストレーヤの言うことに黙って頷いて、従うことしかできなかった。