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10、目覚め

翌日も、ほぼ時を同じくして大神官の説教は始まった。

エストレーヤがママコーナに連れられて月の神殿に行った時には、すでに他の二人がゴザの上に座っていた。

エストレーヤが席に着くのを見届けて、大神官は話し始めた。


「さて、今日はまず、昨日の話のおさらいをしよう。昨日の私の話の内容を簡単に聞かせてもらおうか」


エストレーヤは血の気が引くのを感じた。

昨日の話など、ほとんど夢の中に居たため、ひとつも覚えていない。せめて一節だけでも思い出せないものかと頑張るが、ひと言すらも記憶に残っていなかった。


大神官は、先ずパリャックの前に跪き、少年の目をじっと覗き込んだ。

あんなに間近に大神官の鋭い目が迫ってきたら、ますます緊張して話せないだろう。

エストレーヤは、その後にどう言い訳をしたらいいか、素直に謝った方がいいのか、もうそんな事ばかりを考えていた。


パリャックは、動じずに大神官の目を見つめていた。かなり長い事そうやっていたが、彼も実は緊張しているのか、ひと言も発しようとしなかった。

それを見たエストレーヤは少し安心した。


"なんだ、パリャックも聞いていなかったんじゃないの。あたしだけじゃないわ!"


パリャックが何も答えない事に、大神官は特にそれを咎めることはしなかった。


やがて静かに立ち上がり、今度はクワンチャイの前で同じように跪いて彼女の目を覗き込む。


"覚えていなくても、何てことないんだわ。でもクワンチャイは答えられるだろうから、それを聞いて適当に話を合わせてしまおう"


ずる賢いことを考えながら、エストレーヤはクワンチャイの答えに聞き耳を立てた。


しかし、パリャックに同じくクワンチャイも、じっと大神官を見つめるだけで何も言おうとはしなかった。パリャックよりも長く大神官と見つめ合っていたが、彼女の唇が動く気配はなかった。


エストレーヤはすっかり安心した。


"クワンチャイでさえ答えられないくらいなら、あたしが答えなくても大丈夫ね!"


大神官は、いよいよエストレーヤの前に跪き、彼女の目を覗き込んできた。

だんまりを決め込んで、大神官が立ち去るのを待てばいい。そう思って大神官の瞳をじっと見つめ返す。

大神官の目がエストレーヤに向けて鋭い眼光を放っているように感じたが、エストレーヤも意地になってそこから目を背けずにいた。


次第に、大神官の瞳が光を失い、空虚な(ほら)のように見えてきた。

同時に自分が不思議な感覚にとらわれていくのがわかった。


エストレーヤの意識は徐々に徐々に軽くなって浮かび上がり、いつの間にか目の前に居るはずの大神官の姿も見えなくなっていた。


やがて意識は神殿を飛び出し、どこか広い空間を彷徨い始めた。


エストレーヤは(そら)にいた。

紺碧は限りなく近く濃く、太陽の光に手が届きそうだ。不思議と眩しさや熱さは感じない。

足元を見下ろせば、遥か下方に豆粒ほどの人々が盛んに行き来しているのが見えた。


じっと目を凝らして、それらの人々の様子を観察していると、実に面白い動きをすることに気づいた。

時に激しくぶつかり、時に優しく触れ合い、向かい合い、また離れ、楽しげに踊り、じっとうずくまり、声を上げて笑い、声を上げて泣き……。


それを見ているうちに、エストレーヤもその中に混じりたいと強く想うようになった。


意識はどこか彼方に在りながら、そのうち口が勝手に思ってもいなかったことを語り始めた。


「水の原から生まれ出でし、わが父なるウィラコチャは、遥かなる大地を、彼方から彼方へと巡りたもうた。


その(かいな)で、太陽(インティ)と、(キリャ)を生み出し、その声で、(イリャパ)や、(ワイラ)を創り出し、万物を生み出しながら果ての果てまで巡り歩かれた。


巡る先々で、貧しく卑しい人々(ルナ)に、豊かに生きるための知恵と力を授けたもうた……」


エストレーヤは、自分の口から流れ出てきた言葉に驚いていた。彼女の心と裏腹に、言葉は後から後から溢れて尽きることがない。


世界の始まりから、神々の時代、その後どうやって国が成ったのか、先祖たちが何をしてきたのか……。

詠うように語る語り部のごとく、詰まることなく流暢に語り続けた。


語りながらエストレーヤ自身も、自分の発している言葉の意味がだんだんと理解できるようになっていく。

それは昨日の大神官の話の内容をどこかで覚えていたというよりも、もともと知っていたことを思い出しているような感覚だった。


「よろしい。そこまでにしましょう」


大神官の言葉に、エストレーヤの語りは遮られ、意識は一瞬で神殿へと戻った。

その途端、今まですらすらと語っていた内容が一体何だったのか、思い出せなくなっていた。


大神官は満足そうに頷き、立ち上がった。

再び月の神像の前に戻り振り返ると、三人の顔を一通り見回してから言った。


「三人とも、昨日の内容をしっかり思い出すことが出来たようですね」


エストレーヤは驚いて隣の二人を見た。二人は何事も無かったように、無表情で正面を見据えていた。

どう考えても二人が何かを答えたようには見えなかったのだが……。


ーー 心に呼びかけているんだよ ーー


最初に大神官がエストレーヤに呼び掛けたあの言葉が思い出された。

大神官が心に呼び掛けてきたことも半信半疑なのに、エストレーヤの方から誰かの心に呼び掛けることなど、全く信じ難い。

しかし、他の二人はそれが出来るということなのだろうか。


ーー 君は使命を背負ってこの世に生を受けた、特別な存在なのだ ーー


この時、自らに内在する摩訶不思議な力と、何か抗うことを許されない使命をエストレーヤは感じ、同時に畏れた。



ふっと、ダニエラの意識は研究室に戻ってきた。

常識では測れないエストレーヤの体験に頭が混乱している。それを整理するため、エストレーヤに問い掛けた。


「エストレーヤ、それは大神官があなたに幻覚を見せたのではないの?

何か特別なやり方で、あなたの神経を麻痺させたのかもしれないわ」


ーー そう考えたくなるのも仕方ないわね。けれどその時あたしは、惑わされているというより、忘れていたことの一部を思い出せたという感覚だったの。

もっともっと、思い出さなくてはいけない大切なことが、たくさんあるように感じたわ。


大神官のお説教とは、あたしが忘れてしまった何かを思い出す作業なんだって、その時気付いたのよ ーー



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