09.出会い
山間の平野に広がる町は、壮大にして絢爛である。規則正しく立ち並ぶ民家。往来の利便性を追求した格子状の道。中央には朱色の屋根瓦が大地を華やかに彩っている。
町そのものが芸術と称せる景色に見とれていた楽座は、一陣の風に大きく均衡を崩し、竹林へ突っ込んだ。
「どわっ!」
そこは朱色の塀に囲まれた敷地の中で、管理された場所のようだった。平らにならされた土地の上に連立する竹の合間には、雑草が一本も生えていない。楽座は笹の葉と土を払い落としながら、竹林を縫って歩いた。
「いててて。えれえ目にあった」
独り言を呟きながら行きつつ、耳を澄ませる。笹を揺らす風の音は涼やかで、閑散とした空気は異国の香りがする。楽座は深呼吸してしばらく目を閉じた。故郷を想うと同時に、これから見る情景はどんなふうだろうと心弾ませながら。
すると、どこからともなく幼子の唄が聞こえてきた。透明で愛らしい声は楽座を惹きつけた。誘われるように足を向けると、美しい着物を着て、手毬をついて遊んでいる少女の姿が、竹の間から見えた。年の頃は四、五歳である。
楽座は躊躇して足を止めた。一歩踏み出せばもう竹林の外だが、成せずにいた。少女の大きな黒い瞳は星空のように煌めいていて、雪のように真っ白な髪が柔らかい日差しに輝いている。楽座は狐にでも化かされているのかと我が目を疑ったのだ。
そんな楽座に少女が気付いたのは、つきそこねた手毬が転がって行くのを追いかけて、つかまえた時である。顔を上げると、亜麻色の髪に栗色の目をした男が立っていて、自分を見ていたのだと知った少女は表情を強張らせた。
「……あ、あなたは?」
「え? あ、ああ、俺は扇屋だ。扇屋楽座」
「おうぎや? 扇を売っているの?」
「まあな」
そこへ遠くから声が掛かった。
「姫様!」
呼び声は五十歳前後の男のものだった。年の割に動きは俊敏で、男はあっという間に少女と楽座のあいだに立ちはだかると、腰元の刀の柄に手をかけた。
「何者だ」
「扇屋だ」
「扇屋、だと?」
男は楽座の頭のてっぺんから爪先まで観察し、険しい顔をした。
「もののけのようにも見えるが——なんにしてもこの辺りでは見ない顔だな。不法に立ち入ったのであれば、成敗せねばならぬ」
物騒な言葉に楽座は身構えた。相手は頭半分ほど背の高い男である。体格が良く、戦い慣れているといった様子だ。隙を見せれば一太刀食らうだろうと思えた。
一方で男は、楽座が腰を低くして構えるという基本動作だけで隙という隙を消し去った様子から、「見た目は遊び人だが、多少はできるようだ」と判断して鞘から刀を抜き放った。
「姫様、お下がりください」
男は言って、地を蹴った。俊足である。瞬きする暇もなく懐に斬り込まれた楽座は間一髪でかわし、右手を軽く地につけながら後転して間合いを取った。
「あぶねえ、あぶねえ」
楽座は冷や汗をかきながら、着物の片裾の端を帯に押し込んだ。
「こっちは丸腰だぜ。ちったあ手加減しやがれ」
男は口の端を上げて柄を握り直し、刃を鳴らした。
「先ほどの攻撃をかわすとは、たいしたものだ」
「喧嘩は慣れてる」
「これは喧嘩ではない」
男は再び地を蹴り、刀を横へ払った。楽座は懐にあった扇子を取り出し、刃の側面に打ち付けるように当てて飛び上がると、扇子と刃の接点を軸にして身体を水平に回転させ、男の頭を目掛けて蹴りを入れた。男は驚きつつも、とっさに腰を右へ折って攻撃をよけ、同時に後方へ飛び下がって、体勢を整えた。
「……なかなか、一筋縄ではいかんな」
男は唸り、楽座は扇子を開いて首元で煽いだ。
「そんなもなぁしまいな。悪さはしねえ。案内さえしてくれたら、ちゃんと出て行く」
男は訝しげに眉をひそめた。その時、
「何をしている!」
と突然、脇から叱責された。二人が顔を向けた先には、真白な髪をした二十代半ばの若い男が立っていて、さきほどの少女がその後ろに隠れて見ている。今のあいだに呼びに行ったのだろう。
男は刀を鞘に収めて素早く片膝をつき、楽座は目を丸めた。白髪の男が城吉によく似ていたからだ。
「……建屋?」
楽座を厳しく見据えていた白髪の男は、眉をひそめた。
「どこから来た」
「谷の……向こうだ」
「なるほど」
白髪の男は口の端を上げた。
「初代を知っているのか」
楽座は苦笑いした。
「いや。俺が知ってんのは建屋城吉ってぇ奴で、昔話を聞いた」
「そうか」
白髪の男は言って手を差し出した。
「雪御津だ」
楽座はその手を握った。
「扇屋楽座だ」
「家臣の非礼は謝る。もし良ければ、その昔話とやらを聞かせてくれ」
「ああ。構わねえぜ」
楽座が案内されたのは、京与条殿という寝殿造りの建物内にある正殿で、縁から太鼓橋がかかった広い庭が見渡せる。風に波立つ池の煌めきは美しく、揺れる木々の緑が青い空に映えている。
楽座は茶をもてなされながら景色を楽しみ、城吉から聞いた話をした。そして楽座も、雪御津から建物の歴史や初代について聞いた。しかし初代がこの国へ来たのは九百年ほど前だと聞いて目元をしかめた。
「城吉の話じゃ、爺さんの弟だってぇ言うから、そんなに昔じゃねえはずだけどなあ」
「時の流れ方が違うのだろう。こちらの暦ではそのくらいで間違いない」
「谷と海はさんでるだけだぜ?」
「その谷が曲者なのだ。こちらでは谷の上の国を仙の都と呼んでいる。桃源郷と呼ぶ連中もいるが、いずれにせよ、人の世と異なる国だという認識に変わりはない」
「俺あ人間だぜ?」
自分を親指で指差す楽座を、雪御津は目をひそめて眺めた。
「申し訳ないが、そのようには見えない。首に巻いている羽衣も、この世のものではない」
「いやいや、もし俺の格好が奇妙だってぇ理由なら、そりゃあ違う。国の連中はみんな黒髪に黒目だ。俺と城吉の毛色がたまたま変わってるってぇだけだぜ。それに、これもお袋の形見だって言われて渡されたもんだ。その辺にあるもんじゃねえよ」
すると雪御津は身を乗り出して声を低くした。
「こんな話を知っているか?」
「あ?」
楽座が片眉を上げて見ると、雪御津はニヤリと笑った。
「天人は仙の国に渡りて都を築き、地上に降り立ちて国を造る。この辺りでは昔から言い伝えられている話だ」
雪御津は言って茶を一口飲んだ。
「つまり我が国は、その昔、天人が仙人の地へ渡って都を築いたあと、地上に降りて国を造ったのが始まりというわけだ。地上の民と交わり、血も薄くなった今ではあまり語られないが、この都は特別でな。天人の血を守るためにあると言っても過言ではない」
「……どうやって守るんだ?」
「血が濃い者を見分ける方法はある」
「へえ?」
「たとえば髪の色、目の色。だがそれだけでは、もののけだか紅毛人だか分からない。見た目は普通だが実は天人の血統というのもいるからな。一番確実なのは、人より秀でたる能力があるか否かだ。それもただ秀でているだけではいけない。突出していなければ——我々はその能力を有する者をこう呼んでいる」
雪御津は、どことなく上の空で聞いている楽座の目をまっすぐに見据えた。
「神懸かり」
楽座はチラリと視線を合わせたあと、すぐにそらし、髪をくしゃくしゃとかきわけた。
「んー、別に神様を信じてねえわけじゃねえが、そういう話は苦手だ。こう見えて、ただの扇屋だしな」
「なんの。さきほどの戦い、見事だった。神懸かりと言われる三宅の太刀を扇子一本でかわしたうえ、己の体重をあの小さな軸で支えて蹴りを食らわせようとは、常人では思いつきもしないことだ。思いついたところで実行には移せん」
楽座は渋い顔をして扇子を取り出した。
「血の気の多い奴ってえのはどこにでもいる。喧嘩はよく売られるタチなんで、細工ぐれえはしてんだぜ?」
パッと開いた扇子は一見、繊細で美しい扇子である。だが楽座は不敵な笑みを浮かべた。
「親骨と仲骨は竹の紋様を入れてるが、素材は鋼だ。扇面に使ってる布にも金属が入ってる」
雪御津は目を丸くして、扇子を凝視した。
「布にも?」
「ああ。繊維状に加工したやつを織り込んでんだ。持ってみるか?」
パチンとたたんだ扇子を差し出されたので、雪御津は手に取ってみた。
「……なるほど、重い」
「喧嘩用だからな。もちろん普通のも作れるぜ? 丈夫なだけが取り柄だけどな」
「いや、これも見る限り最高の品だ。美しい」
「入り用なら作るぜ?」
「おお、そうか。では二、三頼もう」
「んじゃ、いったん出直してくる」
「いや、仙の都まで戻っていては数年かかってしまう。部屋はいくらでもあるから好きに使え。工房も材料もこちらで用意させよう」
片膝立てて腰を上げようとしていた楽座は、動作を止めて目を見開いた。
「正気か?」
「無論」
金持ちの道楽というやつだろう、と思いつつ、楽座は借り部屋で寝転がって天井を眺めた。谷の向こうの世界を見たかっただけで商売をしに来たわけではないが、見物するには金もいるだろうから丁度いいと言えば丁度いい。
「そういや、貝ってやつもあるなら頼んでみるかなあ」
楽座は独り言を呟きつつ、大きく欠伸をして目を閉じた。
***
「仙の民というのは、まことですか」
雪御津の前に正座した剣士、三宅寛造は額に汗しながら真剣に尋ねた。己が刃を向けた遊び人がよもや仙の民とは、といったところだろう。
一段高い位置に座している雪御津は軽くため息ついた。
「間違いないだろう。あの扇子の完成度、只事ではない。物作りにおいて、仙の民ほど器用なのはいないからな。しかも一般の仙の民ではない」
「と言いますと?」
「あれは天人との間の子だろう。仙の民といっても、見た目はほとんど地上の者と変わらない。初代はそのために仙の都を出たのだ」
遠い目をして語る雪御津を、三宅は黙って見つめた。成長は普通だが、老化が極端に遅い主は、生まれてこのかた都を出たことがない。政が滞るというのがおもな理由だが、人の目を避けたいという気持ちも少なからずある。都の者は理解があるが、よそ者は奇異な目を向けるからだ。この世はとかく、生きにくいに違いない。
「それで、いかがなさいますか」
「できれば都に置きたいが、まあ、本人の意思を尊重しよう」
「よろしいので?」
雪御津は三宅を見やった。念を押す言葉の裏にある問いに反応したのだ。
「いくら神懸かりでも、年が離れすぎている。それにあれは、すでに女のいる面だ」
雪御津がいやに自信を持って断言するので、様子を見るため工房を訪ねた三宅は、本人に聞いてみた。
「約束した相手はいるぜ? それがどうしたってんだ?」
三宅は雪御津の洞察力に感心しつつ、顎を撫でた。
「いや、おぬしのような神懸かりは姫様の婿に良いのではないかと思ったものでな」
楽座は目を丸めた。
「おいおい、そりゃあいくらなんでも……」
「ああ、それは帝にも指摘されて思い改めた」
「帝?」
「雪御津様のことだ」
「ふうん」
質問した割には興味なさげに返答して、楽座は止まっていた手を動かした。扇の仲骨をこしらえるその手さばきに、三宅は思わず見入った。ためらいなく削って均一に形を整えていく様は、神の業を見ているようだ。
「い、いやはや、見事だ」
三宅は感嘆の声を上げたが、楽座は気に留めず、黙々と作業を続けた。父親がしてきたことを継いでしている——ただそれだけのことに過ぎないので、態度の示しようがなかったからだ。
しかし三宅は作業に集中しているのだと思い、邪魔をせぬようにと気を付けて立ち去った。