02.憧憬
建屋城吉は人里離れたところに居を構えている。風貌が目立つため、人目を避けて暮らしているのだ。その姿とは、真っ白な髪に漆黒の瞳、そして若い顔である。なぜ若いのが問題なのかと言えば、年が五十も近いからだ。
「よお、端材あるか?」
肩に担いでいた張扇を地面へ突き立て、鉋をかけている最中の城吉に声をかけると、城吉は手を止め、無愛想にふりむいた。
「ああ。裏にある」
「じゃあ、もらってくぜ」
「……扇子、作ってんのか?」
「たまにな。今度、礼に持ってくる」
「別に催促したわけじゃ」
「いや、もらってくれ。話も聞きてえし」
城吉は眉間にしわ寄せた。楽座が聞きたいと言っているのは、城吉の大叔父の話である。その昔、迫害から逃れるため深い谷を越えたと言い伝えられているのだ。
「話なんか聞いてどうする」
「そう邪険にすんなって。毛色の変わった者同士、仲良くしようぜ」
「ふん。おまえは性格で得してる。毛色なんか関係ない」
「ちっ。ひねくれてんなあ。まあ、そういうのも面白くていいぜ?」
楽座がニッと笑って片目をつむると、城吉はさすがに呆れて、観念したように少し笑みをこぼした。
「こんな話におまえの扇子はもったいない。タダでいい」
城吉によると、大叔父は小舟を使い、谷の向こうにある「海」を渡ったのだという。まず国の端から谷底へゆっくりと木舟を吊るして下ろし、深さを計った。それから縄梯子をこしらえ、みずからも下りて行ったのだ。
楽座は眉根を寄せた。
「うみ、ってえ言うのは何だ?」
「塩水でできた、大きい池みたいなものだと聞いたがな。川みたいに魚が泳いでいて、水草も生えている。そうだ、いいものを見せてやろう」
城吉はいったん家へ入り、手に何か持ってきた。
「貝だ」
楽座は目を見張った。表面はいくつもの線が入っていてザラザラしているが、裏はツルッとしていて、虹色に輝いている。その美しさに思わず溜め息がもれた。
「こりゃすげえ。加工すれば何かに使えそうだ」
「この貝っていうのはカタツムリに似ているそうだ。あれの殻が厚くて固い種類なんだろう」
「へえ。こんな綺麗なもんが、あれの親戚なのか」
「本当のところは分からん。まあ、よかったら貰ってくれ。おまえなら何か工夫できるだろう」
楽座は皮肉げに口の端を上げた。
「へっ! アンタに言われるようになったら一人前だな。長兵衛んとこはお宅だろう? すげえ家だ。梁のとことか、屋根の反り具合がよ。ありゃあ神業だ」
城吉も、人が悪そうに笑った。
「おまえの扇子ほどじゃない」
「物が違いすぎねえか?」
「いや。どんな物でも基本は同じだ。物作りには信念と情熱と感性がいる。おまえの作る扇子には、そのどれもが感じられる」
「けっ。褒めすぎだ」
楽座は言って、張扇を肩に担ぎなおした。
「じゃ、端材もらってくぜ?」
***
夕刻を過ぎ、町が薄暗くなりはじめた頃。
もらった端材を店へ置いてフラリと出かけた楽座は、遊郭から先にある繁華街へと足を運んだ。どの店も軒下にたくさんの提灯を下げているため、人々が行き交う道は明るい。要所要所には呼び込みの男や女がいて、客の手を引き愛想を振りまいている。
「ちょいとダンナ、寄っていきなよ」
「ダンナ、いい子がそろってますぜ?」
そういう誘いに乗らなかった客は、普通の飲み屋が呼び止める。
「今日はいい酒が入ってるんですがねえ。一杯ひっかけて行きませんか」
楽座は飲み屋の誘いに乗った。肴をつまみながら、たしなむ程度に酒を飲む。それが楽座の基本であるが、店主の言う通り今日はいつになく良い酒が入っていたため、やや進んだ。
「ほんとに旨いな。どうした、これ」
「造酒屋の連司が試しにと、持って来やしてね」
「造ったのか?」
「へえ」
「ふうん。やるじゃねえか。こりゃ、跡取りは連司で決まりだな」
そんな話をしていると、柄の悪い男どもが五人、のれんをくぐった。先頭に立つのは荒くれ者で有名な、室通りの右蔵である。年は楽座のひとつ上だ。
右蔵は楽座を見るなり、嫌そうな顔で近くの椅子に腰かけた。
「相変わらず遊び歩いてんのか、楽座」
「てめえに言われたかあねえぜ」
「おめえさんにしちゃ、ちと飲み過ぎじゃねえか?」
右蔵は、楽座の席にあるトックリに目をやって言った。楽座は「余計なお世話だ」と返したが、右蔵は椅子を離れて、楽座の席の卓上にどっかりと腰を下ろした。
「まあまあ。このあいだは世話になったし、せっかくの機会だ。礼のひとつもさせてもらわねえとな」
「なんだと?」
「酔いを覚ましてやるぜ」
陶器が割れ、複数の椅子が倒れる騒々しい音とともに、酒場ののれんを突き落とす勢いで、一人の男が路上に飛び出し、転がった。右蔵の子分の一人、勘介である。店の中では、着流しの片裾を右手でまくり、左肩に四尺の張扇を担いだ楽座と、残る三人の子分を背後に従えた右蔵が睨み合っている。
「ああ、困りますよ。店の中で暴れてもらっちゃあ」
店主が焦って訴えると、楽座は右蔵を睨んだまま言った。
「表へ出な」
楽座の張扇の握り部分は刀の柄と同じで、刃の部分が張扇になっているという変わった代物だ。素材は紙三枚分の厚みに加工した木材と竹、銀色の布である。大きさが大きさなので重量もそこそこあり、持ち上げるには力がいる。が、楽座は軽々と振り回す。それはまさに、鬼に金棒さながらの威力である。
楽座はその凶器で人を殺めぬよう手加減はするが、場合によっては骨を断つくらいのこともする。ゆえに右蔵同様、御用聞きに目をつけられている。しかし今のところ厳重注意を受けるだけで済まされているのは、人徳だ。正義漢であることはよく知られているのだ。
むろん、楽座から喧嘩を売ることもない。ただ、売られた喧嘩は必ず買う。
外に出た右蔵は、先に飛ばされた勘介を見た。
「あーあ、のびちまってら。こいつあ手下の手下だ。ちったあ手加減しろや」
「そんなの知るか」
「この礼もきっちり返してやるぜ」
「てめえに返せんのか」
「おおっと。そりゃそんなもん振り回されちゃあ、いつもみてえに伸されちまう。てめえがステゴロに自信ねえってなら、しょうがねえけどよ」
楽座は眉尻をピクリと動かし、張扇を地に突き立てて手を離した。
「挑発にのってやろうじゃねえか」
「いいねえ、その意気だ」
「行くぜ!」
「おらあ!」
楽座と右蔵がひと暴れした通りは、ありとあらゆる物が散乱し、破損する。中でも損傷がひどいのは、むろん右蔵とその子分だ。
楽座は伊達に重い張扇を振り回しているのではない。腕も拳も充分に鍛えられていて、軸に使う足は安定している。なにより、重心のかけどころが絶妙にうまいのだ。ゆえにステゴロでも負けたことはない。
しかしその結果、通りに吊るしてある提灯やら、店先の看板やら商品やらを、ふっとばした人間でぶち壊してしまうことになる。弁償は相手方と楽座の折半だが、楽座の場合、何故かほとんどをイチョウ屋の長兵衛が肩代わりする。
「また派手にやったね」
と長兵衛は苦笑いしながらも、
「肩代わりはしてやるけども、扇子は一番上等なのを納めてもらうよ」
と言って、きっちり金を払うのだった。
楽座が右蔵を伸した時、闇を切り裂くような笛の音が響いた。ピーッという甲高い音である。御用聞きが駆けつけたのだ。
「静まれ! 御用だ!」
「うおっ、やべえ!」
右蔵は、伸された仲間を叩き起こして逃げに徹した。一方、楽座は突き立ててあった張扇を取って肩に担ぎ、素直にお縄を頂戴した。
「言っとくけど、俺は買っただけだからな」
御用聞きの林田十宗は、口の端を引きつらせた。
「買うんじゃねえ。何度言ったらわかるんでい」
「でもよ」
「大人になれ」
「そりゃあ奴に言ってくれ」
「もちろん、このあと取っ捕まえて言う。しかし懲りねえ野郎だな。おめえに勝てねえのは百も承知だろうに」
「酔ってたら勝てるとでも思ったんじゃねえか?」
「酔ってんのか?」
「いや」
「ふん。奴あ、おめえがウワバミってえこと知らねえんだな」
「ああ、それも言っといてくれよ」
「ちっ、もう面倒かけるなよ?」
「へいへい」
楽座は一晩拘留されたあと、迎えに来た父親に連れられ、家へ帰った。父親はひと言も叱らず、ただ怪我をしていないかだけを気にかけた。
「一発くらったけど、たいしたことねえぜ」
楽座はそう答えて黙った。
そうして昼頃、弁償金の肩代わりを頼みに長兵衛宅を訪れると、お小言をもらった。
「お前さん、またやったのかい。いい加減におしよ」
「すまねえ」
「右蔵なんて、構わなきゃいいんだよ」
「って言ってもよ」
「言い訳はおよし。まったく、血の気が多いったらないね。で、いくらだい」
「いや、まだちゃんとした額は出てねえんだけどよ」
「じゃあ出たらまたおいで」
「悪い。恩に着るぜ」
「いいよ。それより立派な扇屋になるんだね。それが一番だ」
楽座は何気に、じっと長兵衛を見た。長兵衛は眉間を寄せた。
「なんだい?」
「いや、あんたにお小言もらうのは分かるんだけどよ」
「ああ」
「オヤジはなんで何も言わねえのかな」
「……そりゃお前さん、御用聞きにしぼられて、わたしにお小言もらえば充分だと思っているからさ。逃げ場のひとつもなけりゃ、お前さんもやってらんないだろ?」
楽座は頭をクシャクシャとかいた。
「逃げ場ねえ」
「親心ってもんさ」
長兵衛は言うが、楽座は釈然としなかった。親だからこそ叱って当然と思うからだ。
長兵衛の家を出たあと、楽座は国の端へ向かった。日が暮れるまでぼんやりと、空だけが広がる谷の向こうを眺めるのである。
谷の底から吹き上げる風に、海なるものの匂いを探してみるが、何も感じない。ただ暖かくも冷たくもない風が髪を乱し、心の中の憧れを強くする。
「きっと俺の知らねえ国が向こうにあるんだ」
この風はそこから吹いてくるのに違いない、と楽座は思いを馳せた。