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10.扇屋楽座

 それからまもなくして、雪御津には四つの扇子が納められた。

 一つ目は桜の木を用いた春の扇。二つ目は竹を用いた夏の扇。三つ目は紅葉の木を用いた秋の扇。四つ目は白樺を用いた冬の扇だ。

 春の扇は開けば今にも桜の花びらが舞い散るがごとく華やかで、夏の扇は強い日の光を避けて竹林の中へ身を潜めるがごとく涼やかに、秋の扇は燃え盛る紅葉を仰ぐがごとく情熱的に、冬の扇は白銀に煌めく氷霜のごとく凛としている。

 雪御津は納められた扇子を一つ一つ手に取り、丁寧に眺めながら感嘆の声をもらした。

「いや凄い。こんなに細工が細かいのは初めて見る」

「いい道具をそろえてもらったからな」

「なんの。いくら道具をそろえても、腕がなければ」

 すると、その脇に座って一緒に眺めていた男も唸りつつ、ため息ついた。

「……見事だ」

 男は七伏良司(ななふしりょうじ)という。三十代後半で神経質そうな顔立ちである。

「ここまで精密なのは珍しい。何か特別な技法があるのか」

 あぐらをかいた姿勢の楽座は、その膝を一回叩いて笑った。

「技法なんてぇたいそうなもんじゃねえよ。そこら中にあるやり方だ。細かいところはほとんど勘だしな」

「勘!?」

 七伏は驚いて、また扇子を眺めた。雪御津はその横で満足そうに口の端を上げた。

「この男は目で物を正確に測れる。形、長さ、重さをな。髪の毛一本の差も見分けるほどだ。お前の仕事はどうやら誤魔化しがないと証明されたようだ」

 楽座は目を丸めた。

「へえ! そいつはすげえな!」

 しかし七伏は扇に夢中で、楽座の声にはまるで反応しなかった。ことに冬の扇は気に入ったようで、親骨と仲骨に施された螺鈿(らでん)に見入っていた。冬の扇は「短地(たんち)」という扇面の部分が短い種類だ。仲骨部分は仲彫りが主流だが、楽座はそこに螺鈿細工を施している。扇に螺鈿細工というのも珍しいのだが、その細かさと美しさがまた他に類を見ないもので、すっかり魅了されてしまったのだ。

 楽座は身の置き所がないようにソワソワとして、雪御津に向き直った。

「……そりゃあそうと、せっかくだから方々見て回りてぇと思ってんだけどよお」

「そうか。では案内人をつけてやろう」

「いや、ざっと教えてくれたらあとは勝手に見て回る」

「お前の様子はこちらでも珍しいのだ。変な目で見られたくはないだろう。宮の者がついていれば避けられる」

「お、おう。じゃあ頼むぜ」

 そこへ我に返ったらしい七伏が質問を投げた。

「そちらの国には他にも螺鈿細工の職人がいるのか?」

 楽座は眉をひそめた。

「ら……でん? なんだそりゃ」

「な、なんだと言われても——ほら、これのことだ」

 七伏が冬の扇を広げて指差したのを見て、楽座は「ああ」と感心したように答えた。

「それ、らでんって言うのか。国には貝がねえからな。俺もちゃんと使ったのは初めてだ」

 これには雪御津も七伏もおおいに驚いた。楽座は螺鈿に関する技術的な知識など皆無の状態で偶然にもその技法を思いつき、用いたのである。しかも練達した技術者さえ舌を巻くような最高の出来だ。

「まさに天才、いや、神懸かりだな」

 雪御津は夏の扇を開き、ニヤリと笑った。


***


 それからおよそひと月。つけてくれると言いながら、なかなかつけてもらえなかった案内人がようやく現れた。野性味のある厳つい顔をした二十代の青年である。

「佐兵と申します。よろしくお願い致します」

 楽座は片眉を上げた。

「ずいぶん若えな」

「……そちらこそ。お聞きしたところ、とても腕の立つ職人とか。失礼ながら、全くそのようには見えませんが」

 楽座は頭をかいた。

「まあいいじゃねえか。それよりちゃっちゃと案内してくれ。待ちくたびれちまったぜ」

「申し訳ございません。なにしろ遠方より駆けつけましたので」

「なんでえ、この屋敷のもんじゃねえのか」

「はあ。しかし方々に詳しいという点においては、右に出る者はないという自負がございます」

「へえ、そうかい。そりゃ楽しみだ。ところでよ」

「はい?」

「その言葉遣い、なんとかならねえか。体がかゆくなる」

「それはご了承ください。なにぶん身に染みついてしまったものですから」

「ちっ、しょうがねえなあ」


***


 珍しい毛色をしているので、京はともかく、そのほかを見て回りたいなどと言い出したら大変だ——と佐兵は心配していたが、それは余計なことだった。

 扇屋楽座という男は誰にでも気さくに話しかけ、愛想がよく、調子がいい。はじめは奇異な目を向ける者も、話しかけられれば緊張を解いて笑って返す。おまけに見た目がいいものだから、女の人気はすぐに集めた。だいたいにして扱いに慣れているのだろう。

「こちらには、しばらくいらっしゃるのかしら」

 美女が腕に絡みついて問えば、楽座は絡み付かれるままに平然とした態度で答える。

「景気が良けりゃあな」

「あら、景気はいいわよ? うちも儲かってるの。よかったら来てみない?」

「何やってんだ?」

「蕎麦屋よ」

「蕎麦か。いいなあ。でも金がねえや」

「そのくらい奢ってあげるわよ。寄ってらっしゃいな」

「え、いいのか?」

「いいわよ? 今日は特別」

「なんか催促したみてえでワリいな」

「うふふ、気にしないで」

「すまねえな。んじゃ遠慮なく」

 そこで満面の笑みだ。女の色香に動じず、たいして興味なさげにしておいて、最後に好意を見せる。そのような(すべ)は昨日今日身についたものではないだろう。

 女はすっかり楽座に見とれて、頬を染めた。だが楽座は女を見つめ返すわけでもなく、肩を抱きにかかるでもなく、まして口説き文句を紡ぐでもなく、元気よく手を上げて佐兵を呼んだ。

「よお! そういうわけだから、蕎麦食いに行かねえか?」

 佐兵は渋い顔をした。

「昼には少し早いようですが」

「ちっとぐれえいいじゃねえか。せっかく奢ってくれるってんだから、行こうぜ?」

 屈託ない。おそらく女を一人惚れさせたという自覚はないのだろう。しかしその屈託なさが曲者だろうか。扇を作る技術はどうだか知らないが、完全に遊び人であることは間違いない、と佐兵はため息ついた。


 だが、この男の魅力は技術者であるとか、女にモテるとかいうことだけでなかった。

 気ままな見物生活も五日目になろうかという日のことだ。

 いつものように佐兵を連れながらへらへら周囲に愛想をまいていると、不意に路地から声が聞こえてきた。軽い気持ちでひょいと覗き込むと、数人の(わらし)が一人をつついていじめている。楽座は肩でひとつため息つくと、歩を進めて割入った。

「おう、穏やかじゃねえな」

 童は一瞬「まずい」という顔をするが、すぐに強気な態度で、

「お前には関係ないだろ!」

 と突っかかる。しかし楽座は笑ってかわした。

「人様ってのはな、誰でも関わりながら生きてんだ。ここで会ったのも何かの縁だろう」

「へん! なんの縁だよ!」

 楽座はニヤニヤ笑って顎をつまんだ。

「たとえば、そうだなあ……その先の蕎麦屋、知ってるか?」

「あ? うん」

「食ったことあるか?」

「いつも食ってる」

「そうか。俺も最近よく食うんだ。つまり俺とお前は同じ釜の飯を食った仲だ」

 童は口をポカンと開けて楽座を見上げた。そして楽座は童の頭に手を置いて、髪をくしゃくしゃにした。

「そいつのどこが気に入らねえでいじめてんのかは知らねえけどよ、同じ土地に生まれて育った仲じゃねえか。まったくの他人でさえ、ちっとは縁がある。てことはよ、そいつはてめえの兄弟も同然だ。もっと仲良くしちゃどうだ」

「うるさいな! お前に何が分かんだよ! 口はさむなよ!」

「そりゃそっちの事情がどうだかは知らねえ。けどな、一個だけ分かってることがある」

「な、なんだよ」

「何か気に入らねえって思うときゃあ、だいだい自分がむしゃくしゃしてんだ。誰かに当たりたくなったら、じぃっと自分の心を見つめな。そうしたら、本当に不満なのは目の前の奴じゃなくて、自分が置かれてる立場だってことに気がつくぜ」

 童は楽座を睨んでムッとしていたが、やがて仲間やいじめていた童に視線を送ったあと、うつむいて何事か考えた。そしてくるっと踵を返した。

「やーめたやめた! お前なんかいじめたって、ちっとも面白くないや!」

 そう言って走り去る。仲間も後を追ったが、このさき何かが変わるだろうという予感は残った。


 佐兵はこの話を、ひとしきり感心しながら宮の者に聞かせた。ふらふら遊び歩いているように見えても、多くの者に揉まれ、磨かれながら生きてきたのだろう、と。

 弱い者を助けるのは容易い。だがそれは一時しのぎだ。本当に弱者を救おうと思うなら、むろん弱者が強くなることも必要だが、それ以上に変えなければならない者がいるのだ。楽座はそのことをよく分かっていた。


 その後、楽座と童は何度か接触があった。楽座はそのたびに菓子をやったり、凧や独楽を作ってやった。

 童は言った。

「お前、見た目も変だけど、中身も変だな」

 つんとしながら言う童を見て、楽座は笑った。

「そうか?」

「そうだよ。だって普通……」

「普通?」

「普通の大人はオレのこと叱って、あいつばっかり庇うもん」

「そりゃいじめられりゃ、つらいからな」

「じゃあなんでお前はオレに構うんだ?」

「だってあっちにゃ庇ってくれる連中がいるんだろ?」

「……うん」

「んじゃいいじゃねえか。俺はな、どっちかってえと、人をいじめなきゃやってらんねえ奴のほうが気になるんだ。なんでそうなっちまったのかなって考えるんだ。で、じいっと見てるとよ、見えてくるんだ」

「なにが?」

「心がよ。寂しいって言ってんだ。もっと構ってくれ、もっと愛してくれって言ってる。だからしょっちゅう誰かと(つる)んでなきゃいられねえ。けどやっぱり満たされねえから、愛されてる奴が羨ましくて、憎らしくてしょうがなくなるんだ」

 童は目をじわっと見開いて、顔を背けた。

「オレが可哀想だって言うのかよ」

「可哀想なんかじゃねえって、言ってもらいてえのか?」

「なっ!」

「妙に突っぱねたりしねえで、受け入れちまえ。自分が可哀想だって認めるんだ。そうじゃねえと、どうしたら可哀想な自分じゃなくなるのかって考えることもできねえ。全然前に進めねえぜ」

 童はしばらく頬を紅潮させてふくれっ面をしていたが、やがて力尽きたように顔の筋肉を緩めた。

「……どうしたら、いいんだよ」

「そうだなあ——構ってくれねえ奴は、なにを言っても構っちゃくれねえ。愛してくれねえ奴は、なにをやっても愛しちゃくれねえ。けど世の中にゃあ、数え切れねえほど人間がいる。なにも近所にいる奴だけがすべてじゃねえ。その中から探しゃいいんだ。お前を真正面から見てくれる奴をよ。腐って投げやりになって諦めんのは早い。まっすぐ前を見ろ。そうしたら、まっすぐ見てくれる奴が現れる。でもそんなふうに腐ってちゃ、腐った奴しか寄って来ねえぜ」

 童は楽座の言葉に聞き入り、いつの間にか背筋を伸ばし、まっすぐ前を見ていた。

 空は青く、山々は緑豊かだ。そんな景色を眺めていると、毎晩飲み歩いている父親や、小遣いだけくれていつもいなくなる母親や、玩具や菓子だけを目当てにやってくる遊び仲間のことなど、とても小さなことに思えてきた。とはいえ現実を振り返ると、具体的にどうすればいいのか、やはり分からない。

 童は助けを求めるように、楽座の顔を見上げた。楽座は童の視線に応えて微笑んだ。

「まずは足元を固めるんだ。そこがしっかりしてりゃ、なんとかなる。寺子屋通って、時間が余ったら小せえことでもいいから仕事しろ。一生懸命やってりゃ、誰かが見てくれる。そうなったら人を羨んでる暇なんかねえくらい忙しくなるし、楽しくなるぜ」

 童はうなずいて、固く拳を握った。

「——オレ、頑張ってみる」

「おう。くじけんなよ」

「うん」

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