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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
夏休みスペシャル
95/202

094.夏休みバイト編 一日目  前編



 炎天続く日々が過ぎて、相変わらず夏の猛威は揺るがず八月へと突入。

 熱帯夜が続く夜と、アスファルトに照り返す太陽が熱い昼と、今年の夏も非常に夏らしい。


 七月は充実していた。

 クーラーの利いた部屋で、何事もない平和な日々を存分に堪能した。外に出るのは早朝のジョギングと夜にコンビニやスーパーに、という具合で、「これぞ夏休み!」という自堕落な生活を送ることができた。

 受験生の妹が毎日友達と勉強するために家を出るのを見送り、僕はレンタルビデオ屋で借りた映画を観て、同じクラスのインドアゲーマー池田君に夏休みに入る前に借りたPS1の名作罠ゲーで敵の頭に花瓶をかぶせて遊び、夏休みの宿題をちょくちょく済ませ(ちなみに妹の方がハマッた)、マンガを読んでは昼寝をしたりして。


 そんなストレスフリーな一週間を思いっきり過ごした。

 八十一高校に通いながらでは心理的プレッシャーから送ることができなかった、憂うことなき安寧極まる生活を十二分に噛み締めた。


 そして八月。

 妹にしーちゃん着用予定のスク水を発見されたり、なぜかこだわり続けた執拗なる膝攻めで一時期妹と明確な敵対関係で対立したりと、八月頭は油断ならない日々を過ごしつつ。

 来るこの日に向けて、一学期にやり残したことを消化するために色々と画策し――そして今日を迎えた。


 まだ凶悪なる猛暑が形を潜めている陽が昇り切らない朝、僕は通勤途中のサラリーマンや社会人に混じって八十一駅付近にいた。

 まだ喧騒が大人しい、時刻は八時前。

 この分なら、八時ちょいすぎには店に到着するだろうか。


 今日は喫茶店「7thセブン」のバイト(っぽい手伝い)の初日だった





 八十一町の待ち合わせのメッカ「鬼晴らし女像」付近は、時間帯ゆえに人もまばらだった。そんな有名な待ち合わせ場所を横目に、やはりひとけの少ない新八十一アーケード街を行く。

 人が少なく開いている店もまちまちのアーケード街は違和感があった。人込みに溢れている時しか見たことがない僕の知っている場所には見えなかった。まあ、これからの一週間で見慣れるだろう。

 店に行くのは三回目だ。さすがに迷うことはない。

 目印になっている、細い路地が交差する十字路の角に位置する大型書店を右折し、すぐそこである。


 ほらあった!

 コスプレ喫茶「ホワイトジェム」が!


 ……あっちで働きたかったなぁ。ほんとあっちで働きたかったなぁ……

 「7th」の前で、斜向かいに位置する魅惑のピンクの看板を物欲しげに見詰める。


 あの店は最高だ! だが最低でもある!

 なぜなら一番安いメニューであるコーヒーが、一杯なんと七百円……通えるかバカ野郎! 一番安いので七百円とか高校生が通えるかバカ野郎! 誰だ料金設定した奴は! 店長か!? 店長だな!? 呪ってやる!


 僕が呪術師とか闇の眷属じゃなくてラッキーだったな、などと思いながら渾身の呪いパワーをコスプレ喫茶に送り続ける。我ながらバカだと思う。でもやらずにはいられなかった。

 そんな無駄すぎる時間を無駄に過ごしていると、僕の横手でガーッと自動ドアが開く音がした。わりと涼しい朝だと言うのに、もう働きだしている清涼クーラーの空気を肌に感じられた。


「いらっしゃいませー」


 やや気の抜けた女性の声に振り返ると、「7th」の制服であるYシャツとシックな黒ワンピースというメイド風スタイルの、察するに店員さんが僕に背中を向けて身をかがめていた。


「よっと」


 どうやら看板を出しに出てきたらしい。通行人に見えやすいよう角度を微調整して「よし」と頷き、振り返った。今日は紅茶類が百円引きだそうだ。

 ―-歳は二十くらい、大学生だろうか。無造作に首の後ろで結わえたセミロングの髪は金髪に近いくらい明るく染まっているが、生え際から三センチほど見える黒髪がまだら模様に見えた。たぶん長く染め直したりしていないのだろう。

 眠そうな目元が特徴的で、それ以外はあまり特徴がなかった。あ、でも、僕と同じくらいの背格好だから百六十半ばの慎重は、女性としては少し背が高い方かもしれない。


「開店してますよ。どーぞ」


 なんだろう、少し口調が間延びしてるのかな? 眠そうな顔と相まって、だいぶのんびりした雰囲気と気の抜けた印象が強い。緊張感も威圧感も感じさせない不思議な愛嬌がある。そう、今まさに眠りに着こうとしている縁側の歳を取った猫のような……そんななごみ系のゆるキャラっぽい。

 ……って、考えてる場合じゃないな。


「すみません。僕、今日から手伝いに入ることになってる一之瀬です」

「あ? ……あーあー、聞いてるよ。洋子さんの代打だね」


 ――実は、始めて夏波さんに連れてこられた時は、店長の遠野さん以外のスタッフとは会っていなかった。本当は手伝いが決まったら従業員に紹介するような流れになっていたのだが、例の「守山悠介ポロリ事件」の影響で僕の顔面がボッコボコだったせいで、「今日のところは見合わせようか」と店長判断が下されたのだ。


 ちなみに二回目に来た時は、終業式の日に柳兄妹と一緒に昼食を食べに来たのだ。ちょうど昼時の時間帯で店内は混雑し、見るからに忙しそうだったので挨拶はしなかった。店の場所の再確認と、柳君の妹の藍ちゃんがめちゃくちゃかわいいことを再確認した有意義な日だったと言える。


「そっちの路地に裏口があるから、そっちから入ってくれる?」

「わかりました」


 指差された先の本屋と喫茶店に挟まれた一メートルほどの隙間に入り、奥にある並んだゴミ箱の横にあるドアノブを回し、僕は入店した。

 細い廊下が奥に続く。左手にドアが二つ並び、「男性更衣室」と「女性更衣室」のプレートが貼られた部屋があった。女性更衣室……なんと目を引く部屋だろう……


「おーい。こっちー」


 さっき出入り口で会った眠そうな猫のような女性が奥から顔を覗かせ、手招きした。僕は素直にそれに従って先に進んだ。

 女性がいた奥の間は事務室みたいな狭い部屋だった。デスクがあってパソコンがあって向かい合わせのソファの間にはテーブルがあって……うん、狭い。外から見た感じではそう小さい店には思えなかったんだけど、舞台みせは広く舞台裏うらかたはやや手狭になっているようだ。


「店長ー。一之瀬くん来ましたよー」


 事務室の更に奥にあるドアは、もう厨房と店内になっているようだ。

 そこから顔を見せると、先月会ったナイスミドルの中年男性店長・遠野崇さんが、白いエプロンと白い帽子という料理人の姿で包丁を握っていた。それともう一人料理人がいるけれど、背を向けている。


「やあ、来たね。……おっと、ちょっと早いな」


 恐らく彼の予定を外れてしまったのだろう、店長は僕に挨拶しつつチラッと壁の時計を見た。それは体育会系の女子大生たちのせいです。これでも遅めに来たつもりです。

 ここに到着したのが八時五分過ぎ程度。でも本来の僕の入り時間は八時半である。誰だよ三十分前行動とか言い出したの。


「すまない、今手が離せないんだ。更衣室に君のロッカーを用意してあるから、制服に着替えてきてくれ」

「わかりました」





 来た通路を戻り、男性更衣室に入る。六畳ほどの窓のない部屋にロッカーが並んでいて、その閉塞感と圧迫感に息が詰まる。早めに着替えて出よう。

 並ぶロッカーを見てみると、手書きで「一ノ瀬」と書かれた紙が貼られたロッカーがあった。

 ……「ノ」の字が違うんだけど、まあいいや。これくらい。


 中に入っていた制服は二種類あり、それぞれサイズが違う。まあ合う方を着ろということだろう。

 どちらも問題なく着られそうだが、やはりだらしなく見えそうな少々大きめよりはピッタリの方がいいと思うので、小さいサイズを選ぶ。

 靴は……今履いてるスニーカーでいいのか?


 そんなこんなで、黒いパンツと長袖のYシャツというシンプルな「7th」の制服に着替えた。空調が利いているので全然気にならないが、この時期に長袖のシャツというところが少し珍しいかもしれない。

 あとは……


「なんだこれ?」


 制服と一緒に入っていた、紐を通してある金属製のブローチみたいな何かを手に取る。……これ、たぶんネクタイだよな……?

 よくわからないので、それだけは手に持って更衣室を出た。


「お、早いね」


 事務室に戻ると、さっきの眠そうな女性がいた。というか、たぶん僕を待っていた。


「これなんですか?」


 手の中にあるブローチ風のものと紐を見せると、彼女は「ループタイだよ」と答えた。


「正確にはポーラータイって言うらしいよ」


 あ、これがループタイなんだ。名前を聞いたことしかなかった。始めて見た。ブローチ部分には「7」の字が掘り込まれているので、この店オリジナルのアイテムなんだろう。

 ……というか、オリジナルアイテムっていうか制服の一部か。


「店長のこだわりなんだってさ。普通のネクタイよりシャレてるだろ、って言ってた」


 もっとも男性スタッフ自体滅多に入らないけどね、と女性は眠そうに笑う。さもあらん。僕が店長だったら男よりは女の子を雇いたいからね。気持ちはすごくよくわかる。

 僕はループタイを締め、慣れない手つきで調整し「どうですか?」と問うと、


「おー。いいんじゃない」


 気が抜けた感じがするせいで、わりとどうでもよさそうに返された。まあ、絶望的に似合わないってことではないのであれば、それでいいだろう。


 僕は珍しいタイを見下ろし、じっと見詰めると、おもむろにポーズを取った。身体の前で両腕をクロスさせるというV系っぽい感じのポーズだ。というか某wishっぽい感じだ。


「オレに惚れると――火傷するぜ?」


 ステキスマイルまで決める僕を、女性はしばらく眠そうに見詰めると、眠そうに言った。


「すげー。ちょーカッコイー」


 ……oh……棒読みなところが皮肉が効いてるぜ。


「どこの神が美少年として転生降臨したのかと思ったよ。え? ほんとに人間? 今ちまたで噂の天使の顔した悪魔の笑顔の少年って一之瀬くんのこと?」

「すんません調子のりましたもう勘弁してください」


 なんだよ天使の顔した悪魔の笑顔の少年って。笑わせようとしてやったのにまさかの反応である。

 早々に白旗を上げて頭を下げると、女性は笑った。


「初バイトなんでしょ? 緊張でガチガチかと思ったけど、それくらいゆるけりゃ大丈夫だね」


 ……フッ……緊張なんて……正常なか細い糸なら、高校で過ごす毎日でとっくに擦り切れちゃいましたよ。それ以来僕の緊張の糸は縄くらいに野太くなってますよ。何せ毎日緊張感を持ってヤバいトラブルになるべく関わらないよう注意してましたからね。

 緊張してないか、と問われれば「している」と答えるが。

 でも自分ではむしろ、全然緊張感が足りないんじゃないかというくらいだ。逆にまたあの高校に通う日々が来ると思う方が、思うだけでそっちの方がプレッシャーを感じてしまう。嫌な胸騒ぎとともに。





「私は熊野菊子。一之瀬くんの教育係になってるから。よろしくね」

「よろしくお願いします」


 こうしてゆるキャラっぽい熊野さんの下、僕のバイト(という名の手伝いの代役)が始まったのだった。










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