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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
夏休みスペシャル
94/202

093.――夏休みスペシャル  一年生一学期のお兄ちゃん  ~後ろに私が立っていることにDVDデッキのリモコンを持った兄は三分ほど気付かなかった~




 そういえば、美人担任襲来以外にも、兄の高校絡みで恥を掻いたことがもう一つあったっけ。

 順番としては、件の美人先生襲来より先のことだった。


 あれはまさに予想外の出来事だった。





 ある日、兄から渡されたのは、一枚の紙切れだった。

 これは何だ、と問えば、かなりのドヤ顔で「ラブレター」と答えた。どうやら兄的には気が利いたことでも言ったつもりのようだ。

 ほんとマジで時々本気で兄にドロップキックでも食らわせてやりたくなる。胴体や顔なんて贅沢は言わない、膝を狙った低空ドロップキックで二度とふざけたことを言えない程度のダメージを心身ともに刻み込んでやりたい。膝に。まあやらないけど。そんな野蛮なこと。


 平和で穏やかだった私をイラッとさせた元凶である「ラブレター」は、ルーズリーフ用紙を折りたたんだだけの、手紙の形でさえないものだった。こんなのが「ラブレター」とは笑わせてくれる。

 だが。

 だがしかし。

 これは、確かに「ラブレター」ではあったのだ。


 それを開き、そこに書かれていた内容を確認した時、私はざわついた気持ちも忘れて愕然とした。


「マジか……」


 兄に移された口癖が出た。それも今はしょうがない。というよりそれどころじゃない。

 だって「ラブレター」には、私の恥が外部に漏れたことが克明に記されていたから。


 ――内容は、私が兄のために作った弁当の内容物の改善点である。それも繊細な字で愛を感じさせるくらい丁寧に事細かく書かれている。当然これは兄の字じゃない。


 ちょ、ちょっと待って。ちょっと待ってくれ。待って欲しい。中学生をいじめないでほしい。……というのが正直な感想だった。

 だって兄の弁当には、私が自分の弁当を作る際の失敗作を優先的に入れているのだ。

 から揚げがちょっと焦げてる? うまく揚がったのは私の弁当に入ってたよ! 煮物に芯が残ってた? うまく煮付けたのは私の弁当に入ってたよ! 汁気が多いから仕切りをはみ出してた? はみ出してないのが私の弁当だよ! 卵焼きが甘すぎる? それは私の好みだよ!


 料理は以前からちょいちょいやっていたが、よく作るようになったのは六永館中学に入ってからだ。昼食持参か学食の学校だったから。

 まだまだ料理初心者な私は、その気はなくとも必然的に失敗作が出てしまう。

 その問題の失敗作は、捨てるのはもったいないので兄に押し付けていた。まあ兄のことだからかわいい妹の弁当ということでむせび泣きながら食べているに違いない。なので多少失敗していても問題などなく、それがあるというだけで内容は二の次で喜びの方が大きいに違いない。

 要するに、私が作る兄の弁当は、兄が食べる用にしか作っていないということだ。決して他所様が食べる用には作っていないのだ。


 見た目がアレすぎるのは入れていない。もしくは奥に隠したり、失敗部分が弁当箱の壁に面するようにして上から見ただけではバレないよう巧妙に細工しているのだ。

 つまり一見では失敗しているようには見えない。そして兄が「妹が作ってるよ」と普通に漏らせば、兄の周囲の私の評価が上がるって寸法だ。ふふ、失敗の処理もできて私の料理の腕も上がり評価も高まる。なかなか無駄の少ないシステムだ。


 だがしかし。


 そこで、この「ラブレター」だ。

 これを書いた主は、あの兄用の弁当……つまり失敗作だらけの弁当の中身をいくつか味見したということだ。


 なんという埒外の事件だろう。

 私は知らないところで恥を掻いていた!

 なんでも普通にこなす兄と比べ、普通より上手にそつなくこなすこの私、この一之瀬友歌いちのせともかの荒が知らないところで露見していたというこの事実! しかも失敗部分が見えないように工夫して詰められていることもバレていると思われるほどの事細かい「ラブレター」の内容!


 愕然とした後、怒りが湧いてきたのは言うまでもない。

 兄は何をしていた。

 かわいい妹が兄のために作った愛妹弁当を他人に食わせるなど、到底許せるものではない。

 この私が作ったのだ。

 このかわいい妹が作ったのだ。

 そこは兄として意地汚く独り占めして然るべきではないか。

 ありがたがってむせび泣きながら周囲に「僕の妹サイコーです!」などと自慢しつつ独り占めして然るべきじゃないか!


「お兄ちゃん、低空ドロップキックしてあげるからそこに立ってよ」


 わりと本気で言うと、兄は嫌そうな顔をして「何言ってんの? 家でまでバカに付き合いたくないんだけど」と言った。

 ドロップキックはしなかったけど、蹴っておいた。


 はあ……こうなったら仕方ない。

 この一之瀬友歌、何事も普通より上手くこなす者として、しばらく料理は特訓だな。そして私の料理の腕が上がるまでは、兄にはくれぐれも「ラブレター」の送り主に弁当の中身を与えないよう言い含めておこう。


 誰かは知らないけど、見てろよ。絶対リベンジしてやる。





 六月も半ばを過ぎた頃、またしても兄の生活に明らかな変化が現れた。それこそコーヒーにミルクを落としたくらい劇的な変化だった。

 熱に浮かされたような顔で、溜息ばかりついている兄。

 私は当然、この顔を知っている。


 ――こいつ恋はじめやがった!


 男子校に通う兄である。そしてこんな普通スペックな兄である。早々出会いがあるとは思えなかったが、どこかで女の子を見つけたようだ。

 兄の数少ない美点で、兄は女の子を見る目だけは結構あるのだ。そこだけは掛け値なしに私は兄を信じ、尊敬もしている。まあその辺は女好きのむっつりすけべだからこそ、そういう本能的なアレが特化しているのかもしれないが。


 今まで好きになった女の子は、少なくとも私が「おねえちゃん」と呼んだり呼ばれたりしてもいい、むしろ姉妹になりたい娘ばかりだった。ぶっちゃけ兄にはもったいない、もったいなさすぎる娘ばかりだった。……とはいえ、兄はそんなに恋多い輩でもないが。


 兄の恋の相手、私は興味津々だった。

 別に兄はフラれてもいいが、兄がフラれたからって私が遠慮する必要はないのだ。できれば私に紹介してからフラれてほしい。私は私でその人と関係を築くから。


 リビングで朝食を取りながら、私の隣で溜息ばかり吐いている兄。最近ずっとこの調子だ。かなり誘ってるくさい態度だが、これは本当に無自覚である。「聞いて欲しい」というアピールではないのだ。

 だから上手いこと聞かないと、兄は話さないだろう。

 慎重に聞かねば。

 ここ数日はずっと様子を見ていたが、そろそろ仕掛けてみるか……?


「聞いてあげるからさっさと話せば?」


 そう言うと、失敗した。兄を逃がしてしまった。

 下手に出てもきっと話さないし、上から言っても口を割らない。どうしろと言うんだ。兄のくせに。出し惜しんで。


 仕方ない。次なるチャンスを待とう。

 私に紹介する前にフラれるのだけはやめてほしいなぁ……

 まあ、望みは薄いか。


 案の定、兄は後日すごく落ち込んでいた。

 ……この発芽こいから枯死しつれんへの移行速度は、たぶん好きになった娘に元々恋人がいたとか、そういうことだったのだろう。兄の恋愛は結構慎重だから、いきなり告白はしてないだろうし。


 さすがにこれは兄のせいではないな。運が悪かったと言うべきか。





 そんなこんなで時は流れ、私が五人目の男子を優遊にフッた頃だった。

 奈緒ちゃんと図書室に寄って帰宅すると、母が不安そうな顔でテーブルに着いていた。いつもなら台所に立っている時間なのに。


「どうしたの?」

「ええ、実はね――」


 なんと。母の口から語られた事実に、私もやや不安げな顔になってしまっただろう。


 兄がケンカをして、怪我をして、ボコボコの顔で帰ってきたらしい。


 あの貧弱でもやしっ子の兄が、ケンカ?

 考えられない。

 そう、考えられるとしたら一方的にやられたケースだ。それはケンカとは言わない。普段の様子を見る限りいじめられていたとか、そういうのではないと思うが……兄が誰かを、それもヤンキー的なのを怒らせてボコボコにされたという可能性もあるか。前触れなく突発的にね。


「それで? お兄ちゃんは?」

「口の中が腫れてて食べられないから、もう寝るって」


 う、うーん……私なら一目見れば、兄の心境くらいはわかるんだけど……そこから何があったか推測を立てられるだろうが、さすがに今顔を見に行くのはデリカシーがないだろう。

 何があったかわからないからこそ、おいそれと触れるべきではない。

 男の子も色々あるからね。女、身内、それも妹には話したくないこともあるだろうし、見せたくない顔もあるだろう。

 引越しの時、業者じゃなくて兄に準備をさせた私のように。世間慣れしていない十代としては無駄に意地を張りたいし見得も張りたいのだ。


「明日から学校に行かないって言ったら、その時考えればいいよ」


 果たして、兄の心が踏みにじられて立てなくなっていなければ、登校拒否にはならないだろう。

 だが、もし登校拒否になるんだったら……


 ……まあ、そうだね。あんな兄でも兄だし、余計なことをやらかしてくれた加害者には、何かしら報復を考えようかな。

 別に兄のことはどうでもいいけど、私を含めたこの一之瀬家に泥を投げた奴がいるのであれば、黙っている理由もないし、やられっぱなしで大人しくしているほど私の気は弱くない。


 ――そんな杞憂をよそに、兄は翌日、予想以上に派手にやられた顔で、だが顔に似合わず誇らしげに胸を張り、迷いなく家を出て行った。


 あの様子を見るに、一方的にやられたわけではなさそうだ。兄がケンカをするとも思えないんだけど……まあ、本人や当事者にしかわからないような何かがあったんだろう。


 はあ。

 心配して損した。

 今日は土曜日、六永館中学校は兄の通う八十一高校と違って休みである。


 起きてきて本当に損した。寝直そっと。





 ――パタンと音を発て、日々を記した本を閉じる。


 八月頭の暑い夜、私はふと日記を見直し、一学期を振り返っていた。

 まだ、たった一学期が過ぎただけ。

 なのに色んなことがあった。


 特に兄の変化は面白い。

 良くも悪くも普通だった兄の生活は、確実に変わり始めていた。よくなっているか悪くなっているかまではわからないが、見ている分には非常に楽しい。

 やっぱり人間、変化があってこそだろう。――休みの日はほとんど引きこもる兄は「何もない日常こそ本当に大切なものだ」とでも言いそうだが。


 兄か。

 一之瀬友晴か。


 ジョギングもちょいちょい休みながらだけど続けているし、この夏休みには喫茶店でアルバイトもするらしい。「おごってやるから食べにこいよ」と兄のくせに生意気なことを言っていたし。兄のくせに。せいぜい店で一番高い物でも食らってやろうと思う。


 まあ、ちょっとは私の兄に相応しくはなってきたのかもしれない。

 ちょっとだけ褒めてやるかな。





 私は財布を持って立ち上がり、部屋を出た。クーラーの庇護がない廊下はむっとする暑さがこもっていた。

 それを気にせず、隣の兄の部屋のドアを開けて言った。


「お兄ちゃん、アイス買いにいこうよ」


 普段なら一緒に歩くことなどないが、人目を憚れる夜なら少しだけ我慢してもいい。


「ガリガ●くんならおごってあげ、るか、ら……」


 そんなご褒美をぶら下げた私の声は、気持ちに反してどんどん沈んでいった。

 フローリングの床に正座していた兄は、目の前にあったそれを慌てて隠し「な、なんだよ! ノックしろよ!」とのたまった。

 だが、そんなことはどうでもいい。


「――出せ」


 上がっていたテンションは氷点下以下まで下がり、私の視線は普段兄を見る瞳よりも冷ややかだっただろう。


「今隠したの出せ」


 断固とした私の言葉に、兄は首を左右に振る。かなり切羽詰った顔で。

 だがそんなもんで誤魔化されるはずもない。


「私が見たのが見間違えじゃなければシャレじゃ済まないから。だから出せ。早く。……それとも家族会議したいの?」


 家族会議。すなわち事が大きくなることを意味する。

 兄は観念して、それを出した。


 やはり、見間違いじゃなかった。

 そしてシャレじゃ済まなかった。





 ――兄が出したのは、濃い紺の……女子用スクール水着である。





「こんのドヘンタイがぁぁぁぁぁーーーーーーーーー!!」


 それを認識した瞬間、一瞬でブチキレた私は、履いていたスリッパを捨てて駆けて飛んだ。


 そして身を投げ出すように放たれた低空ドロップキックが、正座したままのヘンタイ犯罪者の膝をズゴンと強襲する。

 膝を抱えてごろごろ悶絶する兄に、私は叫んだ。


「ドラゴンスクリューじゃないだけありがたく思え! 感謝しろ! 転がってないで正座! そして説明! それ私のじゃないよな!? どっかから盗んできたとか言ったらもう一発食らわせてやる! 膝に! 執拗に膝を狙ってやる!」





「兄よ、私は変化は望むべきものだと思うが、ヘンタイに変態してどうする」


 と、理由を聞き出した私は天を仰ぎ嘆いた。……いや「うまいこと言うなよ」とかツッコミ入らないから。





 まあ、いい。

 兄が進路に男子校を選んだ時から、私は覚悟を決めていた。


 そう、一夜のイケないアバンチュールくらいなら男同士でも認めようではないか、と。


 根っからの女好きである兄が、男とどうこうなんて考えられない。というよりありえない。あるとすれば一時の過ちくらいのものである。若気のいたりというやつである。

 それなら別にいいだろう。許そう。


 まったく。

 兄はこんな理解のある妹に感謝するべきだろう。


 よし、ハ●ゲンダッツだ。おごらせよう。





 こうして夏休みのある一日は過ぎていく……












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