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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
七月
90/202

089.七月十九日 火曜日






 このまま終わるはずがない。


 終業式前日である今日、一年一学期最後の通常授業の日である。

 この八十一高校において、これほど「ただで済むとは思えない日」というのも珍しいのではなかろうか。


 別に何かが起こって欲しいわけでもないが、何かが起こっても不思議じゃないとは朝からずっと思っていた。


 そして、そういう意味では、彼らは決して僕らを裏切らない。

 ……たまには裏切って欲しいけど。





「僕は今日は何かが起こると思う」


 鞄からいつものサンドイッチとコーヒーの入ったコンビニ袋を引っ張り出す隣の柳君は、僕の突然の言にこう答えた。


「それは張り出されたテスト結果を見てクラスどころか学校の大半の連中が午前中泣きながら過ごしたことではダメなのか?」


 ……あ、そうか。


「言われてみればそうだね」


 すでに事は起こっていた。


 学校の大半の男が泣きながら授業を受けている図……これを事件と呼ばず何を事件と呼ぶだろう。

 そう――ちょうど今朝、掲示板に成績トップ二十と補習確定者が張り出された。中間と期末テストを統合した結果なので、集計に時間が掛かったのだろうと思われる。

 生かさず殺さずさせていたグレーゾーン、補習確定事項を告げる死刑宣告がついに下されたのだ。


 我らが一年B組も、筋肉高井を筆頭に、午前中は半数以上の男たちが声を殺して泣いていた。大事で貴重で代えの利かない高校一年生の夏休みという青春の一ページを黒く塗りつぶされた彼らの気持ち、わからないわけがない。

 まさに男泣きだった。

 自分の身に降りかかったらと想像するだけでさえ、僕も泣きたくなるくらいの残酷な断罪であった。


 ちなみに柳君は、中間・期末を併せて学年首位である。そしてA組の嫌味ないい奴・矢倉君も同点首位である。悔しいがさすがはカリスマである。

 更にちなみに、僕は発表される上位二十位に入らず、補習も回避しているので、この時点での発表はなかった。これぞ普通スペックの本領発揮である。


 終業式前日の今日、何かが起こる気がしていた。

 決して巻き込まれまい、事が起こったら……いや兆候が見えた時点で逃げてやろうと朝から気を張っていた僕は、昼休みに入ったばかりの今、ようやくほっと肩を下ろした。


「これ以上のことなんて早々起こらないよね」


 クラスどころか学校半分が男泣き。あまりにもショッキングな光景である。……というか泣いていることより、半数以上が赤点で補習確定という絶望的な結果こそを重要視するべきなのだろうか。

 うん、まあ、どっちも問題だよね。事件だわ。間違いなく事件だわ。

 あと先生たちもかわいそうだわ。夏休みなのに補習組のせいで全然休めないんじゃなかろうか。ほんっと頭下がるわ。


 よくよく考えると、大した事がすでに起こっているじゃないか。

 さすがにこれ以上は、もう何も起こるまい。

 ……仮に何かあったとしても、僕を巻き込まなければそれでいいし。


「…………はぁ」


 溜息で気付いた。パンを買いに行っていた高井君がすでに目の前にいた。……なんという憔悴しきった覇気なき姿。これほど(筋肉的な意味で)自己主張をしない、存在感の薄い高井君、始めてみた。でもまあ今日もシースルーだが。


「元気出せ」

「無理だわ」


 柳君のいつも通り全然気持ちの入ってないような声に、高井君の反応も似たようなもんだった。


「でも高井君、追試だけでしょ?」


 最悪なのが、赤点六枚以上の補習&追試のコースである。長々続く補習と、その成果を見る追試テスト。こっちのコースは夏休みの二週間を費やすことになる。いくら午前中だけとはいえ、毎日学校に来るのはつらいだろう。

 が、高井君はなんとかギリギリ、ノート提出による色をつけて追試のみのコースに逃れていた。こっちは補習一週間と追試である。

 最悪なのと比べれば、単純に一週間も休みが多いのだ。わりと喜んでいいと思うんだけどな。


「がんばった甲斐はあったと思うんだけど」


 これで高井君はテスト勉強してたし、そのおかげで赤点回避できた教科もあったはずだ。


「そうかぁ?」

「一週間で事足りるんだから充分だよ。それでも夏休みは一ヶ月あるじゃない」

「そうか……そうだな。いつまでも落ち込んでてもしょうがねえよな」


 そうそう。


「これで予定も埋まったし、真剣に夏休みの予定も立てられるじゃない」

「そうだな! マジで遊ぶ相談でもすっか!」


 そうそう。終業式前日、つまり夏休み直前に落ち込んでてどうするってんだ。





 本決定した僕のバイトのこと。

 柳君の海外旅行の予定。

 そして高井君の真っ白だったスケジュールの色塗り。


『Heyみんな! 補習の決まった謎のDJオッハーだよ! ……あぁ、また泣きそうだぜちくしょう……』 


 昼の放送が始まると、ひょいと覚醒した乙女マコちゃんも加わった。

 楽しかった。

 夏休みの相談は、すごく楽しかった。

 やれ海に行きたい、山に行きたい、釣りに行きたい。そんな「いつか一緒に行ければいいね」という具体性のない淡い希望が、わりと簡単に実現できる長期休暇である。時間ならたっぷりある。それを遊びで埋めるのだから、楽しくないはずがない。





 特に細かく詰めるでもなく、だらだらと「アレがしたい」「ここに行きたい」と話していると、


『うおなんだ!? てめっ……あいてっ』 


 かなり切羽詰った声が、僕の耳から無理やり意識を振り向かせた。


 ――ガタン! ガタ!


 教室に備え付けてあるスピーカーから、異音とも呼ぶべき何かがモノに強くぶつかる音が鳴る。明らかに尋常じゃないその音に、気付いていなかったクラスメイトもスピーカーを注視した。


 …………


 途切れた放送。

 謎の……誰だっけ? しゃべらなくなった放送部の人。

 しんと静まり返っていたのはここ一年B組だけではなく、もはや八十一高校全体と言ってもよかった。


 ほんの十秒ほど、異常な沈黙が続く。


 そしてその声はやってきた。


『はーーーーはっはっはっ!! 放送室はこの俺、田沢が乗っ取ったぜーーーーー!!』


 ……え?





 その聞き覚えのある声に、連想したくない人物像が思い浮かぶ。


「……おい、田沢は?」


 堅い声で誰かが言った。――同じクラスの田沢を知らないか、と。


 近年希に見るほどのお調子者である田沢君の姿は、当然のように教室にはなかった。


 僕は田沢君のことは詳しく知らない……というより極力関わらないようにしてきたのだが、まあとにかく色々な事件を起こしているらしい。

 何があったかは知らない(というより知りたくもない)が、一年生ではきっと彼くらいだろう。ヤンチャしすぎて応援団団長に直接鉄拳制裁を食らったことがあるのは。僕ら一年の間ではすごく有名な逸話である。


 放送ジャック?

 ……田沢君ならやるんじゃなかろうか。普通に。ふっつーに。


『おいおまえら、それでいいのか?』


 相変わらず静かなままの僕らに、この八十一高校に、田沢君は語りかける。


『せっかくの夏休みを、やれ補習だ追試だで食われちまって本当にいいのか? こんな教師の横暴を許しちゃっていいのか?』


 な、なん、だと……!?

 僕は戦慄に震えた。

 まさか、とも思ったが……いや、間違いないだろう。


 ――彼は僕らを煽り、そそのかし始めた! 先の見えない絶望への道へ!


『こんな時こそ聖戦だろ! なあ!? 俺たちの力を見せてやろうぜ!』





 終業式前日。

 夏休みを目前に迎えた今日。


 実に八十一高校の生徒半数以上を要する、例年にない大規模な聖戦が勃発。





「――高井君!」


 無責任バカ扇動者アジテーター田沢のとんでもない言葉に乗り、学校中が上を下への大騒ぎになった。

 絶望の涙を流していた連中が、てのひらを返したように立ち上がり、我先にと廊下へ飛び出す。

 その希望をたたえた瞳、足取りは誰よりも力強かった。


 教室や学年をも超越した、聖戦かくめいに身を投じるために。


 僕らのクラスも、何人もの愚者バカが駆けていった。

 なぜだ。

 なぜ君たちは、ほんの少し先にある絶望にさえ気付かない。

 その道に先はない。

 そこはもう断崖絶壁なんだ。

 行けばみんなで落ちるだけなんだ。

 成功しても単位不足で留年決定、今回失敗すれば事情が事情だけに生半可な制裁じゃ済まないだろう。

 なのになぜ――


 僕は友人として、席を立った高井君の腕を掴んだ。


「高井君、行っちゃダメだ!」


 しかし彼は、生と死を分かつ僕の手を優しく、どこまでも優しくほどいた。


「一之瀬……」


 なんの憂いもない、ひどく穏やかな表情で、彼は言った。


「――男には、やらなきゃいけない時ってのがあるんだ」


 そして彼は走り出す。


 だから、僕はその背中に向かって叫んだ。





「それは今じゃねえよ!! バカ野郎!!」





 これが後に「神々の黄昏(ラグナロク )」と呼ばれる、神さえ抗えぬ滅びの戦いの発端である。


 教師側にも生徒側にも甚大な被害が出たが、勝ったのは教師側である。先生たちは本当に強い。一対十じゃ利かないくらいの数の差があったはずなのに……むしろ普段の聖戦は手加減さえしているのかもしれない。


 愚者たちは完膚なきまでに潰された。それはもう見事に全滅だったらしい。


 そして更に、愚者たちは神々の怒りを買った。





 午後の授業を自習にしてまで行われた緊急職員会議で、多すぎる罰則者への罪が問われた。

 半数以上がまだ正座中にて帰ってきていないがらがらのホームルームで、いつも通り気が抜けている美人教師・三宅弥生たんは淡々と決定事項を述べる。


「あんなバカどもに夏休みはいらない。アレに参加したバカどもは、補習と追試の追加という罰が下されることになった」


 実に二十日もの長すぎる補習日程が組まれ、追試も毎日小テストをするという、授業を聞いていないと確実に落とすという極悪なシステムに様変わりした。

 もちろん、補習一週間の追試コースも、例外なくそのように変えられた。





 帰り際、職員室の前にずらーっと並ぶ、顔を腫らして泣きながら正座している男たちを、僕は見に来た。

 教室を越え、学年も越えて集いし愚か者たちである。


「……本当に君たちバカだよ」


 僕は誰に言うでもなく、そう呟くことしかできなかった。


 ――帰ろう。僕にできることは、もう何もない。




 さあ、久しぶりにしーちゃんと一緒に帰ろっと。











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