088.――Marine Day when a face is painful. 七月十八日 月曜日
八十一駅周辺。
休日の昼時だけあって人が多い。
時刻は十一時半を回り、夏らしい熱気と繁華街らしい活気はこれからピークを迎えるのだろう。
車通りの多い大通りを挟んだほぼ正面に八十一HON-JOが臨めるこの場所は、新八十一アーケードなる近年新しくできたアーケード街の入り口付近である。
耳に繰り返し流し込まれる聞く者を洗脳せんばかりの、現実ではなく理想を追い続けた騎士の名のつく某安売り大型飯店のテーマソングをBGMに、「鬼晴らし女」なる起源も逸話もびっみょーにあやしい、鬼を足蹴にする少女の無駄にたくましい像の前に集うのが、僕ら八十一町に住む若者の正しい姿である。
……まあ本当に正しいかどうかはともかく、「鬼晴らし女像」の前が格好の待ち合わせ場所となっているのは事実だ。現に僕だけではなく、何人もの十代っぽい男女がそこかしこで無為に時間を過ごしている。場所として目立つし、何よりアーケード街のほぼ入り口に位置するこの場所は都合が良いのだろう。
――それにしても、やはり早く来すぎたか。
待ち合わせしている相手はまだ来ていないし、屋根があるとは言え、やはり暑い。そこらのクーラーが利いているであろう店にでも逃げ込みたいが、さすがに待ち合わせ場所を離れるのはまずいかなぁ……そして喧騒がちょっと気になるのは、休日の引きこもりに僕が慣れすぎてしまったせいかもしれない。
まったく。誰だよ三十分前行動なんて無茶言い出したの。
あとなんか妙に注目されてるよ。まだ顔ボコボコだから。これでも結構腫れも引いたんだけどな。……まあ絆創膏とか湿布とか貼ってる時点で堂々人前に出られる顔じゃないか。
若干奇異の視線を感じつつ五分ほど待っていると、その人はやってきた。
「おう。待ったか?」
……冷静に考えると、そのセリフもちょっとおかしいだろ。ほんとは待ち合わせ十二時だよ。
暴力の申し子・沢渡夏波さん登場である。
重ね着した黄色と黒のタンクトップにデニム地のホットパンツ、スニーカーという軽い格好で、大き目のショルダーバッグをたすき掛けにかけていた。グリーンのデジタル時計以外のアクセサリー類を一切身に着けていない潔さに、素朴ながらも澄んだ水のような透明感があった。
「今来たところです」
僕は無難にお約束の言葉にお約束の言葉を返した。
夏波さんはじっと僕の顔を見る。……なんか全然ドキドキしないな。守山先輩やしーちゃんの方がクルわ。見詰め合っても素直におしゃべりできるわ。平気だわ。
「うん、昨日よりはマシか」
「そうですね」
昨日よりは、顔の腫れはマシだ。どっちにしろ五十歩百歩、などというのは禁句だ。
そう、今日の待ち合わせは、本当は昨日消化されるはずだったのだ。僕の顔がボコボコだったせいで一日延期されてしまった。まあ向こうとしてもそっちの方が返って好都合だったみたいだけど。
挨拶もそこそこに、僕らは動き出した。
――特筆するまでもなく、デートではない。
新八十一町アーケードは、旧アーケードとは別物である。新しく作り変えられたわけではなく、そういう名前で別に作られた場所である。簡単に違いをあげるなら、後から作られた新アーケードの方が若者向けだ、という点だろうか。
もっとも、僕は引っ越してきてから一度しか歩いたことないが。
「夏波さんはこの辺よく来ます?」
「あんまり来ないかな。家も近くないし」
「デートとかしないんですか?」
「……相手がいねえよ」
「どんまい! 元気出して! そのうちいいことありますって!」
「なあ友晴。それだけ顔腫れてりゃ、今更一つくらい増えても別にいいよな?」
「ダメですねそれは」
まだピークを迎えていないアーケード街だが、それでも人は多く流れは早い。僕らは肩がつくくらい近くに並んで歩いていた。
「ちょっと時間早くないですか?」
「ん? ……いや、十二時ジャストに予約入れてるから、このままで大丈夫だろ」
というわけで、僕らは寄り道することなく、そこを目指した。
もちろん到着したのは十五分前だった。
新八十一アーケード街中ほど、角の大型書店を右折したすぐそこに、その店はあった。
喫茶店「7th」。セブンと読むらしい。由来は知らない。
よく磨かれた綺麗なウィンドウから見える店内は結構広く、昼時だけに客入りも多かった。出入り口に立ててある造花を飾った小さな黒板には、本日のおすすめメニューと本日ブレンド百円引きというサービス内容が書いてある。たぶん日替わりで色々やっているのだろう。
「あれが洋子先輩のバイト先だ」
そう、今日僕らが会ったのは、この店「7th」にやってくるためだった。そしてここが例のあの話、僕が夏休みにバイト(という名の手伝い)をすることになっている店だ。
この後、店の人に紹介され、食事して解散ってことになっている。
だが、今の僕には、そんなことは二の次だった。
「……おい、何見てる?」
「あれが僕のバイト先ですね?」
「いや違う。こっちだ――こっちだって! そっち行くな!」
「なんで!?」
「なんでってなんでだよ!」
もみ合うこと二分、必殺アイアンクローを食らいギブするまでの時間三秒、更に僕は顔面の骨を人質に取られたまま引きずられるように「7th」へと連れ込まれた。
「コスプレ喫茶ねぇ」
夏波さんのしらけた瞳が、ウインドウの外から正面の僕に戻ってきた。
「そんなにあっちの方が良かったのか?」
良いとか悪いとか、そういう問題じゃない。
「夏波さん」
僕も、ウインドウの向こうで僕を魅了する店から、正面で呆れている夏波さんに視線を戻す。
「あそこにあるのは、夢とロマンだ」
「……いや、まあいいけどね。おまえが何好きでもさ」
喫茶「7th」のほぼ斜向かいに、見た瞬間僕を震撼させた喫茶店があった。
その名もコスプレ喫茶「ホワイトジェム」。ああ、夜のお店っぽいピンクの看板が僕の視線を掴んで離さない。よもやここ八十一町にあんな店が存在しようとは……知らなかったで済むだろうか!? いや済まない!
ぜひ帰りに覗いてみたいと思う。もはや義務として。
――ちょっと入店時にもたついたが、僕らは無事「7th」に入り、予約していた窓際の席に着いていた。意識が自然とコスプレ喫茶に奪われそうではあるものの、今くらいはちゃんとせねば。
「気になるならあとで行ってみろよ」
白いブラウスに黒いワンピースという大人しくも美しいコントラスト。どことなくメイドさんっぽい格好のユニフォームを着ているその人は言う。
破壊の申し子・遠野洋子さん……僕にここのバイト(という名の手伝い)を頼んだ人である。
「カナ、案内してやれば」
「イヤっすよあんなとこ。私絶対居場所ないっすよ」
ちなみに洋子さんは今就業中なので、テーブル脇に立っている。
「そうか? 結構流行ってるみたいだけど。女客もいるらしいし」
「興味ないっす」
「夏波さんもコスプレしちゃえばいいのに」
「するか」
「洋子さんだってしてるのに」
「これは制服だ」
「洋子さんだってしてるのに」
「だからこれ制服だって。なんで二回言うんだよ」
――「7th」のコンセプトは、「料理が美味しい喫茶店」らしい。軽食メニューが多いものの、日替わりランチは男でも満足できるボリュームがあり、そして喫茶店としてコーヒーの味は格別だ。
「良い店ですね」
注文を終え、コスプレ喫茶のことも一時忘れ、店内を見る。木造主体で温かみがあり、スイーツ関係もそれなりに充実しているらしく、入り口正面レジの隣のショーウィンドウにケーキやシュークリーム、スコーンなどが並んでいる。そのおかげで女性客が多いかな?
普通といえば普通の喫茶店と言えるかもしれない。まあ喫茶店に奇抜さを求めるのもどうかと思うが。
「店長が作ってるんだけど、ここは食い物系が美味いんだ」
「そういうコンセプトだって言ってましたね」
食事を終え、適当に話して時間を潰していると、ついにその人はやってきた。
「初めまして。店長の遠野崇です」
白髪交じりのナイスミドル、店長にして洋子さんの親戚・遠野崇さんがやってきた。オールバックの髪と口ひげ、スマートなルックス、柔和な笑顔……見るからにモテそうな中年オヤジだ。今まで厨房で腕を振るっていたのだろう、Yシャツにベストを着て、黒いズボンである。たぶんこれが男のユニフォームなんだろう。そして厨房の中ではこれに前掛けだのエプロンだのをしているに違いない。
「初めまして、一之瀬です」
夏波さんの隣にその人は座り、僕らはテーブルを挟んで向き合う。「やあカナちゃん」とか言っているので、この二人も知り合いなのだろう。
「料理はどうだったかな? 口に合ったのなら良かったが」
渋い声で遠野さんは問う。
「美味しかったです」
そんな当たり障りのない話をしながら、互いに相手を見極める。
これはいわゆる面接だ。
店側としては、いくら親戚(洋子さん)の紹介とはいえ、誰でも無条件に受け入れるわけにはいかないだろう。特に僕今顔ボッコボコだし。揉め事の原因になるような相手なら拒否されて当然だ。
そして僕も、遠野さんを見ている。……まあ僕の場合は洋子さんや夏波さんからの紹介って時点で、色々安心はしているが。雇用条件がひどいとか、環境がひどいとか、パワハラの温床とか、そういうこともないはずだ。
「一週間だけど、大丈夫かな?」
「大丈夫です。空いてます」
「――わかった。それじゃよろしくお願いするよ」
こうして僕のバイト(って感じの手伝い)が無事決定した。
僕としては、遠野さんがまともそうな人でよかったと、心底思った。洋子さんや夏波さんをパワーアップさせたような人が出てきたらどうしようかと思っていたが、まあ大丈夫そうだ。
「ところで君。一之瀬君」
「はい?」
油断してコーヒーを飲んでいた時、遠野さんは立ち上がりながら、視線をウィンドウの外へと向けた。
「君はコスプレ喫茶をどう思う?」
「大好きです」
僕自身、無意識に近いくらいに間髪入れなかった答え。
遠野さんは僕を見て、不敵に笑った。
「フッ……即答とは頼もしい」
――僕らは固い握手を交わした。
僕……どうやらこの店でうまくやっていけそうだ! ……夏波さんの僕と遠野さんを見る目が異常に痛いけど……