085.七月十五日 金曜日 美しき獣編
僕らを繋ぐものは、言わずと知れた欲望だ。
「あれ男だろ? あれ男だよな? でもあれはちょっと……まあ……ありっちゃーありかなぁ?」と雌雄判別の葛藤の果て、悟りを開きし僕らは、誰もが守山先輩を微塵の疑いもなく「観賞用」として割り切っている戦士である。
フフッ、どいつもこいつもたぎってやがるぜ。
守山のおねえさ……うん、今だけはあえてお姉さまと呼ぼう。守山お姉さまの水着写真を、喉から手を出し、血涙流し、隣の同志さえ見捨ててでもゲットしようと黒い笑みを浮かべてやがる。
埃一つ分の曇りさえ見えない猛者たちを見て、僕は頼もしさを感じずにはいられなかった。
何の変哲もない、二年生の教室がある校舎東側一階の廊下である。
ただし、何の変哲もないのは、今だけだ。
これから数分の後、ここが僕らの戦場となる。
ホームルーム直後、僕らはMSTT(守山先輩の写真を撮りたい)作戦の現場へと集まっていた。
もちろん、待ち伏せ班や望遠でのシャッターチャンスを待つ班など、この場にいない者もすでに所定位置で待機済みなのだが。
カメラ班は五人だ。
まるで冷酷な狙撃手のように待ち伏せしている、望遠カメラで向かいの校舎から一人。
廊下の先、前後からマシンガンを手に突撃せんとばかりに意気込む二班、各二人ずつ。
彼らは当然、僕らからは見えないところでスタンバイを済ませており、今か今かとターゲットがやってくるのを待ち構えている。
そして僕ら兵隊は、僕を含めて五名である。
僕、アイドル大好きグループからやってきた女性にトラウマのワースト仲間・城ヶ島君、そして見たことのない三人――恐らく写真部の人たちが声を掛けたのであろう見覚えのない連中。
僕らに共通しているのは、全員平均から小柄な体格のみだということだ。だって身長さえ高くもなく低くもない普通の僕がこのメンツの中で一番大きいくらいだから、明らかに身体のサイズを故意に揃えた人選だ。
思い思いに散らばり、その時を待つ僕らは、兵隊である。
つまり、カメラ班の前に立ち、お姉さまの攻撃からカメラ班を守るための壁である。
――いつもの僕なら、こんな小兵軍団のあまりの頼りなさに絶望していただろう。
こんな吹けば飛ぶような、見るからに弱そうな五人で、あの一人でも購買で嵐を起こせる百戦錬磨の応援団員を食い止められるわけがないとわかっていたはずだ。
黒い笑みだけ共通しているもやしっ子五人……つまり僕自身が五人いると仮定して、たぶん十人いてもあの人を止めることはできない、と冷静に考えただろう。
だが今は、この時は、不思議と疑問に思わなかった。
たぶん本気でやろうと決めたからだ。
小粒な僕らが集められた理由は非常に単純で、僕らが壁役として機能すると、必然的にお姉さまとカメラの対角線上に入ってしまう。どうしてもフレームインしてしまう。
だからできるだけ写真に入らないよう、あるいは入っても少しでも被写体への障害物にならないようにだ。
カメラマンは五人もいる。
僕らの足止めがわずか十秒ほどでも、十枚以上は撮れる。もちろん粘れば粘るほど魅惑の写真は増えるのだ。完全なる出来高制――俄然やる気が湧いてくるじゃないか。
諸々の配置は済んでいる。
最後の控えとして、僕らが全員倒れた際、カメラマンを逃がすために前後班に一人ずつボディガード役が付いている。
ターゲットはお姉さま一人だ。
望遠はもはや別枠として、もしお姉さまが怒り心頭でカメラマンの追跡をしたところで、さすがに一人で二班を、それどころかばらばらに散れば逃げる者たち全てを追うことはできない。誰かは必ず逃走を成功させるだろう。
これはトラップだ。
お姉さまをここに連れてきた時点で僕らの勝ち。写真ゲットは確定である。
懸念はない。
たとえば、僕ら兵隊やカメラマンがお姉さまに捕まり、僕らの身柄を人質に逃走した連中の自首を求めた場合とか、まったく問題ない。
この場にいる全員が、まず間違いなく、人質を見捨てるからだ。誰一人例外なく。僕? 愚問である。
それにいくら武闘派の応援団員であろうと、さすがに事情もわからないまま相手を叩き伏せるとは思えない。
僕らは立ち向かう。もちろんそこに暴力はない。つきまとうだけだ。
僕らつきまとう → お姉さま戸惑う → 一分ほど粘って充分写真をゲットしたら即離脱!
強そうに見えない僕らだからこそ、こんな理想的な流れも期待できるだろう。
予鈴が鳴った。
あと五分で、一時間の授業が始まる。
ふと、上の階から軽いざわめきが聞こえ、僕らの身を震わせた。
――ついに時が来たからだ。
「…………あ?」
キターーーーーーーーーー!!!!
あまりの美しさ、そしてあまりの露出度に僕らは身動きが取れなかった。
このクソ暑い夏場でも長ラン使用という応援団において、誰もが見た目に暑く、誰もが守山先輩の露出度の低さに愕然とした衣替え直後のあの頃。偶然見かけた僕も他聞に漏れずガッカリしたものだ。
それがどうだ。
それがどうだ!
今僕らの目の前に、女神が立っているではないか!
いつもポニーテールに結わえた漆黒の髪は下ろされ、手入れの良さからか一本一本が艶やかに揺れ輝く。健康的に焼けた肌は……夢のない言い方をすると無駄毛処理も完璧らしくとても綺麗だ。元々武闘派なだけに細身ながらもやや筋肉質で、だからこそこれ以上ないってくらいに均等の取れた肉体は、女体云々以前に、ただ率直に美しかった。
そして、そんな女神の御身を包みし布切れは、確かタンキニってやつだ。藍色に近い青と白のタンクトップと、長い足が伸びる藍色のホットパンツ。魅惑の双丘を形作るパッドこそ入れていないが、これも一種の貧乳だと思えば、何、まったく問題のない一つの芸術の極みである。
うん……野生動物の、それも肉食獣のような魅力と言えば近いかもしれない。
バリバリに男丸出しの長ラン姿でも美しかったあの人が、今は間違いなく女性の格好をしている。
これは……すごく写真がほしい!
階段から降りてきたお姉さまに、誰もが時を忘れて見惚れていた。
「おい川越、こりゃいったいどういうこった?」
お姉さまは怪訝な顔をし、階上に向ける――と、階段の上からもう一人……まあこれは直視しなくていい海パン一丁の野郎が降りてきた。
「わりい。一週間学食Bランチでおまえを売った」
うわすげえ……恐らくお姉さまの友達なのであろう海パンマン川越先輩は、悪びれる様子もなくそう言った。たぶん彼こそ写真部が言っていた「根回し」の正体だろう。
プールまでは、二階の廊下を直進した方が早い。きっとクラスメイトや合同でやる隣のクラスの連中も直進したはず。
しかしお姉さまは、この川越先輩の先導で、僕らが待ち伏せしているこっちに降りてきたわけだ。
「あぁ? てめえ――」
お姉さまの声に怒りの感情が混じる。
「半分よこせ」
「OK。三日通おうぜ」
……あれ? なんか嫌な予感……
「おっし。ちと持ってろ」
長く首に下げたバスタオルを川越先輩に預け、女神がゆっくりとこちらへやってくる。
ボキボキと拳を鳴らしながら。
細くなまめかしい首筋に心がときめく。
……ときめきっつーか、本当は恐怖かもしれないが。
「で? 何が狙いで、どいつが首謀者で、誰が真っ先に殺されたい?」
あ、あれ? さすがの武闘派でも、事情がわからないとケンカとかできないんじゃ……あれ? すっげやる気だよね? すっげやる気になってるよね!?
見通しが甘かった。
そして僕の予測も甘かった。
いや、そもそも、つまり、罠にハメたつもりが逆にハメられた……と見るべきか。