084.七月十四日 木曜日
男には、戦わねばならない時がある。
男には、命を賭してでも成し遂げたい野望がある。
そして、男には欲望がある。
「一之瀬、ちょっといいか?」
僕に声をかけてきたアイドル大好き四人組。
その真面目な顔を見た瞬間、僕には直感で用件がわかったような気がした。
「――でさぁ。オッハー言ってやったわけ。ナンパに成功する奴はナンパしなくてもモテる奴だろ、ってね! ほんとイケメン地獄に落ちろバーカ! 嫌なら女紹介してくださいマジで!」
昼の放送やクラスメイトたちが騒ぎ立てている中、僕は席を立ちつつ隣の柳君に「ちょっと行ってくる」と断り、先を行く四人についていく。
多くを聞く必要は、なかった。
だって彼らの目が真剣だということは、まず間違いなく女……いや、アイドル絡みだとわかっていたから。
喧騒が遠い。
連れてこられたのは、特別教室でも端の方にある第二音楽室だった。確か吹奏楽部が第一音楽室を使っていて、こっちは軽音部が使用しているとか聞いたことがある。
僕らは第一しか使わないので、まず縁がない場所だった。僕も来たのは初めてだ。
ひとけを感じない静まり返っている音楽室のドアを、四人組の一人――ツッコミがキレキレの一谷君がコンコン、コココン、と妙なリズムでノックした。
すると――カシャン、とカギが開く音が返ってきた。どうやら何かしらの合図だったらしい。
僕らは滑り込むように、速やかに音楽室に踏み込んだ。
そこには、三人の男がいた。誰もが見覚えのない……恐らく上級生だろう。
ただし感じるのは、どいつもこいつもワーストっぽい……いわゆる頭脳労働専門みたいな雰囲気である。
「やあ。来たね」
「すんません。お待たせしました」
ラインが走るボーズ頭がチャームポイントの鳥羽君がそう挨拶した。女性に強烈なトラウマを持つ元ワースト組の城ヶ島君が僕の耳元で囁いた。
「写真部の先輩たちだよ」
なるほど納得の文化系体型だ。
そしてこの集まりが何であるかも、自ずと見えてくる。
やはりこれは、アイドル絡みの密会である。
先輩三人は値踏みするように新顔の僕を見ると、自己紹介さえなく本題に入った。
重要なのはそこじゃない、と強調するように。
「作戦はこうだ」
飽くなき欲望への執念を感じさせる目付きの鋭い先輩が、黒板の前に立ち、チョークを持つ。
簡易的にに描かれた八十一高校の校舎の見取り図を元に、説明を始めた。僕は断固とした口調の彼に、命を賭して戦場を駆けることを部下に命じる司令官の姿を見た。
「我々が張るのはここ。望遠でここから。そして俺と鳥羽たちは現場に近い場所で動く。つまり――」
カッ! その強い意志にチョークが割れる。
「決戦場はここ、校舎東一階廊下だ」
ゴクリと唾を飲んだのは、鳥羽君だった。
「大丈夫っすか? あの人、今までほとんど隙がなかったし……」
「ゲリラ戦では無理だ。うちの吉田のように潰されたあげくにカメラを壊されるぞ。……何、根回しは済んでいる。あとは――」
司令官っぽい彼は、僕を見た。
「兵隊がどれだけ粘れるか。それだけだ」
……なるほど。おぼろげながら話が見えてきた。
アイドル大好きグループ。
写真部。
隙がない。
以上の三点を踏まえると、彼らが狙う被写体がかなり絞られる。
そして作戦を必要とするほどの存在であると考えれば、自ずと解は示される。
――つまり、かの応援団団員、守山のおねえさ……アニキ狙いだ。
そう、僕も噂には聞いていたのだ。応援団総員による、聖戦のことを。
彼らはいったい何を要求したのか?
それは守山先輩の女性用水着許可である。
僕は詳しくは聞いていない。
本当ならばいつか必ず鳥羽君たちから写真のリークがあるだろうし、本当じゃなければがっかりするだけである。だから真偽を確かめることはしなかった。
……そしてもう一つの理由として、あの人の上半身裸なんて想像あるいは直視したら、たぶん僕の男として大事な部分が簡単に揺らぐ気がしたのだ。だから情報を集めることさえしなかった。
だが、今この場で、言葉なき確信を得ることができた。
守山先輩は、やはり女性用水着でプールの授業を受けているのだ、と。
しかし思い出されるのは、彼の人が応援団員であるということだ。
応援団は全員が武闘派だ。
それもシャレにならないくらい強いことは、五月に走った購買前でのパン争奪戦で見た通り。それに応援団総員は十人もいないのに、それでも聖戦を勝ち抜いたという事実である。僕ら一年B組総員でも全殺しの目に遭ったのに、彼らは十人にも満たない数で、あの戦場を乗り切ったのだ。
そんな危険な存在にちょっかいを出そうというのだから(それも文化系ワーストっぽいのが)、どれだけ難易度が高いのか想像するまでもない。それを裏付けるようにこれまで撮影に失敗しているようだ。
それに一学期終了のリミットも近付いているので、シャッターチャンス自体がもう数えるほどしか残っていない。なので今回はきっちり作戦を立てたというわけだ。
まあよくよく考えれば、守山先輩も必死になるだろう。そりゃガードも堅いってもんだ。
あの人は中身はバリバリの男だ。むしろ男らしいほどに男だ。
にも関わらず女性用水着を(団長辺りに)強要され、それを着て授業に出ている。それは男として屈辱にして羞恥でしかないだろう。
ただでさえ嫌なのに、その上撮影されて写真という記録が残されるだなんて、絶対に避けたいはずだ。僕だって嫌だわ。公衆の面前で女性用水着きてる姿を写真に撮られるとか。しかもそれが広められるとか。どんな罰ゲームだ。
――だが、男としてその気持ちがわかっても、わかっていても、僕は守山先輩の写真が欲しい!
もし「男として諦めろ」と言う奴がいるのであれば、僕は逆に言ってやりたい。「男だからこそ諦めきれない」と!
あの黒髪美しくも姿勢凛々しき守山先輩の水着姿……諦めきれるわけがない!
たぎる欲望の炎がこの上なく燃え上がっている以上、僕も、ここにいる皆も、誰一人諦めることはないだろう。
いつの間にか、全員の視線が僕に集まっていた。
いつも冷静な松島君が探るように口を開いた。
「一之瀬、実は」
「いい。何も言わなくていい」
僕は彼を手で制した。
言いたいことはわかっていた。
僕も彼らと同じ気持ちだから。
たとえ僕が「兵隊」などと呼ばれる、守山先輩の足止め役の捨て駒、あるいは壁役で抜擢されたのであろうとも、それでも守山先輩の水着姿は諦められるものではない。
彼らの目は間違っていなかったのだ。
そう、僕なら多少のリスクは覚悟してでも、身体を張るのだ。
僕は見た。
周囲にいる兵どもを。
僕は見た。
彼らが僕と同じ欲望をたぎらせているその瞳を。
「僕の本気を見せてやる」
球技大会以来の闘争心を燃やし、僕は笑う。
それに応えるように皆も笑う。
どいつもこいつもギラギラと黒く輝く、下心しか見えない頼もしい笑みだった。
決行は明日木曜日、ホームルーム直後。
僕らは昼休みいっぱい、作戦会議に没頭した。
守山先輩の写真を確実にモノにするために。