081.七月十一日 月曜日 美少女フルボッコ編
僕は落ち着いた。だいたい五分くらいかけて。
「大丈夫?」
言ったのは月山凛……ではなく、彼女と一緒にいた涼しげな目元とメガネがクールな友達の清水さんである。ぶっちゃけ月山凛しか目に入ってなかったので、意外な伏兵がいたと言わざるを得ない。……いや、ごめんなさい。目に入らないくらいすごく取り乱してました。
まあ、落ち着きはしたものの、だ。
「あの、何してるの?」
清水さんを挟んだ向こうにいる月山凛を気にしつつ、僕は言った。
八十一と九ヶ姫の因縁を考えると、九ヶ姫の生徒から声を掛けてくるなんて珍しい……というより、まずありえないことである。
「お金ならほんとないんだけど……」
「いやカツアゲじゃないから」
「凛。ちょっと黙ってて」
「へいへい」
……どうやら月山凛は、清楚なお嬢様っぽい見た目のわりには、結構くだけた人のようだ。ちなみに彼女ら二人は僕と同じ一年生である、と自己紹介された。
「いきなりごめんなさい。あなた一之瀬くんよね?」
な、なぜ僕の名を……ハッ!?
「まさか僕の悪評がついに九ヶ姫まで……!?」
「え?」
「みんなこんなもんだよ!? ほんとみんなこれくらいは普通にエロいよ!? た、確かにちょっともうヘンタイかもしれないけど、まだまだ入り口に立ったばかりの若輩者ってレベルだよ!? ほんとだよ!?」
「――聞いてないです」
Oh! クールな見た目に反せず、清水さんは僕の主張をクールにさばいた! ツッコミでもなく、またドン引くでもなく、ましてや無視でもない華麗なる受け流し。……お嬢様校と名高い九ヶ姫にも、こんな人がいるんだな。
あと月山凛……いや、月山さんは後ろで爆笑してるけど。「エロいのかよ君ー」と言いながら。エロいですけど何か?
「その様子だと、何も聞いてないのね」
清水さんは溜息をつき、
「そっか……まああの人らしいよね」
さっきまで爆笑していたはずの月山さんが、今は寂しげに笑っていた。
「あ……そうなんだ」
その理由を聞いて、僕は納得できた。
「そっか。柳君を待っていたんだ」
この二人は、ここで柳君を待っていたらしい。
柳君か。
まあ、意外でもなんでもない、か。
あれだけのイケメンだ、他校の女子に人気があってもおかしくない。そして柳君の情報を集めたのであれば、彼とよく一緒にいる僕の情報までリサーチの網に引っかかることもあるだろう。だから二人は僕を知っていて、声を掛けたのだ。
「――柳くんが好きなんだ」
月山さんは吹けば飛ぶような儚い笑みで、驚くほど自然にそう言った。告白なんて相手の胸を揺さぶり突き刺さんばかりの激しいものが多いのに、月山さんの告白はタンポポの胞子のように柔らかく響いた。
「中学の頃からずーっと片思いでね。……でも一之瀬くん、私のこと聞いてないんだよね?」
「……」
「……なんだ。やっぱり柳くんにとって私はその程度か」
答えられなかったという僕の答えを、月山さんは正確に読み取ってしまった。……まあ柳君を知っているのなら、彼がどういうタイプなのかも知っているだろう。中学からの知り合いなら僕より付き合いも長いわけだし。
「いや、なんというかさ」
僕は必死に、フォローの言葉を捜した。柳君……美少女云々関係なく、女の子に悲しげな顔させるなよ……
「……知ってるはずだよね? 柳君は、そういうこともプライベートなこともべらべらしゃべるタイプじゃないでしょ」
冷静に振り返ると、我ながら首を傾げざるを得なかった。
僕はいったい、どれだけ柳君のことを知っているのだろうか、と。
一週間遅れで八十一高校の初登校日を迎えた僕の、席の隣にいた超イケメン・柳蒼次。
知り合った当初は、周りの環境に慣れない者同士、わりと肩身の狭い想いで日々を細々と……というか普通に過ごしていたと思う。
そんな初々しい関係だった僕らなのに、いつからか、気がつけば柳君は僕が困った時は必ずといっていいほど助けてくれる頼もしい存在になっていた。
クールで控えめで、声を荒げることもない。運動はできるし頭も良い。常識のある普通な奴……に見せかけて意外と変な奴だが、ずるいと思うくらい男前である。イケメンで男前はずるいだろ。
考えるまでもない。
もし僕が女なら、文句なしで好きになっただろう。普通に惚れたりしただろう。決して見た目が良いだけの安っぽい男じゃない。きっと月山さんもそういうところが好きになったんだと思う。
だから、わかる。
柳君が女の子にモテるのは、むしろあたりまえである、と。
そして、僕は知らなかった。
驚くほど何も知らなかった。
柳君がどんな中学時代を送ってきたのか、と。
今僕の目の前にいるこの月山凛こそ、柳君の過去の一部だった。
「確かにそうだね。柳くん、しゃべるタイプじゃないよね」
僕のフォローに反応したのは、清水さんだった。彼女も中学時代の柳君を知っているらしい。
それにしても、中学時代の柳君か。
「中学の頃の柳君ってどんな感じだった?」
興味本位で聞いてみると、清水さんはメガネを押し上げた。
「中三の時に私たちが通う中学に転校してきてね。勉強も運動もできたし、あの容姿だからすごくモテてた。でも冷たい印象が強かったから、みんな声をかけるのを躊躇ってたかな」
ああ、そう。
「じゃあ今とあんまり変わらないね」
「そうなの?」
「うん」
ただし、我らが八十一高校一年B組は、遠慮というものを知らない連中が多いってだけだ。敬遠どころかむしろいやがらせしてるしね。
まあ、真面目な話、球技大会辺りからは結構周囲と馴染んでいるようには思うけど。あれ以来、ワーストナインを中心に柳君に声を掛けるクラスメイトが増えたのは確かだ。
「でも一之瀬くんは柳くんと仲良いんでしょ?」
「そうだね。悪くはないと思うよ」
イケメンはいけ好かないし、滅べばいいとは相変わらず思っているが。それでも柳君は友達だと胸を張って言える。……一緒にくぐった修羅場のせいかな。
「色々話したりしないの? それこそ中学時代とか」
「話したことないなぁ……ん?」
――ふと視線を感じて横を見ると、月山さんがジロジロ僕を見ていた。な、なんだよ美少女。見るなよ……恥ずかしいだろ……
「……柳くんと仲が良いって?」
「う、うん……」
「それってどの程度?」
「は…?」
「まさか私より柳くんと仲が良いとか、うぬぼれてないよね?」
……ってどんな嫉妬してんだよおい。僕男ですけど。柳君も男ですけど。
「私はね、柳くんと一緒に買い物行ったことあるんだぞ」
うわあ……対抗意識燃やして自慢まで始めたよ。
自信満々の月山さん。清水さんがぼそっと「柳くんの買い物に無理やり付いていっただけだけどね」と呟いたが、「さあどうだ! 私の勝ちだろ!」という月山さんの勢い任せの発言が強引に流した。
……月山さんって見た目に反して少し残念な人なんだな、と思った。いや、それとも恋は盲目とでも好意的に見るべきだろうか。
「……買い物くらいなら僕も行ったことあるけど」
「へ、へえ? ふうん? どこに? 何を買いに?」
なんか声が上ずっている。なんで動揺してんだよ……君すげえ美少女だぞ! 君すげえ美少女なんだぞ! 自信を持てよ! 君に振り向かない男なんて本当にごく一部なんだから!
それにしても、困った。どう答えればいいんだよ。
僕はチラッと清水さんを見た。「話していいのか?」というニュアンスを込めて。
清水さんはクールに親指で首を掻き切った――殺せ、と。
いいのかよ。……九ヶ姫にもこんなクールな女子がいるんだなぁ。
「えっと……八十一HON-JOにジャージを買いにいったよ」
「えっ!? ……嘘でしょ……!?」
目を見開き、愕然とする月山さん。あ、もしかして勝っちゃった?
「凛」
清水さんはクールに言った。
「学校の購買じゃHON-JOには勝てない」
おい楽勝じゃねえか! てか購買ってそれ、一緒に買い物って言うのか!? それでよく自慢げに言えたもんだ! 美少女だからって何でも許されると思うなよ! ……個人的には許すけどね!
「……フッ。まあ友達だったらそれくらい当然よね」
おっと、月山さんはまだ倒れないらしい。……額にぶわっと浮かんだ冷や汗、強がってることが丸わかりだから見てないことにしておくよ。
「でも残念! 私なんて毎日柳くんと一緒にお昼食べてたもんね!」
は、はあ……そうですか……
僕はチラッと清水さんを――清水さんはキュッと首を掻っ切って見せた。あ、殺っちゃっていいっすか。そっすか。……清水さんスパルタっすね。
「僕も席が隣だから、ほぼ毎日一緒だけど」
「と、と、隣の席!? ……いやっ! ほぼ毎日でしょ? ほぼ、毎日、なんでしょ? だったら私の勝ちね! 私は毎日だったもんね!」
勝ち誇る月山さん。隣で今一度首を掻っ切る清水さん。……わかりました、殺っときます。
「僕たちは時々一緒に外で食べたりするかな」
「なっ……!? が、外食……!?」
「お好み焼きとか食べに行ったよ。柳君、始めて食べたって言ってた」
「はじめて!? ……や、柳くんの初体験を奪っただと……!?」
ヴァージン言うな。たとえ美少女の言葉でもそれは許容しない。……どうしてもっていうなら仕方ないが。
「凛」
清水さんは非常にクールに言った。
「食事中声をかけて一度も返事を貰えなかった昼食風景って、果たして一緒に食べたっていうのかな」
そ、それは柳君、ひどいよ……月山さんに恨みがあるとしか思えないような冷遇じゃないか……
「ふっ……ふっふっ……ま、まあまあじゃない? まあまあ仲良いんじゃない? 敵ながら。褒めてあげるわ!」
いや敵って。……そろそろ冷や汗拭いたら? 形の良い顎からぼたぼた落ちてるよ。すごい勢いでぼたぼた垂れてるよ。
「でも残念! すごく月並だけど、私なんてヤンキーに絡まれてる時助けてもらったことあるもんね! 身体を張って! か・ら・だ・を・はっ・て! 柳君は私のために戦ってくれたのよ! もう惚れたわ! あれ以来惚れっぱなしだわ!」
あ、それが馴れ初めですか。確かに月並かもしれないけど、好きになるには充分ですね。
……チラッと見るまでもなく、清水さんから「凛って調子に乗るとすごくウザいから早く殺っちゃって」と異常にクールな発言が飛び出した。君らはその……友達、だよね……? 憎み合ってるわけではないんだよね?
あんまり気は進まないけど……まあ、仕方ないか。
「ヤンキーじゃないけど、僕もあるよ」
「ふふん。男と女じゃ価値が違うわねっ」
まあ……まあ、それはそうかもなぁ。
「何回くらいあるのか言ってみなさいよ?」
「えっと……二回かな?」
新人狩りで一回、聖戦で一回で。
「あれ? これってアレ? アレじゃない? 私の勝ちじゃない? 私の勝ちよね? あれーおっかしいなー? 仲の良い友達のはずなのになー。私が勝っちゃうんだー?」
あ、確かにウザいな月山さん。イラッとするわ。
「そうだね。僕なんて大したことないよね」
「でしょ? でしょでしょ? やっぱり柳君と仲が良いのは私よねー?」
「――僕なんてよく一緒に帰ったり、寄り道したりして……は、まああえて言う必要もないよね。基本だよね。そのほかには、柳君から妹を紹介してもらったり、購買にパンを買いに走ったり、球技大会で一緒に秘密の特訓をしたりもしたなぁ。……ああそうそう、最近は一緒に試験勉強もしたかな」
「……」
「まあその程度だよ。僕なんて」
――月山さんは膝を折り、両手をついて敗北を表現した。清水さんは親指を立てた。
「なんかごめんね。変なことに巻き込んで」
すげー落ち込んでいる月山さんをほったらかしで、清水さんはクールに言った。……つかクールすぎるぜ、清水さん。
「あれでよかったの?」
美少女いじめる趣味なんてないし、傷つけるなんてもってのほかだ。だが僕より月山さんを知る清水さんの指示があったからこそ、最後なんてフルボッコしてしまったが……つかなんでそんな美少女なのにドンと構えてないんだよ。異常に小物くさいよ。まあそれはそれで変な魅力があると思うけどね。
「いいのよ。調子に乗ったらまた柳くんに付きまとうだけだから」
清水さんは首を振って溜息をついた。
「中学生の頃、凛はずっと柳くんに付きまとっててね。一日一回告白して、ずっとフラれ続けても諦めないでね。柳くんにすごく迷惑を掛けたから」
ふうん……ん? 一日一回告白? なんか聞いたことがあるような……
「高校に入ってからも、どうしても我慢できないからって時々こうして待ち伏せしてるんだ。まだ一度も会えてないけどね」
「そうなんだ」
ちょっとバカ……いや無邪気で天真爛漫な感じだけど、月山さんみたいな美少女に告白とかされて断るとか、本当に柳君は何を考えているんだか。
付き合ったら付き合ったでひねり潰してやりたいが、断ったら断ったでなんだか腹立たしい。「断る理由? このくらいのレベルの女じゃ満足できないからだ」とかほざいたら僕は即座に彼を始末するだろう。必ず始末するだろう。
「ちょっと一之瀬!」
いきなり月山さんが復活した。僕を呼び捨てで。
「携帯とメルアド交換しなさいよ!」
「えっ?」
「そして柳くん情報を逐一漏らしなさ――おぐっ」
詰め寄ってくる月山さんの脇腹に、清水さんの結構鋭いパンチが吸い込まれるようにヒット。鈍い音に月山さんは悶絶した。……君らは本当に友達だよね!? 美しい珍獣と珍獣使いって感じの上下関係が成立しているコンビ的なものじゃないよね!? 僕は若干不安になってきたよ!
清水さんのメガネがギラリと光る。
「交換してくださいお願いします、でしょ。本気で望むならちゃんとお願いしなさい」
「お……お願いします……交換してください……」
こうして、ひょんなことから月山凛と、ついでにクールすぎる清水さんの携帯番号とメルアドをゲットした。
でもなぜだろう。
なぜだか素直に喜べなかった。